2010年02月20日

河野功先生を悼む3

河野功先生を悼む3
 
 最後に河野功先生が県営観光開発公社で活躍したことについてのお話です。本当は、伝記を書いて本にしたかったのですが、先立たれては、あきらめざるをえません。

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 県営観光開発公社という名前を聞いて、たいていの人は、ピンとくると思いますが、よーするに群馬県の役人の天下り用特殊法人です。ですから、現在は県営観光開発公社は存在していません。しかし、この特殊法人で、じゃんじゃん実績をあげて、税金を吸い上げるどころか、税収に寄与したのが河野功先生でした。こういう特殊法人は、ちょっと珍しいのではないでしょうか?

 河野功先生は、この県営観光開発公社で、最終的に常務取締役にまでのぼりましたが、彼は天下った役人ではなく、平から入った一兵卒でした。その一兵卒が、県営観光開発公社のトップになったのですから、信じがたいことです。凄い実績をあげたためなのです。

 その実績について、ちょっとお話をしてみましょう。
 まず河野功先生とユースホステルの出会いです。
 昭和28年のことです。
 赤城山に、ボロボロの山小屋みたいなロッジがありました。
 青雲荘といいます。
 これが群馬県の第1号ユースホステルでした。
 (昭和43年に廃業しています)
 ちなみに第2号ユースホステルは、水上にある土合山の家です。
 (山屋には有名な宿で、現存しています)
 こちらも、当時は、ボロボロの山小屋みたいなロッジでした。

 当時、赤城山には、ほとんど建物が無く、ボロボロの青雲荘ぐらいでした。そこがユースホステルに加盟したわけですが、河野功先生は、たまたま、そこに泊まることによって、かなりの衝撃を受けました。皿を洗い、布団をたたみ、部屋掃除をしている青年たちが、見返りに格安で泊まっている。そして歌を歌い、ハイキングなどをしている。健康的で素晴らしい活動をしている。聞けば、ユースホステル運動であるという。
「これは素晴らしい」
と感激した河野功先生は、日刊工業新聞社を退職し、赤城山青雲荘で働き始めました。



 この赤城山青雲荘の経営母体は、群馬県観光開発公社でした。群馬県の天下り先であり、税金のかかるという噂の特殊法人であったのです。その特殊法人で河野功先生は、めきめきと頭角をあらわしました。ユースホステル赤城山青雲荘は、施設がボロボロだけに特色を出すしかありませんでした。なにせマイナス20度も気温が下がる真冬に、ろくな暖房もなく、風呂板は、凍り付いて、湯を流さないと歩くこともできないほど、今では、考えられないボロ宿でした。

 交通の便も悪かったし、スキー場もろくになかった。それどころか民家も売店も無かった。そんな立地にあった赤城山青雲荘に大勢の人を呼ぶために、スケートとワカサギ釣りで売り出しました。当時は、スキーはブルジョワでないとできなかった。けれどスケートワカサギ釣りは、貧乏人にもチャンスはあったのです。ユースホステルを使う貧乏人には、ぴったりの企画だった。若い人たちが、赤城山青雲荘にワンサカおしかけました。

 河野功先生は、この若い人たちに何かサービスしたいと思いました。しかし金はない。で、どうしたかといいますと、農家から大量の柿を仕入れてきて、それを凍らせてとっておいた。冷蔵庫はいらなかった。天然の万年雪があった。それを冬に、柿シャーベットとして、ホステラーに出しました。これが好評でした。

 さらに河野功先生は、友人を動員した。遊び友達は大勢いましたから、いろんな人たちがやってきてサポートしました。そして、群馬県ユースホステル協会を立ち上げました。県の社会教育課、体育課、観光課、前橋グループなどが中心となって、関係各団体を集め、昭和34年9月20日に設立総会を開き、県営観光開発公社内において事務局を開きました。そして、次々と県内の宿泊施設をユースホステルとして認可していきました。

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 長野原町に、艮山荘農園YH(現ペンション・上の写真)・萩原YH(現萩原建設)が設立。嬬恋村に、高峯高原ロッジ(高峰温泉)・ヤマタ旅館(バラギ温泉・体育館付で150名収容の旅館)・豊国館(万座温泉)などがユースホステルとなりました。これらは今でも旅館やペンションとして残っています。

 そして六合村にも、尻焼き温泉として有名な関晴館がユースホステルになりました。高崎観音の慈眼院も、伊香保温泉も、妙義山の玉屋旅館もユースホステルになりました。

 さらに、榛名山にも三軒、草津にも二軒、水上に三軒、奥日光・菅沼にも、尾瀬にもユースホステルができました。そして、県内に18軒のユースホステルができあがり、会員数は9000人を超えるほどにもなりました。

 興味深いことは、これらのユースホステルの大半は、後に有名旅館やペンションとして大きく羽ばたいていることです。つまりユースホステルによって資金をかせぎ、その資金をもってワンステップ上の経営形態になったところが多いことです。なかでも高峯高原ロッジ(高峰温泉)などは、今でもユースホステルぽさが残っており、ネイチャーウォッチングを武器として、自然ガイドに力を入れており、その経営形態をもって多くの御客様を集客しています。

 これは群馬県観光開発公社も同様でした。

 ユースホステルの勢いを利用して業績をあげ、国民宿舎・キャンプ場・県営ゴルフ場を次々と建設していきました。嬬恋村にも、バラギ湖に群馬県立バラギ高原青少年野外活動センターを設立し、独自のフォークダンスをつくり、ダンス音楽を作ってレコードまでだしました。その施設は、当時のキャンパーに絶賛されています。残念ながら数年前に閉鎖されてしまいましたが。

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つづく。

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posted by マネージャー at 03:46| Comment(1) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする