2010年03月07日

私の小学校時代を思い出した10 遊び

私の小学校時代を思い出した10

 つづきです。今回は、遊びについてです。

 東京に上京して、驚いたことは、子供の遊びが全く違っていることです。具体的に言うと、「ジャンケンポン」という言葉が違っていました。私の田舎では「ジャンマイエス」と言いました。ちなみにドラえもんとバルタン星人どちらがジャンケンに強いか知ってますか?

「ドラえもん!」
「どうして?」
「ドラえもんはグーしか出せないし、バルタン星人はチョキしか出せないから」
「ブーッ。バルタン星人のハサミは、閉じたり開いたり出来る。つまり、チョキとグーが出せる」
「それを言うならドラえもんだって、あの手はグーではなくて、パーかもしれない」
「・・・・」


 それから佐渡島だけにあって、全国どこにもないゲームとして、十六文銭(十六文戦)というのがありました。十七個の石ころで行う囲碁みたいなゲームで、お金のかからないゲームとしては、佐渡島では、ポピュラーなものでした。

 夏休みにラジオ体操をしに小学校のグラウンドに行くと、みんなが小石を集めて地面に盤を書いて、対戦していました。あと、「いちだんせ」というゲーム。小石を使ってジャンプしつつゲームを行うのですが、他の地方ではないですね。





 あと雪合戦。男ルールと女ルールがありました。女ルールというのは、今で言うケイドロみたいなものです。雪玉が当たったら動けなくなる。しかしタッチされたら動けるのです。で、全員が動けなくなったら負けです。男ルールの雪合戦は、ルール無しの無法ルール。相手が降参するまで、ひたすら雪玉攻撃を行う野蛮なルールです。

 あと馬跳びという野蛮で攻撃的なゲームもありましたね。
 プロレスと一緒でしたね。あれも東京には無い遊びでした。

 ただし、全国と同じゲームもありました。
「だるまさんころんだ」です。
 これ、関西では「ぼんさんが屁をこいた」で、
 九州では「インド人のくろんぼ」で、
 神奈川では「乃木さんは偉い人」でしたね。





 あとゴム跳び。これだけは全国どこでもやってますね。くるぶしから始まって、膝、腰、へそ、胸、肩、頭と高さを上げて飛びましたよね。このゴム跳びの特徴は、棒高跳びと違って、足をゴムにひっかけてもいいところがミソでしたね。だから実際に、その高さを飛んでいるわけではなかった。

 で、ここで気がつくことがあるのですが、ここ十年、ゴム跳びも、だるまさんころんだも、全く見かけてないんですよね。これは嬬恋村だけの現象か? それとも全国的にゴム跳びも、だるまさんころんだも無くなってしまったのか?

 そういえば、「かごめかごめ」も見かけません。あれは、体力に関係ないので、男の子と女の子が一緒に遊べる数少ないゲームなんですが、ここ十年どころか、二十年くらい見かけてないですね。

 ああ、そうそう。缶蹴りも、明日天気になあれも見なくなりましたね。缶蹴りが滅びつつあるのは、空き缶がアルミになってしまったからかもしれませんね。

 あと、たくさんの笹船を作って大艦隊を池に浮かべて攻撃したり、シロツメクサの首輪を作ったり、それを大きくして鞭に改造してみたり、そうそう、そういえばアカツメクサの花には甘い蜜があるんですよね。あとオオバコ相撲。ナズナで楽器を作ったりもしましたね。

 私が子供の頃に無かったものとして、ガチャガチャが無かったですね。もちろんプレステやDSも無かった。代わりに、怪しいグッズが流行しました。その代表格が、ブーブークッションでした。



 このブーブークッションを先生のイスに仕掛けました。見事にひっかかって大成功。この手のオモチャを学校に持ってくると普通なら没収になるのですが、これだけは先生も黙認していました。それからバネのオモチャ。スーパーボール。ヨーヨー。ケンダマ。竹とんぼ。紙ヒコーキ。あやとり。メンコ。そして地球ゴマ。こういう怪しいゲームがはやりました。

 で、金持ちの子供たちは、野球盤ゲーム・サッカーゲーム・魚雷戦ゲームなんかを持っていました。中にはトランシーバーやレーシングカーセットを持っている奴もいました。私の家では、そういう高価なオモチャは買ってくれなかったのですが、かわりに顕微鏡セットを買ってくれたので、何でもかんでも顕微鏡で見ましたね。マツゲから鼻くそまで見ました。魚の鱗や、砂糖・塩・味の素・片栗粉なんかも見ましたよ。さらに、池の水を採集し、プランクトンを発見しました。これは夏休みの研究課題にしました。


つづく。

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posted by マネージャー at 01:12| Comment(4) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする