2009年12月31日

星空温泉ツアーにて

星空温泉ツアーにて

これは昼間に撮った写真ではありません。
夜に撮った写真です。

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雪明かりと月光で、浅間山が、こんなに美しく見えます。

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もちろん三脚が必要ですが、
みなさんも、こんな写真が撮れますよ。
ちなみに、オリオン座とウルトラの星を撮ってみました。
来年は、寅年ですからね。

さて、どれがウルトラの星でしょうか?
知りたい人は、北軽井沢ブルーベリーYGHの
温泉ツアーに参加すること!

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ちなみに、ここは、北軽井沢ブルーベリーYGHから徒歩5分の場所。
オリオン座も、きれいでしょう?

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つづく。

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posted by マネージャー at 01:32| Comment(4) | 自然−星空 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野鳥がいっぱい

野鳥がいっぱい・シジュウカラ・ゴジュウカラ・ヤマガラ

雪が降ると北軽井沢ブルーベリーYGHの庭に野鳥がいっぱいやってきます。今日は、そんな野鳥たちを紹介しましょう。

まず、ゴジュウカラ
冬でなくても、北軽井沢ブルーベリーYGHの周りに徘徊しています。
前の別荘の縁の下あたりに住んでたりします。
秋になると、栗の木の木肌を逆さに降りながら虫など突いていますね。

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今回は、私が仕掛けておいたタネを食べにやってきました。

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続いて、こいつは、ヤマガラ

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北軽井沢に多い鳥で、さかんに餌をねだりに来ます。
ゴジュウカラに比べると小さく、かわいいですね。
大好物は、ヒマワリのタネです。


シジュウカラです。

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餌より巣箱に興味を示しています。
去年は、3つの巣箱をしかけて、2つ営巣しましたが、
今年は、土地も増えたので、さらに6つ増設する予定。
うち、3つは、ヤマネ用にしようかなと思っています。


つづく。

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posted by マネージャー at 00:37| Comment(2) | 自然−野鳥 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

今年もあと、24時間

今年もあと、24時間となりました。
思えば、激動の1年でしたね。
残念なこともあり
良いこともあり
私自身、健康を損ない、
いま、自力で治しているところです。
体力・気力の充実につとめています。

毎日スノーシューのラッセルをやったために、
妙に筋肉が増え、太ももが大きくなりました。

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200もあった血圧も、薬無しで、150から130まで下がりました。
スノーシューをすると、130になり、
サボると140です。
2日サボると、150。
3日サボると、160。
笑えるくらいに、ピッタリの数字。
おかげで、サボれない。
そして筋肉がつくこと、つくこと。
このままいくと、筋肉デブになるかもしれない。

(まあ、体重と体脂肪は落ちているんですけれどね)


つづく。

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posted by マネージャー at 23:57| Comment(2) | 日記 2009以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

日本ユースホステル史の源流8

日本ユースホステル史の源流8

つづきです。

 明治十八年七月二十日。
 鹿島城の隣の武家屋敷に男の子が生まれました。
 田澤義鋪(たざわよしはる)と名付けられました。

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 田澤義鋪の父、義陳(よしのぶ)は、藩主鍋島直彬に仕えて、明治維新を体験した人でした。鹿島藩の禄高はサバをよんで二万石。実質八千石の小藩であり何度も取りつぶされそうになった藩でしたが、藩政改革により逆転ホームラン。つまり、九州一の富裕藩に変貌し、軍事力をたかめて、庶民を豊かにし、その余勢をかって、佐幕気味だった佐賀本藩の藩論を勤王倒幕に誘導し、薩長土肥連合軍をつくりあげ、一挙に倒幕をはたしました。

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 しかし、この逆転ホームランは、六歳の藩主・鍋島直彬を英才教育し、その人徳をもって藩のパワーを巨大化させるという信じがたいホームランでした。明治政府は、天皇の側近に奉仕して常時補佐する、侍補という官をつくり、人格識見ともにすぐれた人物八人を任命しましたが、真っ先に鍋島直彬を任命しました。鍋島直彬の人徳が、いかに優れていたかが分かるというものです。


 鹿島藩の維新での功績は、佐賀本藩の藩論を勤王にひっくりかえしたことであるし、戊辰戦争での活躍もめざましいものがありましたが、明治政府は、鍋島直彬に、その人徳見識をたよりにしたという点がユニークなところです。そして明治二十年ころ、アメリカ人が、福沢諭吉に、日本の代表的紳士三人の選定をたのんだとき、福沢がまっさきにあげたのは、鍋島直彬でした。

 この鍋島直彬は、維新後、ほとんどの華族が郷里を捨て、東京に移り住んだ中で、鹿島に住みつづけ、地方の文化と産業のために尽しました。そして私財を投じ、郷土の少年たちの中から人材を養成し続けました。鹿城会を設置し、経済的に恵まれない子弟の育成に力を注ぎました。

 その鍋島直彬が、田澤義鋪に目をつけたのです。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:45| Comment(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

どんだけCGなんだ?

どんだけCGなんだ?

CGといえば、特撮だと思ってたら、
どうやら違うことに気がつき驚かされました。
海外ドラマでは、ロケ撮影のかわりにCGを使っているのですね。
あんまり凄いんで驚きました。
まあ、見てください。



この撮り方だと撮影許可もいらないし全部スタジオで出来ますね。
何気ないシーンまでエフェクトかかってたのかと思うとびっくり。

つづく。

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posted by マネージャー at 17:03| Comment(2) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

日本ユースホステル史の源流7

日本ユースホステル史の源流7

つづきです。

 佐賀藩は、抹殺された藩です。明治7年におきた佐賀の乱で見事に抹殺されてしまった。しかし、その前までは、薩長土肥の中で、最強の藩であったし、明治政府の中心的存在でした。

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 明治政府がスタートしたときに太政官が復活するわけですが、一番上位が左大臣と右大臣。左が上ですが、左大臣は適当な人物が見当たらないということで欠員。そして右大臣が三条実美。天皇の権威によって国家を作るわけですから、身分が高い公家をトップに置くのは当然です。ただし、これはお飾り。ですから問題はその次位の大納言ですね。

 大納言に岩倉具視鍋島閑叟が就任している。
 つまり、この二人が事実上のトップなのです。
 つまり明治新政府は岩倉・鍋島連立政権だったわけです。
 薩長土は、その下なのです。

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 おまけに岩倉と鍋島は大変親しかった。実は明治元年、戊辰戦争中に岩倉具視が長男具定と次男具経を、佐賀藩に留学させている。いかに岩倉が鍋島を信頼し、佐賀藩の学問を高く評価していたかが分かります。それ程までに岩倉と閑叟は親密な仲で、その二人が大納言になって、手を携えて発足早々の明治新政府を切り回していたわけです。ところが、閑叟は病気に倒れ、明治四年正月に五十八歳で亡くなりました。岩倉は、何度も病床の閑叟を見舞いましたが、死の床にあった閑叟が岩倉に、「どうか明治天皇に種痘をしてさしあげるように」と遺言したのは有名な逸話です。

 どうして、ここまで佐賀藩が皇室から信頼されたかと言いますと、
 2つの原因がある。
 1つは、佐賀藩は、長崎から外国勢力を追っ払った過去があった。

 幕府は、ペリーの来航に降伏にもひとしい屈辱をうけたのですが、
 ちょうど同じ頃、佐賀藩は、長崎から露西亜のプチャーチンを追っ払った。

 露西亜のプチャーチンと直接交渉したのは、川路聖謨でしたが、佐賀藩が鉄製の大砲を長崎港にズラリと並べて、露西亜を威嚇した。そのために有利に交渉が進められたのです。

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 それを川路聖謨は幕府に報告し、幕府は、佐賀藩に鉄製の大砲を200門注文し、お台場を造って再びペリーの来航を待ち構えるわけです。幕府は、残念ながら鉄製の大砲を造る能力が無かったんですね。つまり、幕府より佐賀藩のほうが強国であったことは、幕府の方が認めている。このへんは、薩摩も長州も良く知っていて、佐賀藩を敵に回したら絶対に勝てないと思っていました。

 もう一つは、佐賀藩の民度が異常に高かったことがあります。
 佐賀藩は、単に近代文明に優れていただけでなかった。
 武士・藩主・町民までもが優れていた。

 日本で初めての義務教育を開始したのが佐賀藩であったし、
 自治会議や庄屋公選、
 殖産興業、
 社会福祉まで、
 明治政府が始める前にやっていました。

 明治政府は、これらを外国から学んだのではなく、まず佐賀藩から学んだのです。この歴史が、抹殺されている。ここが分からないと、日本ユースホステルの源流が、どうしても見えてこないのです。

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つづく。

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posted by マネージャー at 10:07| Comment(1) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

角間山・湯の丸山・烏帽子山をラッセルしました

昨日は湯の丸山・烏帽子山をラッセルしました。
今日は角間山をラッセルしてきました。
角間山は、ちょっと手強かったです。

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ラッセルとは、雪原に道をつける作業です。

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で、だいたい膝上ラッセルでした。
膝上ラッセルは、40キロ装備の登山レベルの重労働になります。

場所によっては、腰上でしたね。
腰になると、ラッセルではなく、雪の壁を押し倒す感じです。

でも、雪が解けるのも早く、
帰りの時は、休息に溶け出し、
膝下に下がっていました。

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明日は、小桟敷山の予定。
これでラッセルは全部おわり。
予定よりはやくスノーシューツアーもできます。

25日以降なら2名様からスノーシューツアーを受け付けます。
費用は、保険料レンタル費込みで3000円です。
(非宿泊者は5500円です)
ガイドは、主に土井君が行いますが、
土井君がいない場合は、私が引き受けます。

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つづく。

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posted by マネージャー at 21:50| Comment(0) | 鹿沢−角間山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

日本ユースホステル史の源流6

日本ユースホステル史の源流6

日がたちましたが、つづきです。

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 倒産寸前の鹿島藩を救ったのは、確かに鍋島直彬でしたが、直彬が藩主になったのは、わずか六歳。六歳の少年には藩は救えません。藩を救ったのは、六歳の少年に与えた教育です。少年藩主に対する教育が藩の運命を変えたとも言えます。これは、直彬自身が一番よく知っていたし、鹿島藩の藩士たちにも痛いほどわかりました。六歳の少年に与えた教育がなければ、藩が潰れていた恐れがあったのですから。

 そのせいか鹿島藩の藩士たちは、みな少年たちへの教育を重視しました。そして、それが伝統となりました。そして明治十八年七月二十日、田澤義鋪が生まれます。鹿島藩鹿島城の隣にある武家屋敷に住む田澤義陳、母みすの長男として。

 田澤義陳は、今で言う教育パパでしたが、知育・体育・徳育のうち、体育を重視しました。まず、朝起きて井戸水を汲み、十三杯の冷水を全身にに浴びました。それが終わらないと飯を食べさせてもらえないのです。庭に大きな池も造りました。夏は、そこで朝から息子を泳がせました。一泳ぎおわるまで朝食をだしませんでした。

 食事が終わると朝よみです。

 論語などを小一時間ほど声を出して読みます。
 幼い田澤義鋪は、まだ四歳だというのに、
 難しい漢文を次々と読みこなしました。

 詳しく意味が分かっていたかどうかは疑問ではありますが、声を出して読む漢文は、今も昔も、とてもかっこいいものです。こういう風景は、明治大正の頃にはよく見られた光景ですが、これなどは知育ではなく、徳育の部類です。体育をして体を鍛え、朝の徳育。田澤義鋪の幼児期は、こういう風景の中にいました。

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 田澤義鋪。

 実は、彼こそが日本最初の青少年宿泊施設を造った男です。世界最初のユースホステルは、リヒャルト・シルマンが1912年アルテナ城を改築して造られたものです。しかし、その13年後に日本にも青少年宿泊施設ができていたのです。それを作った男が田澤義鋪であったのです。

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 しかし、日本青年館とユースホステルの間には、
 何一つ関連性はありませんでした。
 日本青年館は、主に青年の施設であったし、
 ユースホステルは、主に小学生の施設であったからです。

 ところが、この2つが合体する事件がおきるのですが、その合体の立役者が日本のリヒャルト・シルマンこと横山祐吉氏でありました。そして、この横山祐吉氏が、全く持って謎の男であったわけですが、その謎は、田澤義鋪というキーワードを説くことによって解明できるものだったのです。

 では、田澤義鋪とは、どんな男か?
 少し探ってみましょう。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:54| Comment(3) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空室情報です

12月の空室情報
29日6名お泊まりになれます
30日男2
31日満室


1月の空室情報
1日男1
2日男1女1
3日5名お泊まりになれます

その他の日もお泊まりになれますので、お問い合わせ下さい。
ちなみに、1月の連休は、ほとんど埋まりつつあります。

posted by マネージャー at 21:22| Comment(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

桟敷山をラッセルしてきました。

年末年始のスノーシューツアーを成功させるために
桟敷山をラッセルしてきました。
ラッセルとは、雪を踏み固めて道を造ることです。
これをしておかないと、スノーシューツアーで時間がかかってしまう。

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いやー雪が深かったです。
南斜面で30センチ。
頂上付近で、膝上10センチ。

夏山なら1時間半で登れるのに、3時間もかかりました。
その代わりに下山は、40分でしたけれど。

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どうでも良いけれど、
一人で雪のラッセルというのもいいですね。
無の境地になる。
禅しているような感じです。
自然とインスピレーションがわいてくる。
今まで分からなかったことがわかってくる。
難しい因数分解が解ける気がする。

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明日は、角間山か湯の丸山をラッセルしてきます。


追伸
今後、スノーシュー関連の記事は、
下記サイトに移転することにしますね。
このサイトには、見出しと要約記事だけを載せます。

http://snowshoeing.seesaa.net/

つづく。

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posted by マネージャー at 23:34| Comment(0) | 鹿沢−桟敷山・小桟敷山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今季初のスノーシューツアー2

今季初のスノーシューツアー2

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キツツキの跡ですね

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つづく。

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posted by マネージャー at 01:39| Comment(0) | 鹿沢−村上山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

今期初スノーシューツアー

今期初スノーシューツアーをやりました。
大雪なのでラッセルに時間がかかりました。

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野ウサギの足跡。
さて、どっちに向かっているでしょうか?

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村上山登山口

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転んでる人もいます。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:03| Comment(4) | 鹿沢−村上山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

恵シャレーイルミネーションツアー2

恵シャレーイルミネーションツアー2

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つづく。

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posted by マネージャー at 01:53| Comment(2) | 旧軽−雲場池・恵シャレー・離山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

恵シャレーイルミネーションツアー1

恵シャレーイルミネーションツアー

今年も行ってきました。

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恵みシャレー軽井沢
〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1374-5
Tel.0267-42-2302 Fax.0267-42-4113

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少年少女合唱団。
ドリフじゃないよ。

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私たちも合唱しました。

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つづく。

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posted by マネージャー at 08:27| Comment(2) | 旧軽−雲場池・恵シャレー・離山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

そば屋 志な乃

そば屋 志な乃

http://www.soba-shinano.jp/index.html

値段は問わない。
とにかく美味しい蕎麦を食べたいという人のための店。
ここは、オフシーズンでも混んでいます。
よーするに地元の店。

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店内は、こんな感じ。

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もちろん国産そばの実を使用。
そばの実を挽き分けることにより、
さらしな蕎麦
おらが蕎麦
田舎蕎麦の三種類の盛り蕎麦を常に提供してます。

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さらしな蕎麦と石臼挽き蕎麦を注文。
上品な蕎麦でした。

北佐久郡軽井沢町長倉塩沢746
0267-44-1830

11:00〜15:00 オーダーストップ14:45
夜(17:00〜19:00)の営業は土・日・祝日、

◇アクセス
しなの鉄道 中軽井沢駅よりタクシー10分
軽井沢駅よりタクシー15分
18号バイパス塩沢の信号の角

★さらしな蕎麦
そば実の芯だけの真白き蕎麦です                 1050円

★おらが蕎麦
そば実の中程を主にした当店特製ブレンド粉の蕎麦です       950円

★田舎蕎麦(挽きぐるみ)
そば実の甘皮まで一緒に挽き込んだ香り高き蕎麦です   
840円

★石臼挽き蕎麦   
厳選した丸抜きそば実を当店で石臼挽きした逸品です        1000円

★相盛り蕎麦
さらしな蕎麦とおらが蕎麦の盛り合わせ              
1150円


つづく。

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posted by マネージャー at 21:20| Comment(0) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ赤字財政に?+α+α+α+α

なぜ赤字財政に?+α+α+α+α

ゼロあたまさん
>どうして政府は複式簿記をつかってないのでしょうか。

一言で言うと、政府は金を使うだけの存在だからです。
つまり経済活動してないから、
複式簿記は必要なかったのです。

お小遣い帳で充分だった。

皆さんだって、毎月、自動的にこづかいをもらえるなら、
それでじゅうぶんですよね?
複式簿記なんていうめんどくさいものは必要ないんです。

けれど経済活動している企業は別でした。
複式簿記が無いと倒産してしまうのです。
いくら儲かってるか分からないからです。
数字を把握してないと、たちまち倒産するのが企業。

でも、政府は、経済活動してないから倒産しません。
人民から税金をとればいいだけなので。
それで、今でも、こづかい帳で予算を組んでいる。

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で、話は、幕末の頃にとぶんですが、
幕末の諸藩も、こづかい帳で予算を組んでいるから
大赤字の藩ばかりだった。
今の日本と変わりないんです。

しかし、例外もありました。長州藩、鹿島藩、薩摩藩などが、政府でありながら経済活動をおこなって金を稼いだのです。当然のことながら複式簿記を使って財政を立て直します。

 鹿島藩の直彬などは、十四歳のときに、初穂米を売却した資金百三十九両を低利で貧民に貸し与え、その利息で図書館の蔵書費としています。こういう事を今の日本政府がやっておれば、年金問題なんかおきないのですよ。年金を貯テクにまわしておけば、今頃日本国民の老後は安心だったのに、使ってしまった。これも、こづかい帳で予算を組む癖から抜けきらなかったからでしょうね。

 しかし、例外もあります。高速道路です。あれは税金で造らず、借金で造り、通行料金で借金を返済していった。日本政府としては、珍しく税金ではなく経済活動によって建築しました。全国の空港もそうですね。ただ、見込み違いの空港や道路もあったようですが、税金でなかったために、どれだけ政府の負担が少なくてすんだことか。この方法は、

受益者負担

と言って、かなり真っ当な方法だと思います。これを無料化したら受益者大儲けになり、他の納税者の負担になりますから不公平になります。また、新しい有料道路が造れなくなりますので、日本の道路は、このままです。


 まあ、それはともかくとして、日本国政府は、そろそろ幕末の長州藩、鹿島藩、薩摩藩などのように、複式簿記を使って財政を立て直してもいいのではないでしょうか? 例えば国営カジノ。関西空港・成田空港をラスベガスのような国営カジノにし、ここには、世界中の金持ちが来れるプライベート空港にする。そうすればパチンコ利権を潰せます。そして羽田をハブ空港にするといった思い切ったことをしないと財政再建は難しいだろうなあ。

その前に、財政の複式簿記化が先だが。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:14| Comment(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

北軽井沢は雪です

北軽井沢は雪です。
道路もガチガチに凍結しています。
車の方は、気をつけていらっしてください。

イルミネーションツアーでは、寒さが激しいので、
防寒を完璧にしてください。
温泉ツアーは、イルミネーションツアーがあるために
中止となります。

ちなみに土曜日の天気は、
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/10/4220/10425.html
となります。冷えますので御注意ください。


では、みなさんのおこしをお待ちしています。

つづく。

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posted by マネージャー at 22:22| Comment(2) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ユースホステル史の源流5

日本ユースホステル史の源流5

つづきです。

 こういう藩主がでてくると、凄い支援者がでてきます。
 能古見の元源昌寺の住職僧祥誉(しょうよ)師です。

 この僧侶は、悟りを開き、心を見通してしまう超能力を体得。米の相場、花札、博打を打ったらほとんど百発百中で勝ち、座の金を全部持って帰る事もありました。もちろん寺の金には一切手をつけず、住職個人の金だけで大儲け。この人が、新藩主直彬の徳に感心し、鹿島藩に大金を貸し与え、さらに自分の姉の孫である松尾弥四郎を直彬公の財政係に推薦しました。

 この松尾弥四郎は、直彬公の信頼を受け、極秘に船を購入し、『豊国丸』と名付け伊万里港を拠点として、伊万里焼や肥前刀などの密輸活動を開始しました。その活動範囲は、全国各地から遠くはインドネシアまで広げたといいます。そして儲けた資金で借金を次々と返済してゆき、新型の銃砲の購入し、莫大な食料と生活雑貨を鹿島藩に多くをもたらしました。まさに奇跡。倒産寸前の藩が、たった十年で日本一裕福な藩に変化し、その資金をもって新兵器を購入し、最強の軍隊を設置。さらに明治政府に鹿島藩の財産を現金八万両をも引き渡しています。

 廃藩置県後は、直彬は松尾弥四郎に密貿易の功労船『豊国丸』を格安で払い下げ、その『豊国丸』をもって松尾弥四郎は、わずか八年間で巨万の富を築き大富豪となります。このまま行けば、三井三菱を凌ぐ巨大財閥になろうというところまで行きますが、明治十二年に直彬が沖縄県知事に就任するとともに、直彬を慕って臣下にもどって同行し、沖縄統治のために私財を投じるわけですが、それは後の話になります。

 とにかく、直彬の周りには、僧祥誉や松尾弥四郎のような人材が続々と集まり、鹿島藩の財政難をアッという間に解決してしまい、国を豊かにし、学問をおこし、軍備を増強し、いつの間にか佐賀本藩をもしのぐ国力をつけていきました。そして直彬は、密かに佐賀本藩の勤王志士たちを応援するまでになりました。佐賀藩の志士たちの多くは、陰で鹿島藩直彬のバックアップを受けていたのです。しかも隠密に。

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 しかし、佐賀本藩の鍋島閑叟は、勤王から距離をとっており、脱藩志士たちに斬首を命じていました。それらを庇護しかくまい、資金まで与えたのが鹿島藩の直彬でした。もちろん資金源は松尾弥四郎による密貿易によるものです。そして、志士たちが鍋島閑叟に殺されかかるたびに、佐賀城まで走り、鍋島閑叟に天下の形勢を進言し、佐幕に傾きかけようとする藩論を勤王に戻したのです。

 そしてもし、直彬がいなければ、佐賀藩は佐幕であった可能性があり、佐賀藩の強力な軍事力は、薩長に向けられた可能性があります。もしそうなったら薩長に勝ち目はなかったでしょう。

なにしろ佐賀藩の兵器は、
世界最先端のアームストロング砲
まで備えていたのですから。


 アームストロング砲。

 これは当時の最強砲で、開発国のイギリスでさえ正式装備してなかった砲です。正式装備をしなかった理由は、戦闘中に尾栓が吹き飛んで砲員のすべてが死傷するという事故が度々発生したからです。そのためにイギリス本国で廃棄されることになってしまう呪われた砲です。しかし、威力は絶大で幕末の戊辰戦争で大活躍しました。

 このアームストロング砲を製造可能だった佐賀藩の工業力は恐ろしいものがありますが、ドイツ・フランス・アメリカでも不可能だったアームストロング砲を製造できた理由に、佐野常民の活躍があります。

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 彼は、京都で活躍していた、からくり儀衛門をスカウトします。
 この、からくり儀衛門こと田中久重(後の東芝の創始者)は、
 伊万里焼の技術をもって完璧な反射炉を造りました。

 これによって耐火煉瓦の反射によって製鉄することによって不純物をのぞいた純度の高い鉄ができあがります。もう鉄をカンカン叩いて炭素を逃がさなくてもよくなります。

TanakaHisashige.jpg


 この田中久重(からくり儀衛門)は、天才でした。
 エジソンを上回る最強の天才でした。

 というのも、彼の造った工作機械は、
 ヨーロッパから文献で導入したものでなかったからです。
 彼のオリジナルであり、
 日本の技術(からくり)によって造られていたからです。






 彼の造った工作機械の動力は水力です。

 いくつもの水車を使って、
 歯車を組み合わせ、
 精密な工作機械をつくりあげました。
 そして、蒸気船や蒸気機関車を製造し、造船までやってのけます。

 どうりで日本だけが明治維新に成功できたはすです。

 日本には、すでにヨーロッパを上回る基礎技術が、
 民間に存在していたからです。
 それを佐野常民がスカウトしてきた。

 そしてアームストロング砲を製造する工作機械を造らせたのです。
 しかも戦闘中に尾栓が吹き飛ぶ欠陥を改良させていました。
 砲身を長めに造り、
 鉄の純度の低い前後を長めに切断し
 純度の高い鉄の丸太を造る。
 そして水車を使って二十四時間砲内をくりぬく作業をさせたのです。


それも無人の機械(からくり)、
つまり今で言うロボットを使って
アームストロング砲を大量生産させていました。
しかも水車が動力なので、
二酸化炭素は出していません。



 田中久重(からくり儀衛門)が、どれほど凄い人なのかは、次の動画をみればわかります。








 この田中久重(からくり儀衛門)によって造られた世界最強の砲であるアームストロング砲が、もう少しで佐幕側に使われることろでしたが、それをストップさせたのが直彬の活動でした。そして、鳥羽伏見の戦いの後でも、まだ徳川幕府に義理立てしている佐賀本藩に対して、直彬は激昂し、

「鹿島藩のみで薩長に加わる。失敗したら、あれは鹿島藩の独断だと切れ捨てよ、もし倒幕に成功したら、全て本藩の手柄とせよ。全ての罪は、直彬個人が背負う!」

と叫び、これに鍋島閑叟は動かされたのです。こうして薩長土肥の連合軍が成立し、ぎりぎりのところでアームストロング砲は、明治維新のために使われることになりました。そして、アームストロング砲の活躍がなければ、戊辰戦争であれだけの勝利をおさめることは不可能だったのです。

つづく。

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posted by マネージャー at 12:53| Comment(2) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

なぜ赤字財政になってしまったか?+α+α+α

なぜ赤字財政になってしまったか?+α+α+α

まるさん

≫こども手当て。本当、バカバカしい。保育園は人が足りないですよ。

結局、こども手当てというのは親手当なんですよ。
子供のためじゃない。
親の子育て代金を、子供たちにおしつける詐欺です。



で、思い出すのは、グリーンツーリズムの座談会のことです。グリーンツーリズムをやってる宿主が3軒ほど集まって、(財) 都市農山漁村交流活性化機構で座談会をやった時のことです。ユースホステル代表が私。それに民宿代表。農家民宿代表の3人が集まってグリーンツーリズムについて語ったんですよ。

 その時に農家民宿代表のおばちゃんがいて、子供の御客様をガンガン叱り飛ばしていると言ってました。ユースホステルでは、そんなことは出来ないと私が言いますと、農家民宿代表のおばちゃんは、「子供が悪いこととしたら叱らなきゃダメでしょう」と今度は私が、ビシバシ叱られました。そして、対談の後の懇親会。農家民宿代表のおばちゃんは、さかんに携帯を気にしている。
「どうしたんですか?」
と聞くと、
「娘と息子たちが大勢連絡してきた」
「はあ?」
「うちに泊まりにきた子供たちが私の上京を機会に集まってきとるんです」
「・・・・」

 農家民宿代表のおばちゃんのところは、年間300人も御客様が泊まっていません。北軽井沢ブルーベリーYGHの1ヶ月分の集客であるにもかかわらず、「娘と息子たちが大勢連絡してきた」のですね。そして、懇親会の後に会おうとワンサカ待ち構えている。一方、私には、そういう人は一人もいない。10倍の集客をしていても一人もいない。

「この差はなんだろう?」と。

 まあ、私の人徳がないのは仕方がないとして、どこに違いがあるのだろう?と考えてみました。そして出た結論が、農家民宿代表のおばちゃんは、泊まり客を御客様と思ってないんですよ。娘であり息子だと思っている。だから「娘と息子たちが大勢連絡してきた」と言っていたんです。

 これって、昔のユースホステルそのものです。

 昔は、ユースホステルのマネージャーのことをペアレント(親)と言ってました。そして御客様は、娘であり息子だと思っていた。今じゃ信じられないですけれど。そして、そのお株を、農家民宿代表のおばちゃんたちに、すっかり奪われてしまった。まさにカリスマ宿主です。

 でも、この農家民宿代表のおばちゃんたちは、昔は、どこにでもいたんですよ。それがいなくなってから子育てが難しくなり、保育士たちの負担が大きくなったんだと思えてなりません。

 昔は、今より貧乏だった。
 でも、今より明るかった。


佐賀のがばいばあちゃんという映画があります。

19862436.jpg

 レンタルビデオやってますので、ぜひ見てください。ロケ地は、佐賀県鹿島市です。鹿島藩鍋島直彬のいたところがロケ地です。この映画をみると「子育てに必要なモノは何なのか?」という疑問が出てきます。そして本当に必要なのは、金ではなくマンパワーであり、子供たちの環境であるということです。

19862435.jpg

 軽井沢には、パチンコも風俗もありません。23時以降に空いている店もありません。セブンイレブンも23時で閉店です。条例できまっているからです。これは、どの町だってやればできるはずです。

本当に子供たちのことを思ってるなら、
そういうところから始めなさいよと言いたい!
金で誤魔化すなといいたい!
風俗やパチンコ屋を追放する条例を
つくってみろと言いたい。


話はそれからだ。





つづく。

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posted by マネージャー at 02:29| Comment(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ赤字財政になってしまったか?+α+α

なぜ赤字財政になってしまったか?+α+α

なつさん、みわぼーさん
≫パフォーマンスばかりで、実績うやむやにしている最近の政治には、疑問を感じずにはおれません…。


 そうですね、私も同感です。無駄を無くすことを公約にして当選した政権が、史上最大の無駄だらけの政治をするなんて、夢にも思ってませんでした。

 こうなった原因に政治家たちが経理を知らなかったことにあるんじゃないかと私は思ってるんです。自営業者などの経営者が知ってても、一般のサラリーマンに馴染みの薄いものがあります。複式簿記の考え方です。

 ここに、給料が同じであるAさんとBさんの二人がいたとします。

Aさん=1万円の預金
Bさん=50万円の預金


の場合、どっちが裕福でしょうか?

単式簿記では、Bさんになります。

しかし、実際に、二人のお金の使い道を調べてみたところ、Bさんの支出のほとんどが食費やガ−ルフレンドなどに宛てられていたのに対して、Aさんの方は食費などを徹底的に切り詰めていることが分かりました。そこでAさんに話を開いてみますと、じつは彼は、200万の土地を買っていました。

 預金はたった1万円でも、200万円分の土地をもっているAさんと、全財産は預金50万円だけで、あとは全部使ってしまったBさんとでは、どちらの経済力が上と言えるでしょう? 答えはわかりますね。しかし、単式簿記では、この実体がわかりません。そこで複式簿記の登場となります。複式簿記の考えでは、こうなります。

Aさん・・・・給料(300万)−預金(50万)=1年の生活費(?)
Bさん・・・・給料(300万)−預金(1万)=1年の生活費(?)+土地所有(200万)


 企業にしても個人にしても、その経済活動はすべてお金なくしては始まらないわけですが、しかし現金だけで経済力をすべて表せるわけではありません。土地や機械などといったものを買えば、その分の現金はモノに変化します。逆に、倉庫の中に積まれている製品を売れば、それはお金に変わります。モノとカネとは、いわば兄弟のようなものであると言えるでしょう。


 例えば、ある企業が100万円の現金で、原材料を買ったとします。

●単式簿記の場合、

「支出100万円」として書かれるだけで終わるのですが、

●複式簿記では

「現金が100万円減った」と同時に「原材料が100万円分増えた」という事実が記録されます。

 このように、複式簿記では、どのような事実でも、必ず対になる2つの数字が書かれます。モノを買えば、現金が減り、資産が増えます。逆にモノが売れれば、資産が減り、現金が増える。このように、1つの物事を2つの側面から記録することから「複式簿記」という名前が生まれました。

 ところが日本国政府は、この複式簿記を使ってないのです。
 ここに重要な落とし穴があります。
 単式簿記だと


政府役人「財政赤字だから金をくれ」
政治家「それは大変なので増税しましょう」

 これしか発想がでてきません。
 だから無駄がでてくるのですね。
 しかし、複式簿記なら、

「現金が不足しているので、あの土地を売って現金化してしまおう」

という発想が出てきます。ここを削って、ここを増やそうという発想が出てくるのです。金だけが資産ではないことが分かっているからです。そして減価償却という考えが出てきます。

 減価償却とは、資産の使用可能な寿命を計算する方法です。例えば、200万円で高速道路を造ったとします。その高速道路の寿命が20年なら、毎年10万円の経費を計上しなければならない。減価償却という考えです。こういう考えがあれば、高速道路を無料化なんかできません。というのも高速道路を無料化したばあい、将来、2つの恐ろしいことが待っているからです。

 一つは借金。
 高速道路を造った時の借金です。
 もう一つは、高速道路にも寿命があるということです。

 民間企業なら、減価償却という考えががあるので、これこれの施設は、何年で耐用年数が終わるので、そのための準備をしておきますが、単式簿記の国や自治体には、そういう考えはありません。

 つまり、高速道路に寿命がきたときに、高速道路を造った時の借金と、新しく作り直すための借金の2つが必要になります。つまり、高速道路を無料化は、将来の子供たちへ2倍の借金を支払わせる制度なわけです。私たちが楽をするために子供たちに負担させる悪魔のささやきです。こんなものに騙されてはダメだと思いますね。

つづく。

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posted by マネージャー at 01:32| Comment(3) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

日本ユースホステル史の源流4

日本ユースホステル史の源流4

つづきです。

 日本ユースホステル協会の源流。
 それは、第13代鹿島藩藩主、鍋島直彬にはじまります。
 そして、この鍋島直彬こそが、
 薩長土肥の連合軍を造った幕末の英雄でした。
 しかし、これが歴史に出てこないのです。

 薩長土肥の中の一つ。肥前鍋島藩の鍋島藩主・鍋島閑叟は、討幕派ではなかった。幕府、朝廷、公武合体派のいずれとも距離を置いていました。むしろ幕府に近かったきらいがありました。それを勤王倒幕に動かしたのが、支藩である鹿島藩藩主である、鍋島直彬でした。

DSCF2665.JPG

 鹿島藩とは、肥前鍋島藩、つまり佐賀藩の支藩です。
 佐賀藩には、蓮池藩・小城藩・鹿島藩の三つの支藩がありました。

 蓮池藩は、5万2000石。
 小城藩は、7万3000石。
 鹿島藩は、2万石。

 一番小さい支藩が、鹿島藩です。しかし、この2万石は嘘で、本当は八千石。表高を水増しして2万石にして、やっと大名にしてもらったような藩でした。

 表高を水増ししたらどうなるか?
 赤字になります。
 八千石の予算に、2万石の経費を使えば赤字になります。
 財政は逼迫し、参勤交代の予算もない。佐賀本藩からの援助でやっと参勤交代をする。佐賀本藩に援助を断られると、幕府に藩主病気を理由に参勤交代を五年間猶予願いを出して許してもらうことが何度もあった。そのくらい情けない状態でした。

 その結果、佐賀本藩から、鹿島藩取り潰しの案が何回も出されました。そして幕府に廃藩の願いが提出されていました。それを受けて老中牧野備前の守は、密かに内情を探らせました。そして出た結論は、十代鹿島藩主・直永の子、直彬(六歳)を十三代鹿島藩主にして、藩主が大人になるまでの間に、鹿島藩の行政改革をするよう、佐賀本藩が助けるようにということでした。

 佐賀本藩は、直彬(六歳)を十三代鹿島藩主にして、役人を派遣して壮絶な倹約を命令しました。進駐軍みたいなものです。しかし、倹約だけでは、どうしようもない状態に鹿島藩は追い込まれていました。まさに今の日本国政府みたいです。鹿島藩は青息吐息。

 そして、十三代鹿島藩主・直彬(六歳)に対しては、
 将来の名君になるべく文武両道のスパルタ教育をはじめました。
 これが良かった。
 すごい人間ができあがった。

DSCF2863.JPG

 直彬への教育は、質実剛健そのものでした。
 しかも文武両道。両方を学んだ。
 徳のかたまりのような青年をつくりあげ、
 そして行動のすばやい人格を形成してしまった。

 十二歳の時におきた安政の大地震の時は、自ら飯を炊き救援活動を行いまとた。十四歳になった時は、初穂米を売却した資金百三十九両を低利で貧民に貸し与え、その利息で図書館の蔵書費としました。

 そして、十七歳になるまでの間に、中村敬宇安積艮斎をはじめとする多くの名儒から教えを受けました。そして、長州藩邸に出入りし、小倉健作や高杉晋作とも交遊し、昌平坂学問所では、勤王として名高い松本奎堂・松林飯山・水本樹堂らとも一緒に学びました。

DSCF2878.JPG

 そして直彬が十七歳となった時、佐賀本藩は、鹿島藩への役人の派遣をやめました。進駐軍を引き上げさせたのです。英邁な直彬ならば、鹿島藩の窮状をうまく処理するであろうという判断が働いたからだと思われます。それほど直彬は素晴らしい青年に育っていました。そして十七歳にして、初めて直彬は、江戸から鹿島藩に入国するのです。

(江戸時代、大名の子供は江戸で育てられ成人するまで故国に帰れませんでした)

 十七歳にして佐賀の鹿島城に入った直彬は、驚天動地の活動を行います。干潟のガタリンピックで有名な鹿島は、洪水の本家みたいなところですが、洪水が起きると藩主みずから舟を出して糧食を配給しました。

 災害地には、かならず自ら馬を飛ばして巡視し、
 仮設住宅を造って罹災者を収容し、
 城内の米を出して焚きだしをしました。

 火災にも藩主が先頭になって真っ先に火事装束で飛び出しました。
 藩主が飛び出したのに家臣が寝ていることはできませんから、
 城から一斉に家臣たちが火災現場に向かうことになり、
 火災はアッという間に消し止められることになります。

 そのうえ、さらに病気が流行したときは、
 薬の配給までやってのけたから驚きます。

 こういう藩主がでてくると、部下にも凄いのがでてきます。
 松尾弥四郎です。

(しかし、この人も、インターネットで検索しても出てきません。つい最近まで歴史から抹殺されていたからです)

 この松尾弥四郎と直彬が、
 世界史を変えるほどのことをやってのけた。


DSCF2873.JPG

つづく。

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posted by マネージャー at 17:28| Comment(0) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

なぜ赤字財政になってしまったか?+α

なぜ赤字財政になってしまったか?+α


≫>おそらく各省庁の事務次官会議にお委せした方が、10倍の6兆円くらい削れた可能性が高かった。


≫これ本当ですか?本当なら大変なことだけれど。
≫Posted by なつ at 2009年12月15日 09:34


≫そのようです。
≫Posted by 進之助 at 2009年12月15日 15:41


 超有名大学の経済学部出身で、自営業で成功もされたことのある進之助さんも、言ってますが、これは本当です。

「政治主導」のもとに各省庁の事務次官会議を廃止し、
各省庁の調整ができなかったことに、
95兆円の巨大予算の原因があります。


 そして、そのために各省庁で、各種の予算が重複しているのです。その重複部分を削れば問題ないのですが、削るのは専門家でない限り不可能。普通の政治家には無理です。最低でも経理が分からないと無理。経理が分かったって、法律と、官庁用語がわからないと無理。行政刷新会議で、役人をやり込めるテレビシーンに喝采しても、6900億円しか削れなかった。

 しかし、123年間続いた、各省庁の事務次官会議を廃止しせずに、去年どうりの調整をしていれば、昨年度並みの予算、つまり88.5兆円の予算範囲に収まっていた可能性があった。やりかたによっては、2007年度の82兆円まで抑えることも可能だったはずです。というのは麻生政権は、景気を煽る政策だったので、それを緊縮財政にもどすのなら、うまくやれば、82兆円までもどれた。つまり、最大13兆円も節約することができた。

 あえて、それをせずに、事業仕分けというパフォーマンスを行った民主党政権の政策には、私は、かなり疑問を感じています。こいつら本気で無駄を削る気があるのか?と。どうして最大13兆円も節約することができたのに、あえて6900億円しか削らなかったのか?と。そんなに人気が欲しいのかよ?と。


 もう一つ言うと、民主党政権は「政治主導」を勘違いしている。

 政治家は、細かいことを言ってはダメなんですよ。
 そういう細かいことは官僚(専門家)にまかせればいい。
 そのための官僚(専門家)なんだから。

 政治家は、大きな目標を提示するのが仕事。本気で
「無駄をはぶく」
つもりなら、中曽根内閣がやったゼロシーリングをやればいい。

 これが無駄に対する処方箋です。

 民主政権の連中が知らないとは言わせない。
 彼らは、元自民党なんだから。
 絶対にゼロシーリングの効果を知っているはず。

 なのに、やりたくないというのなら、
 本気で無駄を削るのが嫌なんだろうと勘ぐってしまう。

 最初から無駄を削る気なんか無い。だからゼロシーリングをやろうとせずに、事業仕分けというパフォーマンスで誤魔化して、大きな無駄を造って増税しようとしているなと勘ぐってしまう。

 念のためにゼロシーリングを知らない人に解説しておきますと、
 毎年、前年度の予算と同じにする。
 つまり、どんなことがあっても予算アップを認めない。
 よーするに、定額おこずかい制ですね。

 そうなると、各省庁は、予算をやりくりするために、
 自分の所の無駄を削るしかないのです。
 そして、気がついたら赤字国債ゼロになっている制度です。
 (もちろん弊害もあります)

 ここで思い切ったことを言いますと、各省庁の埋蔵金を認める。つまり、へそくりを認める。そのかわりにゼロシーリングにする。または、マイナスシーリングにする。そして無駄金を廃止するのは、各省庁にまかせる。こうすれば、10年くらいで無駄が減り、埋蔵金(へそくり)が膨れあがっていくはずです。そして増加した埋蔵金(へそくり)で、思い切った行政が可能になるはずです。

 そういう意味では、埋蔵金(へそくり)は、決して悪いものではないのです。実は、昔は、日本ユースホステル協会にも、埋蔵金(へそくり)があったのです。今は無いですけれどね。

いいかげんに、誰かを悪玉にして、それを叩いて喝采するような下品なことは、やめてもらいたい。

埋蔵金(へそくり)も、官僚も、決して悪玉ではありません。
悪いのは使い方。
包丁と一緒ですよ。
使い方によっては、美味しい料理を造ることも、人を殺すこともできるのです。

つづく

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posted by マネージャー at 21:47| Comment(6) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ユースホステル史の源流3+α

日本ユースホステル史の源流3+α

おあきさん

≫1986年に「戊辰の役戦没佐賀藩士慰霊秋田実行委員会」を作り
≫供養したのですが
≫その際、管理人様もお書きになられた通り
≫どうしても佐賀県の資料が見つからず
≫ご遺族の方が分からずご遺族探しに非常に
≫苦労されたことが新聞に載っていたことを思いだしました。

 ああ、これは非常に面白い現象ですね。

 というのも私も、今回の佐賀調査で、そういう経験を何度もしているからです。

 具体的に、一つ例をあげてみましょう。実は、私の今回の佐賀行きの目的の一つに、日本赤十字を設立した佐野常民の息子、佐野常羽のことを調べに行ったのですが、これまた資料が無いのですね。佐野常民記念館に行っても資料が無い。世界遺産申請しているほどの重要地に資料が無い。いや、資料が無いどころか、かすってもない。佐野常民の息子、佐野常羽は、ボーイスカウト設立の功労者であり超有名人であるのに、一言もふれていないのです。もう、それは徹底している。仕方がないので、土地のボランティアガイドをたのんで
「どうしてなの?」
と聞いてみたら、驚くべき回答が帰ってきました。

「ここでは佐野常羽さんの話はしないとです」
「どうして?」
「佐野常羽さんは、駒子(妻)さんの実子ではなかです」
「はあ?」
「おめかけさんに生ませた子供です。だから、こういう所では、あまり話題にしません」
「・・・」

 これには驚きました。私には、現在の倫理をもって過去を判断する思考回路が無かったので、死ぬほど驚きました。あまりにも驚いたので、どうしてだろう?と、いろいろ質問をしてみたら、みなさん、佐野常民のことを、とても尊敬してらっしゃる。言い方を悪くすると崇拝している。

DSCF2665.JPG

 これは、佐野常民に限ったことではありませんでした。鍋島閑叟にしても、江藤新平にしても、大隈重信にしても、他の偉人たちの記念館においても、多くの郷土史家たちにおいても、尊敬・傾倒・崇拝といった、人物への惚れ込みがあり、それらは共通しておったような気がしました。

 まあ、それは、それは素晴らしいことなのですが、あまりそれが強いと、正確な歴史が残されなくなります。肝心なものが見えなくなるのですよね。日本ユースホステル協会の源流も、見えにくくなってしまう。

 日本ユースホステル協会の源流。
 それは、第11代鹿島藩藩主、鍋島直彬にはじまります。
 そして、この鍋島直彬こそが、
 薩長土肥の連合軍を造った幕末の英雄でした。

 しかし、これが歴史に出てこないのです。

DSCF0626.JPG

つづく

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posted by マネージャー at 20:27| Comment(3) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ赤字財政になってしまったか?

なぜ赤字財政になってしまったか?

 民主党の鳩山内閣は、2010年度予算について、95兆円と史上最大になった事実を発表しました。ムダを削るを目玉に政権獲得した民主党政権で過去最大の予算。国債発行高は、50兆円とも、60兆円とも言われています。どうして、こんなに赤字がふくれてしまったのか?

 自営業者である私には、さっぱり分からなかった。
 不思議でならなかった。
 なぜならば、バブル崩壊の時でも、こういう事はなかったからです。
 さらに言うと新進党政権の時も、社会党政権の時もおきてない。

民主党政権の時だけに起きた珍現象だったからです。

 そこで御客様から情報をいただき、自分なりにも調べてみたわけですが、こうなった原因は、「政治主導」のもとに各省庁の事務次官会議を廃止してしまったことにあるようです。事務次官会議が廃止されたことで、予算編成時に省庁間の調整が行えなくなり、そのために各省庁は、かたっぱしから予算に詰め込み史上最大の予算になってしまった。

 それを「事業仕分け」という民主党のパフォーマンスで、カットする予定でしたが、カットどころか大幅に予算増額を認めてしまった。なぜならば民主党の支持基盤は、公務員だったから。つまり民主党政権は緊縮財政に失敗してしまった。(具体的に言うと、たったの6900億円の削減/おそらく各省庁の事務次官会議にお委せした方が、10倍の6兆円くらい削れた可能性が高かった。しかし、もう遅い。過ぎたことを、とやかく言っても仕方ない)

 つまり民主党政権は、手続きを間違えて逆に無駄を増やしてしまった。

 そのうえ麻生政権の景気対策をとめてしまったために、経済が悪化、大幅な税収不足に陥り、赤字国債を増大させるという最悪な結果になったわけです。

 こうなると正直言いまして、
 子供手当などというのんきなことを言ってられなくなった。

AP123_L.jpg

 だいたい民主党の言う
「子供手当」
とは、子供のための手当ではありません。

 誤魔化してはダメです。
 親手当です。


 そこのところをハッキリさせといた方が良いでしょう。

 子供を育てる親に(赤字国債で)手当を出して、そのツケを将来、子供たちに支払わせる手当が、子供手当といわれているものです。子供が大人になったときに、親たちの子育て代金を、赤字国債という形で子供たちに税金として払わせる制度です。

 本当に子供が可愛ければ、そういう手当は、断固拒否すべきです。
 それでも欲しいと思っている人間は、
 本当は子供たちのことを思ってないエゴイストですよ。

 本当の意味の子供手当とは、子供たちの将来のために投資することです。子供たちの遊び場を造ってやったり、子供たちの図書館を造ってやったり、奨学金制度を充実させたりする。それが本当の意味の子供手当というものではないですか?

 そして、できれば、ユースホステルの会員証を子供たちに無料で配ったり、子供たちの一人旅を支援する基金を用意してもらいたい。それであってこそ、子供手当というものでしょう。

AP192_L.jpg

 少子化対策なら、保育所の充実や、公立ベビーシッター制度や、育児ヘルパー補助制度を造ればいいことです。義務教育の単位としてベビーシッターを年何回、育児ヘルパーを年何回と義務づけてもよいではないですか。その単位が無ければ、進学できない、または進級できないことにする。そうすれば、人的確保からも、中高生たちの情操教育にも役立つと思います。

 だいたい、私が小学校の時は、5年生は、2年生の給食当番と掃除当番をやったし、6年生は、1年生の給食当番と掃除当番をやったものです。中学生が、幼稚園で幼児の面倒をみることがあっても、何の問題もないはずです。高校生が乳児の面倒見ても良いではないですか。こっちのほうが、「子供手当」という名の実質・親手当より、よほどましです。だから民主党政権には

 金なんかで誤魔化すな!

と言いたい。

 子供手当という言葉で誤魔化すなと言いたい。

 それは親手当であって、
 子供のためではない。
 借金を、子供たちに回すだけなんだから!


 もう一度言います。

 子供たちに親の借金を押しつけてまで、
 親たちは楽をしたいのか?


 そのへんを、よーく考えていただきたい。
 本当に子供が可愛かったら、
 いったい何をすべきなのかと!
 政治家の方は、この本を、お読みいただきたい。

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つづく。

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posted by マネージャー at 00:02| Comment(6) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

そば満留井(まるい)

そば満留井(まるい)

 南軽井沢の18号バイパス沿いに、リーズナブルで上手い蕎麦屋があるというので行ってきました。そば満留井(まるい)です。ここは、国産蕎麦粉を使う店だとか。

09ma-01.JPG

 店内は、こんな感じ。

09ma-02.JPG

店に入ると、お茶と、揚げ蕎麦がサービス。

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そして、蕎麦はかなりの量。
腰があります。

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私が注文したのは、かき揚げ丼。
で、でかい。

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人間と対比すると、この大きさ。

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美味しかったですし、おなか一杯になります。

軽井沢町大字長倉628-5
電話0267-42-0330
営業時間11:30〜22:00(冬期は〜21:00)
定休日木休(夏期は無休)


つづく。

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posted by マネージャー at 22:00| Comment(4) | 南軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ユースホステル史の源流3

日本ユースホステル史の源流3

つづきです。

 開国以来、日本人は驚くべき能力で西洋文明を吸収していきました。黒船来航からわずか三年後に宇和島藩は日本人だけで蒸気船を造っています。他にも、製鉄、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関、医術などの研究開発を行い、アッという間にヨーロッパ並みのものを作り上げることに成功したのですが、どうしても真似ができない部分がありました。

 量産技術です。

 職人技でもって、大砲や鉄砲は造れました。しかし、それを低コストで供給できなかったのです。造る能力があってもコストが高ければ、輸入するしか在りません。しかし、コストを下げるには、幅拾い産業技術の蓄積がないとダメなのです。つまり産業革命によって、あるていど社会が成熟してないとダメなんですよ。

 例えば製鉄。

 ペリー来航以来、日本の諸藩は、次々と反射炉、つまり製鉄所を建設し、製鉄を行いました。文献を手に入れ、ヨーロッパから技術者を招けば、同じような反射炉は完成しました。

しかし、数年ほど鉄を生産していくうちに、反射炉はボロボロに溶けてしまい使い物にならなくなってしまう。反射炉を構成している耐火煉瓦が、鉄を溶かす熱に負けてボロボロになっていくのです。そのために、アッという間に、生産設備を償却してしまって、コストの高い鉄になってしまう。薩摩でも長州でも幕府でも、反射炉を造ることは造ったのですが、その反射炉は、すぐに使えなくなってしまう代物だったのです。

 図面をもらって、見よう見まねで文明の利器を造るということと、それを低コストで量産するということは、全く別のことなんですね。例えば、ロケットで月面に人間を輸送することは、今の日本の技術力なら不可能ではありません。しかし、それで利益を上げられるかどうかは、別の問題になります。幕末の開国で、製鉄、鉄鋼、加工技術、大砲、蒸気機関を造るのは、わりと簡単に達成したのですが、それをコストにみあうレベルで量産するのは、非常に難しかった。

 しかし、例外があった。
 佐賀藩でした。

 どういうわけか佐賀藩には、ヨーロッパなみの幅拾い産業技術の蓄積がありました。理由は伊万里焼。伊万里焼は、有田焼と違って商売を目的に焼かれたものではありません。

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皇室・将軍・他藩へのプレゼントとして、世界最高級の焼き物を生産する佐賀藩の秘密結社なのです。人間国宝クラスの職人を山奥に閉じ込め、外部の人間を一切遮断して、究極の磁器を造らせた。それが伊万里焼なのです。そして、この磁器は、きわめて高温で焼くために、耐火煉瓦の技術にすぐれたものがあり、その技術によって、完璧な反射炉を製造することができたのです。

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そうなると、銃砲火器から造船土木に至るまで、波及効果がでてきます。産業の米たる製鉄のレベルがあがり、それを安価に量産できるとなると、日本もヨーロッパ並みの工業国になれるということになります。そして、この伊万里焼は、もう一つの効果を生み出します。赤字財政で潰れる寸前だった佐賀藩に大金をもたらします。

 いわゆる密貿易です。

 歴史文献に、佐賀藩のことが詳しく出てこないのは、この密貿易の存在のためです。伊万里焼の密貿易で、大金をかせぎ、その費用をもって西洋文明を輸入する。そして近代国家を作りつつあった。それが佐賀藩の正体でした。これは最近まで明らかにされてなかったことです。これを発表したのは、平成10年頃に、冥土の土産に書き残した郷土史家(医師)がいたから分かったことです。しかし、それを今まで公表できなかった。佐賀の郷土史家たちは、不名誉なことは全て口をつぐんできたからです。

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 また佐賀藩は、もっと恐ろしいことをやってのけています。佐野常民の登用です。佐野常民の登用のどこが恐ろしいかと言いますと、この男は、とんでもない人間だったからです。ネットで調べると、佐野常民は、日本赤十字を造った男として、かなり美化されて書かれてありますが、この男の正体は、そんなものではなかった。もっと凄みのある人間だった。この人間が、全く恐ろしいことをやってしまった。しかし、それを歴史の表に出す人は少ないのです。みんな黙っている。だから歴史書やネットで調べても、なかなか出てこない。

つづく。

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posted by マネージャー at 03:21| Comment(3) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

日本ユースホステル史の源流2

実は、日本ユースホステル史の本を書いています。
そのために佐賀に行ってきました。

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 なぜ、佐賀くんだりまでいったのかと言いますと、リヒャルト・シルマン伝を書いたときの苦い失敗があったからです。リヒャルト・シルマン伝のどこに失敗があったかと言いますと、

現地を見ずに書いたことです。
文献だけで書いてしまった。


 これが失敗だった。たとえば、リヒャルト・シルマンが教師として働いていたアルテナ。どの文献を読んでも、インターネットで検索しても美しい渓谷の自然豊かな場所としか書いてありません。だから、その文言を信じて、それを前提にリヒャルト・シルマン伝を書いたのです。

 だから私自身の歴史検証作業に重大な過失があったわけではなかった。

 現に、リヒャルト・シルマンも、同じように発言しているし、ウィルヘルム・ミュンカーも同様のことを言っています。アルテナ城を見学したという日本のユースホステル関係者も、同じ事を言っています。美しい渓谷の自然豊かな場所だと。たしかに、それは間違いではなかった。


 しかし、アルテナに行って、アルテナ城周辺を散策して
 驚愕しました。
 アルテナは、大工業地帯だったからです。


 アルテナどころか、ウィルヘルム・ミュンカーの生地であるヒルヘンバッハさえも工業地帯だった。だいたいヒルヘンバッハなんて、日本で言えば嬬恋村か六合村クラスの田舎町なのに工業地帯だった。これが、どの文献にも抜けていた。かわりに自然豊かな場所だと書いてあった。これを最初から知っていたら、私のリヒャルト・シルマン伝は、もっと別の文章になっていた可能性がある。こういう失敗に反省した私は、きちんと現地取材をしようと決意しました。

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 で、日本ユースホステル史の本を書くために、2008年は、関東地方と静岡県を調査したのですが、2009年は、佐賀に的を絞って調査することにしたのですが、困ったことに佐賀の本がないのです。るるぶにも、マップルにも、ブルーガイドにも、JTBガイドにも佐賀県だけ資料がないのです。

 福岡や長崎はあっても、佐賀はない。
 唐津・吉野ヶ里は、福岡のガイドブック。
 伊万里・有田は、長崎のガイドブック。
 佐賀県の主な名所旧跡が、他県のガイドブックに載っている。orz

その結果、佐賀県のガイドブックが無いのですね

 さらに佐賀県の郷土資料が無い。
 インターネットでも、国会図書館にも不思議なくらいにない。
「そんな馬鹿な?」
と思うのですが無いのです。

 歴史書を調べてみても、佐賀鍋島藩のことは書いてあっても、鹿島藩については書いてありません。重要な部分がスポッと抜けているのです。伊万里焼についても同じです。肝心なことが抜けている。下のサイトをみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%87%E9%87%8C%E7%84%BC

ウィキペディアにして、こんなものです。伊万里焼が世界史を変えたことを考えると、このあつかいは、無いんじゃないかという気がします。では、どうして伊万里焼が世界史を変えたかと言いますと、2つの意味で世界史を変えているのです。

 一つは、その技術が、ある事に使われて世界史を変えたこと。もう一つは、伊万里焼が明治維新において、決定的な役割をはたしたことです。そして、その結果、ユースホステル運動の源流が生まれるタネとなった

 今回は、それをさぐりに佐賀に調査に行ったわけです。

DSCF2665.JPG

つづく。

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posted by マネージャー at 13:45| Comment(1) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

日本ユースホステル史の源流1

日本ユースホステル史の源流1

佐賀県に取材に行ってきました。佐賀県には、日本ユースホステル史の源流があるからです。ユースホステルだけではありません、日本の近代化の源流もあり、日本赤十字の源流もあります。

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では、どこに日本ユースホステル史の源流があるかと言いますと、佐賀藩の支藩にあたる、鹿島藩にあるのです。2万石にすぎない鹿島藩が、明治維新を成功させるキャスティングボートを握っており、のちに日本ユースホステル協会を設立させうる遠因となったことは、意外に知られていません。

さらに、佐賀の伊万里焼が、
日本の近代化の原動力となったことなど、
いったい誰が知りうるでしょうか?


これらは、かくされた歴史の一つなのです。

では、佐賀には、佐賀の鹿島には何があったのでしょうか?
何が隠されているのでしょうか?

気の早い人は、この文章を読んだあと、
検索エンジンで検索をはじめるかもしれませんが、
おそらく何もでてきますまい。


リヒャルト・シルマンについて、私が書く前に、ホームページをいくら検索しても出てこなかったのと一緒で、佐賀とユースホステル史についても、いくら検索しても何もでてこないと思います。

どうして出てこないか?
それは、ユースホステル運動の原点を
全国のユースホステル関係者たちが、
全て、すっぱり忘れてしまったためです。

だから、誰一人、何も分からない。そのためにホームページの検索にひっかからない。だから、これからこのブログに書くことが、佐賀と日本ユースホステル協会の関係史について、日本ではじめてのことになるはずです。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:59| Comment(4) | 日本ユースホステル運動の源流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大雪に学んだこと

しゃれになってない大雪に青ざめた私でしたが、
夕方には小降りになり、ホッと一息しました。

雪2.jpg

で、大雪に学んだことがあります。
停電です
何度も停電になったのですよ。
そして、停電になると、
全ての暖房が止まってしまう。


なんてこったい!

と言うわけで、明日は、停電対策のために
石油ストーブを買いに行くことにしました。

あと、除雪機を買おうかどうしようか迷っています。
除雪機って、100万くらいしますからね。

つづく。

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posted by マネージャー at 01:37| Comment(2) | 日記 2009以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月11日

大雪です!

大雪です!

笑っちゃうくらいの大雪です。
このままいくと50センチ積もるかもしれない。
週末に来られる方は、スタットレス必携です。

今日は、一日中、雪かきだ!

参ったなあ。

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つづく。

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posted by マネージャー at 11:21| Comment(5) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする