2011年01月15日

村上山スノーシューハイキング

村上山スノーシューハイキング
今回のメンバーは少数精鋭?

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積雪は、こんな感じ。

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素晴らしい天気。

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これが頂上!

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俯瞰風景も抜群でした。

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お食事です。

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あの山に登ってきましたよ。

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つづく

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posted by マネージャー at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿沢−村上山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日の北軽井沢ブルーベリーYGHの庭

今日の北軽井沢ブルーベリーYGHの庭

アカゲラ
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シジュウカラ
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ヒヨドリ
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夏は昆虫が主食で、冬は果実や種子が中心。枝に留まってついばんだり、空中で採餌します。果実も好物です。花蜜を好み、サクラやウメ、ツバキの花期には、花冠の中に嘴を差し込み、密をなめます。サクラの花を大量に落としてしまう原因となる鳥です。雛にはトンボ、ガ、甲虫など昆虫の成虫を与え、後期には果実を与えます。

 日本では北海道では夏鳥、本州以南では留鳥です。秋と春に大量の個体が群れで渡り、移動群は本州以南の各地でよく見られます。 低地や低山帯の樹林にすみます。庭木の多い人家周辺、樹木の多い公園などでも繁殖します。果樹のある庭などをよく訪れたり、果樹園にもやってきて損害を与えます。餌台にも多く集まります。

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つづく

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posted by マネージャー at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然−野鳥 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

ユースホステルは甦るのか?5

ユースホステルは甦るのか?5





 リヒャルト・シルマンによって第一次大戦後、一夜にしてドイツ中に大量の格安の宿ができあがると世界中の旅人は、ドイツに殺到しました。これに驚いたヨーロッパ諸国は、ドイツに続けとばかりにユースホステル協会を設立し、昭和7年に国際ユースホステル連盟ができあがったのですが、これの音頭をとったのはドイツではなく、オランダユースホステル協会です。

 イギリスでは、クエーカー教徒の重鎮であるキャッチプールがイギリスユースホステル協会を設立し、政治家たちに広く支援を求め、着々とユースホステルの整備を行いました。彼らは自然を愛し自然を熱心に保護しようとするグループの人たちで、ユースホステルも宿屋というより、日本の山小屋(それも避難小屋)に近いものでしたが、多くの支援者に支えられて整備されていきました。

 ポーランドも国策としてユースホステル運動にとりくみました。国策にするくらいなので、ポーランド政府は、リヒャルト・シルマンの理念を熟知しており、ユースホステル運動の素晴らしさをよく理解していました。国際ユースホステル連盟には、ポーランド教育省体育学校衛生局長と運輸省観光局代表が参加しています。

 オランダは、ドイツのワンダーフォーゲル運動のような団体が、リヒャルト・シルマンの思想をくみとって、世界でも最も質実剛健なユースホステルが作られていきました。多くのボランティアによってユースホステルは、支えられており、規則は厳しく、食事はペアレントと共にお祈りをしてから食べました。ドイツ以外で、一番早くユースホステル運動が定着したのが、このオランダ協会です。オランダが、国際ユースホステル連盟設立の呼びかけ人になったのも、当然のことでした。

 このように、ユースホステル運動は世界中に広まっていきましたが、国によってユースホステル利用の規則が緩やかな国と、厳しい国がありました。規則の厳しい国の代表がオランダでしたが、厳しい国は、たいていワンダーフォーゲル運動が盛んな国でした。なぜそうであったのかは、この文を最後までわかるでしょう。

 このような状況下で日本政府も動き出しました。文部省が調査を行い、民間人もユースホステルを紹介しました。しかし、残念ながら彼らは、ユースホステル運動とワンダーフォーゲル運動をゴッチャにしていました。

 ただし、リヒャルト・シルマンとドイツユースホステル運動の歴史は正しく理解していたようで、これを詳しく紹介しています。当時のドイツユースホステル協会の実態をかなり詳しく調査して、会費から会員証から規則について、実態を調査しています。そしてユースホステルを『青年宿泊所』として紹介しています。にも関わらず、当時の文部省では、ユースホステルよりもワンダーフォーゲルを積極的に取り入れようとしました。

 当時の文部省は、ドイツには二千以上のユースホステルがあり、それが、どのようにして一夜にできあがったか? そして、その事実が、どういう意味をもち、どのように世界史を変える力をもっていたか、全く理解できなかったようです。


 ここで脱線しますが、ドイツには二千以上のユースホステルができることによって、
 どのように世界史が変わったのか、
 少しばかり実例を紹介してみましょう。

 一夜にして二千以上のユースホステルがドイツにできあがって、世界中の旅人がドイツに殺到したことは前にも述べましたが、それらの旅人の中には、アメリカ人も少なからずいました。彼らアメリカ人は、ドイツのユースホステルで、ドイツ人の旅人の親切に出会い感動して帰る人が多かったのです。そういう旅人の多くが、第二次大戦のさなかにドイツ人に対する憎しみに満ちた偏見がでるのを防止してくれました。そして彼らは、第二次大戦後、悪いのはナチスであってドイツ人ではないと動いたからです。

 しかし、こういう動きは、第一次大戦の時には決しておこらなかった。第一次大戦の時にドイツを助けたのは、心ある日本人たちです。明治時代のお雇い外国人にドイツ人が多かったために、その弟子たちである日本人の多くは、民間レベルで第一次大戦後のドイツを積極的に救援しました。星新一のお父さんなんかが、その体表的な例です。そういう意味で民間交流は、とても大切なのです。





 逆にいうと戦前の日本に日本ユースホステル協会があり、全国に二千のユースホステルがあったとしたら、第二次大戦中にアメリカの日系人が収容所に入れられることはなかったかもしれません。というのも、アメリカユースホステル協会は、何度も日本にホステラーを送り込む計画をたてていたからです。で、実際、十名の大学生を昭和11年7月17日のシアトルからの船で日本に派遣しています。ちなみに彼らの小遣いは60ドル。日本円にして210円。当時の大工の日当が2円でした。コロッケ三銭、国鉄五銭、銭湯七銭でした。ユースホステルを使った貧乏旅行に来たとはいえ、アメリカ人学生の懐は、当時の日本人がうらやむほど裕福でした。

 ただ、残念ながら当時の日本には、一軒のユースホステルもありませんでした。仕方なく賀川豊彦が世話をしてYMCAが彼らの宿泊を引き受けたわけですが、もし、この時、ヒトラーユーゲントを大歓迎したようにアメリカのホステラーを大歓迎し、そのうえ日本にユースホステル網が充実していたら、日本史は違った歴史になっていたかもしれません。というのも、西部地区のアメリカ人にとっては、ヨーロッパ旅行より日本旅行の方が近くて便利で格安だったからです。彼らが大量に日本にやってきて、ユースホステルで日本人の若者とふれあっていたら間違いなく日米史は変わったものになっていたでしょう。たとえ戦争を防げなかったとしても、歴史は変わっていたでしょう。

 現に多くの知日アメリカ人が、アメリカ軍による過酷な占領政策を変えさせています。その代表的な例がYMCAの名誉主事であったラッセル・ダーギン氏です。彼は日本で三十年間、キリスト教で布教活動をつづけた人で日本語がペラペラなひとでしたから、占領軍の偏見に満ちた占領政策を次々とひっくりかえしてくれました。幸か不幸か、戦前の日本には信教の自由があり、多くのキリスト教団体が日本で活動していましたから、戦争に負けても彼らが日本の味方をしてくれたのです。ちなみに、このラッセル・ダーギン氏は、日本ユースホステル協会を創設した横山祐吉氏の師匠筋にあたる人です。ラッセル・ダーギン氏ぬきには日本ユースホステル運動史は語れませんので、この名前は覚えておくとよいと思います。





 だいぶ話しがはずれました。
 話しを元に戻します。

 ドイツには二千以上のユースホステルができる。これは世界に凄い衝撃を与えました。世界は、これに倣おうとした。日本も倣おうとした。しかし、日本では、ユースホステルの建設よりも、ワンダーフォーゲル運動を進めるほうにベクトルが向いていったのです。

 ワンダーフォーゲル運動は、最盛期であっても五万人をこえることはなかったと言います。ドイツユースホステル運動は、最盛期から落ちぶれたとはいえ現在でも二百万の会員を誇っています。つまりワンダーフォーゲル運動は、ドイツの伝統的エリートである教養市民層の子供たちでした。けれど、この小さな運動は、すごいインパクトをもっていました。

 彼らは、12歳から19歳のメンバーで構成されており、そこには大人がいませんでした。少年が少年を指導していたのです。しかも、酒もタバコも博奕もない。教師が見張っているわけでもないのに誰も悪事に手をそめない。それどころか誰もが進んで模範的な人間であろうとする。

 これはドイツにかぎらず世界中どこでも一緒ですが、教師たちは長い間、生徒たちが非行にはしらないように見張って、時に注意してきましたが、少しも成果をあげなかった。だから生徒への監視を強めることになって、教師と生徒の関係がギクシャクしていた。これは洋の東西を問わず、時代を問わず、いつどこでも起こりうる普遍的な現象ですが、ワンダーフォーゲル運動においては、全くそういうことはない。少年が少年を指導することによって、全く健全な子供たちの世界ができあがる。子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、子供たちは、実に道徳的になる。





 この事実に世界は驚愕しました。

 そして、この事実に日本の文部省が飛びつきました。
 というのも日本にも似た事例があったからです。
 それは日本青年団の田澤義鋪の青年合宿であり、
 協調会の労働講習会であり、
 修養団の天幕講習会でした。

 また民間でも、のちに日本ユースホステル協会初代会長になる平凡社を創設した下中弥三郎氏が、児童の村小学校を開設し、子供たちが自分の好きなように勉強させるという生活させており、そこから数々の著名人を誕生させていました。

 しかし、当時の文部省は、子供たちがワンダーフォーゲルという自己管理の活動をさせると、どうして彼らは道徳的になるのか? 今ひとつ分かってなかったのかもしれません。もし分かっていたら、すぐに日本にユースホステルを量産していただろうし、そのユースホステルの管理方法も、現在とは変わった形になっていたと思うからです。これは、戦後に発足した日本ユースホステル協会にしても一緒です。


子供たちがワンダーフォーゲルという
自己管理の活動をさせると、
どうして彼らは道徳的になるのか?
 

つづく

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posted by マネージャー at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

ユースホステルは甦るのか?4

ユースホステルは甦るのか?4

 ワンダーフォーゲル運動とは、ドイツのエリートの子どもたち近代に対する反発運動なのです。大金持ちの子どもたちが、わざと鉄道に乗ることを拒否して、徒歩で旅行する運動なのです。貴族が聞くクラッシック音楽を拒否して、ドイツの民謡を収集しながら旅する運動なのです。わざと貧しい身なりをし、わざと野宿をする。それがワンダーフォーゲル運動なのです。しかも、そこには大人が存在しない。これがポイントです。大人が子どもを指導するのではなく、子どもたちが子どもたちを律したのがワンダーフォーゲル運動なのですね。

 これに対して、リヒャルト・シルマンがはじめたユースホステル運動は、国民運動であり、旅行なんて考えもしなかった貧しい子どもたちを教室から連れ出して、旅をしながら授業を行うという教育のスタイルでした。一種の移動教室がユースホステル運動のはじまりです。さらに分かりやすいイメージを述べるならば、ミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージック』のイメージこそが、初期のユースホステル運動の姿でした。

 子どもたちを山野に連れて行くことが、
 ユースホステル運動の始まりだったのです。





 けれど、これで終われば、ユースホステル運動は世界規模の運動にはなりえなかったでしょう。でも、ある事件をきっかけに、ユースホステル運動は世界史を変えるほどの巨大な運動になるのです。それは、たった2つの事です。それだけで歴史が回転しだします。たったの2つのことで。

 一つは、子供たちを泊める宿を大量に作ったこと。
 もう一つは、それを一般の人々に解放したこと。

 これだけです。
 これだけの事で、ドイツユースホステル運動は、世界史を変えてしまったのです。

 では、どうやって子供たちを泊める宿を大量に作ったのか?
 予算は?
 人員は?
 いったい、どうやって?

 リヒャルト・シルマンは、これらの難問をいとも簡単に解決してしまいました。全国の小学校をユースホステルにしてしまったのです。小学校の放課後、ユースホステルに使ったのです。人手は、小学校の管理人に御願いし、費用は宿泊費でまかないました。これだと建設費は、1円もかかりません。おどろくべき発想です。この驚くべき発想を、一番下っ端教師が、言論活動だけで達成してしまった。どうやらドイツには、第一次大戦前から言論によって世界を変える土壌があったようです。

(私もリヒャルト・シルマンの真似をして言論を使っています)





 しかし、これだけでは、ユースホステルが世界史を変えるまでの運動にはなりませんでした。リヒャルト・シルマンは、もう一つ、驚くべき決断を行います。ワンダーフォーゲル運動の団体にユースホステルの使用許可をみとめ、逆にワンダーフォーゲル運動の団体の宿も、バーターでユースホステルとしての使用をさせてもらいました。これによって、ユースホステルには、小学生以外のあらゆる年齢層の人々が使うようになったのです。これが世界史を変えるきっかけとなりました。

 では、どのように世界史が変わったのか?
 ちょっと具体的に述べてみましょう。

 昔、つまり明治時代の頃の話しですが、旅行は、とても贅沢なことでした。ホテルはとても高価な宿泊施設で、お金もちでないと、泊まれませんでした。仮に、お金があったとしても、ホテルの数は限られており、田舎では泊まる宿さえもない。だから野宿したり、馬小屋で寝たりしました。明治時代は、どこの国でも同じようなものでした。当時、世界の富を独占していた、イギリス・フランス・イタリア・アメリカにしても、それは変わりませんでした。

 ところが、ある時、リヒャルト・シルマンというドイツの小学校教師の思いつきによって、一夜にして、ドイツ中に、安くて安全に泊まれる宿が、ドイツ全土にできあがったのです。その宿は、小学生でさえ安全に泊まれて、どんな貧乏人も支払える価格の宿泊費しかとらない。しかも、それがドイツ全土に、どんな田舎町にもあるのです。

 世界中の旅人は、ドイツに殺到しました。

 それはそうです。イギリス人が、一週間イギリス旅行するお金で、1ヶ月もドイツ旅行できるのです。イギリス人は、イギリス旅行なんかせずに、ドイツ旅行するに決まっています。おまけにドイツ人ほど旅人に親切な国民はないですから、みんな喜んでドイツに殺到します。これはイギリスにかぎったことではありません。

 現代日本だって一緒です。海外旅行が、国内旅行より安くて安全だったら、誰も国内旅行なんかしません。みんな海外に行ってしまいます。つまり、そういう状況が、リヒャルト・シルマンによって、一夜にしてドイツにできあがったのです。世界は驚愕し、どの国もドイツに倣えと思うのも無理はありません。

 こうして国際ユースホステル連盟は、できあがったのですが、実は、これを作ったのはリヒャルト・シルマンではありません。オランダユースホステル協会のメイリンク氏が音頭をとって、昭和7年に結成されたのです。つまり、ドイツに倣おうとして世界各国が自国にユースホステル運動を輸入し、ドイツをまきこんで国際ユースホステル連盟を作ったのです。

 もちろん日本も指をくわえて見ていません。さっそく文部省が調査を行い、後に続こうとしており、翌年の昭和8年に文部省体育課が、日本にユースホステル運動をとりいれようとします。しかし、残念なことに、体育課内に組織を作ったために、発展しなかったのです。もし、この時に公益特殊法人をつくっていれば、日本史は変わったものになっていたでしょう。

 最近は、政治家たちによる行政仕分けのショーによって、公益法人叩きがはやりになっていますが、公益法人性悪説には気をつけた方がよいと思います。悪いのは天下りであって、公益法人は絶対悪ではあません。むしろ行政機関が全ての仕事をやろうとする方が、その後に悪い影響を残すことがあります。事業が政治や予算に左右されるからです。戦前のユースホステル運動は、まさに、その悪い影響のために潰されてしまったようなものです。

 しかし、ドイツユースホステル協会は、最初から公益法人として活動しましたから、政治や予算に関係なく大発展していきました。金がないなら無いなりに、魔法の杖を使って、アッという間にドイツ全土にユースホステルを作ってしまった。

 では、日本の文部省は、それらをどう認識していたのでしょうか?
 どうやって日本にドイツのユースホステル運動を取り入れようとしたのでしょうか?
 そして、その結果、何がおきたのでしょうか?
 そして、それが戦後の日本ユースホステル運動の立ち上げに、
 どういう影響をもたらしたのでしょうか?

 それが分かってないと、
 日本のユースホステル運動の再建のためのヒントは見つかりません。
 そのヒントとは・・・・?





つづく

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posted by マネージャー at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

昔の女優はこんなに綺麗だった

昔の女優はこんなに綺麗だった



登場順に
1.秋吉久美子さん
2.麻丘めぐみさん
3.浅丘ルリ子さん
4.朝加真由美さん
5.浅田美代子さん
6.浅野温子さん
7.浅野真弓さん
8.浅野ゆう子さん
9.芦川いづみさん
10.芦川よしみさん
11.渥美マリさん
12.あべ静江さん
13.五十嵐淳子さん
14.生田悦子さん
15.池上季実子さん
16.石井めぐみさん
17.市毛良枝さん
18.江波杏子さん
19.遠藤真理子さん
20.扇千景さん
21.太田裕美さん
22.大谷直子さん
23.大原麗子さん
24.岡江久美子さん
25.岡田奈々さん
26.加賀まりこさん
27.梶芽衣子さん
28.片平なぎささん
29.桂木文さん
30.叶和貴子さん
31.香山美子さん
32.可愛かずみさん
33.菊容子さん
34.岸恵子さん
35.北原三枝さん
36.木之内みどりさん
37.久我美子さん
38.栗田ひろみさん
39.栗原景子さん
40.河内桃子さん
41.古手川祐子さん
42.紺野美沙子さん



すごいですね。
みんな若い。

で、扇千景さん・浅岡ルリ子さん・石井めぐみさん・加賀まりこさんが、
こんなに美女だったっけ?
と画像検索したら、 やはり美女だった。



浅岡ルリ子
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加賀まりこ
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石井めぐみ
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わ、若い!



これも若い!




女優だけ紹介しては不公平なので、昭和時代の若き男優陣の画像を紹介しましょう。
昭和らしい動画といえば、クレージーキャッツですよね。
まずは、ゴマスリ音頭。
植木等が若いです!



みて分かるかと思いますが、
クレージーキャッツの映画は全てミュージカルなんです。




さて、ここで日本映画で一番面白い映画を紹介しましょう!
二枚目男優陣が、ズラリと登場した最高傑作です。

私のお勧めナンバーワンは、
独立愚連隊、西へ!
戦争物ですが、中身は、推理とお笑いとアクション。
人も、あまり死ななくて、とにかく楽しい娯楽大作です。
コンバットなんかより面白かった。
おそらく世界一愉快な戦争映画。




次のおすすめは
けんかえれじい
です。高橋英樹主演のアクション映画。
というか学園ドラマ。
というかお笑い映画。
で、中身はというと、ブルースリーやジャッキー・チェンの映画に似ています。
いや、こっちの方が、古い映画なので、こっちが元祖かな?
とにかく面白い。
ストーリーはベストキッドにも似ている。
いや、こっちが元祖だな。

ちなみに、宮崎駿氏は、この映画に影響をうけているのか、カリオストロや長靴をはいた猫なんかに、そっくりなカット割りがあったりします。よーするに多くのアニメが、この映画の手法を継承しています。逆にいうと、出るのが早すぎた映画化も知れません。斬新すぎて昭和時代には、あまり評価されなかった。でも、この映画には熱烈なファンがいます。オールナイトなんかでは、御客さんの反応がすごくいい。館内、爆笑につぐ爆笑でした。




最後に『赤ひげ』
主人公の三船俊郎が魅力的。
すごくカッコいい!
こんな男になりたい!
そういう主人公が『赤ヒゲ先生』です。
長い映画ですが、最後まで我慢してみれば、
平成生まれのあなたも、きっと赤ヒゲ先生を好きになれます。
人間の魅力が、これでもか!と描かれている。


つづく

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posted by マネージャー at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

ユースホステルは甦るのか?3

ユースホステルは甦るのか?3

 日本にユースホステル運動を紹介したのは、イギリスユースホステル協会の創設者、キャッチプールです。彼は、キリスト教のクエーカー教徒の重鎮でした。クエーカー教徒は、信者の数こそは少ないですが、英国議員の大多数がクエーカー教徒だったりしましたから、政治的には強い力をもっていました。彼らは、平和・男女同権・民族の平等・質素な生活・誠実などをモットーとし、多くの人々の尊敬もうけていました。その彼らが、世界3大聖人の一人、賀川豊彦にユースホステル運動を紹介したのが、日本における最初のユースホステル運動のはじまりです。

 しかし、この運動は実りませんでした。どういうわけか賀川豊彦は、ユースホステル運動を組織化しなかったからです。事務局を置くとか、ユースホステルを設置するということをしなかったのです。そのために日本最初のユースホステル運動は、かけ声だけで終わってしまった。

 これは、森林浴の発展と似ています。森林浴という概念が日本で発明され、かれこれ三十年もたっていますが、森林浴運動なるものは、どこにも存在していません。事務局もなければ、組織もなく、森林浴のための森もない。しかし、森林浴という言葉は、観光業者や教育関係者に使われてはいる。使われているけれど、爆発的に発展したわけでなく、それが社会現象になったわけでもない。産業として日本に定着したわけでもない。かけ声だけで終わってしまった。もし、森林浴で世の中を変えるとしたら、理念と戦略と組織が必要です。で、科学的・医学的・教育学的な実証も必要でしょう。そして世間にアピールしなければならない。しかし、それがなされてないために、森林浴運動は、かけ声だけで終わってしまった。賀川豊彦がはじめたユースホステル運動が、まさにそのように終わってしまったのです。

 しかし、その数年後に、文部省の体育科が、ユースホステル運動に目をつけました。そして昭和8年4月に正式に組織をたちあげ、日本におけるユースホステル運動をスタートさせたのです。文部省がたちあげたのですから組織力には問題ない。事務局も文部省の体育科内にあるし、予算も付いている。しかし、残念ながら、この運動もアッという間に滅びてしまいます。国家が行う政策というものは、その時の政治状況の変化でアッという間に潰されてしまうからです。

 もし、この時、文部省が『日本青年館』のような、ユースホステル運動の公益特殊法人を作っていれば、この運動は途中で潰れることなく大きく発展したであろうと思いますが、残念ながらそうはいかなかった。戦前のユースホステル運動には、田澤義鋪・下村湖人のようなカリスマ的存在はいなかったし、リヒャルト・シルマンやウィルヘルム・ミュンカーといった創業の人もいなかった。日本にそういう人がでるまで、あと二十年は待たなければならなかった。

 それに親方日の丸の行う運動は、どうしても予算の裏付けがないと大きくならない。これが民間の運動であれば、予算ゼロでも大きくなりうる。借金したり、無償の行為で大きくなり得る。国家は金(予算)で動くが、民間は熱意(理念)で動くからです。そのためには、どうしても田澤義鋪や、リヒャルト・シルマンのようなカリスマ的な存在が必要になってくる。しかし、当時の日本には、そのような人材がいなかった。

 あと、当時の文部省は、致命的な誤りをおかしていました。ユースホステル運動と、ワンダーフォーゲル運動をごっちゃにしていたのです。ユースホステル運動とワンダーフォーゲル運動は全く違う運動であったのに、それらを一緒にして日本に紹介してしまった。

 これは私も、リヒャルト・シルマン伝を書くまでは両者の違いが分からなかった。ユースホステル運動もワンダーフォーゲル運動も同じだと思っていました。しかし、まるで違う運動であったのです。ワンダーフォーゲル運動は、ドイツのエリートたちの運動であったのですが、ユースホステル運動は民衆運動であった。それが分かってなかった。そのためにワンダーフォーゲル運動を江戸時代のお伊勢参りと同列にとらえてしまった。こういう間違いをおかしてしまった。ドイツユースホステル運動を丹念に調査し、ワンダーフォーゲル運動も充分に調査した形跡があるのに、両者をごっちゃにしてしまった。

 ワンダーフォーゲル運動は、幕末の志士たちの旅に近い。
 ユースホステル運動は、おかげ詣り(お伊勢参り)に近い。

 両者は、全く違う運動なのです。
 しかし、両者をごっちゃにしてしまった。

 そのために、当時の文部省は、ユースホステル運動よりも、ワンダーフォーゲル運動に力をいれてしまった。で、大学にワンダーフォーゲル部が続々とできてしまった。そして当時の大学生たちは、ワンダーフォーゲル運動のことがよく分からずに、山岳会の一種であるぐらいに思ってしまい、山岳部に似たようなサークルを作ってしまった。そのためにユースホステル運動は、最後まで戦前の日本に普及しなかった。そのかわりに山岳部のようなサークル(ワンダーフォーゲル部)が次々と生まれてしまった。





 でもまあ、これは仕方ないのかもしれません。ユースホステル運動の創設者であるリヒャルト・シルマンでさえも、ワンダーフォーゲル運動とユースホステル運動の違いをよく理解してなかったのですから。

 ワンダーフォーゲル運動とは、ドイツのエリートの子どもたち近代に対する反発運動なのです。大金持ちの子どもたちが、わざと鉄道に乗ることを拒否して、徒歩で旅行する運動なのです。貴族が聞くクラッシック音楽を拒否して、ドイツの民謡を収集しながら旅する運動なのです。わざと貧しい身なりをし、わざと野宿をする。それがワンダーフォーゲル運動なのです。しかも、そこには大人が存在しない。これがポイントです。大人が子どもを指導するのではなく、子どもたちが子どもたちを律したのがワンダーフォーゲル運動なのですね。

 東京都の知事が、子どもを守るためと称してアニメの規制をはじめましたが、ワンダーフォーゲル運動的に考えると『おかしい』ということになります。ワンダーフォーゲル運動的な考えでは逆です。「子どもたちを守るのは子どもたち自身である」というのがワンダーフォーゲル運動的ですから、アニメを規制するなら、その委員会に子どもの代表がいないとおかしいのです。

 これに対して、リヒャルト・シルマンがはじめたユースホステル運動は、国民運動であり、旅行なんて考えもしなかった貧しい子どもたちを教室から連れ出して、旅をしながら授業を行うという教育のスタイルでした。一種の移動教室がユースホステル運動のはじまりです。さらに分かりやすいイメージを述べるならば、ミュージカル映画の『サウンド・オブ・ミュージック』こそがユースホステル運動の始まりでした。








つづく

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posted by マネージャー at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

ユースホステルは甦るのか?2

「いっそ、会員証を廃止したら」
という人もでてくる。
しかし、こういう事を言ってくるマネージャーの多くは、ユースホステルしか経営してない人なんです。

 ユースホステルから会員証を廃止したら、
 そのへんのペンションや国民宿舎と変わりなくなります。

 全国にペンションが何件あると思っているのでしょうか?
 各県に平均100軒のペンションがあるなら、4700軒のペンションがあることになる。

 言っときますが、北軽井沢と嬬恋村には、100軒以上のペンションがあります。たった2つの町村で、それだけのペンションが存在していますから群馬県全体ではもっとあるでしょう。だから全国に4700軒という数字はありえません。どう少なく見積もっても1万軒以下という数字にはならないと思います。もちろんペンションの少ない県もあるでしょうが、北海道や長野県なんかは、1つの県で千や二千のペンションがあると思われますから、全国のペンションを集めれば1万軒以上はあるはずです。と、同時に民宿だって、それ以上の数はあるはずです。

 問題は、これらの宿泊施設が、ユースホステルと同じように、ふれあい重視のシステムをもち、一人旅を歓迎し、体験プログラムを用意していることです。ユースホステル以上にユースホステルらしい施設を用意している宿があるということです。

 仮に民宿とペンションが全国に2万軒あったとします。それに観光ホテルや旅館を加えて3万件の宿泊施設があったとします。そのうちの1パーセントが、ふれあい重視のシステムをもち、一人旅を歓迎し、体験プログラムを用意しているとしたら、そういう施設は全国に300軒あることになる。2パーセントなら600軒。3パーセントなら900軒になります。それに対して全国のユースホステルが、たったの270軒。しかも、その中でふれあい重視のシステムをもち、一人旅を歓迎し、体験プログラムを用意しているユースホステルらしいユースホステルというと、100軒もないかもしれない。

 現に、嬬恋村には、ユースホステルのように体験プログラムを用意している宿が数軒あります。大きいところでは、鹿沢休暇村・グリーンプラザホテル・チドリーホテル・高峰温泉ホテル。ペンションも何軒かやっています。例えばペンショングリーンフィールドなど。キャンプ場ならスイートグラスといったところが、わが北軽井沢ブルーベリーYGHより豊富な体験プログラムを用意しています。こういった体験プログラムは、もうユースホステルの独壇場ではなくなっています。

 また農家民宿やゲストハウスといった、これまたユースホステルに類似した宿も台頭してきています。北軽井沢ブルーベリーYGHには、毎年、何人かの若い女の子が、ヘルパー(ボランティア)に来てくれますが、彼女らは北軽井沢ブルーベリーYGH(ユースゲストハウス)をゲストハウスと間違えて来る人たちでした。

「どうしてヘルパーしようと思ったの?」
「京都のゲストハウスに泊まったら楽しかったから」
「うちは、ユースゲストハウスというユースホステルなんだけれど」
「ゲストハウスじゃ無かったんですね」
「そうなんだよ。ユースホステルとゲストハウスは、全く別物なんだ」
「びっくりしました」
「で、ゲストハウスは楽しかった?」
「すごく楽しかったです。ドミトリーですが、みんなと仲良くなれて楽しかった。ユースホステルでは、そういうことは無いんですね」
「いや、そういうわけではないんだけれど、昔はね、ユースホステルもゲストハウスと同じでドミトリーだったんだよ。で、みんな、すぐに仲良しになったものさ」
「そうなんですか? 信じられません」
「・・・・・」

 どうやら、いつの間にかゲストハウスは、ユースホステルよりも「ふれあい」の宿になっているらしい。しかも一人旅の若い御客様でいっぱいで、誰もがドミトリーを嫌がらないらしい。というかドミトリーでないと駄目といっている女の子も多い。完全に昔の古き良きユースホステルの特色を盗まれている。逆にユースホステルは、どんどんペンションに近づきつつあり、特色が失われつつある。

 じゃあ、ユースホステルは滅びるしかないのか?
 と言うと、ちょっと違うと言いたい。
 ユースホステルには、どの宿泊施設にも
『絶対に真似できない特色』
 があるからです。

 それは『理念』です。
 そして、その理念を守るために『会員証』があると。

 私は最近、こう思うようになってきました。ユースホステルの入会費用は、寄付金にあたるものではないかと。これは日本ユースホステル運動史を調べてみると、どうしても、そこに辿り着くのです。御存じのとおり日本のユースホステル運動は、昭和26年に発足したことになっています。しかし、それ以前の過去に2回、日本ユースホステル運動があったのは案外知られていません。

 最初は、大正時代です。世界3大聖人の一人、賀川豊彦が中心となってスタートしています。しかし、これはすぐ尻すぼみとなってしまいました。次に昭和初期に文部省が主体となってユースホステル運動をスタートしています。しかし、これも尻すぼみとなって消えてしまいました。どうして消えてしまったのか? それは.....。

つづく

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posted by マネージャー at 23:51| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

烏帽子岳スノーシューハイキングツアー報告

烏帽子岳スノーシューハイキングツアー報告
今回のメンバー。
このメンバーでプロ向きのコースにチャレンジ。

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さて、何の足跡でしょう?

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つづく

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posted by マネージャー at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿沢−烏帽子岳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬たちの愛すべき日常 猫ラーメン2

盲導犬は一生の間に何度も主人が変わり、
生涯のほとんどを人間のために厳しい訓練を受けて働く。
この犬は11年間ずっとこの家に帰りたかったのか?
と思うと.....泣けます。



朝食を食べる犬



料理ショー



子猫を育てる犬



子犬に子守歌を聴かせたらどうなるか



子猫と犬 かまってよ〜♪



赤ちゃんのしつけをする犬



ジャパネット犬




ジャパネット犬、社長だせ〜!!



ジャパネット社長からCOCOちゃんへのプレゼント



ものまねには騙されないCOCOちゃん



おとぼけCOCOちゃん




猫ラーメン 第06話



猫ラーメン 第07話



猫ラーメン 第08話



猫ラーメン 第09話




猫ラーメン 第10話




猫ラーメン 第11話



猫ラーメン 第12話



猫ラーメン 第13話



つづく

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posted by マネージャー at 09:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

ユースホステルは甦るのか?1

 ユースホステルのマネージャーは、まめに統計をとります。日本ユースホステル協会の本部に報告するためです。で、2010年の統計をとってみて、ある事実に愕然としました。2010年に北軽井沢ブルーベリーYGHで、入会手続きを行った人が、たったの33人でした。

 この数字は、最盛期の十分の一とは言いませんが、激減したことは確かです。
 北軽井沢ブルーベリーYGHがオープンした年は、
 三日で30人ちかく入会したこともありました。
 それが十年後には、年間に33人しか入会しなくなったのです。

 不可解です。

 と言っても、こうなった原因は、ある程度、推測できます。会員が激減したのは、ある時期からです。会員証がキャッシュカード化され、非会員の利用料金が1000円から600円に値下げされてからです。その時から入会希望者は激減したのです。これは、ユースホステル業界の致命的な失策の一つであったかもしれません。

 御客さんの中には、キャッシュカードを作るなら入会しないという人が大勢いました。あと、非会員の利用料金が1000円から600円になったために、ユースホステルに5泊以上しないと元が取れないので入会しないという御客さんも大勢いました。うちの御客さんで入会しなくなった人は、圧倒的に、この理由が多かったものです。普通に考えて、ユースホステルに年間5泊する人は少ないです。私だって去年は、ユースホステルに3泊しかしてない。つまり元がとれてないのです。しかし、ユースホステル運動を支援する立場として、たとえ1泊もしなくても会員になり会費を払っています。

 じゃ、どうして、このような失策が実行されたのか? 日本ユースホステル協会の責任か?というと、そうではないのですね。日本ユースホステル協会に責任があるわけではない。日本ユースホステル協会は、選出された理事と評議員の議決によって運営されているからです。つまり、われわれの代表が日本ユースホステル協会を作っている。

 で、会員証がキャッシュカード化も、非会員の利用料金が1000円から600円に値下げも、民営ユースホステルから出された提案だったりします。少なくとも当時のトップであった理事長の独断で決められたことではありません。われわれ民営ユースホステルのトップが、総会の選挙によって選出されたトップが提案して、それが実行されて、このような結果になったにすぎません。なんのことはない、自分たち自ら蒔いた種なのです。

 この事実は、逆に考えると、個々のユースホステルの努力次第によっては、逆転のチャンスもありうるということです。北軽井沢ブルーベリーYGHで、年間33人しか入会しなかった原因をつきとめ、これを10倍の330人に増やすための作戦を私たちマネージャーは考えなければならない。5年前までは、

「3泊以上するなら入会した方がお得ですよ」

と言って入会してもらいましたが、非会員の利用料金が1000円から600円に値下げしてからは

「5泊以上するなら入会した方がお得ですよ」

と言わなければならなくなった。となると、年間5泊する人は珍しいから入会する人はいなくなる。となると別のセールストークが必要になってきます。しかし、会員になると得することなんか、あまりないんですね。損得で考えると会員証に魅力が薄くなって来つつある。で、民営ユースホステルのマネージャーの一部から

「いっそ、会員証を廃止したら」

という人もでてくる。しかし、こういう事を言ってくるマネージャーの多くは、ユースホステルしか経営してない人です。ユースホステルから会員証を廃止したら、そのへんのペンションや国民宿舎と変わりなくなる。そのへんを分かっているのかどうか? ホステラーは、会員証があるからホステラー。会員証が無くなったらホステラーと言われる人種は確実に滅びます。

 これには根拠があります。

 実は、ユースホステル運動は、戦前にもあり、文部省の後押しである程度広まったにもかかわらず、会員制度をとらなかったために滅びてしまった実態があったからです。このことは、日本ユースホステル協会の発行する年史には書いてありません。つまり関係者は誰も知りません。

つづく

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posted by マネージャー at 23:29| Comment(4) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

大福引き大会

大福引き大会です。
ユースホステルが企画したのではありません。
一人の御客様が企画したのです。
もちろん景品も御客様のもちこみです。
北軽井沢ブルーベリーYGHも、少しばかり景品をだしました。
が、大半の景品は御客様がもってきたものです。

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その御客様は、コツコツとハガキを書いて景品をゲットし、
それを北軽井沢ブルーベリーYGHにもってきて、
福引き大会にしたみたいです。

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つづく

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ラベル:大福引き大会
posted by マネージャー at 20:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

猫たちの驚くべき日常 猫ラーメン

二本足で立ち上がる猫



車に轢かれた仲間を懸命にマッサージするネコ



子犬たちの子守をする猫



(鉄棒)逆上がりするネコ



インコとネコの愛



必殺!炎を消す猫



マッサージするネコ



猫ラーメン 第01話


猫ラーメン 第02話


猫ラーメン 第03話


猫ラーメン 第04話



猫ラーメン 第05話





つづく

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posted by マネージャー at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小浅間山スノーシューツアー報告

小浅間山スノーシューツアー報告
この山は、樹がないためにソリで滑るのに最適な山です。


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つづく

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posted by マネージャー at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

2011年1月3日 湯の丸山スノーシューツアー報告

2011年1月3日 湯の丸山スノーシューツアー報告

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つづく

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posted by マネージャー at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿沢−湯の丸山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

村上山スノーシュー報告

遅れましたが村上山スノーシュー報告です。
年末の12月31日のツアーです。

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つづく。

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posted by マネージャー at 08:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 鹿沢−村上山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

世間では、おせち詐欺の話しが賑わってますが

世間では、おせち詐欺の話しが賑わってますが、
北軽井沢ブルーベリーYGHの正月メニューを紹介してみました。

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ブリ大根・黒豆・松前漬

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焼豚・鳥肉・三種類のテリーヌ

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お重のセット。中身は、いろいろ。

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これに、御飯とカレーがつきました。
なぜカレーかと言いますと、
この動画をみてください。



で、カレーもつけています。
でも、うっかり写真を撮るのを忘れてしまった.....orz

以上のメニューにデザートがついて、1300円+消費税。
意外に好評なために毎年正月は、すぐに満室になります。

つづく

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posted by マネージャー at 01:04| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年 初日の出

今年も素晴らしい初日の出でした。

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つづく

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posted by マネージャー at 00:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年初詣

2011年初詣 今年も三大宗教初詣

神道

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仏教

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キリスト教

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え?
節操がないって?
そんなことないですよ。
日本を愛する日本人です。
日本は八百万神々の國ですから。

つづく

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ラベル:2011年初詣
posted by マネージャー at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

小浅間山スノーシュー2011年1月1日

小浅間山スノーシュー2011年1月1日

2011年最初の小浅間スノーシューでした。
今回のメンバー。

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林道を抜けると

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小浅間山です。
絶景ですね。

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これは頂上。

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軽井沢プリンススキー場も見えます。

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頂上で記念撮影。

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さて、大ソリ大会です。

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つづく

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posted by マネージャー at 08:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小浅間山スノーシュー2010年12月末

小浅間山スノーシュー

2010年最後のスノーシューつあーでした。
小浅間山に登りました。
仲良し兄弟3人組です。

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今回のメンバーです。
女の子が凄い体力の持ち主。
でも、おかあさんに・・・・・。
おにいちゃんは優しくて素敵な人。
とっても仲良しの兄弟で眩しいですね。
お母さんいわく、兄弟が多いと子育てが楽になったそうです。
そうですねえ。みんな仲良しだからねえ。
私には、理想の親子にみえましたね。
大草原の小さな家を思い出しました。

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雪が少なくてソリができなくて残念。

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つづく

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posted by マネージャー at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 中軽−小浅間山・千ヶ滝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

謹賀新年

みなさん、
明けまして
おめでとうございます。

今年も、宜しく御願い致します。



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つづく。

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ラベル:謹賀新年
posted by マネージャー at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする