赤岩地区にある湯本家は江戸時代から医者を務めており、幕末には長崎でシーボルトに学んだ蘭学者の高野長英がかくまわれていたといわれている「長英の間」が2階に残されています。湯本家住宅は平成11年に村の文化財に指定されています。毎月最終日曜日は、無料開放しています。
高野長英は、シーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学び、塾頭となった人です。ところが文政11年(1828年)シーボルト事件が起き、二宮敬作や高良斎など主だった弟子も捕らえられて厳しい詮議を受けたが、長英はこのと巧みに逃れています。
天保元年(1830年)江戸で町医者と蘭学塾を開業。そして田原藩のお雇い蘭学者として小関三英や鈴木春山とともに蘭学書の翻訳に当たりました。
天保10年(1839年)、蛮社の獄が勃発。幕政批判のかどで捕らえられ、永牢の判決が下って伝馬町牢屋敷に収監。牢内では服役者の医療に努め、また劣悪な牢内環境の改善なども訴えまし。そして牢名主になります。ところが弘化元年(1844年)6月30日、牢屋敷の火災に乗じて脱獄。硝酸で顔を焼いて顔を変えて逃亡生活を送りますが、この湯本家にも逃れたと言います。
つづく。
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posted by マネージャー at 11:10|
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六合村
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