「ダメ!」
「何で?」
と聞きますと、義理チョコならぬ、宿チョコを作っていました。
「そうか、もうバレンタインデーなのか?」
「そういうこと」
バレンタインデー。恥ずかしながら、若い頃の私には、あまり縁のないイベントでした。まあ、貰ったことは、貰った記憶は何度もありますが、たいてい本番の数日前のことであり、練習台に造られたものの味見でしたね。それも、みんな白黒の斑のはいった奴で、
「これは何?」
と聞きますと
「模様」
という答えが返ってきました。
当時は、インターネットがありませんでした。だから白黒の斑の入らない、きれいなチョコを作る秘伝を体得するのは難しかったに違いありません。インターネットの発達した今ですと、中学生にだって、きれいなチョコを造ることは可能でしょう。
そもそも昔は、チョコそのものが高価でした。カップアイスが、10円だった時代に、板チョコは、50円もしました。今の物価換算でいいますと、カップアイスが、100円ですから、板チョコは、500円ということになります。だからチョコを食べることなんて、一大イベントであり、年に数回あれば良い方だったでしょうね。そういうものをプレゼントする。貰うというのも一大イベントだったでしょう。
しかし、現代は、空前のチョコ低価格時代。チョコは、昔より、どんどん安くなっており、板チョコは、80円も出せば買えます。カップアイスの方が、あきらかに高くなっています。だからこそ、義理チョコという制度ができたんでしょうね。
ところで、私が子供の頃、チョコと言えば、マーブルチョコでした。板チョコを買ってくれない親も、マーブルチョコだけは、買ったくれたものです。で、嫌いな色から食べて、好きな色は最期までとっておいたものです。しかし、ある日、嫌いな色を変色させる方法をみつけました。口の中て、ずーっと嘗め続けますと、白に変色するのです。それを天日干しに乾かして、箱の中に入れたりしました。
今は、無いですが、チューブ入りチョコというのもありました。歯磨きチューブみたいな容器に、ドロドロに溶けたチョコが入っていたのです。
あれは、便利でした。
というのも、遠足なんかにチョコを持って行きますと、ドロドロに溶けてしまい、リュックサックの中が、チョコだらけになるんです。だから親は、マーブルチョコしか買ってくれなかったのですが、チューブ入りチョコは、最初から溶けているので大丈夫なのです。暑くても、影響なく食べられます。昔は、今ほどエアコンや冷蔵庫が発達してませんでしたので、これが大人気でした。
で、遠足の時にチューブ入りチョコで、歯磨きする馬鹿があらわれたりして、けっこう面白かったです。あと、弁当の御飯にチューブ入りチョコで絵を描いていた奴もいましたね。
そうそう、シガレットチョコというのもありました。
煙草そっくりのチョコで、
食後の一服と称して、
煙草をすう仕草で、チョコを食べていました。
駄菓子屋てないと売ってないのがみそですね。
ペロティというチョコもありました。
これは、手鏡のようなチョコに絵が描いてあって、
食べる前に絵を嘗めて消してしまうという作法のチョコでした。
これは長持ちしましたね。
なにしろ、いくら嘗めても絵が消えないんですから。
でも、好きなキャラを買って、その顔を嘗めるというのは、
今だと洒落にならんなあ。
しかし、子供の頃に嬉しかったのは、不二家のlookチョコですね。
4つの味を楽しめました。
次は、どんな味のチョコか?
ワクワクドキドキしたもんです。
そうそう、「チョコレイトは明治〜♪」で有名な、
チョコベビーも大好きでした。
昔の子供たちは、こいつを大切に、少しずつ食べたものです。
で、貧乏な子供たちは、貧乏人の味方、
麦チョコを食べていました!
これしか食べられない子供たちは、
「貧乏人は麦を食え!」
とからかわれたものです。
で、金持ちの子共たちは、
グリコアーモンドチョコ
を食べていました!
たまに貧乏人がグリコアーモンドチョコを手に入れようもんなら大変でした。チョコを舌の上で転がして解かして食べ、アーモンドを裸にして口から出し、それをしげしげと見つめた後で、もう1回アーモンドを食べたものです。で、食べた後の箱は筆箱にしたり、別の安物のチョコを入れたものです。
こういう風に昔を思い出すと、世の中が貧乏だった時代というのも悪くないなあと思いますね。チョコが貴重品だった時代は、それなりに楽しかった。みんな馬鹿やって楽しんでいました。いい時代でした。
つづく。
↓ブログ更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング