日本ユースホステル史の源流16
ちょっと昔話をします。私が、リヒャルト・シルマンの伝記を出版しようかどうか迷っていた時の話です。本を出そうとして、各社に見積もりをとったら、最低100万から300万かかることがわかった。
それで、ちょっと迷ったのです。
そんな金はないぞと。
そんな金があったら、屋根の修理をしたいと。
原稿はできつつあったけれど、出版には躊躇したのです。
でも、車のオイル交換で、何気なく入ったイエローハットで、棍棒で殴られたような衝撃をうけて、やはり『本を出そう』という気になりました。
実は私、車のオイル交換は、最初は、オートアールズでやっていたのですが、別に不満はなかったのです。値段は安いし、サービスもいい。イエローハットに店替えする必然性は、何もなかったのですが、ある事でイエローハットに店替えしてしまった。その理由は、イエローハットの待合室にあった『日々清掃』を読んでしまったためです。
イエローハットの創業者は、鍵山秀三郎という人なのですが、この人の講演を小冊子にしたものが、イエローハットの待合室に十冊くらい置いてある。私は、時間つぶしのために、何の気なしに読み始めたのですが、読むうちに、ぐいぐい引き込まれてしまった。
特に感動した小冊子は、『日々清掃』でした。
どういう内容かと言いますと、こんな内容なんです。
鍵山秀三郎氏が、昭和三十六年にイエローハットを創業した時に、千代田区三番町九番地という場所にあったアパートに住んだのですが、住んでる間、毎日アパートの周辺を道路を含めて掃いていたのです。付近は樹の多いところですから、秋には凄い量の落葉が落ちて、ごみも大変だったそうです。それでもできる限り、ずっと広く掃いていました。ところが、ある日、大家さんが、この「土地を買いなさい」という事を言ってきた。
もちろん辞退しました。
買えるわけがない。
すると
「幾らなら出せるのか? 言ってみなさい」
「怒らないからとにかく言うだけ言ってみなさい」
という。それで
「時価の六分の一程度の金しか出せないので御辞退させてください」
と断るのですが、大家さんは
「それでいいです」
と、常識外れの価格で鍵山秀三郎氏に譲ってくれたのです。
実はその土地は誰でもが欲しい場所で、日本の有名な企業が買いたいという、あるいは貸してほしいという事を申し出ておられたのですけれど、そのいずれをも断ってですね、イエローハットに非常識な金額で売ってくれたのです。でも、鍵山秀三郎氏は、そうやって手に入れた土地を自分の利益に使わずに、ヨーロッパ共同体の日本支部に無料同然の値段で貸しています。
また、『日々清掃』には、こんな事も書いてあります。
イエローハット創業十二年の頃、騙されて昭和四十八年当時に十億円近い債務を背負った時に、ジタバタするのをやめて、
ひたすら掃除だけを一生懸命にやったんです。それが奇跡の大発展を築く根源になったことが書いてある。
これを読んだときに、私の身体に稲妻が走ったのです。
で、途中で読むのをやめて、店内をチェックしだした。
そして
「店内が綺麗!」
「トイレが綺麗!」
という点を発見し、また鍵山秀三郎の小冊子を読みあさったのです。
会社が傾く。倒産の危機にあう。そんな時に掃除をしたからといって、難問が一度に解決するわけがない。
でも、掃除をしたのです。他の事をやるより、この事が一番いいのではないかという風に鍵山秀三郎は思ったわけです。
これが他の会社であれば、幹部を集めて会議を開いて対策を練るわけですが、たいていは上手くいかない。頭で考えることには限界があるのですね。それを鍵山秀三郎氏は、体験的に知っていたのです。
で、一生懸命に掃除をしたのです。
無心の境地で掃除をはじめた。
すると、無心の心の中から光が見えてくる。
こういう事はどうだろうか、
こういう方法もあるのではないか、
フッと気づき、
今まで思いもつかなかった事を、
手を使って掃除をしている間に思いついてくる
という事があるのです。
当時、イエローハットは、カー用品の問屋さんでした。全国のカー用品の小売店に、品物を卸していたんです。イエローハットの会社が傾いた時、社長みずから全国のカー用品の小売店に掃除をしにいったんです。お得意先である小売店の駐車場の草とりから始まって、周辺のドブ掃除、店内の掃除、トイレ掃除を行った。
で、お得意先の小売店の掃除をお手伝いしているときに、店舗の過剰在庫が、小売店の経営を圧迫していることに気がついたわけです。商品にホコリが積もっている。
問屋という業種は、一つの品種を大量に売るのが商売です。
薄利多売が問屋の商いでした。
だから沢山注文してくれれば、値段を下げますよと言って、
小売店に沢山買わせていたのです。
しかし、そのために在庫にホコリが溜まる結果となり、
商品の新鮮さを失ってしまうことに気がついたのです。
それで、少品種多量売りの路線から、一八〇度転換して多品種少量に、仕事の方針を変えました。小売店に「過剰在庫は諸悪の根源」という標語をつくってお配りして、問屋業のくせに
「できるだけまとめて買っていただきたい」
ではなく
「まとめ買いをしてはいけません」という事を鍵山秀三郎社長みずから、お願いして歩きました。
イエローハットの躍進は、
この時から始まったのですね。 鍵山秀三郎氏の小冊子を読むようになってからの私は、2ヶ月に1度の愛車のオイル交換が待ち遠しくなりました。イエローハットで小冊子を読むのが、とても楽しみになったのです。ただ、イエローハットの商品は、決して安くはない。オートアールズやオートバックスの方が安かったりする。でも、あえてイエローハットで物を買うようになりました。値段を買うのではなく、イエローハットの創業者の思想を心意気を買いに行ったのですね。銭金の問題じゃない。精神の問題です。心意気の問題です。
もちろん小冊子も売って貰った。
売って貰えば、イエローハットに行かなくても自分の家で読めばいいもんですが、自分の家で読むより、イエローハットで読む方が、なんだかしっくりくる。そして、イエローハットのトイレを使わせて貰う。で、
「今日も綺麗に掃除してあるなあ」
と感心したりする。
ウインドーショッピングもします。
そして
「商品にホコリが無いなあ」
と感心したりする。
そういう毎日をすごしているうちに、ユースホステルの世界にも、イエローハットの社長鍵山秀三郎氏の小冊子のようなものが、あっても良いのではないか? という事に気がつきました。ユースホステルの理念と原点が書いてある小冊子が、日本中のユースホステルにあってもよいではないかと思ったのです。それがあれば、私がイエローハットを贔屓にしたように、ユースホステルを贔屓にする御客様が増えるかもしれないと。
しかし、そういう小冊子は無いのです。
だから今、私が造ろうとしているわけであり、その第一冊目が、リヒャルト・シルマン伝であったわけですが、日本ユースホステル協会の創設者横山祐吉氏は、わざと、そういうものを造らせなかった。そういう思想性をわざと排除してしまったきらいがあった。それについては、おいおい述べることにして、それはともかく、これが日本ユースホステル運動の衰退の原因になっていると。
ところで、話は変わりますが、イエローハットの鍵山秀三郎氏の思想は、彼のオリジナルではありません。彼自身が、YouTubeの動画で言っているように、これには原点があった。鍵山秀三郎氏は、それを日本の文化と言っていますが、実は、少し違っています。文化などではなかった。その理由は、後で述べます。
それは、ともかく、その原点は、日本ユースホステル協会の原点でもあった。鍵山秀三郎氏は、その原点については、何も知らなかったかもしれませんが、あきらかに原点があって、鍵山秀三郎氏は、その原点を知らず知らずのうちに実行していたのです。
そして、その原点こそが日本ユースホステル協会および、日本青年団の原点でもあった。それだけではありません。日本財界の原点でもあり、その原点には、
渋沢栄一が深く関わっていたのです。
では、その原点とは、なにかというと田澤義鋪氏が、ある出会いによって、一生涯師事することになった、ある男にあります。田澤義鋪が三保の松原で天幕講習を開いたとき、ある男と出会った。
その男の名前は、
蓮沼門三と言いました。
この蓮沼門三と田澤義鋪が、日本ユースホステル協会および日本青年団の原点を造るのです。そして全ての日本人をイエローハットの鍵山秀三郎氏のような人間に改造し、日本を内部から変えていこうとしたのです。ちなみに
早朝のラジオ体操の原点も、蓮沼門三氏が原点であったことも、知る人ぞ知る話です。
つづく。
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