2010年05月17日

ペアレント講習会に参加して4

ペアレント講習会に参加して4

つづきです。

 今回の講演は、毎日新聞社の関連会社である毎日企画サービスの社長、村田昭夫氏が講師でした。毎日企画サービスとは、広告代理店でもあり、各種イベントを行う会社でもあり、カルチャースクールを経営していたり、マーケティング調査などの各種調査もおこなっており、旅行事業も行っています。もちろん登山の取り扱いもやっています。

 で、私、この会社を知っていました。
 何をかくそう良く知っているのです。

@知ってる、その1

 実は私、昔、ガラス清掃の仕事をしていまして、毎日新聞社のガラス掃除をやっていたことがあるのです。当然のことながら社内の光景は全部みてきました。毎日企画サービスのデスクも知らないわけがない。

A知ってる、その2

 毎日旅行社とは、山でよく会うのですよ。だから、その実力と旅行スタイルは、じっくり観察していますから、よく知っているのです。なにしろ私は、年に300回山に登ります。

「え? 300日も登っているの?」

と驚いてるあなた、ちょっと違います。300回登っているのです。例えば、昨日は、3回登っています。まず小浅間山に嫁さんと登り、その後に自宅で昼飯を食べてから浅間隠山に一人で登っています。下山したあとに物足りない気分だったので、鷹繋山にも登りました。どの山もコースタイムの半分で登っているので、1日に3回登山できるわけです。ちなみに今日は、午前中に会議があったために隠浅間山しか登ってないので身体が物足りないですね。まあ、そんなことは、どうでもよいのですが、そういう山が大好き男なので、毎日旅行社・読売旅行社・朝日旅行社などの会社の人たちと山でよく出会うのです。


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 だから、講演前にニヤニヤしましたね。


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 ところで、講演の前に質問用紙が配られました。

「まだ講演が始まる前に質問用紙? やるな御主!」

と思い、宗像さんから質問用紙を、もう1枚予備にもらい、さっそく質問を書きました。日本ユースホステル協会の事務所が広すぎると聞いていたので

「日本ユースホステル協会で、カルチャーセンターを開くことは出来ないか? 例えばユースホステルを使った海外旅行のノウハウを伝授するみたいな」

と書いて、村田さんの講演を聴き始めました。講演の題名は

「ユースホステルを魅力的に見せるテクニックとは」

でしたから、どんな事を言うのか、ワクワクドキドキ、耳を澄まして待っていました。
ところが、第一声が

「そういうテクニックはありません!」

と言うではないですか。

 おい!
 なんだよ、それ!

 さらに村田さんは言います。

「テクニックではなく、本物になる必要がある(意訳)」

 そんなこと、わかっとるわい!
 しかし村田さんは、さかんにグリーンツーリズムについて述べます。

「グリーンツーリズムは面白いですね」

 ここは、ユースホステルだぞ!

「グリーンツーリズムのような滞在型の旅を推奨していきたい」
「滞在型は・・・・」
「ゆとりのある旅は・・・・」
「ヨーロッパでは・・・・」

 よーし、それなら

 と思い立った私は、さっき書いた質問用紙を捨てて
 予備にもらったもう一枚の質問の用紙に
 このような質問を書きました。


 日本の旅は、西洋のグリーンツーリズムスタイルの旅は会わないのではないですか? グリーンツーリズムは、神と静かに対話するキリスト教文化からきています。それに対して日本人の旅のスタイルは、伊勢参りのように巡礼スタイルがメインです。もし日本にグリーンツーリズムを定着させるなら例えば、100名山がブームになったように、各地を巡礼するスタイルを取り込む必要が必要なのではないですか?


 村田さんは、私の質問に対して、こう言いました。

「それは、そうですね。でも、日本人には長期滞在をしてもらいたい」


 なーんや、それ!
 答えになってないぞ!




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 それは、ともかくとして、日本人は、なぜ百名山をめざすのか?
 これは、大昔からの伝統である巡礼の風習からきています。


 西国三十三カ所巡り、東国三十三カ所巡り、秩父三十四カ所巡り、四国八十八カ所巡りなど、日本人は、巡礼が大好きでしたよね。その文化風習が、遺伝子が、山屋にも継承されたような気がしてなりません。だから百名山がブームになったと。そして、二百名山、三百名山、花の百名山と続いていきます。

 日本で、もっとも平和だった時代は、江戸時代です。この平和な江戸時代に旅人が大量発生しました。紀行文や旅のガイドブックが次々と発行され、それがすべてベストセラーになるという出版文化が花開きました。なかでも有名なのが十返合一九の「東海道中膝栗毛」で、その他に「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「中山道道中」「上州草津温泉道中」なんてのもあります。

 また東海道のガイドブック「東海道分間絵図(斐川師宣)」、江戸のガイドブック「江戸名所図会」「東都歳事記」、京都のガイドブック「都名所図会」などが発行されました。さらに広重の「東海道五十三次」なども発行され、庶民にとって旅行は、とても身近なものにています。

 また、菅江真澄・古川古松軒・貝原益軒・大田蜀山人・鈴木牧之などが次々と紀行文を発表し、それが飛ぶように売れました。庶民の旅にたいする関心は、異常なほど強かったようです。こうなると、ひょっとしたら現代より、江戸時代の庶民の方が旅に対する感心が高かったのではないか?と思えてきます。

 では、江戸時代の庶民たちは、どんな旅行を行なっていたか?

 実は、江戸時代の庶民たちは、実に活発にサークル活動をしていました。サークル活動のことを「講」と言います。「講」とは僧や民衆の集会をさす仏教用語でしたが、便利な表現なので、いろんな意味に使われ、サークルや組合の意味と同義語のように使われるようになりました。

 講の中には、氏神講から、積立金融団体の頼母子(たのもし)講や、鍛冶屋組合のふいご講など、たくさんの講が生れて、さまざまなサークル活動が全国で活発になっていたわけです。

 さて旅の話に戻しますが、旅人のサークルも、たくさん誕生し、かなりの数の会員が全国を旅するようになりました。その中でも最も大きかったサークルが、伊勢講です。

 伊勢講のすごいところは、全国の農家に御師(おんし)という、現代で言えば旅行会社の営業社員のような人を派遣し、神符や暦などを配付して、伊勢参詣のための説明会を開きました。また、参詣の際には宿を指定し、伊勢に到着すると自宅に泊めて大神楽を奉納させるなど、いたれりつくせりのパックツアーを行っていました。こういうパックツアーは、全国の有名社寺で普通に行なわれており、江戸時代後期には、各種の講が指定していた、指定の宿が乱立していたようです。有名社寺が、このような旅行業務を熱心に行なっていたわけです。

 まるで現代日本の
 旅行業界みたいですね。

 それに目をつけた大坂や江戸の行商人たちは、自らの経験を生かして、全国の優良旅館を選定してネットワークを作り、指定旅館制度を創始して、浪花講という優良旅館組合をつくりました。そして利用者には加盟施設一覧を記したガイドブックや、会員証や、道中案内が渡されました。そして旅館には、目印に浪花講の看板がかかげられました。本当にいたれりつくせりのツーリストシステムです。

 で、ユースホステルのお話にもどりますが、リヒャルト・シルマンがはじめたユースホステル運動も、ユースホステル協会ができた経緯も、これによく似ているのです。


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 では、どういう経緯でヨーロッパに
 グリーンツーリズムが発生したのでしょうか?

 実は、これはキリスト教と関係があります。
 ヒントは、軽井沢にあります。
 軽井沢にくれば、グリーンツーリズムの本質が見えてきます。


 キリスト教では、休暇を大切にします。
 しかし、その休暇は日本人が考えるレジャーではありません。
 厳粛な宗教的な行事なのです。
 神と対話するために人里離れた別荘で長期間かけて静かに過ごす。
 そういう生活スタイルがキリスト教なのです。

 そのための土地を探し回って発見されたのが軽井沢です。
 宣教師ショーは、布教のために軽井沢をみつけたのではなく、
 神と対話するために軽井沢をみつけ、
 そこに別荘を建てたのです。


 この文化風習が大衆に浸透したのが、第二次大戦後のフランスで、グリーンツーリズムはフランスから自然発生しました。それを農水省がとりいれてグリーンツーリズムとして農家民宿をたちあげているのですが、実は、日本ユースホステル協会に加盟する何軒かのユースホステルも、すでにグリーンツーリズムを実践しています。

 もちろん北軽井沢ブルーベリーYGHも、グリーンツーリズムを実践しており、都市農山漁村交流活性化機構(まちむら交流きこう)で御仕事をしていますが、もっと積極的にグリーンツーリズムをすすめているユースホステルがあります。有田オレンジユースホステルです。ここは、ガチガチのグリーンツーリズムの宿ですが、それでも御客様の主力はホステラーです。


 説明しよう!
 農水省が提唱する何十年も前から
 日本のユースホステルは、
 グリーンツーリズムを
 すすめてきているのです。



 現在は、ユースホステルをやめてしまいましたが、北軽井沢にもグリーンツーリズムをやっていたユースホステルがありました。その名も

「農園ユースホステル艮山荘」

です。ホステラーに畑を提供し、市民農園のはしりをやってましたが、それはグリーンツーリズムが日本に上陸する遙か前から実行されていたのです。

 もっと新しい話しをすれば、勝沼ぶどうユースホステルなんかも、プチグリーンツーリズムを行っています。御客様に葡萄収穫体験などを提供しています。北海道ニセコの真狩ユースホステルなんかも農業ヘルパーを募集し、農業体験とセットで長期滞在のプランを提供し、多くの御客様を集めています。

なんのことはない、
グリーンツーリズムは、
ユースホステルこそが本家なのです!

エコツアーだってユースホステルが本家だし、
アウトドアだって、
登山だって
ウォーキングだって
歴史散策だって
一人旅だってユースホステルが本家。
ユースホステルには、すべてのものが詰まっている。
そこには、どんな可能性もある。
それがユースホステルだと思う!


なんちゃって


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つづく。

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posted by マネージャー at 22:02| Comment(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

茂田井宿

今回のシルマンウォークは、茂田井宿。


中山道の望月宿と芦田宿の間にある間の宿です。
古い土蔵などがならぶ昔の面影が色濃く残る宿場です。

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 もともと両隣の望月・芦田宿の助郷として指定されていましたが、その後宿泊業務も行うようになり宿駅となりました。文久元(1861)年和宮下向による2万6,000人もの大行列の際、ここが下宿となり、また元治元(1864)年にいわゆる天狗党と呼ばれた水戸浪士の通過に対する警備のため、小諸藩士500人がここに宿泊しています。

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つづく。

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ラベル:茂田井宿
posted by マネージャー at 13:16| Comment(2) | 佐久 中山道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする