望月宿 大伴神社
こんなところに何故、大伴神社なのかと言いますと、真田氏は、大伴氏の流れをくんでいるからです。大伴神社の祭神は、月読命・須佐之男命・大己貴命・少名彦命・天忍日命・天道根命ですが、「天忍日命」は、大伴氏の祖です。「古事記」によれば、天孫邇邇芸命が筑紫日向の高千穂の嶺に天降りたときに、天忍日命、天津久米命の2神が天孫の御前に下がったとされていますが、天忍日命の子孫が大伴氏で、日本武尊東征のときに吉備武彦と共に従軍しています。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/keizu.htm 「日本書紀」の武烈天皇(499〜506)3年11月条に天皇が大伴室屋大連に「信濃国の男丁を発して、城を水派邑に作れとのたまふ。仍りて城上と日ふ」 とあります。また、日本霊異記に「大伴連忍勝は、信濃国小県郡嬢里の人なりき」ではじまる話があります。
大伴氏が信濃国に関係していることが分かりますね。この流れに真田氏があるわけですが、大伴氏は、このあたりに牧場をつくり、東北を平定するための馬を生産し、軍事拠点をつくりました。そして、スパイ軍団まで作り上げたのですが、その末裔が真田氏だとも言われています。
大伴氏の歴史
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posted by マネージャー at 08:56|
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