つづきです。
それにしても村田さん、ユースホステルマネージャーのいろんな質問に対して、かなり冷淡な回答を出していました。例えば、プレスリリースのコツを質問した人がいたのですが、「交渉しなさい(意訳)」と、とりつくしまもありません。
「・・・するには、どうしたらよいでしょうか?」
という質問に対しては、
「そんなうまい方法があったら私が知りたい」
と回答する始末。
これには大爆笑してしまいました。
正直、言っていいですか?
本音、言っていいですか?
村田さん、大好きです!
こんなお茶目な講師、今まで初めてです。
しかし、皮肉なことですが、日本ユースホステル運動の原点が、今回の村田講師のような人によって作られているんですよね。日本ユースホステル運動の源流である日本青年団を創設した田澤義鋪は、こういう人だったのです。

相談されても村田講師のように絶対に回答を出さなかった。
各自に考えさせ、各自に答えを見つけさせたのです。
この風習が日本青年団の伝統となり、
その事務局長であった横山祐吉氏によって、
日本ユースホステル協会に持ち込まれたのです。
そして、日本ユースホステル協会の伝統となった。
私が日本ユースホステル協会とユースホステル契約をむすび、ペアレント講習会に参加したのは、今から10年前の2001年のことです。初めてペアレント講習会に出て何に驚いたかというと、ペアレント同志がお互いに相談し合い、お互いに解決方法をみつけていく、分科会・研修会に驚きました。
正直言って、最初の頃、その分科会・研修会が不満でした。
「無駄なことをやるなあ」
と思っていました。
だってペアレント同志が話し合っても、体制は何も変わらない。個々が何かをえたとしても、ユースホステル協会は、何一つ変わることがない。どんなに良い意見を出し合っても、それが体制に何一つ影響しない。こんな事は無駄なんじゃないかと。
そう思ってました。
これは私だけでなく、私と同時期にマネージャーになった人の大半が、同じ意見の持ち主でした。特に、みゆきのユースホステルの中村マネージャーは、ことあるごとに、そう言ってました。今は、どういうお考えかは知りませんけれどね。
ところがリヒャルト・シルマン伝を書き、次は、横山祐吉伝と、中山正男伝だぞと、日本ユースホステル運動の源流を調査しているうちに、この無駄とも思える分科会が、非常に大切なものであり、その分科会の歴史の中に、日本ユースホステル運動の本質が隠されていることに気がついたのです。

日本ユースホステル運動の源流である田澤義鋪の思想は、自立にあります。田澤義鋪は、自分のことは自分で解決しなければならないと考えていたのです。学ぶだけではなく実践しなければならない。そのためには、自ら問題点をさがし、自らその解決方法をみつけだし、自ら実践しなければならない。そういう思想が、日本ユースホステル協会を立ち上げた横山祐吉まで繋がっていっているのです。だから横山祐吉氏は、イデオロギーや運動論を極端に嫌っていのです。

講師の村田昭夫さんは、それを知っていたかどうかは知りませんが、結果として、日本ユースホステル協会に相応しい講演会になったことは確かです。
日本ユースホステル運動の原点である青年団運動の基本は、誰かに何かをしてもらうことではなく、自ら問題点をさがし、自らその解決方法をみつけだし、自ら実践しなければならない。それが横山祐吉氏が求めていた日本のユースホステル運動だったのです。一言で言うと、田澤義鋪精神が日本ユースホステル運動であった。
日本ユースホステル運動の原点を知りたい方は、
下記のカテゴリを御覧ください。
http://kaze3.seesaa.net/category/7464774-1.html
つづく。
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