槍ヶ岳を下山しても15時前でした。ここで睡眠をとっても良かったのですが、せっかくなので槍ヶ岳肩の小屋を探検してみました。
これがフロントとロビー。
廊下と部屋入り口。
食堂です。
山小屋としては、かなり豪華な施設です。しかも傘下に槍ヶ岳山荘グループとして6軒の山小屋と同じ経営になっています。
槍沢ロッヂ
南岳小屋
大天井ヒュッテ
岳沢小屋
雷鳥ヒュッテ
槍ヶ岳山荘。
これらは、全てグループなんですね。で、気がついた人もいると思いますが、どの山小屋も施設が充実しているかわりにアットホームとはいえない小屋ばかりです。そして槍ヶ岳肩の小屋の収容人数は650人。北アルプスで2番目に大きい山小屋です。ちなみに1番は白馬岳の白馬山荘の1200人。
この槍ヶ岳肩の小屋ができる前まで、殺生ヒュッテが槍ヶ岳唯一の山小屋でした。猟師が建てた猟師小屋だったため殺生ヒュッテという名の山小屋でしたが、これが唯一の山小屋だったのです。長い間、殺生ヒュッテは、槍ヶ岳登山のベースキャンプ地だったのですね。そこに槍ヶ岳肩の小屋を作ろうと思い立った全くの素人さんが現れて、槍ヶ岳肩の小屋を作ったわけですが、利権争いやら雪崩やらで苦労の連続だったようです。そして、苦労の上に現在の盛況を迎えています。
ちなみに、これが槍ヶ岳肩の小屋の夕食。
味噌汁と御飯が、おかわり自由でした。
おひつに無くなると、あいその良い娘さんが別のをもってきます。
テーブルもゆったりしています。
食事は、北穂高小屋の方が良かったですね。槍ヶ岳肩の小屋は、食事造りを省力化しています。例えば、ブロッコリーが冷凍なのは仕方ないとしても、せめて湯で解凍して欲しかった。自然解凍というのはなあ。逆に嬉しかったのは、デザートが付いていたこと。皿の後の方に丸い物が写っていると思いますが、これはチーズケーキです。
こういう小屋ですから混雑期は、ものすごく押し込められ、3人で布団一枚なんてこともあるそうです。しかし、そんな混雑期の時でも、ちょっと離れた殺生ヒュッテは、ガラガラだと言います。私は、昔、三十人くらいの仲間と殺生ヒュッテでテントを張ったことがありますが、やはり小屋の方は空いていました。槍ヶ岳肩の小屋の混雑が嘘のようでした。近くのヒュッテ大槍は、混んでても殺生ヒュッテは、いつもがらんとしています。
ちなみに殺生ヒュッテは、中房温泉が経営しています。中房温泉は、江戸時代から営業している日本最初の民営山小屋でもあります。そして明治時代に中房温泉が、槍ヶ岳登山の入口になりました。そして、中房温泉が、資金を出して小林喜作に槍までの新道を開かせ、喜作新道を作るのですが、その終点が殺生小屋(殺生ヒュッテ)になったわけです。喜作は殺生小屋の経営も任され殺生ヒュッテは大繁盛します。しかし、現在は、槍ヶ岳肩の小屋との競争に敗れて泊まる御客様も、かなり少ないようです。翌日、私たちは、殺生ヒュッテの前を通過したのですが、そもそも人間の気配が無かった。殺生ヒュッテに泊まらなくてよかった。
食後は、さっさと睡眠。といきたかったけれど、同室の人に話しかけられました。山小屋はユースホステルより、同室どうしの会話がもりあがります。なにせ同じ趣味の集まりですから。相手は、石川県の山岳会の会長らしき人と、その仲間の3人です。で、その時に気がついたのですが
「あれ?」
「あれれれれれれれ?」
肩が、ほんの少しだけ上がるようになっている。
五十肩が、ほんの少しだけ上がるようになっている。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」
まさか?
たった2日で五十肩が改善したのか?
劇的に治っているわけでないけれど、
少しだけ肩が上がるようになっている!
登山は、肩の血流をよくするのか?
ちなみに五十肩になると、睡眠がとれません。
寝返りをうつと、肩の激痛で目が覚めるからです。
だから深夜に2回か3回、死ぬ思いで目が覚める。
つまり睡眠不足になる。
これは、北穂高小屋でもそうでした。
ろくに寝られたものではない。
ところが槍ヶ岳肩の小屋では、肩の激痛で目が覚めることは一度もなかった。
深夜、肩の激痛もなく心地よく目が覚め、外に出てみました。
満天の星空。冬の星座のオンパレード。
天気予報では、下界は岐阜県が雨、長野県が曇りなのに、槍ヶ岳では満天の星空。そのかわりに下界を雲海が遮っている。この満天の星空は、北アルプスの稜線だけが得られる登山者へのプレゼントなのです。
つづく
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