2010年05月23日

雷電爲右エ門の碑

雷電爲右エ門の碑です。
なぜか2つあります。
古いのと、新しいやつ。

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 佐久間象山の揮毫により文久元年(1861年)建立されています。突っ張り、張り手、閂を禁じ手とされた逸話も述べられています。この石碑の石片は勝負事に利益があるとしてたびたび削り取られ、明治期には碑文はもう読めないほどになっていたため、勝海舟、山岡鉄舟らの発起で新しい石碑が建立されました。というわけで現在新旧の両碑が並び立っています。

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 実は、私は、この碑文に願をかけ、
 ペアレント講習会で上京したときに
 宝くじ
 をかっちゃいました。

 宝くじ、民主党の事業仕分けで、発売禁止になりましたね。
 (なんかパチンコ利権のニオイがするなあ)

 駆け込みで、買っておいてよかった。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:00| Comment(0) | 東御市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雷電爲右エ門の生家

雷電爲右エ門の生家です。

 シルマンウォークの時に、ときどき私はミステリーツアーを出しますが、このときは、雷電爲右エ門の生家に皆さんを連れて行きました。で、雷電爲右エ門について語る予定だったのですが、あいにく、すぐに出なければならなくなったので、ここで解説します。

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 この雷電爲右エ門の生家は、わかりにくい場所にあって、なかなかたどりつけないことでも有名ですが、さらに駐車場がないために、たんぼの畦道のようなところに車を止めるしかなく、それも、他の車が通行したら即アウトという、とんでもない観光施設です。実際、この時も、他の車がやってきたので、5分と見学できませんでした。

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これは家の中。
土俵があります。

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 雷電爲右エ門は、史上最強の力士です。力士生活21年、江戸本場所36場所中(大関は27場所)で通算で喫した黒星がわずかに10、勝率は9割6分2厘であり、大相撲史上、最強力士です。しかも雷電だけに禁止される技がある雷電ルールでのはなしです。つまり、ハンデをつけて、勝率96パーセントでした。強いのなんの。
 身長6尺5寸(197センチ)、体重46貫(172キロ)の筋肉質な巨人だったといわれ現存する雷電の手形は、長さ23.3センチ、幅13センチで、これは、ちかくにある道の駅で見られます。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:53| Comment(0) | 東御市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする