2010年05月28日

カモシカを見た!

カモシカを見た!

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カモシカは、ウシの仲間です。鹿ではありません。
したがって、シカとは違い、角は枝分かれせず、生えかわりもありません。

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頭胴長70〜85cm、肩高70〜75cm、体重30〜45kg。
シカより小柄でずんぐりしており、四肢も首も太く短く、毛も長い。
ですから「カモシカのような脚」という形容は、正しくありません。

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 角は黒色で先がとがっており、15cmくらい。
 後ろ側にゆるやかに湾曲しています。

 目の下のよく目立つ眼下腺をもち、ここから分泌液を出してマーキングをします。縄張り性動物なので、このマーキングで縄張りを誇示します。

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 多くの偶蹄類はなわばりをもちますが、生息環境の違いによって防衛する対象が違い、大きく二つのタイプに分けることができます。一つは森林やブッシュでみられる資源防衛型であり、もう一つは草原のような開けた環境でみられる配偶者防衛型です。日本の特別天然記念物ニホンカモシカは資源防衛型の一つの典型です。


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 森林のような密な環境に生息する種は、単独で生活するものが多いですが、このような環境では捕食者から隠れるために、群れでいるよりも単独で生活するほうが都合がよいからです。また、森林は草食獣にとって食物がほぼ均一に分布し、非常に安定した環境です。このため、1頭がせまい範囲をなわばりとして防衛することで、一年を通して生活に必要な資源をすべて得ることが可能になります。したがって、森林では各個体が生活範囲すべてをなわばりとして守る資源防衛型が発達します。

 これに対して草原のような開けた環境では、より早く捕食者を発見するためには、複数の個体が集まって警戒するほうが有利です。このような環境では雄と雌が別々に群れをつくることが多く、強い雄が雌の群れを独占する配偶者防衛型が発達します。雄は交尾期に他の雄を追い払って雌の群れを独占するか、交尾のためのなわばりをもち、この中に雌の群れを囲い込み、一夫多妻を形成するものが多いです。日本鹿やエゾシカなどは、このような生態をとります。

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 ニホンカモシカは、森を主要な生息地にした典型的な単独生活をしています。母親が当歳子を連れる以外は、一時的に2〜4頭の小グループをつくる程度で、それ以上の群れになることはありません。

 ほとんどの小グループは家族によって構成されています。すなわち母親と0〜3歳の子ども、および母親の配偶者である成獣の雄がグループの単位となっています。ただし、母親の配偶者はときどき変わることがあるため、成獣雄は子どもにとって必ずしも実の父親であるとは限らない。

 子どもは春に生まれるとほぼ1年間は母親のあとをついて歩くので、母親と当歳子による2頭のグループがもっとも安定しています。1〜2歳の子どもも短期間ではあるが母親について歩き、2頭または当歳子とともに3頭のグループが形成されることもあります。

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 シカ科のシカ類はひづめがほっそりしていて、開けた場所を走るのに向いているのに対してニホンカモシカはひづめの先を広げて立つことができます。これは岩場など足場の悪い所での活動に向いています。指の間には蹄間腺があります。

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 ニホンカモシカはほとんど単独で生活しているにもかかわらず、異性間の行動圏の重なりをみますと、特定の雄と雌の結びつきを知ることができます。多くの場合は1頭の雄と1頭の雌の行動圏がほぼぴったりと一致して、基本的に一夫一妻を形成しています。なかには1頭の雄が2頭の雌の行動圏を占有して、一夫二妻を形成するものがいます。しかし、この雄は2頭分の雌の行動圏をなわばりとして防衛しなければならず、片方の雌を他の雄にとられることがあり、不安定で例数も少ないようです。

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 子どもは1歳になると母親から離れて単独で生活するようになりますが、性成熟に達する2〜3歳頃までは母親の行動圏に留まります。その後、雄の子ども(息子)はすべて2〜4歳で母親の行動圏を離れ、3〜5歳で一夫一妻の雄と入れ替わったり、一夫二妻の片方の雌を獲得して独自のなわばりを確立できるものもいます。

 これに対して雌(娘)は、性成熟を過ぎても母親のなわばりに居残るものがいます。この場合、3〜4歳で母親のなわばりの一部を譲り受けたり、母親が死亡するとそのままなわばりを継承したりします。結果的に父と娘の間で配偶関係が生じる可能性がありますが、雄の入れ替わりが頻繁ですので、近親婚は避けられることが多いですね。

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:07| Comment(2) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年のシャクナゲ園

今年のシャクナゲ園は、ちょっと花が不作。
でも、花はともかくカラマツ林の新緑は最高でしたね。
美しいというより、幻想的。
特に今年は、御客様が少ないので、ありがたい。
この林を独占できるという幸せは、他に代え難いですね。

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つづく。

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ラベル:シャクナゲ園
posted by マネージャー at 16:20| Comment(0) | 浅間高原・シャクナゲ園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米子鉱山跡

米子鉱山跡

 米子鉱山、小串鉱山は、国内屈指の生産量を誇る硫黄鉱山でした。須坂市は、硫黄搬出の拠点として、また生活物資や生産資材の供給地として両鉱山とは深い関係がありました。特に昭和のはじめまで隆盛を誇った製糸業衰退のあとは、須坂の産業が電子産業へと移行するまでの間、須坂の経済を支えた重要な産業のひとつでした。

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 米子鉱山は、1743年(寛保3年)に、米子村の竹前氏によって本格的な採掘が始められ、1898年(明治31年)に須坂硫黄会社が竹前氏から鉱山経営権を受け継いだ後、数回の所有者変更を経て中外鉱業株式会社が1934年に買収しています。

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 硫黄のほかにろう石、褐鉄鉱なども産出した。戦前は軍事用の火薬となる硫黄の需要が高く、最盛期には月産1,200トンに達し、鉱山関係者1,500人が生活していた。鉱山から須坂駅までは全長14kmに及ぶ索道(ロープウェイ)が設けられ、集落には共同浴場、学校、映画館なども建てられました。1960年に硫黄の採掘が終わり、1973年に全面閉山になりました。

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この鉱山には、問題点がありました。
毒性が強いのです。
そのために鉱山跡を全て埋め立てました

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 この鉱山でとれる硫黄は、硫黄品位の差のある層状鉱体で、採鉱は、坑道採鉱で残柱式空洞掘で、製錬設備は、焼取炉8基がありました。ただし、小串鉱山と違って生産量は少なかったようです。

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それでも1500名の住民が住み、学校・スーパーなどもあったようです。

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このあたりに学校がありました。

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つづく。

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ラベル:米子鉱山跡
posted by マネージャー at 10:08| Comment(3) | 須坂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする