2010年05月25日

ユースホステルから日本中に広がった歌の伝説

ユースホステルから日本中に広がった歌の伝説


 1960年代の終わり頃のことです。
 大勢の若者がユースホステルを使って旅をしていました。
 若者たちは、旅先でよく歌いました。
 ユースホステルのミーティングで、夜の語らいで、よく歌いました。
 1960年代は、歌の時代でもありました。

 レコードは高価であり、カセットテープも、ラジオも、テレビも高価でした。楽器も安くはなかった。だから人々は、歌を愛したのかもしれません。フォークソングが若者の心をとらえたのも、この時代です。特にユースホステルを使って旅する人たちは、歌を好みました。歌を聴き、自らも歌いました。

 これは日本だけの現象ではなく、ユースホステル運動の本家ドイツでも同じであり、ユースホステル運動を創設したリヒャルト・シルマンも、歌をこよなく愛した一人でした。ヨーロッパのユースホステルでも若者たちは、よく歌ったものでした。

 ところで、1960年代末に、北海道のユースホステルで、
 こんな歌が流行しました。



 ♪白い花ゆれる あの人の胸に
 ♪いとしい人の 口づけにゆれる




 実は、皆さんが良く知っている曲なのですが、
 誰が作った曲か誰も知らなかった。
 作詞も作曲も誰なのか分からない。
 その誰が作った曲かわからない歌が
 全国のユースホステルに広まっていた。

 あまりに旅人の心を揺さぶる曲であったために、
 旅人たちが好んで口ずさむようになったのでした。
 その歌は、いつしか北海道の歌声喫茶や、
 温泉宿に泊まる旅人の間でも歌われるようになりました。

 当時、ユースホステルは、
 いまでいうインターネットのようなものでした。


 その歌を旅先で偶然にも知ったミュージシャンがいました。
 日本を代表するフォークグループ
『赤い鳥』後藤悦治郎です。
 赤い鳥といっても若い人にはピンとこないかもしれませんが、代表作の

「翼をください」
「竹田の子守唄」

を知らない人はいないでしょう。




http://www.youtube.com/watch?v=7in5rpYU584


日本を一世風靡したグループであり、解散後に

『紙風船』
『ハイ・ファイ・セット』
『ハミング・バード』

に3分割されて、それぞれ

「冬が来る前に」
「卒業写真(荒井由実の作詞・作曲)」
「さだまさしのプロデュース・編曲」

と、その後の日本音楽会をひっぱってきたグループでした。

http://www.youtube.com/watch?v=stL-KPx5MNQ&feature=PlayList&p=A1032B0E9946C70B&playnext_from=PL&index=0&playnext=1




 そのグループでギターをやっていた後藤悦治郎が、
 北海道の帯広の奥地、然別湖にある
 山田温泉ユースホステルで旅人たちが歌っていた無名の歌に感動し、
 レコード化し、これが大ヒットしたのです。

 その曲名は後で述べるとして、この歌を作った人は、
 中林三恵さん
 という無名の群馬県の人でした。


 中林三恵さんは、群馬県太田市の人で高校時代に散歩しながら自作の歌をつくりました。その後、群馬大学に進学。1964年秋に大学で「クラブ対抗コーラス大会」が行われ、その大会で中林三恵さんの所属する美術部で、そのを歌ったところ、その曲が群馬大学の学生の間に広まりました。

 そして、その歌は、ユースホステルを使って旅する群馬大学の学生さんによって数年後には北海道の然別湖にある山田温泉ユースホステルにたどり着きます。ひょつとするとユースホステルが、広めた歌の第一号かもしれません。その歌の名は、
「赤い花白い花」
です。

 下の動画をクリックして聞いてみてください。
 感動します。じわーっときます。





 どうですか?
 いい歌ですよねえ。

 実は、歌ってるのは「赤い鳥」の人たちではありません。
 やまがたすみこさんです。

 若い人は知らないでしょうが、やまがたすみこさんは、大杉久美子さんとともに日本の女性歌手の中でも5本の指に入るくらい歌が上手な人だと思いますが、その人が歌うと、本当に心に沁み入ります。


 私は、高校時代に、この歌を聴いて、この美声にメロメロになって、血眼になってレコードなんかを探したのですが、マイナー歌手だったためか田舎の佐渡島にあるわけがなく、インターネットも無かった時代でしたので、いつしか諦めてしまっていました。

 記憶から消えてしまっていたのです。

 それから12年後の1990年。私が、29歳になったときにユースホステルを使って北海道を旅していたときに、然別湖近くの温泉旅館(菅野温泉)で「赤い花白い花」を口ずさむ当時50歳くらいの人と出会いました。メロディーは一緒でしたが、歌詞は、私の知っているのとは、ちょっと違っていました。

「赤い花白い花ですね」
「良く知ってるね、昔、この近くにユースホステルがあって、そこで歌っていたんだよ」
「なんというユースホステルですか?」
「山田温泉ユースホステル」
「ふーーん」

 私は、久しぶりに「やまがたすみこ」さんを思い出し、あの美声を聞きたいと思いながら冬の夜空に輝く満点の星たちを眺めていました。そして、赤い花白い花を50すぎのオヤジさんと合唱していたのです。その日の夜は、歌を歌うことが、こんなにも嬉しいことであることを思い出した夜でした。

 さて「やまがたすみこ」さんとは、どんな人でしょうか?
 ありがたいことに今は、インターネット時代。
 顔も拝めますし、曲も聴けます。
 いい時代になりました。





林寛子とも一緒に歌っています。
「この広い野原いっぱい」ですね。
歌唱力が全然違います。





「この広い野原いっぱい」のカバーもしています。
しみじみと聞き惚れてしまいます。





 で、私が一番好きな歌です。
 NHKのみんなの歌が始まると
 テレビの前に走って聞きました。
 私が中学3年生の頃です。






 この後、結婚してメディアから消えていきますが、
 天才歌手がいるとしたら彼女のことでしょう。
 その彼女が歌う「赤い花白い花」は、まさに名曲でした。



 話しが大きくそれましたが、「赤い花白い花」を作った中林三恵さんは、現在も群馬県にお住まいです。そして北軽井沢にも来られるようで、北軽井沢の歌も何曲か作られています。例えば、こんな歌詞です。

http://www.d6.dion.ne.jp/~nkbmie/poem56.htm 二度上げ峠

 いつか、中林三恵さんにお会いできれば。そして、やまがたすみこさんにも、お会いしたいなあ。まあ、無理だろうけれど。でも、いつか然別湖にある山田温泉ユースホステルの跡地にも訪れてみたいというのが私の夢なのです。

http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-210.html
http://www.h-fukuhara.jp/yamada.html

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 14:43| Comment(8) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする