2011年02月28日

松山ユースホステル

初めて松山ユースホステルに泊まったときは、
「ここはホテルか?」
と思ったものです。

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ここのユースホステルの特色は、大きいことです。
建物が大きいために、空間にゆとりがあり、
何でも揃ってしまうことですね。

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例えば、ビールの自販機があって、たいていのビールが買える上に、土産物もたいてい買えたりする。本もマンガも談話室もあって、会議室まである。たいていのものが揃っている。無いのは風呂くらいですが、かわりにシャワーがある。しかし、シャワーなんて使わない御客さんばかり。というのも、道後温泉がすぐそばにあるから。

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しかし、この宿の特色は、そういうところではなくて、
「怪しい」
ところです。

まず宿主が怪しい。
と言ってもマネージャーのことではないですよ。
マネージャーは、優しいお母さん(おばあちゃん)で、少しも怪しくないのですが、
みずからを「大統領」と称しているこの人が怪しい。



顔も怪しいですが、やってること自体がうさんくさい。
なにせ超能力開発講座なんてものをやっているくらいですから。
あと部屋が素晴らしい。
このユースホステルが、星が二つというのが解せません。
4つ星あってもいいくらいです。
一般的に言って、四国のユースホステルの星は厳しいのです。

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ところで、松山ユースホステルの自慢は料理です。
これがいけています。

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 松山市という大観光地で、しかも道後温泉まで徒歩数分という最高の立地でありながら、安い価格で泊まれる設備の良いユースホステルです。このユースホステルのマネージャーは、平野日出子さんという大先輩ですが、そのマネージャーの他に「大統領」とよばれる方がいて、超能力講座といった怪しいイベントをひらいています。


ホームページ
http://www.jyh.or.jp/yhguide/shikoku/matuyama/index.html
http://www.matsuyama-yh.com/
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/17786/17786.html
http://spa.e-kuchikomi.info/detail/clinic_385.html
http://www.jalan.net/jalan/jweb/yado/YADS_362290.HTML

ブログ
http://kazahaya358.i-yoblog.com/c3352.html

詳細地図
http://www.jyh.or.jp/yhguide/shikoku/matuyama/map_g.html
http://map.rakuten.jp/spot/36005


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〒790−858 愛媛県松山市道後姫塚乙22−3
tel:89−933−6366
fax:89−933−6378

収容数 47人
宿泊費 2625円
朝食525円
夕食1050円
会員外は600円増しで泊まれます。

 他にも楽しい「仕掛け」をしています。また地球環境に優しい運営も心掛けています。特に水と空気の良さを極めています。そして、リラックスできる宿舎をめざしています。有名な道後温泉まであり、徒歩6分。近代俳人の「正岡子規」の記念館も徒歩5分のところにあります。スプーン曲げなどの潜在能力開発講座が人気です。特殊機材を用いてオーラ撮影を行い、個人個人の個性の発掘もしています。

 日曜〜木曜まで、客室に余裕のあるときはシングル対応・グループ個室対応できるとのこと。予約時にご相談ください。また、ペットと一緒にご宿泊できますので、ペット連れのお客様は必ずご予約時にご相談ください。

詳しくは、下記のサイトでお問い合せください。

http://www.matsuyama-yh.com/

詳細地図
http://www.jyh.or.jp/yhguide/shikoku/matuyama/map_g.html
つづく


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2011年02月27日

満天山スノーシューファミリーハイク

北軽井沢の天気は、いつも良い方にはずれます。
天気予報では雨でも、晴れになるケースが多い。

御客さんにとっては、このほうが良いかもしれませんね。
天気が悪いと思ってきてみたら快晴だったほうが嬉しいですからね。
今回が、そんなパターンでした。

でも、宿屋としては都合が悪いです。天気予報で悪く言われると予約にひびきますから。
もっとも、リピーターさんは、このヘンの事情をよく知っていて、天気予報に影響されずにきてくれるからありがたいですね。


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今回は、ファミリーの参加者だったので、満天山スノーシューファミリーハイクにしました。


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驚くべき事に、お母さんは、ガイドの土井君と同じ中学校の、
同じクラブ(吹奏楽部)の一級上の先輩でした。
これには土井君もびっくり。

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あれ?
何だろう?

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春蝉でした。

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ちびっこが一番早い!

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御両親をパチリ
微笑ましい一コマ

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下山は尻セード

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そしてソリの出番です。

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この山は安全にソリが出来ます。

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つづく

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2011年02月25日

なぜ北軽井沢ブルーベリーYGHでは、朝食にパンを出さないか?

このさい、なぜ北軽井沢ブルーベリーYGHでは、朝食にパンを出さないか?
それを書いておこうかと思います。
一言で言うと
「まわりに美味しいパン屋がありすぎるから」
です。


でも、オープン当初は、パンを出していたんです。
理由は簡単。
その方が、作るのが楽だからです。
簡単だからです。

しかし、オープンして少し余裕ができて、まわりの観光地を調査しだしたら真っ青になった。
軽井沢はパン屋の聖地だったんですね。





パンといえば軽井沢。
軽井沢といえばパン。


そのくらい軽井沢とパンは切っても切れない関係だった。
で、食べてみたら美味しかったのはもちろんのことですがパンにも色々あることがわかった。
パンは奥深いのです。

あと、これが致命的な理由なのですが、
大手メーカーの安いパンには、ショートニングが入っている。
ショートニングは、低カロリーなうえに、パンを柔らかくする。
コンビニで売っているパンの大半は、柔らかくて食べやすいですね。
あれは、ショートニングのせいなんです。
これが、すごく健康に悪い。
毒とまでは言わないけれど、身体に悪い。
あと、マーガリンも入っている。
これも毒とまでは言わないけれど、身体に悪い。


で、軽井沢の御当地パンなんですが、バターの入っているパンが多い。
必然的に値段は高くて高カロリー。
そうでなければ、天然酵母を使った低カロリーのパン。
こっちは固くて食べにくい。
パンにもいろいろあるんです。
好みがあるんです。





焼き方もそう。
スペイン煉瓦で焼いたパンと、ガスオーブンで焼いたパンは味が全く違う。
ましてや家庭用パン焼き機なんて、使いたくはない。
焼いた直後は美味しいけれど、時間がたつと駄目になる。

天然酵母の差によっても味が違う。
葡萄酵母を使えばブドウの味がする。
どの酵母が好きで、どの酵母が嫌いかなんて、そういう御客さんの趣味まで分かるわけがない。

これを全て揃えるのは不可能だし、コストも高くつく。
パンにこだわっている人ならいいけれど、
一般人なら、
「値段の高くない普通のパンを出せよ」
というでしょう。

しかし、マーガリンとショートニングを使った普通のパンは健康に悪い。
全部、御客さんが食べてくれるならいいけれど、
残ったパンは、捨てるか私が食べることになるんです。
だから北軽井沢ブルーベリーYGHでは、朝食にパンを出すのをやめて、御飯にしたんです。

パンにこだわる御客さんは、軽井沢の専門店に行ってくださいよと!
そのほうが、中途半端なものを食べさせられるよりいいですよと。
ただし、うちは、米にこだわっていますから。
米だけは最高の物を用意してますから。





つづく

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posted by マネージャー at 13:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 業界裏話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森の宿 うわじまユースホステル

森の宿 うわじまユースホステル

http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/

 実は、このユースホステル、大昔に泊まったことはあるんだが、記憶にない。泊まっているはずなんだが全く記憶にない。私は、歴史大好き人間だったので、ユースホステルの記憶より、藤原純友の乱の跡地である日振島(ひぶりじま)と宇和島城の記憶しかありません。それも30年前の話しです。だから宇和島ユースホステルを語る資格は何もないのですが、森の宿 うわじまユースホステルのマネージャーはよく知っている。だから、宇和島ユースホステルは、ちょっとお薦めしたユースホステルなんです。

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 何年か前に「とっておきユースホステル」という雑紙が発行され、多くの口コミの手紙が関係者に公開されたのですが、なかなか手厳しい指摘がありました。もちろん北軽井沢ブルーベリーYGHのクレームもたくさんありました。どんなクレームだったかと言いますと、食事の悪さを書かれたものでした。当時、北軽井沢ブルーベリーYGHは、食事が美味しいという評判をいっぱいもらっていたので、
「なぜ?」
と手紙を何度も繰り返して読んで分析しました。そして分かったことは、北軽井沢ブルーベリーYGHというネーミングに問題があった。洋風のイメージなのに和食であったことと。つまりブルーベリージャムを食べさせてくれると思っていたら、味噌汁に御飯だった。そのうえに朝食に残飯を使ったチャーハンを出されてしまったというお怒りの手紙だったんですね。

 もちろん、これは不幸な誤解でした。北軽井沢ブルーベリーYGHに泊まったことのある人なら分かることですが、うちは朝食に3種類の御飯をだしています。具体的に言うと白い御飯の他に、五穀米の御飯・舞茸御飯・鮭御飯・筍御飯・ひじき御飯・赤飯・チャーハン・パイエリアといったぐあいです。どれでも選べるようにしてあるのですが、朝食に遅くでてくるとチャーハンだけしか残らなくなるケースがでてくる。
 そういう不幸があった。
 で、さっそく改善しました。まず残飯だと誤解されかねないチャーハンを廃止してしまった。まあ、これはリピーターさんからクレームを頂きましたが、これだけは我慢してもらった。残飯を朝食に出す宿という評判だけは勘弁してもらいたいので。

 あと、夕食の時に、朝食は3種類の御飯の早い者勝ちですと、アナウンスするようにし、炊き込み御飯より、白い御飯を多めに炊くようにした。これもリピーターさんからクレームを頂きましたが、我慢してもらった。白い御飯なら一般の御客さんらクレームがつきにくくなるから。

 あと、ヨーグルトに自家製ジャムをつけることにしました。北軽井沢ブルーベリーYGHというネーミングから期待されるものを1品だけでも出すようにしました。こうやって、不幸な出会いがおきないように改革をすすめて今日に至ります。「あと、なぜ北軽井沢ブルーベリーYGHでは、パンを出さないのか?」というクレームに対しても「軽井沢はパンの聖地なので、そっちは本場の職人さんに任せてます」とホームページで説明するようにしました。
 
 話しが大きく脱線しましたが、私が何が言いたいかと言いますと、この手厳しい「とっておきユースホステル」という雑紙の口コミで、唯一絶賛されまくったユースホステルがあったんですね。それが宇和島ユースホステルでした。

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 こういっちゃ何ですが、当時、人気ユースホステルといわれるユースホステルの大半が、手厳しく叩かれていた中で、唯一絶賛されまくっていたわけですから、これは凄いことだと思います。正直言って、施設は決して新しいわけではないし、古いタイプの旧直営ユースホステルを賃貸して工夫してやっていますから、新しいペンションタイプのユースホステルに比べれば、大きなハンデになっているはずです。しかし、そういう中で、御客さんの心をつかんでいるというのは、凄いことだと脱帽したことがあります。
 
 その宇和島ユースホステルのマネージャーである浅田さんは、一度会うと、その朗らかな性格に、御客さんは誰でもメロメロになってしまいます。そのうえこのマネージャーは、ちょっとユニークな人でして、宇和島の観光活性化のために、じゃこてんの歌なるものを作って、CDまで発売してしまいました。実は、私も買っていたりします。
 
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 ゆかいな絵ですけれど、
 浅田さんファミリーの姿そのものです。




 じゃこてん音頭もあったりします。





では、じゃこてんとは何なのかと言いますと、これを見てください。




 何か美味しそうですね。
 まあ、それはともかく、宇和島ユースホステルの施設もちょっと紹介してみましょう。
 写真は、宇和島ユースホステルの公式サイトからいただきました。
 http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/
 http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/waraeruyado.htm





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〒798-0045愛媛県宇和島市大超寺奥丙166-11(愛宕公園)
TEL:0895-22-7177
FAX:0895-22-7176
http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/

収容数 38人
宿泊費
(会員) 2900円
(個室料金設定あり)
(ペット同伴室)4200円(宿泊代・ペット代含む)
食事 朝食600円 夕食提供なし
(夕食:団体の場合は応相談)
会員外宿泊費は600円増し。

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JR宇和島駅より2Km。市街地を見下ろす標高80mの高台「愛宕公園(あたごこうえん)」に隣接する、自然に恵まれたYH。伊達藩の城下町宇和島のタウンウォッチ、豊富な郷土料理の食べ歩きをはじめ、足摺岬や四万十川方面への中継点としても御利用ください。自転車、バイク、お遍路さん、家族さんのほか、30名までの団体利用も可能です。オフ期のみペット同伴室1室あり。カーナビは遊歩道を示すので、郵便局を目安に。

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交通: JR予土線宇和島駅または宇和島バスセンターより徒歩30〜40分。約2Km。タクシーで約10分(900円位)。
カーナビでは「宇和島愛宕町郵便局」を目安に、同局より1400mでYHへ。

施設: 鉄筋(’94年増改築)。
休館: 毎週日曜日(トップシーズンは開館)
他臨時休館有
チェックイン受付:16時半〜21時
チェックアウト受付:6時〜9時半


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つづく

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posted by マネージャー at 02:16| Comment(4) | TrackBack(0) | ユースホステル紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

初めてユースホステルのブロック長会議にでて驚いた件

初めてユースホステルのブロック長会議にでて驚いた件


1.会員数が4万人になってしまった。

北軽井沢ブルーベリーYGHがオープンした時は、14万人。
あれから10年目。
毎年、1万人づつ減ってきているから、
14年後にゼロになると冗談で言ってたのが、
冗談では無くなってきた。
真剣に対応策を練らないと!




2.本部のあるビルが売却されて家主がかわっていた?

でも、本部は、そのままいられることになって良かった!
めでたし、めでたし!




3.明るい話題を一つ

飯田橋の旧東京国際ホステルが撤退することにより、
日本ユースホステル協会が後釜になることができ、
東京セントラルYHとしてオープンすることになったこと。
158ベットあるYHなので、もう満室で断られることはないかと。

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ちなみに4月と5月は、まだガラガラです。
経営母体が変わったためで、周知が徹底してないためです。
いまなら格安で泊まれるチャンスです。
宿泊費は3000円(ドミトリー)。
飯田橋駅の駅ビルにある宿なのに、たったの3000円。
東京観光する皆さん、ぜひ御利用ください。

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ここのユースホステルから見える東京の夜景は素晴らしいものがあります。

http://kazeno.info/kanto/tokyo00.htm
http://kazeno.info/kanto/index.html




4.ちょっと気になる話題。

四国ブロックの代表である浅田さんから聞いたところ、
四国では、龍馬と、坂の上の雲がNHKで放送されたらしいですね。
で、坂本龍馬の高知には、たくさんの観光客がやってきたらしいです。
ところが、坂の上の雲の母体になった愛媛県には、さっぱし御客さんが来なかったらしいorz
なんでじゃー!

ちなみに「世界の中心で愛を叫ぶ」の宇和島にも、御客さんは全く来なかったらしい。
なんでじゃー!

宇和島ユースホステルの浅田さん、気をおとさずに頑張ってください。
http://www2.odn.ne.jp/~cfm91130/









つづく

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2011年02月23日

東京に自然が多かった件

はじめてブロック長会議なるものに参加してきました。
正直言って、この手の会議は苦手ですね。
できることなら参加したくない。

しかし、参加して驚いたこともあります。
今まで聞かされたことの無かった新事実に愕然とすることもありました。
関東ブロックの関係者限定ですが、関係者には議事録を送りますので、
希望者がいたら北軽井沢ブルーベリーYGHの佐藤まで連絡をください。

それはともかくとして、夜に飲み過ぎて、
朝5時に目が覚めたのですが、東京は暖かかったですね。
思わず明治神宮のまわりを散歩しちゃいました。

すると東京も案外、緑が多いことに気がつきました。
なにげなく、巨大シャクナゲの街路樹があったり、
巨木も多かったりします。

むしろ浅間高原の方が巨木が少ない。
火山のせいでしょうか?


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あと、野鳥が多いことも驚きました。
なにげに凄い野鳥がおおいですね。
これは猛禽類(天敵)が少ないためか?
餌が多いためか?
とれとも都心には緑が多いためか?
とくに明治神宮は凄いですね。

東京の皆さんも、いちど、身近な自然を見直してみたらどうでしょうか?


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つづく

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posted by マネージャー at 23:38| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

湯ノ丸山スノーシューハイク

湯ノ丸山スノーシューハイク
今回のメンバーです。

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素晴らしい天気
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バックが湯ノ丸山
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タヌキの千鳥足。
タヌキは、4つの足跡を残しますが、まれに足を重ねることがあります。
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これは、タヌキとウサギの交差。
タヌキは、完璧に足を重ねていますね。
前足の跡に後ろ足を置いています。
これは、タヌキにしては珍しい動作です。
キツネなら、必ず、この動作をするのですが。
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冬の石楠花の葉つきがわかります。
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あれが湯ノ丸山。
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これは遭難の碑。
湯ノ丸山でも、何人も死んでいます。
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このへんにくると富士山が見えます。
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頂上!
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北アルプスが美しい!
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頂上は風が強いので、少し降りたところで食事。
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下山は尻セード。
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つづく

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2011年02月21日

関東ブロックYHのサイトをリニューアルしました

関東ブロックYHのサイトをリニューアルしました
http://kazeno.info/kanto/index.html
5年ぶりのリニューアルです。

ここ2日間は、このホームページの制作で徹夜つづきでした。
はあ、疲れた。

でも、できたてなので、間違いも多いかと思います。
間違えがあったら御指摘いただければと思います。






◆関東ブロックYH関係者の皆さんへ◆
 このサイトにへの情報掲載の希望や、間違った情報がありましたら、北軽井沢ブルーベリーYGHの佐藤 まで御連絡ください。
 御連絡いただければ、皆さんの御希望どうりの掲載をいたします。情報量が多くてもけっこうです。
 何ページかに分けて掲載します。御自分でホームページを作る力があれば、それを作っていただけば、そのまま貼り付けます。
 
 また、画像や文章は、関係サイトより借用させていただきました。不都合がありましたら御連絡ください。
 また、御希望があれば、ユースホステル関係のホームページも制作致します。
 無料です!
 文章と画像をメールで送ってください。
 やりかたが分からない人は、電話で北軽井沢ブルーベリーYGHの佐藤 まで御連絡ください。
 メールができなくて、本格的なホームページを作りたい方も、関東ブロックの会議などで御相談ください。ホームページは、写真と文章があればできます。
 デジカメで施設や料理や観光地の写真をたくさんとり、ワープロで書いた文章を用意していただければ、比較的簡単にできます。
 ブログも同様です。メールさえできれば、簡単にブログを作ることができます。
 ノートパソコンを御持参いただければ、その場でブログの作り方をお教え致します。
 記事をメールでアップするだけでできます。もちろん携帯メールでもブログを簡単に作れます。


つづく

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2011年02月18日

ユースホステルは甦るのか?27

ユースホステルは甦るのか?27

 歴史を調べるとユースホステル業界の発展は、青少年たちの口コミと支部協会の活発な活動、それに無数のグループ活動によるところが大きいことは、連載で何度も何度も言いました。これらを一言で言うと、日本におけるユースホステル運動の発展は、若い人たちの支えと、全国各地の志し有る人たちの行動によって築かれたものです。日本ユースホステル協会は、そのパワーをうまくリードしたにすぎません。下からのパワーによって大きくなった組織がユースホステル業界でした。

 実は、これがマンモスやサーベルタイガーの牙です。

 若い人たちは、いずれ歳をとりますし、青少年たちが頑張れば、組織は大きくなります。大きくなってしまえば創業にかかわったという喜びと感動は消えてしまうでしょうし、そうなれば組織は老化しますし、守成に入らなければならない。しかし、その切り替えがうまくいかなかった。


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 今まで発展を支えてきた青少年たちの口コミと支部協会の活発な活動、
 それに無数のグループ活動は、いつのまにか消滅しています。
 しかし、それに変わるモノがない。
 そうなると、脱イデオロギー化をめざして無目的な協会を作ってきた
 横山祐吉氏の意図が全て裏目にでてきます。

 現代の青少年たちに、ユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)が、
 明確に見えてこないからです。
 旅行業者が提供する体験プログラムと差がないように見えてしまう。


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 しかし、両者は根本的に異なるのです。

 旅行業者が提供する体験プログラムは、あくまでも顧客のニーズを満たすものでしかないですが、ユースホステルが提供する体験プログラムは、ユースホステルという青春(ライフスタイル)の一つの形態でしかない。体験プログラムに一つのライフスタイル、つまり生活の場が微妙に加味されたのが、ユースホステルが提供するプログラムですから。

 しかし、これが分かりにくい。
 目的を持たない組織であるために分かりにくい。
 分かりにくいから、ユースホステルの認知が低くなる。


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 昔なら、この分かりにくさを、青年たちや支部協会やグループ活動の地道な口コミ活動で補ってきた。いや、口コミ活動が広報のメインだった。多くの青年たちがサポートしてくれた。それによってユースホステル業界は大きくなれた。しかし、その青少年たちが高齢化して、ユースホステル業界から消えてしまうと、すっかり火が消えてしまったようになってしまった。

 支部協会も、青少年たちの活動も、しだいに消えていった。
 残されたものは、施設とマネージャーだけがのこされていた。

 前にも言いましたが、ユースホステルのマネージャーは、ユースホステルの第一線ではありませんでした。不思議なことに、第一線は、ユースホステルではなく支部協会だった。利用者側であるグループ活動の方だった。宿屋は、あくまでも
『協力者』
の立ち位置にあった。


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 もちろん宿屋みずから第一線に入っていく者もいましたが、宿屋が業界を引っ張ったわけではない。ここがドイツのケースと徹底的に違っている。本家のドイツは、宿屋こそがユースホステル運動だったわけだが、日本の場合は、正反対で、利用者本体がユースホステル運動の主体だった。だからドイツユースホステル協会の会長は、
「日本のユースホステル運動は、ドイツにおけるワンダーフォーゲル運動に似ている」
とまで言った。

 つまり、かっての日本のユースホステル運動は、ドイツにおけるワンダーフォーゲル運動のようなものであったと。逆に言うと、現在の日本ユースホステル運動の衰退は、ユースホステル運動が衰退したというより、いわゆるワンダーフォーゲル運動が衰退したようなものかもしれない。

「つまり利用者側の立ち位置にいた活動が衰退した」

という事なのですね。

(ただ、もともと日本ユースホステル運動は、利用者側の団体だった)
(最初に利用者ありきで、宿はあとからできた)
(だからもともとユースホステルの主役は、利用者側であった)


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 逆に言うと、かっての日本のユースホステル運動は、利用者がリーダーシップを発揮して運動を牽引してきた団体だったとも言える。しかし、そういう時代ではなくなってしまった。利用者は、別の青春(ライフスタイル)に熱中しだしたからです。だからこそ、宿側は、明確にユースホステルというライフスタイルを提案していかなければならないのです。長くなったので、今回は、これまで。次回でこのシリーズの最後とします。

つづく

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posted by マネージャー at 22:17| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

北軽井沢ブルーベリーYGHに光回線が入りました!

北軽井沢ブルーベリーYGHに光回線が入りました!
今日の夕方、NTTさんが工事にきてくれました。
そしてやっと、光通信が繋がりました。
光電話も通じました!

で、ワクワクどきどき、通信速度を測定してみました。
http://speedtest.goo.ne.jp/flash.htm

ADSLの時は、早いときで、3〜5メガ。
回線が混んで遅いときは、0.5メガ。

で、光通信を測定してみたら......なんと37メガ
す、すごい、
7倍から10倍も速くなっている!

ニコニコが早い!
YouTubeが早い!
ホームページのアクセスが早い!
ダウンロードが早い!
アップロードが早い!

か、感動だ!

感慨深いですね。実は、嬬恋村への光通信の導入に冠しては、いろいろ運動してきただけに、感慨深いです。光通信導入に尽力してくれた関係者の皆さんには、本当に感謝します。これで、北軽井沢ブルーベリーYGHも、IT対策は完璧になってきました。


あと、もう一つ朗報があります。
3月にSoftBankのアンテナ工事を行う予定です。
つまり、北軽井沢ブルーベリーYGHの中にSoftBankのミニアンテナを設置する予定なんです。
はたして、こっちは、どうなるか?
いずれ、NTTやAUのミニアンテナも設置できるようになれればなあ。

問題は、地デジ対策です。
こればかりは、どうにもなりません。
電波が届かない。
東芝とパナソニックの液晶テレビを8台買ったのに。
さて、どうしてくれようかな。


あ、そうだ。
そろそろスマートフォン用のホームページを作らなければ。



つづく

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2011年02月16日

的岩までラッセルしてきました

的岩までラッセルしてきました
大雪で大変だったです。

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分かる人には、わかりますね?
こんなに積雪が

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テープの位置と雪の位置。

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これがルート

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このような場所で、途中でテープが無くなりますから
画像のように道は全く分からなくなる。
だから、この山を知らない人は、地形図がないと確実に迷います。
読図ができないと、登れません。

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的岩到着。

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バックに浅間山。

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鳥居峠から往復4時間半。
けっこう時間がかかりましたね。

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このルートは、去年、私が大量のテープを設置したのですが、
何者かが大半を撤去していました。
おそらく夏山しか登らない人が撤去したんだろうなあ。

(気持ちは分かるけれど、スノーシュー人口が増えた今となっては、夏山の感覚だけでテープを撤去するのは、いかがなものかと。冬になると道は見えなくなるし、素人が迷う可能性は大きくなる。もっとも、そういう人は入るなという正論も充分わかってますけれど、もう少しスノーシュー愛好家への親切心があっても良いと思う)


というわけで、どうせ撤去されるなら、再びテープを設置するのはやめようと思っています。

ですから素人が登ると途中でテープがなくなるので遭難します。
変なところに行ってしまいますので、気をつけてください。

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ちなみに今日、道に迷って途中撤退した人に出会いました。
ベテラン登山家のようでしたが、かなり苦戦した模様でしたね。
私がトレースつくった後に登れば、こういうことは無かったのに。

それにしても、ここは携帯が通じないので危ないよなあ。

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つづく

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posted by マネージャー at 23:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 四阿山・バラギ高原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

ユースホステルは甦るのか?26

ユースホステルは甦るのか?26

 毎日旅行社が調査した、面白いデーターがあります。世代によって、旅行好きの世代と、出不精(旅行嫌い)の世代がいます。そして、旅行好きな世代の息子たちは、同じく旅行好きであるという統計結果がでています。具体的に言うと、戦中派と団塊の世代は旅行好き。昭和一桁世代は、出不精(旅行嫌い)の世代です。そして、団塊ジュニア世代と戦中派ジュニア世代は、旅行好き。昭和一桁の親をもつ世代は、出不精(旅行嫌い)だったりする。





 私の親は、昭和一桁ですから出不精(旅行嫌い)の世代にあたりますが、確かにそうかもしれません。逆に、うちの嫁さんは、団塊ジュニア世代であり、旅行好きの世代ということになりますが、これも当たっています。

 スタッフの土井君も、団塊ジュニア世代で旅行好きの世代ですが、彼の御両親も旅行好きです。というか彼の御両親は、若い頃にユースホステルを使って旅をした世代です。だから息子にも自由に旅をさせましたし、ユースホステルも教えました。

 ちなみに土井君の一人旅は、小学校の卒業旅行からです。
 凄いもんです。中学校の時にも卒業旅行に一人旅をしたとか。
 よく親御さんが許したなあと思います。

 それに対して、私の親は絶対に一人旅を許さなかった。それどころか自転車で県道を走るのさえ、なかなか許可してくれなかった。小学校6年生の時には、友だちと、佐渡島の標高わずか千メートルの山に登山をしようと企画したのですが、私の親は許さなかった。土井君の家庭と比べてみると、恐ろしいくらいに過保護だった。

 これは、私の家だけでなく、他の家でも似たようなものだった。というのも、小学生だけの登山を許可しなかったのは、私の家だけでなく、山に行こうとした同級生の親の全員が許可しなかった。つまりどの家も許可しなかった。標高わずか千メートルの山にも許可しなかった。

 もちろん、みんなの親は昭和一桁生まれです。彼らの子供の頃には、大日本青少年団が存在していた時代です。この世代は、少年の一人旅を、なかなか許さない。もちろんユースホステルも知らないし、子供の頃は、
「知らない人と口をきいてはいけない」
と親に言われて育っています。

 もちろん親の言いつけ反抗はしない。
 こっそり親の目を盗むことはあっても反抗はしない。
 昭和一桁生まれの親は、頑固で子供のしつけに厳しいのです。
 こういう親の元で育つと、なかなか一人旅をしようと言う気にはならない。
 だからユースホステルの存在を知らないまま大きくなっていく。

 ところが、私より十歳年下になると、つまり団塊ジュニア世代になると一人旅に出かける人が多い。簡単に親から一人旅の許可をもらっているし、家庭によっては親がユースホステルを紹介して、一人旅をすすめたりする。

 団塊の世代は、さかんにユースホステルで旅をした世代なので、一人旅が「いかに人生に役立つ」かを良く知っている。一人旅の効果をユースホステルの素晴らしさを実に良く知っている。だから息子たちにも、さかんに一人旅をすすめる。


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 どうしてすすめるか?

 体験的にユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)を知っているからです。それが息子や娘たちに大きなプラスを与えるかを体験的に知っているからです。しかし、その知っている世代が壊滅しつつある。滅びつつある。だからユースホステルは、どんどん会員を減らしつつある。これではいけないんですよね。なんとかしなければならない。

 私たちユースホステルのマネージャーや、ユースホステル協会は、それに対する対策をたてないといけないが、実際には、何もしてない。というのも今までは、過去の貯金で食べてきている。過去の貯金。それは、利用者の口コミです。ユースホステルの素晴らしさを宣伝するのは、使っていただいた利用者の口コミに
たよっていた。それにあぐらをかいて自ら宣伝をしてない。ユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)について、明確に示してない。これが一番の問題です。


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 実は、これに気がついたのが、北軽井沢ブルーベリーYGHがオープンして2年目に入る2002年の3月頃でした。とにかくユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)を分かりやすく、みんなに伝えないといけないと思い、私は、体験プログラム(ツアー)の実費以外の無料化を決断しました。

 無料でツアーは行う。
 しかし、条件をつける。
 条件は、たった一つ

「ツアー参加者には、写真を広報で使わせてもらう」

 これだけです。
 
 

 
 
 そして、10年間、無数の無料ツアーを行い、

http://tour.kaze3.cc/calender2.htm
http://tour.kaze3.cc/calender3.htm

 これらのツアーで莫大なデジタル画像をあつめ、
 ユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)を撮り貯めた。

 この計画には多くの友人たち(『風のたより』の仲間たち)が、この戦略に手を貸してくれた。これが、また、ありがたかった。大勢のスタッフが、大勢のヘルパーたちが私たちの作戦にのってくれた。そしてツアーに参加してくれた。

 1回のツアーで二百枚くらい撮影しているので、累計二十万枚くらいの画像がたまっています。日本広しと言えども、これほど自由に使えるツアー画像をもっているのは、北軽井沢ブルーベリーYGHぐらいでしょう。

 ただし、この試みは、必ずしも回りのユースホステルに好意的に見られたわけではありません。しかし、十年にわたって、ユースホステルが提供する青春(ライフスタイル)の資料を集めた意義は大きかった。というのも私は、これらの20万枚の写真を使っていくらでもPR活動をすることができる。



つづく

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posted by マネージャー at 21:42| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年からパルコールスキー場の駐車料金が無料になりました。

あと、今年からパルコールスキー場の駐車料金が無料になりました。
まあ、いまどき駐車料金をとるスキー場が珍しいんですけれどね。

http://www.palcall.co.jp/ski/





今週に使い切れなかったスキーチケットのあまりあります。
湯ノ丸スノーシュー場1枚
鹿沢ハイランド1枚
計2枚です。


つづく

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posted by マネージャー at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月14日

桟敷山スノーシューハイク

桟敷山スノーシューハイク

桟敷山には、前もって何度も私が雪道(トレース)を作っていたのですが、
2月連休の大雪で全部埋まってしまいました。
ですので、桟敷山にツアーが決定したために、
ラッセルしながらのスノーシューハイクになりました。
みんな勇気あるなあ。

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写真を見れば、どれだけ凄いラッセルかわかると思います。
この山は、普通の人は誰もはいりません。
つまり私がトレースをつけないかぎり、こんな雪道なわけで、けっこう地獄です。
トレース無い桟敷山は、トレースのある湯ノ丸山の2倍はきつい山になります。
で、連休中に大雪になったために、すごいことになってしまっていたわけです。

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でも、なぜか、みんな大喜び!
猛者だなあ。

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今回のメンバー

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スノーシューでは、雪が深いと前を歩く人ほどしんどいです。
足におもりを付けて歩くようになります。

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でも、前は景色が美しい。

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頂上の標識も雪に埋まって掘り起こさなければならないほどです。

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掘り起こして記念撮影。

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そしてお食事。

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バックに浅間山。

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下山は、ショートカットの連続。

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ソリは無いけれど、ソリみたいな。
場合によっては、こっちの方が安全で良い!

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つづく

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posted by マネージャー at 22:05| Comment(10) | TrackBack(0) | 鹿沢−桟敷山・小桟敷山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北軽井沢の炎の祭りに行ってきました。

北軽井沢の炎の祭りに行ってきました。

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今回のメンバー。

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伝統あるイベントで、
もともと地元のドンド焼きからはじまっています。
だから観光のためのイベントと言うより、
地元民のお祭りですから神事もおこないます。

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美味しそうな魚をドラム缶のかまどで料理。

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ふるまいもあります。

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さて、いよいよ大詰め。

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イスを用意してカメラをかまえる?

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寒さに焚き火

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日没後。

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地元の子供たちの太鼓の演奏

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フィナーレ

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素晴らしいお祭りでした。

つづく

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posted by マネージャー at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

明日は、バレンタインデー!

まず最初に感謝の言葉!

お泊まりいただいた御客さん、本当にありがとうございました。
謹んで御礼申し上げます。

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実は、12人もの直前キャンセルに青ざめていたんです。
もうボーゼンとしちゃいました。
しかし、ありがたいですね。
ホームページで空室状況を発表したら、
リピーターの皆さんが、ごっそり駆けつけてきてくれ
2日間満員御礼になりました
感謝感激雨あられです。

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ところで明日は、バレンタインデー!ですね。
北軽井沢ブルーベリーYGHでも、うちの家内が、一足はやく御客さんにチョコマカロンを配ってました。2月の連休は、バレンタインデーが近いので家内がチョコを配るのが恒例行事になってますが、最初は、私が家内に「配りなさい」と命じたのがはじまりでした。なぜかと言うと、その昔、昭和の時代に、某ユースホステルでマネージャーの奥さんからチョコをもらって大喜びしたことがあったからです。

最初は、めんどくさがっていた嫁さんも、
今じゃ、3日前からウキウキと作っています。
どうやら手作り菓子を人にプレゼントするのが趣味になってしまったらしい。
(で、私は身内なのでもらっていません。orz)

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ところで私が独身時代には、こんな格言がありました。

「どんな義理でも一個は一個!」

で、バレンタインデーが終わるとチョコの数を自慢しあったものです。

「おれは3個(えっへん!)」
「おれは4個だぜ(えっへん!)」
「おれなんか5個だもんね(えっへん!)」

と空しい数を競い合ったりしました。
すると、リア充の奴がやってきて

「へー、羨ましいな、俺なんか、たったの1個だけだぜ」

これには、数を競っていた奴ら全員が激怒!

「彼女いる奴は、あっちいけ!」



http://www.youtube.com/watch?v=tg5cyLpbNBI

すごい動画ですね。
下はshineチューの動画





追伸・一句紹介
 ツアー後に、とっとと帰る、どこに行く?
(2011年2月13日(月)読み人知らず)


つづく

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満天山スノーシューハイク

大雪だったので、またまた満天山に行ってきました。
2011年2月12日の大雪は、驚異的でした。
だから鹿沢方面の雪はあきらめて、満天山。
そして今回のメンバー、総勢15名。
九州勢が目立ちます。

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ちなみに、こんなことも。

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コースには、ツリーハウスがいっぱい。

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野鳥の痕跡も

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アッという間に頂上です!
この山は、楽に登れる山。

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で、集合写真。

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この山の欠点は、下山にあります。

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みんな良く倒れます。

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あ、倒れている。

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何度も倒れているし!

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そして下山!

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つづく

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posted by マネージャー at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−鼻曲山・満天山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

ユースホステルは甦るのか?25

ユースホステルは甦るのか?25

 いつからユースホステルが衰退したかというと、これはもうハッキリしている。横山祐吉氏が日本ユースホステル協会から退いた昭和47年からです。

 ちなみにユースホステル利用率が爆発的に増加しはじめた昭和30年の大学進学率は13パーセント。ほとんどの人間は、進学せずに勤労していた。そして大学進学率の推移は、昭和45年までの15年間の間に、たったの4パーセントしか上がってない。

 つまり昭和30年から45年の間の青少年たちの大半は、勤労青年だった。
 そういう時代にユースホステルは、爆発的に発展していった。

 しかし、ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルの提供する青春に興味を失ってしまった。彼らは、学校という青春を享受しはじめたからです。そのうえ何を血迷ったか、文部省は、高校生のユースホステル運動を禁止してしまった。ユースホステル界にとって将来の貴重な人材を根こそぎ絶ってしまった。

 でもまだ、この時代には貯金があった。衰えたとは言え、ユースホステルには、まぶしいくらいの魅力が残っていた。そのために日本の青少年たちは、ユースホステルという青春を知っている人と、ユースホステルという青春を全く知らない人に別れていきます。

 この分離が、後日、悲劇を生みます。
 ユースホステルという青春に対して、
 偏見のようなものが、
 じわじわと社会に育っていくからです。

「はあ? 一人旅のどこが面白いの?」

 しかし、こういう偏見が蔓延するとユースホステルという青春にのめり込んでいる人たちは、そうでない人たちに説明しようとしなくなる。自分の趣味の世界に没頭してしまい、一種の世捨て人のようになってしまう。そして今で言う「オタク」扱いをされてしまう。





 良くも悪くも団塊の世代では、全員が高校に進学しなかったし、進学したとしても普通科に行くとは限らず、工業科・商業科・水産科・農業科に行く人の方が多かった。大学に行くのは、ほんの一握りだった。つまり、ある程度価値観の多様化が認められていたし、全員が同一価値観を強制されることはなかった。しかし、昭和47年以降になると受験戦争が激化し、猫も杓子も高校にいくようになってしまう。それも大学進学を前提とした普通高校に集中するようになる。そうなると、普通と違う価値観をもった人間は、とても生きにくくなる。

 学園生活に熱中する人たちは、クラスメイトとのつきあいや、部活動、受験勉強などをとうして「クラスの団結」という言葉を錦の御旗にしだしたし、教師たちもそれを支援しました。友だちは、同じ学年の同じクラスに限られるようになってしまった。

 そういう世界が「あたり前」になってしまうと、ユースホステルの世界が異常にみえてくる。出身地も違うし、年齢も違う。何から何までバラバラでありながら、一期一会の出会いの中で、ほんの一瞬の間に、ものすごく仲良くなってしまう人たち。そのくせ、明日は、バラバラに去っていく。そういう世界が、学園生活に熱中する人たちに異常に見えてくる。

 だから衝撃をうける。
 単一な価値観の中に生きた人ほど衝撃をうける。

 肯定的に衝撃をうけた人は、ユースホステルっていいなあと思い、ますますユースホステルにのめり込んでいく。否定的に衝撃をうけた人は、ユースホステルを使う奴らは、一般社会からはずれていると、ユースホステルから距離を置く。

 良くも悪くも、団塊の世代以前の時代には、そういう衝撃は無かった。しかし、みんなが右えならえで普通高校に進学し、猫も杓子も受験勉強をはじめ、クラスメイトという狭く限定された人づきあいしかしなくなると、ユースホステルに出会ったときの衝撃は大きい。

 そして、衝撃が大きければ大きいほど、反応も大きい。
 反発も大きければ、
 感動も大きくなる。
 で、私は、感動した口であり、
 私の嫁さんも感動した口です。

 しかし反発した人も多かった。
 私の同級生の中には、ユースホステルに対してネガティブに攻撃する人も少なからずいた。
「社会のクズの集まり」
「宗教ぽい」
など、無茶苦茶なことを言ってくる人もいました。
そのくらいに酷い偏見を受けた。
逆に言えば、それだけ彼らは
「受験戦争」
「クラスの団結」
「部活動」
といった画一的な価値観に縛られていたと考えることもできる。





 この時代は、全国民が紅白や水戸黄門を見たし、巨人戦を見た。見ないと話題についていけなかった。マイノリティは肩身が狭かった。だからどの家庭でも無理してテレビを買った。無理して、みんなと一緒でいようとした。そういう時代だからこそ、ユースホステルに出会うと衝撃をうけた。団塊の世代たちより衝撃が大きかった。衝撃が大きい故に、ユースホステルに熱中する人は、どんどんはまり込んでいった。

 インターネットが無かった時代は、ユースホステルがインターネットそのものだった。北海道旅行する時には、津軽海峡を渡ってすぐにある大沼ユースホステルか、函館ユースホステルで、これから帰ろうとする御客さんから口コミ情報をもらって旅だって行った。四国旅行や中国旅行をする時には、京都宇多野ユースホステルに泊まって、そこにある各地のユースホステル口コミ情報をメモして、それをもとに計画をたてた。情報はユースホステルの中にあり、ユースホステル利用者の口コミが一番信頼できる情報だった。

 もっと分かりやすく言えば、昔のユースホステルは、「地球の歩き方」という海外旅行雑紙そのものだった。Google検索そのものだった。Yahoo!の知恵袋そのものだった。列車の時刻表に悩んでいると、どこともなく鉄道マニアの人が現れてきて、ダイヤとよばれる怪しい手帳をとりだして、アッという間に悩みを解決してくれた。どこのユースホステルにも、インターネットの駅ネットみたいな人が御客さんとして泊まっていて旅慣れてない人に親切にアドバイスしていた。城マニアもいたし、歴史マニアもいたし、山マニアも、看板マニアも、郵便局マニアも、路線バスマニアも、スケッチマニアもいた。地域の生き字引のような常連もいた。こんな多様な価値観が許される社会は他には無かった。

 さらにユースホステルは、人種のるつぼだった。いろんな国籍の人たちがいたし、いろんな年代の人たちもいた。しかし、ユースホステルで人種といったら、ちょっとニュアンスが違う。旅行形態の違いをいう。サイクリスト、チャリダー、ヒッチハイカー、とほダー、下駄、番傘、リアカー、乗り鉄、撮り鉄、JRラー、山屋、鳥屋、ライダー、バイカー、原チャリダー、忍者、仮面ライダー、ジプシー、カヌーなど、いろんな人種たちがいたので、いろんな面白い話が聞けた。画一的な学校生活しか体験したことがなかった当時の学生たちには衝撃的すぎて目がクラクラした。

 その結果、ユースホステルに青春の全てを捧げる人たちもでてきた。稼いだ金を全て旅に費やすひともでてきた。テレビもいらない。オシャレもいらない。就職もせずフリーターのまま、ただひたすら旅だけに生きる人たちもでてきた。ところが、そういう人たちも、30歳を越えるとユースホステルに泊まりにくくなった。ユースホステルは、若い人たちに独占されていた。

 そうなると、そういう世代を対象としたユースホステル形式の民宿が生まれた。当初は、ユース民宿といっていた。そこは酒もタバコもOKだったので利用者は、比較的高齢だった。こうしてユースホステルの類似施設が生まれていった。ユースホステルが提供した青春(ライフスタイル)は、確実に日本に定着するかに思えた。

 しかし、これがアッという間に滅びてしまった。
 劇的に滅びてしまった。





 原因は、ユースホステルが提供した青春(ライフスタイル)が何であるか、具体的でなかったことにあります。ユースホステルで何が出来るのか? ユースホステルに行くことによって、どういう風に生活が変わるか具体的に分からない。というか説明できない。ユースホステルの良さは、言葉では分からない。行ってみるまでわからない。そういう特殊性が、滅びる原因となってしまった。

 これが昔なら
「とにかく行ってみよう」
という事で出かける人も多かった。

 ところが、昭和60年頃から様子が変わってきた。旅行会社のマーケッティングによるPR活動によって情報が氾濫し、情報を御客さんが選択できるようになった。そうなるとユースホステルというインターネットもどきは必要なくなってきた。さらに旅行雑紙の普及が、テレビの旅行番組が、パソコン通信の普及が、インターネットの普及が、それに拍車をかけた。若者たちはアテのない旅をしなくなり、具体的なものに走った。例えばペンションという新しい宿泊施設に走り出した。ペンションは、ペンションに泊まるという青春(ライフスタイル)を具体的に写真にして御客さんに見せていた。それは、とても分かりやすいものだった。その逆にユースホステルという青春(ライフスタイル)は、分かりにくいままで放置されたままだった。


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2011年02月11日

明日(12日)は、北軽井沢・炎の祭りです。

明日(12日)は、北軽井沢・炎の祭りです。
部屋も空いています。
4人泊まれますよ!

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炎の祭りの見学のため、夕食は、19時30分からになります。
炎の祭りの見学ツアーもあります。
だから明日にかぎって、はやめのチェックインができます。


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大雪なので、ノーマルタイヤは御法度です。
気をつけていらっしてください。


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つづく。

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ユースホステルは甦るのか?24

ユースホステルは甦るのか?24

 前回にも述べましたが、団塊の世代によって、青少年の人数が増えたからユースホステル利用者が増えたのではなく、青年団よりもユースホステルを利用する道を撰んだと考えるが妥当です。

 かって青年団は、巨大な牙をもっていた。機関誌は、日本最大の百万部という発行部数を誇っていた。今で言えば一千万部規模の雑紙を毎月発行していた。その日本青年団が、戦後にはサッパリふるわなくなってしまった。団塊の世代の青少年たちは、青年団ではなくユースホステルを撰んだ。青年団が提供する青春よりも、ユースホステルが提供した青春の方を好んだ。

 そう考えた方が無理がない。
 逆に言うと青年団の衰退が理解できれば、
 ユースホステルの衰退の原因が見えてくる。

 ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルが提供する青春に対して拒絶反応を示した。しかし、ユースホステル側は、それが分からずに、自分たちの成功体験ばかりを追ってしまった。つまり、マンモスの牙をますます大きくする方向に向かってしまった。

 じゃ、いつからユースホステルが衰退したかというと、これはもうハッキリしている。横山祐吉氏が日本ユースホステル協会から退いた昭和47年からです。昭和47年から減っている。で、昭和45年の高校進学率が、82.1パーセント。大学進学率が17.1パーセントです。ちなみに平成15年になると、高校進学率が、96.1パーセント。大学進学率が41.3パーセントです

http://www.gender.go.jp/whitepaper/h16/danjyo_hp/danjyo/html/honpen/chap04_08.html

進学率があがるとユースホステル利用率が下がる。



 ちなみにユースホステル利用率が爆発的に増加しはじめた
 昭和30年の大学進学率は13パーセント。
 ほとんどの人間は、進学せずに勤労していた。

 そして大学進学率の推移は、昭和45年までの15年間の間に、
 たったの4パーセントしか上がってない。

 つまり昭和30年から45年の間の青少年たちの大半は、勤労青年だった。
 そういう時代にユースホステルは、爆発的に発展していった。
 そして、青年団は小さくなっていった。
 これは何を意味するのか?

 勤労青年にとって、ユースホステルが提供する青春が、とても居心地の良いものだったとも言える。また、当時の大学生は、いわゆる裕福な階層であり、エリートであったとも言えますから、そういう大学生には、ユースホステルは居心地が良かったともとれる。何にしても大学進学率が低かった時代には、ユースホステルが提供する青春は、若者たちに好評だったという事実は、動かしがたい事実として受け止める必要がある。





 ちなみに、現在の(平成時代の)ユースホステルの状況も、これに似たデーターがあります。これは、北軽井沢ブルーベリーYGHに限ったデーターですが、北軽井沢ブルーベリーYGHのオープンから今年までの十年間において、リピートの多い御客さんは、学生ではありません。社会人です。二十歳の学生は、あまりリピートしない。しかし、二十歳の社会人は、盛んにリピートする。これが三十歳になると、もっと顕著になってくる。三十歳の学生よりも、三十歳の社会人の方がリピートが多くなってくる。

 これは、どういうことかと言いますと、学生時代には、学校という明確で分かりやすい青春がある。しかし、社会人になると、必ずしも自分にとっての青春があるとは言えない。おまけに出会いのチャンスも減るし、仕事仲間も横の繋がりというより縦の繋がりになっている場合が多い。社会人の世界は、自由気ままな世界であるとはかぎらない。そういう立場にある人は、ユースホステルが提供する青春にはまりやすい。

 しかし、すでに学校という青春をもっている人にとって、ユースホステルは単なる宿屋でしかない。ユースホステルを単なる宿屋として見られてしまっては、どうしても欠点が目立ってしまう。ドミトリーだし、規則がある。値段が安いくらいしか長所はみあたらない。

 ここまで書けば、私が何を言いたいか分かりますね?

 ある時期から日本の青少年たちは、ユースホステルの提供する青春に興味を失ってしまったということです。彼らは、学校という青春を享受しはじめたからです。井戸の外に出るのではなく、井戸の中の青春に興味をもちはじめた。スポーツや勉強に熱心に打ち込むようになったのです。



 そのうえ何を血迷ったか、文部省は、高校生のユースホステル運動を禁止してしまった。
 ユースホステル界にとって将来の貴重な人材を根こそぎ絶ってしまった。
 (ユースホステルは甦るのか?15を参照のこと)

 さらに不幸なことに、ユースホステル運動が、停滞をはじめる昭和47年以降は、
 学園ドラマが大ブームになります。

 俺は男だ!
 飛び出せ!青春
 われら青春!

 といった学園ドラマが全国の青少年たちの心をとらえ、若者たちは学園生活に青春をかけるようになりました。さらに『俺たちの旅』といった大学生の青春ドラマが若者たちの心をとらえ、『俺たちの朝』といった夢をもつ若者の青春群像ドラマが若者たちから支持されました。その後は、熱中先生、夕陽が丘の総理大臣、金八先生、スクールウオーズといった学園ドラマが、ジャンジャン大量生産されていきます。青少年たちは、善悪は別にして、ますます学校生活にのめり込んでいきます。



 このとき、ユースホステル業界は、もっと学校というものを真剣に考えるべきだった。学園生活に打ち込む若者たちに、何かしかけるべきだった。もともとユースホステルは、学校からスタートしたしたものだったのだから。でもまだ、この時代には貯金があった。衰えたとは言え、ユースホステルには、まぶしいくらいの魅力が残っていた。そのために日本の青少年たちは、ユースホステルという青春を知っている人と、ユースホステルという青春を全く知らない人に別れていきます。

 この分離が、後日、悲劇を生みます。
 ユースホステルという青春に対して、
 偏見のようなものが、
 じわじわと社会に育っていくからです。

「はあ? 一人旅のどこが面白いの?」

 この偏見は、ユースホステル側が、ユースホステルという青春(ライフスタイル)を青少年たちに、きちんと伝えてないために生じたものです。どうして伝えられなかったかと言いますと、そもそも横山祐吉氏が、日本ユースホステル協会を脱イデオロギー団体にしてしまったために、具体的に説明する技術をもってなかったためです。

「ユースホステルとは、◇◇◇である!」

という説明を横山祐吉氏は禁止し、

「なんでもありがユースホステルだ!」

と言ってしまったために、説明しにくい青春(ライフスタイル)になってしまった。
それが学園生活をおくる若者たちに理解してもらいにくい存在になってしまった。

甲子園をめざして野球に打ち込むことは理解できても、
ユースホステルを使って旅する意義は、経験してみないとわからない。
言葉では説明しにくい。



つづく

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posted by マネージャー at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

小林亜星のCMソングが凄い件

なにげに小林亜星のCMソングが凄いですね。
サントリーオールドのCMソングも凄いですが、
「酒は大関」も凄い。
昭和40年代の曲なのに、今でも聞けます。





この樹、なんの樹で有名な日立のテーマ曲。
これも凄い。私が小学校の時から続いている。40年くらいつづいている。





でも、小林亜星の真骨頂は、『モクセイの花』。
ニッセイのおばちゃん、今日もまた♪
このCMソングがいい。







どこまでも行こう / 山崎唯
これも有名なCMソング。
山崎唯と言っても若い人は知らないだろうなあ。
トッポ・ジージョや、ひょっこりひょうたん島と言っても分からないかな?






あと、有名な小林亜星の曲を紹介!












守備範囲が広すぎる。
どんなジャンルでも、才能を発揮していますね。

つづく

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posted by マネージャー at 17:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またまたキャンセル出ました

業務連絡です、またまたキャンセル出ました。orz
2月11日−男1名(ドミトリーのみ)
2月12日−4名(個室もあります)

つづく

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posted by マネージャー at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またキャンセルでました

またキャンセルでました。
2月12日に3名お泊まりになれます。

2人部屋の個室1室(2名)
ドミトリー1ベット(1名)

が空いています。よろしければ、御検討ください。


110101-07.JPG


御客様の希望にもよりますが、
連休のスノーシューツアーは、桟敷山あたりを考えています。
他に御希望がありましたら、変更も可能ですので当日にリクエストをどうぞ。


110119-6.JPG


また、今年はたくさんスキーチケットをもらったので
先着順で希望者にスキーチケットをさしあげています。
数がありませんので、一人一枚づつで御願いします。
残りは表万座スキー場の3枚を含めて合計5枚です。
スキーチケットが欲しい方は、はやめのチェックインをおすすめします。

つづく

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posted by マネージャー at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ユースホステルは甦るのか?23

ユースホステルは甦るのか?23

 日本のユースホステル運動は、世界史に無いくらいな驚異的な速度で大きくなった。
 これは日本史上、他に類が無いくらいだった。
 ということは、あきらかに日本ユースホステル協会には、牙があった。
 そして、牙が大きくなっていった。
 マンモスやサーベルタイガーのように。

 と書くと
「団塊の世代があったからな」
「団塊、つまりベビーブーム世代がユースホステルを支えたんだよ」
「あと昔は類似施設がなかったからね」
と言い訳する関係者がいます。

 もう、そう言われると新参者の私は、ずっと黙ってしまうしかないのですが、ユースホステル業界しか見えない人ほど、そういう風に現象をとらえる傾向があります。

 これは実に残念なことです。
 そんな簡単な問題ではない。

 ユースホステルの栄枯衰退を青少年たちの数や、類似施設との競争のせいにしては何も見えなくなる。もっと検証してみた方がよい。皆さんも、ちょっと考えてみてください。ユースホステル業界に存在した大きな牙の正体は何であったのか?





 確かに団塊の世代とともにユースホステル業界は巨大化し、団塊の世代の終わりと共にユースホステル業界は、小さくなっている。しかし、一方、日本青年団・日本青年団協議会は、団塊の世代の時代になっても決して巨大化しなかった。どんどん小さくなっていった。

 日本ユースホステル協会が巨大化しているのに、
 日本青年団協議会は、大きくならなかった。
 だから人数(少子化)の問題ではない。

 つまり、団塊の世代の青少年たちは、
 青年団を生活の場に撰ばなかった。
 彼らの一部は、ユースホステルを撰んだ。

 つまり団塊の世代の人数が増えたから
 ユースホステル利用者が増えたのではない。
 団塊の世代の青少年たちは、
 それまであった青年団よりも
 新しくできたユースホステルに魅力を感じた。
 そう考えた方が自然です。


 そして、その魅力こそがサーベルタイガーの牙であると。





 青年団にも、かっては巨大な牙が存在した。機関誌は、百万部という日本最大の発行部数を誇っていた。しかし、ある時期に、その牙は、自らの成長を妨げてしまった。マンモスやサーベルタイガーの牙が大きくなりすぎた。そこに登場したのがユースホステルだった。そう考えた方が無理がない。とすると、日本青年団の衰退を理解することが日本ユースホステル運動の衰退を理解することに繋がる。

 昔の青年たちは、青年団に魅力を感じた。
 そこには若い力をぶつける場所があった。
 夜間講習会があり働きながら勉強できた。
 高価だった本が置いてある図書館もあった。
 悩みがあればみんなに相談できたし、男女交際の場所もあった。
 夜這いという特殊な世界もあった。
 祭りでは、大人をおしのけて村の主役になった。
 みんなで金を出し合いながら、交代で代表をお伊勢参りに出した。
 村の若者たちみんなで助け合い、お互いにいたわりあった。
 つまり青年団は、青年たちの生活の場であり、青年たちの青春そのものだった。

 しかし、その青年団も、戦後はふるいませんでした。戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代たちは、そのような青年団から距離をおきはじめた。青年団に青春を預けようとはしなかった。かっての青年団の魅力が、団塊の世代の青少年たちには、
「うざい」
ものに見えた。

 青年団は、村を基盤としている。

 村を青年の力で変えていくというのが青年団に青春を預けた人たちの理想だった。しかし、団塊の世代たちは、村そのものをダサイと感じた。村という狭い世界を嫌って、未知の世界に飛び出していった。すすんで集団就職で上京し、村の親に仕送りするようになった。団塊の世代は、新しい世界に飛び込んでいくチャレンジャーだった。つまり、彼らが求めていた青春は、青年団が提供する青春とは別のものだった。むしろ正反対のベクトルをもっていたものだった。それは狭い世界にとらわれない自由な生き方だった。

 だから団塊の世代の青年たちは、村を基盤とした青年団でなく別のものを撰んだ。
 会社であったり、宗教であったり、政治活動であったりした。
 もちろんユースホステルを撰んだ者も多かった。

 ユースホステルは、脱イデオロギーな組織であり、組織としての目的も曖昧な自由な世界だった。だから自由を愛する団塊の世代は、ユースホステルに魅力を感じた。ユースホステルには、ルールさえ守れば、しがらみのない自由さがあった。気に入らない宿やグループは、自由に捨てることができた。





 そのくせ、ユースホステルの世界は孤独ではなかった。
 普通なら「自由」は、孤独を生む。
 村社会にありがちな「お節介」が無ければ「自由」になれる。
 しかし、その自由は孤独とセットなのです。

 田舎を捨てて、上京すれば自由を得られる。
 しかし、都会の孤独も襲ってくる。
 誰もかまってくれないコンクリートジャングル。
 いつしか孤独感が、こみあげてくる。

 しかし、日本のユースホステルには、「孤独」は無かった。
 横山祐吉氏の天才的な手腕で「孤独」という副作用を最低限に抑えた。
 グループ活動を盛んに導入したからです。
 (詳しくは、ユースホステルは甦るのか?13を参照すること)
http://kaze3.seesaa.net/article/182309283.html

 そのうえ御茶会(ミーティング)をユースホステルに採用した。
 歌も踊りも採用した。
 これによって「孤独」を感じさせない「自由」を旅人に提供した。

 こうして団塊の世代の青年たちは、盛んにグループ活動を行って自由を謳歌した。
 自由に一人で旅しても「孤独」とは無縁だった。
 ユースホステルという旅は、自由と平等の象徴だった。

 さらに、御茶会では、みんなで歌を歌ってダンスも踊った。
 孤独という副作用は、ますます少なくなっていった。

(皮肉なことに、この現象は、21世紀になって秋葉原で復活することになる)





 フォークソングとフォークダンスは、ユースホステルから広まった。最初はフォークダンスとは言わずにスクエアダンスと言いました。GHQの指導の下でアメリカ軍人の講師を招いて横山祐吉氏が日本青年団に積極的に取り入れたものでしたが、青年団では広まらずに、ユースホステルで広まりました。横山祐吉氏は、その普及活動の先兵だった。横山祐吉みずからスクエアダンスを若者たちに教えてまわった。日本ユースホステル協会の古い幹部は、横山祐吉に踊りを習った。

 それがいつしかフォークダンスとなり、ユースホステルでオリジナルな踊りに変質し、学校教育に取り入れられるようにもなりました。新米教師の多くは、ユースホステルのホステラーでした。やがて体育の授業で子供たちがフォークダンスを踊らされるようになり、音楽の教科書にかってのフォークソングが載るようにもなった。

 こうしてユースホステルを巨大化させる牙は、どんどん大きくなっていった。
 そして青年たちを青年団でなくユースホステルに集めることに成功した。
 ユースホステルは、団塊の世代の青少年たちに
「ユースホステルという別の青春」
 を提供した。
 団塊の世代たちは、その青春をいたく気に入ってしまった。
 これが日本ユースホステル運動のマンモスの牙となった。

 しかし、その牙は、ある時期から自らの生命を犯すようになるかもしれない。青少年に、別の青春が生まれることによって、ユースホステルは、青年団と同じような運命をたどるようになるかもしれない。では、別の青春とは何か?

つづく

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posted by マネージャー at 02:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

昔のサントリーのCMと小林亜星が凄かった件

昔のサントリーのCMと小林亜星が凄かった件

若い人には分からないかもしれませんが、
かってサントリーのCMが凄かった時代がありました。
ちなみにサントリーは、ユースホステル業界と縁があります。
サントリーの社長は、大阪ユースホステル協会会長でもありました。

まず私が一番好きなサントリーのCM。
もちろんローヤルです!
このCMを見てください。感動します。
特に音楽が凄い!
誰かと思ったら小林亜星。







これは、1980年頃のローヤルのCMです。
すごく良いCMですが、
この後、もっと凄いCMがでてきます。
ランボオの詩集をウイスキーのCMにしてしまった。
これを初めて見たとき、鳥肌がたちましたね。







次のローヤルのCMは、ガウディーとマーラーを紹介しています。





次に好きなサントリーのCMは、サントリーオールド。
これも音楽が凄い! 鳥肌がたちます。
作曲 小林亜星。
小林亜星は、天才ですね!
亜星さんの守備範囲の広さ、センスの良さには脱帽!




http://www.youtube.com/watch?v=fhiXUypuN64










つづく

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posted by マネージャー at 18:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ユースホステルは甦るのか?22

ユースホステルは甦るのか?22

 今回は、ちょっと趣向を変えて生物の進化について語ってみます。生物の種は無数に現れては消えていきます。弱肉強食の競争の中で、多くの種が競争に敗れて消えていきました。そのうえで生命体は、幾多の大量絶滅の時代をえて今日の姿を残しています。これらの生存競争の浮き沈みの中で、ある種の法則があるのを発見したのは、明治元年生まれの丘浅次郎です。丘浅次郎は、生命体の生存競争で勝ち残ってきた生命体は、その勝利原因によって滅びることを発見しました。

 例えば、サーベルタイガー。

 世界最大の牙をもったサーベルタイガーは、その牙の大きさ故に、どんな哺乳類にも負けない強さを誇り、おそらく食物連鎖の頂点にたったと思われます。牙が大きければ、大きいほど強い。だから適者生存の結果、サーベルタイガーの牙は、どんどん大きくなってきます。サーベルタイガーだけではありません。





 マンモスもそうです。牙が、どんどん大きくなっていく。氷河期で餌が少なくなると、少ない餌をめぐって争奪戦になる。そうなると、牙が大きいほど餌を確保しやすくなる。だから適者生存の結果、マンモスの牙は、どんどん大きくなってきます。牙が大きいほど生存率が高くなるからです。

 しかし、サーベルタイガーもマンモスも、ある時期に滅びてしまいます。原因は牙の大きさによって、アゴが牙を支えられなくなり、食事も満足にとれなくなるからです。サーベルタイガーは、野ねずみのような小さな獲物をしとめられなくなるし、マンモスは林の中に入れなくなる。ある時期まで有利だった条件が、あるラインを越えると、生存には不利になっていく。じゃあ、牙を小さくすればいい話しなのですが、そうはいかない。長い間に形成された遺伝子は、子孫が減り始めると、なおのこと牙をどんどん大きくしてしまい、ついには種が絶滅してしまいます。





 この丘浅次郎の理論は、生物の進化だけでなく、
 私たちの社会にも当てはまることが多いように思います。
 ちょっと例をあげてみましょう。

 その昔、戦後の日本の復興を支えたのは、国鉄であり、ダムであり、優秀な官僚であり、教育水準の高さだと言われていた時期がありました。

 国鉄は、復員兵士たちを吸収して雇用を確保し、新しい技術を開発して、国鉄一家と呼ばれるほどになり団結を誇りました。渥美清主演の国鉄映画シリーズが生まれたくらいに模範的な企業だった。ダムの建設は、水資源の再利用と公共事業による景気対策をすすめ、工業化のためのインフラの整備をすすめました。優秀な官僚たちは、日本経済をひっぱっていきました。高度な教育水準も日本経済を陰からささえました。これらは、サーベルタイガーやマンモスの牙のように日本を世界第2位の経済水準におしあげた原因だと言われています。

 しかし、これらの牙は、ある時期から日本経済の足を引っ張るようになります。国鉄は赤字を出し、ストライキばかりでサービスは酷くなるばかり。ダム建設も利権と汚職の温床になってきました。優秀だったはずの官僚も天下り利権の話しが聞こえ始めました。教育は、金をかければかけるほど荒廃していき、国際的な学力はどんどん低下していきました。どれもこれもサーベルタイガーやマンモスの牙みたいになってきているのです。こうなると牙を大きくするという発想は滅びへの道に見えてさえきます。もっと別の発想が必要になってきます。





 では、かって急成長したユースホステル界には、どんな牙があったのか?
 
 ここに、ユースホステル運動の復活の鍵があります。しかし、その鍵を見つけるには、慎重に、そして正確に歴史を検証する必要があります。私が、くどいくらいにユースホステル運動の歴史の検証にこだわってきたのは、そのためです。

 安易な思いつきでは、ユースホステルの再建はできない。誰かが捨てられてしまった歴史を掘り起こして、それらを再検討して貴重なノウハウとして積み重ねていくしかない。それをしないで単なる思いつきで改革を始めたら悪い方向に流れてしまう。歴史をみてもわかるように、根拠のない思いつきでアッという間に滅びた組織ならいくらでもあります。


 というわけで、いよいよ結論です。
 ユースホステルには、どんな牙があったのか?
 そして、どんな牙がユースホステルを滅ぼそうとしているのか?

つづく

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posted by マネージャー at 02:56| Comment(4) | TrackBack(0) | ユースホステルの話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

猫対犬の対決

猫対犬の対決 おもしろ動画の紹介です。


まずは、猫さんチーム!













次は犬さんチーム!











つづく

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ラベル:猫対犬の対決
posted by マネージャー at 23:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和時代の漫才師・象さんのポットが平成時代に通用する件

昭和時代の漫才師・象さんのポットが平成時代に通用する件
1980年頃でしょうか?
このギャグは、昭和には早すぎましたね。
今のほうが受けると思う。
惜しい!







ところで、象さんのポットって、今、生きてるの?



ちなみに、代表的な昭和の漫才はこれです。
いかにも昭和。







つづく

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posted by マネージャー at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | お笑い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

満天山でスノーシュー体験

満天山でスノーシュー体験をするチャンスは滅多にありません。
雪が少ないからです。
あと、縦走路の一部が分かりにくいということもあります。
しかし、分かりにくくても稜線沿いの道なので、
多少は山を知ってる人なら迷うことはありません。
今年は、雪が多い年なので満天山にチャレンジしてみました。


ちなみに今回のメンバー。
女性4名、男性2名、六歳のちびっこ1名の計7名。
このくらいの人数が一番いいですね。
参加者は、1名を除いてほとんどが初心者の美男美女たち。
関西系(春日部系も含まれる)が多かったせいかノリもよかった模様。
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このルートは、ツリーハウスがいっぱいあるのが特徴。
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この山には、野鳥の痕跡がいっぱい。
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野ウサギも。
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アッというまに頂上に達します。
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これが頂上。
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御客様のリクエストでカップラーメン!
これが本当に美味しい!
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そして記念撮影大会!
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生まれて初めての冬山。
自慢してもいいぞ!
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そして、帰りはアッという間でした。
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スノーシューの良いところは、下りに膝を痛めないところです。
だから楽々下山。
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ちびっこも元気に下山。
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つづく

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posted by マネージャー at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−鼻曲山・満天山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

桟敷山の雪道作り

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、毎週土曜日・日曜日にスノーシューツアーを行っていますが、ごくまれに平日にも宿泊客以外のオーダーメイドのスノーシューガイドを行っています。それも行ってない時は、トレース作り、つまり雪の道を作っています。

 実は、この雪道作りは非常に重要な作業です。

 雪道を作っても、すぐに雪が降って道が雪に埋もれるのですが、でも、雪道を作った場合と、雪道を作ってない場合では、同じラッセルをするのでも疲労度がまるで違います。人が一度通った道は、大雪であっても歩きやすいのに対し、誰も通ってない道は、たいした雪でなくても非常に苦戦するのです。これは雪の焼結作用関係あります。だから暇さえあれば、私たちは道作りに精を出しています。もちろん正規ルートだけでなく、イザという時のためのエスケープルートの道も作ってあります。これによって手軽で安全なスノーシューコースができあがるのです。

 というわけで、今回は、桟敷山の道作り。
 下の写真のように道の全く無いところに道をつけていきます。

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これが桟敷山の頂上です。

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素晴らしい展望。

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角間山。

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小桟敷山。

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村上山。

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嬬恋平野。

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浅間山。

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湯ノ丸山。

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 桟敷山は南斜面に雪は無く
 西斜面に豪雪になっていることが多い。
 間違えて西斜面を登ると、とんでもないことが。
 逆に東斜面に迷うと岩場でスノーシューでは歩けなくなります。
 北斜面は、急登でしかも崖があります。
 全部の方角から登ってみましたが、登山道を行くのが一番という結論です。

 南斜面の登山道以外のルートを登るのは命がけですからくれぐれも迷わないように。

つづく

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posted by マネージャー at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 鹿沢−桟敷山・小桟敷山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする