2010年09月15日

真田氏館(御屋敷公園)

真田氏館(御屋敷公園)

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 天文十(1541)年、武田信虎(信玄の父親)、諏訪頼重、村上義清は連合して海野平に侵攻し、海野氏を攻めました。そして敗れた海野氏と真田幸隆は、嬬恋村の羽尾幸全を頼りました。そして真田幸隆は、武田信虎を追い出して甲斐国主となった武田晴信(信玄)に仕官します。

 真田幸隆は、武田家の家臣となるわけですが、
 その武田軍団も村上義清に全く敵わなかった。
 負けまくった。
 村上義清は、ものすごく強かった。
 武田軍は、ボロ負けしてしまった。

 そこに現れるのが真田幸隆です。武田軍が全く歯が立たなかった戸石城を、なんと独力で城を乗っ取り、村上義清を真田の地から追い出したのです。といっても戦って勝ったのではありません。謀略で追い出したのです。おそらく山伏のネットワークを使ったと思われます。別の言葉で言えば、忍者を使ったわけですね。

 真田氏館はこの頃から、幸隆が没する天正二(1574)年までの間に、平素の居館として構築されたと推定されます。あえて小さい平城にしたのは、山伏や忍者の出入りが簡単になるためかもしれません。真田一族は、武力よりも情報を重視していましたから。

 ちなみに、この時代の山伏は、医者でもあります。
 いろんな所に出入りできる身分であることも、
 情報を得やすい立場でもありました。

 幸隆の死後は信綱が跡を嗣ぎましたが、天正三(1575)年、長篠・設楽ヶ原の合戦で信綱・昌輝兄弟は織田信長・徳川家康連合軍に破れ、幸隆の三男(真田昌幸)が真田家を相続しました。天正十(1582)年三月に武田氏が滅亡し、昌幸は織田(滝川一益)、北条氏政、上杉景勝、徳川家康と四回主人を代えました。


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 天正十一(1583)年に真田昌幸が上田城を築城開始し、天正十三(1585)年に移りました。真田氏館は廃されましたが、現在敷地に建つ皇大神宮は、昌幸が居を移すにあたり、旧館敷地の荒廃を防ぐために勧進したものだと伝えられます。しかし、これは表向きでしょう。本当は・・・・・?


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posted by マネージャー at 18:21| Comment(4) | 真田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真田氏歴史館

真田氏歴史館

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 真田氏歴史館は、真田氏館跡にあります。真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の居館といわれ、地元では「御屋敷」と呼んで親しまれています。中世豪族の居館の形態が、ほぼ完全な形で保存されており、真田氏一族の貴重な遺跡として昭和42年(1967)に長野券史跡の指定を受けていますが、ツツジの名所として知られています。

 と、書くと、歴史好きの方ならピンとくると思います。武田信玄の館も「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」と言うんです。で、真田氏館とそっくりなんです。もちろん両方とも平城。簡単に落とされそうな城なのですが、その館を囲むように四方に山城がある。

 と、書くと本能寺で織田信長が不意打ちに殺されたように、真田氏も、大丈夫だったのか?と思いたくなりますが、おそらく大丈夫だったのでしょう。というのも真田氏は、山伏の大親分であった可能性が高いからです。四方に山伏の情報ネットワークがあり、敵が攻めてきたらすぐに法螺貝などで知らせることができた。また、あちこちに狼煙台があって情報伝達を行っていました。嬬恋村にも、桟敷山に狼煙台があったそうです。これによって敵が攻めてきたらすぐに山城に移動して、機動防御を行いました。

 機動防御とは、敵を出血させながら巧みに撤退しつつ
 敵が疲れてきたときに反撃する方法です。
 真田軍団は、いつもこの手で勝っています。

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真田氏歴史館

 武田二十四将として活躍した真田幸隆をはじめとする真田一族の歴史を古文書や武具等の豊富な資料で紹介しています。館内の展示は、年代に沿って配置されており、観覧していくうちに真田氏の活躍の様子をわかりやすく理解することができます。

http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20091103000001128.html
http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20090914111737918.html

【開館時間】 9:00〜16:00
【休館日】 火曜日
【料金】 一般200円(160円)・小中高100円(80円)
※カッコ内は25名以上の団体料金
【問合せ先】 TEL:0268-72-4344

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ラベル:真田氏歴史館
posted by マネージャー at 17:59| Comment(0) | 真田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十割手打そば処「福田」

十割手打そば処「福田」
: 0268-72-4422
E-mail : soba_fukuda@yahoo.co.jp  
URL : http://soba-fukuda.com/
営業時間午前11時〜午後7時 定休日毎週金曜日
〒386-2201 長野県上田市真田町長4197-1


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ここは、つなぎをつかわず そば粉と水だけで打った十割そばの店です。

いわゆる蕎麦通は、8割蕎麦が美味しいと言います。
ラーメンのようにこしがあるからです。
しかし、私は十割が好きなので、
蕎麦通たちとは、口論が絶えません。
ま、好みの問題でしょうね。
子供の頃から十割を食べてきた人間にとっては、十割がいいし、
二八を食べてきた人間にとっては、八割がいい。


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ところで、信州蕎麦ですが、
圧倒的に八割蕎麦が多い。
十割は皆無にちかい。
その中で、こういう店があるのは珍しいですね。

ちなみに北軽井沢ブルーベリーYGHでも蕎麦を出すことがあります。
乾麺のものを出す場合もあるし、
国産蕎麦粉をつかった生麺をだすこともある。
で、前者が十割で、後者が八割です。
美味しいのは、生麺の方ですが、
国産十割の生麺は高くて手が出せない。
で、蕎麦打ちセットを買ってきたのですが、
御客様に出せるようになるまでは、あと数年の修行が必要なようです。

今は蕎麦がきで手一杯。



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posted by マネージャー at 09:23| Comment(5) | 真田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする