今日は、「大江戸実々奇談」の紹介です。 大江戸実々奇談は、去年の11月にも紹介したのですが、大勢の御客様から「もっと紹介して」との要望がありましたので、あらためて、もう一度紹介することにしました。
実々奇談とは、軽井沢の近隣である佐久市にあった岩村田藩の祐筆を務めた阿部重之進重保が自ら体験したり、人から伝え間いた奇談63話を、嘉永七(1854)年に15巻3冊にまとめたものです。この本は、小諸市に住む安部輝男さんが、文書を解読して自費出版したものがでています。それを買って読んだのですが、嘉永七(1854)年の原本だけに、現代語訳なしでスラスラ読めるようになっています。
どうして、この本を紹介する気になったかと言いますと、学生時代に学んだ歴史が自虐史観すぎからです。しかし、そういう嘘は、いずれバレるものです。というのも、江戸時代には大量の古文書が残されていて、その発掘が進むにつれて、江戸時代の庶民は世界一豊かであったことが証明されてしまうからです。大江戸実々奇談も、そういうたぐいの文書なのですが、実は、この本は、ものすごく面白い。面白すぎて、ぐいぐい引き込まれてしまいます。江戸時代に興味ある方は、ぜひ読んで欲しい本です。
今回は、大江戸実々奇談 39話の紹介。 と言うわけで、今回は、大江戸実々奇談 39話を紹介します。
江戸時代の裁判の様子が生き生きと書かれてあります。
被告と原告。
その関係は、どういうものであったでしょうか?
江戸時代にも冤罪があったのでしょうか?
今回は、裁判についてのお話です。
■第三十九話 弁護士について
江戸時代にも弁護士がいます。いや、司法書士がいました。公事師と言っていました。公事師とは、江戸時代に存在した訴訟の代行業者のことです。彼らは訴訟の当事者の依頼を受けて、必要な手続方法や訴訟技術を教示したり、必要な書類の作成代行を行ったりしました。そして、いつの時代にも悪徳弁護士(公事師)がいたことも確かでした。今回は、悪徳公事師と、正直公事師のお話です。
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第三十九話 公事師に出入事を聞きし人の事 奥州(東北地方)の農夫の一人が、裁判のために上京し、江戸馬喰町の宿屋に長逗留していました。長期滞在しているうちに、信頼できる公事師(弁護士)もできるようになり、心を開いて、おたがいに世間話をするようになっていました。ある日のことです。農夫が公事師(弁護士)に質問しました。
「実は、裁判の際に、不利な方でも、やりようによっては、勝訴する方法があると聞きました」
「・・・・」
「その方法を教えていただけまいか?」
「そりゃ無理です」
「どうして」
「これは口で説明しても理解できない性質のものですから」
「そこをなんとか」
「この事は、口で説明しにくいのです。現場で機転をきかせて、やることであって、詳しく説明しても、教えたとおりには、なりませんよ」
「そこを何とか教えてください。私たちの今後の心得ともなりますから」
「・・・・」
「なんとか教えてくださいよ」
「こればかりき、人に話すことはできないんですよ。私たちの秘密ですから」
「・・・・」
公事師(弁護士)は、口を割りませんでした。
そして数日後、あの公事師が、農夫のところにやってきました。
「すいません、急にお金が必要になりました。四、五日の内には間違いなく返済しますので、二両をお貸し下さいませんか」
「いいですよ」
お金は、約束とおりに返済されました。
もちろん利息も含めてです。
そして、その後も公事師は、何回か、四両、五両と借りにきました。もちろん、約束を違えることなく、利子の外に酒・肴さえ持参して返済に現れました。農夫は、金銭感覚に潔癖な公事師(弁護士)の態度に感心し、すっかり公事師(弁護士)を信用するようになりました。そして、また公事師(弁護士)が、金を借りにやってきたのです。
「毎度のこととて、申すも憚りながら、急にお金が必要になりました。十五両ほど貸して貰えませんか? 来月はじめには、きっとお返ししますので」
農夫は、今度は高額なので思案しましたが、今まで一度も約束を破ったことがなかったので、快く承諾しました。しかも借用書も取らず貸し与えました。それっきり、公事師は訪れることがなくなりました。約束の日限が過ぎても、何の挨拶も、引き延ばしの断りもありませんでした。農夫は、ちょっと不安になりましたが、あえて催促もせずに、四ヶ月から五ヶ月ほどすぎました。そして不安になって、公事師のところに催促に行ったのです。
「いつぞや、ご用立てしました十五両、御都合よろしければ返済してください。もう期日も過ぎて久しいです。私たちも長期滞在しているので出費もかさみ、手許にお金が少なくなってきました」
「これは、迷惑千万な話だ」
「へ?」
「冗談もたいがいにして欲しい」
「だって十五両、返してないじゃないですか」
「私は、そんな大金借りてない」
「なんだって! そんな馬鹿な! そんな無法は許さんぞ。今まで泥懇にしていたから催促もせずにきたが、去る何月何日十五両を貸したじゃないか。忘れたとは言わせないぞ」
「余りに酷い、言いがかりだ」
「なんだって?」
「ならば裁判にしたらどうだ」
これには、農夫も大いに怒り、宿の亭主とも相談の上、願書をしたため奉行所へ訴え出ました。江戸時代、貸金催促の民事訴訟は、ずいぶん多かったようです。そういう場合は、幾口もの案件を記録して、どうしても返金しないで困るからお上の力で取り立てて貰いたい、と訴状をもって奉行所へ願い出ました。
奉行所では、これを取り上げると三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)八人の判を押した証書を造り、裏書に『何時何日評定所に出頭せよ』と関係者双方に呼出命令を出しました。この八判は桐の箱に納めたまま原告に下げ渡され、原告は内容を見た後、これをくびに懸けて被告の許に行き渡しました。そして、両者は、評定所に出向き、奉行の審理を受けるのです。
農夫は、公事師の所に向かい、八判(出廷状)を渡しました。
「明日、奉行折へ御呼出しがあった。よって、そこもとへ八判(出廷状)を渡す」
すると公事師は、いったんは、八判(出廷状)を懐にしまうのですが、
「裁判なんかできるものか。この八判(出廷状)は偽物だろう」
と八判(出廷状)を懐より取出して拡げてながめ、大いに笑いました。
「こんなもので脅しをかけようとしても無駄だぞ。おれは騙されんから。逆に名誉毀損で訴えてやる」
と八判(出廷状)を引裂き、火鉢に燃やしました。
驚いたのは農夫です。
(こんな無法者は、見たことがない。この事件をもってしても入牢は必定。其の上、如何なる罪になるか。増っくき奴かな)
そして翌日。
双方が奉行所へ出廷。
奉行は、先ず農夫に訪ねました。
「そのほう、金を貸し与えしこと相違ないか?」
「はい、十五両を貸し与えましたこと相違ございません」
「ほう」
「おそれながら、それだけでは、ございません。昨日、御奉行様から頂いた八判(出廷状)に就きましても、これは偽物だと言いがかりをつけ、大笑いして、引裂き燃やしました」
「なんだと! それは聞き捨てならぬ、その方は、ひとまず控えよ」
農夫は、ひとまず引き下がりました。
代って公事師が呼び出されました。
奉行は、カンカンになって公事師に問いただしました。
「その方、かの者より十五両を借用したというのは本当か。もっとも懇意なれば、借用書無しで借りたそうだが、よもや忘ることあるまい」
「それ何ですが全く記憶に御座いません。もっとも時々は、少々の金を借り受けたこともありましたが、約束の期限を守らなかったことは、一度だってありません。先方に、お尋ね下さい」
「それはいずれ吟味しよう。されどかの者の申し立てに、その方、八判(出廷状)を引裂き火鉢にくべたとか、それは本当か?」
「そんなおそれおおいこと覚えがありません。八判(出廷状)なら、ここに持参してきましたので御覧下ささい」
「これは、昨日差し遣わせし八判(出廷状)だ」
「あの農夫は、こんな嘘を言う人なのです」
「・・・・」
「お金の借用の件も、御賢察下さい」
「・・・・」
そして農夫が呼び出されました。
「今、この者の申すこと一々吟味いたした。かかるに、その方、公事師が八判(出廷状)を焼き捨てたと申し立てたが、公事師は本物の八判(出廷状)を持参していた」
「え?」
「奉行の前にて斯かる嘘言を申し立てしこと、不埒の至りなり。かくては、証拠の書き付けもなきことゆえ、十五両の借金のことも嘘にちがいあるまい。不届き千万である」
「・・・・」
農夫は、こうして奉行にさんざん叱られました。
もちろん公事師(弁護士)には、何のお叱りもなし。
こうなってはと、不本意ながらかの金子は損金とし、公訴取り消しにしました。
すると、あの公事師がやってきたのです。
そして深く頭を下げました。
「先日の裁判の件、ひらに御容赦あれ」
「はあ?」
「あえて、あのような裁判にしたのは、お手前が、不利な裁判を勝訴する方法を知りたいと申されたので、その方法を試してみせたのです」
「えええええええ!」
「これは、借用した十五両に利息です。お受け取りくだされ」
「こりゃ、あきれ果てたわ」
「すまん、すまん」
「左様でしたか。私は、いっこうに存じませんでしたから、全く以って不法の者もあるものかなと立腹いたしておりました」
農夫は大笑いしました。
「とにかく、話だけでは、分り難いのです。これは当事者にならないと、なかなか理解しにくいものなんですよ」
(大江戸実々奇談 39話 文章は現代語に、私流に意訳してあります)
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つづく。
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