先日、アドベンチャー集団doがお泊まりになりました。アドベンチャー集団doとは、小学生の自然体験を主に行っている団体です。なのでユースホステルにちびっこが登場。いいですねえ。ユースホステルぽくて良いですね。で、子供たちを見ていると、私が子供だった頃の事を思い出してしまいました。
実は私は、いや、私の同級生は、かなり変わった小学生時代をおくっています。事のはじまりは、小学校1年生の時のことです。担任になった女性の先生が、1年の1学期で入院してしまったのです。
私は、この先生が大好きでした。
そして、この先生は、とても面白い先生で、
とにかく子供たちを笑わせる天才でした。
たとえば「雀(すずめ)」の絵を見せて、スズメという文字を書かせます。私たちは、覚たての文字を使って「すず目」とか、鈴木君などは「鈴め」とか書いたりします。すると先生は、「すず目」とか「鈴め」の文字を見て、
「目玉に羽根が生えて空をとぶのか?」
「鈴に目がはえるのか?」
と、オーバージェスチャーで笑わせてくれます。
あと、私語をしたり、迷惑行為をする子供たちがいたら、全員に、こう叫ばせました。
「あかちゃん、あかちゃん、べろべろばー!」
こういう指導は、今だったら問題になったかもしれませんが、私の記憶に間違えなければ、これによって、誰もが行儀良くなりました。みんな「あかちゃん」呼ばわりされたくなかったんです。
あと、小学校1年生だと、早生まれと、遅生まれに差が出てきます。どうしても早熟な子がいるんです。そして、早熟の子は、みんなに知ったかぶりをする。すると、先生がやってきて例のオーバージェスチャーで
「頭でっかちカブンスウ!」
と頭を大きくみせて、みんなを笑わせました。これは、志村けんのアイーンや、ダッフンダみたいなものなのですが、そういう一発ギャグをいっぱいもってて、みんなを笑わせたのです。ちなみにカブンスウの意味は、3年生の時に入院している先生をお見舞いに行き、御本人から聞き出しました。よーするに過分数のことですね。分母より分子が大きい数字。だから「頭でっかちカブンスウ!」だったのです。
まあ、そんなこと、どうでも良いのですが、この大好きだった担任の先生が、夏休み前に入院してしまった。病名は、あとで知らされたのでしたが癌でした。当時は不治の病でした。ところが、先生は、4年間にわたって生きながらえた。
ここから不思議なことがおきます。
1年の2学期に別の先生が担任になり、
2年になると、さらに3人の先生が担任となり
合計4回入れ替わったのです。
つまり、2年間に5人の先生に習ったのです。
1学期ごとに、よーするに4人の代用教員に教わったのですが、こういう経験は、ちょっと珍しいのではないでしょうか? これに対して父兄は、不満を漏らしたと言います。私の父も怒っていました。しかし、子供たちには、少しも不満がなかった。子供にしてみれば、正教員も代用教員も、先生は先生です。
むしろ、子供たちの嗅覚は、代用教員の方に軍配をあげていました。どの先生も、別れ際に涙があふれていましたし、お辞めになってから、小学校にジャングルジムや滑り台なんかを寄付してくれていました。そこには確実に二十四の瞳の世界があったと思います。
例えば、小学校2年生の3学期のことです。学芸会で何をやるかホームルームで相談した時のことです。だれか女の子が
「バレーを踊りたい」
と言い、先生が
「やりましょう」
と言った。
もちろんみんな、バレーなんか踊れるはずがないし、先生だって踊れない。で、どうしたかと言うと教科書を閉まって朝から晩までバレーの稽古をして、ついに学芸会で、『くるみ割り人形』を踊ってしまった。佐渡島という田舎の小学校の、小学校2年生が。今だったら絶対に問題がおきていたでしょうが、当時は、おおらかだった。
しかも、これは、1969年のことだった。
つづく。
↓ブログ更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング
ラベル:私の小学校時代を思い出した1