2010年04月23日

日本武尊は、本当に嬬恋村を通過したのか? マネージャーのミステリーツアー8

日本武尊は、本当に嬬恋村を通過したのか? マネージャーのミステリーツアー8

「日本武尊(ヤマトタケル)は、本当に嬬恋村を通過したのか?」

という質問を受けました。
私は、そくざに、こう答えました。

「そういう伝説が嬬恋村の田代にあるのです」
「でも、日本書紀には、碓日坂を通過したとになっています。だから碓氷峠が正解であって、鳥居峠ではないのではないですか?」
「そういう説もあります」
「嬬恋村には、碓氷峠という地名はないですよね」
「今はね。しかし、鳥居峠は、今でこそ鳥居峠と呼ばれていますが、嬬恋村では昔は、ここを碓氷峠とよんでいたんです。鳥居峠という名称は、長野県民がつけたのです」
「そうだったんですか?」
「黒斑山だって、長野では黒斑山でも、群馬では三つ尾根ですよ。呼び名が違っていて、たいていは長野の呼び方を国が採用してるケースが多いんです。嬬恋村にとっての碓氷峠は、鳥居峠のことでした」
「知らなかった」

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「それに吾妻郡村誌によると、嬬恋村の大笹は、古時、碓氷郡に属したと記録されています。今は高崎市と合併してしまった旧倉渕村も碓氷郡に属したと記録されています。碓氷郡というのは、太古の昔は広かったのです。旧倉渕村と北軽井沢と嬬恋村の一部も碓氷郡だったくらいですから」
「へえ」
「さらに、碓氷峠ですが、これは比較的最近開かれた道であり、古代は入山峠こそが一般的な古道でした」
「入山峠?」
「現在の碓氷バイパスのあたりです」
「あのへんですか」
「あのへんは昔から入山峠といってて、碓日坂と呼ぶ人はいなかったのです。」
「そうだったんですか!」

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「ここで、もう一度、日本書紀をおさらいしてみましょう。日本武尊は、碓日の坂で、弟橘姫を偲び、東南を望りて三たび嘆きて曰く「吾嬬はや」とのたまふとあります。実際に入山峠に行って『東南を望りて三たび嘆きて曰く「吾嬬はや」とのたまふ』を実行してみてください。入山峠から東南を見ても何も見えません。山の壁があるだけです」
「・・・・」
「逆に鳥居峠から『東南を望りて三たび嘆きて曰く吾嬬はやとのたまふ』を実行してみてください。眼下に吾妻の集落があり、峠を越えた瞬間、民家はゼロとなり、関東とは違う風景となります。鳥居峠の方が自然なのです」
「うーん」
「まっ、真相は闇の中ということです。どれが真実か? それを知る手がかりはありませんが、少なくとも嬬恋村の鳥居峠説を否定するだけの有力な根拠もなさそうですね」


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つづく。

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posted by マネージャー at 23:48| Comment(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする