2010年12月30日

インターネットとユースホステル3

インターネットとユースホステル3

 19世紀まではプロパガンダということばがよく使われました。
 いわゆる宣伝のことです。
 (プロパガンダを訳すと『宣伝』になる)

 しかし、過度な宣伝の弊害に気がついた欧米諸国は
 企業の自己修正のため生まれた宣伝方法、
 つまりPR(広報)を発見します。
 このPR(広報)は、一種の革命思想でした。

 PRとは、相手に行動させるための仕組みでなく、
 自分を修正するための宣伝がPRであり
 それによって、相手を感動させるのがPRなのです。

 では、ユースホステル運動におけるPRとは何か?
 日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏は、

「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」

 と言いました。つまり、ユースホステル運動とは、自らの人生をもって青少年の生活を豊かにする。青少年の生活を変えていく。考え方を変えていく。よい環境を作っていく。それがユースホステル運動の目的であると、1970年の10月21日に言い切ったのでした。

 もう一回言います。
 1970年の10月21日に言ったのです。

 2010年に言ったのなら、私は別に驚きはしません。そんなこと「当たり前」だからです。しかし、1970年といえば、宿という入れ物を作り、宣伝広告をうてば黙ってでも御客さんがジャンジャンやってきた高度経済成長期ですから。旅行会社と提携し、観光バスを走らせれば、御客さんは殺到したのが1970年でした。そういう時代に「PRは人生であると考えてもいいです(横山祐吉談)」と言って、

「PR担当者は、常に勉強し、想像力を豊かにしていくことが大切で、詩・文学・絵画・社会観など、あらゆる知識を身につけていなければなりません。その教養によって、はじめて、人の心をつかむ適切なPRができることになるのだと思います」

と語った横山祐吉氏の先見の明には、感服せざるをえません。横山祐吉氏は、ユースホステル関係者に変化を求めていたのですね。そして、その変化は人に言われてやるのではなく自らが勉強して体得せよと言っているのです。





 ここで私の体験を述べます。

 北軽井沢ブルーベリーYGHが、日本ユースホステル協会とユースホステル契約を結びユースホステルになった時、年に1回のマネージャー研修会なるものに強制参加させられることになりました。で、何をするかと言いますと、マネージャーどうしが話し合うのです。まあ、それは良いとして、マネージャーどうしが話し合って、有意義な意見がいっぱい出たとします。それで終わるんです。貴重な意見は、本部で実行されるわけではない。どこかで反映されるわけでもない。

 つまり何も変わらない。
 言いっぱなしになる。
 まず、これに驚きました。

 新人マネージャーになればなるほど、ここに不満が爆発していました。みゆきのユースホステルのペアレントさんなんかは、その急先鋒だったと思います。他の新人マネージャーさんたちも、似たり寄ったりでしたし、私も同じく不満でした。で、先輩マネージャーらに
「前からこうなんですか?」
と聞きました。すると
「私が知る限り二十年前からですが、創設以来の伝統でしょう」
と聞いてガックリきたことがあります。

 ところが、創設以来どころか、もっと大昔からそうであったことを知って驚きました。大正時代からの伝統だったのです。日本青年団の伝統でした。横山祐吉氏は、日本青年団の事務局長であり、田澤義鋪・下村湖人・熊谷辰治郎の弟子だったのです。そして、日本青年団を創設した田澤義鋪は、トップダウンを嫌い、下から変えていくことを推奨する人だった。





 しかも田澤義鋪は、本人は自覚してないでしょうが、世界で初めてPRを発明して実践した人でした。自分を修正するための宣伝を発明し実行したのです。具体的に何をしたかと言いますと、青年たちと一緒に暮らして講習会を行い、自分を変え青年たちを変えていった。そして青年たちの団体をつくり大きくしていった。つまり身体をはったPR活動をして、青年団を拡大していったのです。もちろん本人は無自覚でしょうが。

 それを横山祐吉氏は、よく知っていました。だから

「ユースホステルは若人の生活の場です。
 この生活に密着したPR活動でないと効果が上がらない、
 若人の人生観と離れてPRはありません」

 と講演したのです。
 そして

「PRは人生であると考えてもいいです」

 と断言したのですね。

 つまり、上から組織を変えていっては駄目だというのが日本青年団から日本ユースホステル協会に受け継がれていった精神だったわけです。田澤義鋪の系統の思想とは、個人個人が自主的に改革していく。自助の精神で生きていく。そして下から上を支えていく。決してトップダウンではない。むしろトップは御神輿でいいとさえ思っている。そういう日本青年団の精神が、日本ユースホステル協会の屋台骨になっていった。少なくとも横山祐吉氏は、そのつもりでいた。ところが横山祐吉氏は、それを下の者に分かりやすく説明せずに死んでしまった。もしかしたら、わざと説明しなかったのかもしれない。とにかく、下の者に何も言わなかった。

 でも、たまにボカして言うこともあった。
 ユースホステル新聞の内報版に書いてあったりした。
 その一つが
「PRは人生であると考えてもいいです」
という言葉だったりします。

 ここから先は、私たちユースホステルマネージャーが考えるべきことですが、私たちユースホステルはベットを売ることだけを考えては駄目だということです。それでは、ペンションやホテルと何ら変わることがない。これではユースホステルのPRはうまくいかない。

 高度経済成長時代の1970年。
 当時のユースホステルは、若人の生活の場でした。
 当時の学生たちは、田舎から上京して淋しかった。
 情報が少なくて、どっちを見て良いかわからなかった。
 だからサークルに入ったり旅に出たりした。

 旅に出ると、そこには情報があり仲間がいた。
 多くの人生があり、未来があり、過去があった。
 旅は、一種のインターネットでした。

 これは幕末の頃から変わってなかった。維新の志士たちは、全員旅人でしたが、旅というインターネットによって情報を入手していたからこそ、明治維新で主導権を握れたわけです。彼らにとっては、旅は人生でもありました。もちろん明治維新後も旅を続けました。維新の元勲たちは、維新を成功させた後も、日本を留守にして全世界に旅立ちました。いわゆる遣欧使節団です。こういう政府は、世界に一つしかありません。革命後、首脳部全員が旅に出かけるなんて聞いたことがありません。





 しかし、時代が変わって2010年12月30日。
 インターネットの普及によって
 世界は劇的にかわりつつあります。

 良くも悪くもユースホステルが、インターネットであった時代は終わり、逆にユースホステル関係者がインターネットを使って情報発信していく時代になりました。もし、横山祐吉氏が、この時代をみたら何と言ったでしょうか? きっと、こう言ったに違いありません。

「インターネットで自らの人生を語れ」
「インターネットで若者と語りかけなさい」


と。





つづく。

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posted by マネージャー at 22:49| Comment(5) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする