問題は経営危機に陥っているペンション・北軽井沢ブルーベリーのことです。北軽井沢ブルーベリーの再建をスタートさせる前に、ある問題点が出て来ました。その問題点というのは、ペンション経営をまかせていた友人が、ペンションにすっかり嫌気がさしてきているということでした。そして嫌気がさしている友人は、
『俺は北海道でやりたい』
と言うのです。北軽井沢には永住する気は無いというのです。
まあ、仕方ないことですが、そうなると困った。
北軽井沢ブルーベリーの再建計画が、
白紙に戻ってしまったからです。
すべての計画が一からやりなおしになりました。
他の大勢の友人たちには、民宿『千葉荘』に行ってくれとたのんである。だから北軽井沢ブルーベリーへの応援は見込めない。嫁さんは、仕事はやめられないし、辞めたら唯一の安定収入が途絶えるし、おまけに友人が、富良野の転出するのは、2001年1月11日に決定しており、期限は刻々と迫ってきていました。再建計画を変更するのには時間は、あまりにもありませんでした。おまけに料理の練習も、家の引き継ぎも、引っ越しも、何もかもできてなく、準備は何一つできていません。
そんな時に、日本ユースホステル協会から電話が入りました。
「施設をみせてほしい」
とのことでした。
「ああ、どうしよう? 何一つ準備はできてない」
私の進退は、ここにきわまりました。
こういう場合、一番大切なことは、優先順位を見つけることです。再建計画を変更するのも、料理の練習も、家の引き継ぎも、引っ越しも、集客のための営業も全て後回しにして、日本ユースホステル協会の認可をとるべく、施設のリホームを行うことにしました。
まず最初に手をつけたのが、外回りです。
外装のリホームです。
施設というものは、見た目が一番大切ですから、それを大胆に修繕することからはじめました。と言っても金はありませんから、全て自分の手で行いました。脚立・スライダーなどの足場と、塗装器具・ペンキなどを買ってきて、1週間がかりで、外装工事を行いました。さいわい、高所作業(とび職)の仕事をした経験があったので、外装工事はなんとかなりました。
次に内装工事です。これは、それほど傷んでなかったので、ワックスを塗ったり、掃除や小さな工事でなんとかなりました。窓ガラスもサッシもピカピカにしました。で、日本ユースホステル協会の視察の方を待ったんですが、やってきたのが日本ユースホステル協会の小俣さんと、群馬県ユースホステル協会の河野さんでした。
で、3日後、日本ユースホステル協会から電話がありました。
「北軽井沢ブルーベリーYGHのユースホステル契約が決まりました」
嬉しかったですねえ。
本当に嬉しかった。
しかし、難問も待ち構えていました。日本ユースホステル協会から
「できるだけペンション客を入れないように」
という条件がついていたからです。
「えええええええええええええ? ペンション客を入れずして、どうやって集客しろというのか?」
これは、契約解除となった北軽井沢ウインデーベルユースホステルが、ホステラー(つまりユースホステル会員)とペンション客の間にトラブルがおこったことが原因らしい。しかし、北軽井沢ブルーベリーの再建計画は、ペンション客の集客を中心に組み立ててあります。いまさらペンション客を入れるなと言われても、代わりにホステラーがくるわけではありません。
事実、北軽井沢ブルーベリーYGHが、ユースホステルとしてオープンしても、しばらくの間、ホステラーは来てはくれませんでした。最初の3ヶ月間は、ペンションしかいなかったのです。ですから、ユースホステルに認可されたからと言って、ユースホステルの会員が泊まりに来てくれたわけではなかったのです。逆に全く泊まりに来てくれなかった。不思議なくらい、誰も来なかった。
ユースホステル開業する前に聞かされていたことは、「ユースホステルをオープンすると、そのオープンを狙って会員が、ドットおしかける」という事でしたが、北軽井沢ブルーベリーYGHが、オープンした開所記念に泊まった御客様は、たった4名で、うち会員は、たったの2名でした。つまり半分がペンション客。そして、その後、2週間ちかく御客様はいませんでしたね。
しかし、幸か不幸か、その2週間の間に、料理の練習や、雪道で自動車を走らせる練習ができたし、冬の観光地の調査もできました。ホームページの検索エンジン登録作業や、建物のリホームも同時進行で行えました。ただ、全く、御客様が来ないのには参ってしまった。
「このままでは、干上がってしまう」
私は決心しました。
最後の手段を使うことを!
つづく
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