人口2300万人の台湾からの支援、義援金だけで100億円に迫る
http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/Top/6BE18444C925CE364925785C00299F24?OpenDocument
1.人的支援
◎台湾各地の消防士からなる台湾救援隊(28名)の派遣(3月14〜19日)
15日、宮城県に入り、16〜17日、現地にて捜索活動、19日、離日。なお、救援隊には駐日台北経済文化代表事務所職員1名、交流協会本部職員1名が同行。
◎その他、台湾NGOが被災地にて救援物資の提供等の活動している。
2.物的支援
総量約400トンの支援物資の提供(台湾外交部が官民より集荷した支援物資を駐日台北経済文化代表事務所が順次被災地に送付)
(1)宮城県に対する供与
3月16日送付分:@発電機292台、A毛布50箱、B寝袋50箱、Cスリーピングマット5
D保温ジャケット910箱、E防寒着 2000着
3月19日送付分:@毛布595箱、A寝袋441箱
3月25日送付分:@食品8.8トン
(2)福島県に対する供与
3月20日送付分:@カイロ150箱、A毛布80箱、B寝袋827箱、C防寒衣31箱、D食品2トン
E発電機20台、F石油ストーブ300台。
(3)岩手県に対する供与
3月23日送付分:@ 発電機:278台、A石油ストーブ600台、B食品5.7トン
3月25日送付分:@寝袋271箱、Aスリーピングマット186箱、Bセーター41箱、Cマスク54箱
D衣服70箱、Eジャケット214箱、Fオーバーコート155箱
※以上の他 約250トンを送付予定
3.資金援助
(1)台湾当局からの資金援助
3月12日、外交部、1億台湾ドルの資金供与を表明。
(2)台湾官民の義捐金
(イ)交流協会在外事務所での義捐金受付
3月21日より、交流協会台北・高雄事務所において義捐金を受付開始。
(ロ)台湾官民からの義捐金
外交部によると、外交部等の機関と民間団体を合わせた義捐金は、30日現在、35億1,324万台湾ドル(≒98.8億円)。
もう、何と言ったらよいか...........orz
今は、一言だけ。
俺は、台湾が好きだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
ありがとう台湾!
つづく
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2011年03月31日
SPA!記者が見た「スパリゾートハワイアンズ」震災当日の奇跡
ささらーさん
みわぼーさん
以下、引用です。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
連投すみません。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20110330/zsp1103301223001-n1.htm
いつかいってみたい
Posted by ささらー at 2011年03月31日 00:58
横レス、失礼します。
スパリゾートハワイアンズの従業員のみなさんは、本当にプロフェッショナルですね。そして、人として偉大だなぁ…。
昔、社員旅行で訪れた時は、思っていたより(失礼!)、楽しめるじゃない! くらいしか思ってなかったけれど、従業員の皆さん、本当に失礼しました。
再開したら、改めて敬意を込めて、行ってみたいと思いました。
ささらーさん、ご紹介ありがとう。
Posted by みわぼー at 2011年03月31日 16:03
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以上、引用終わり
貴重な情報ありがとうございました。
この宿は、凄い宿ですね。
危機管理がきちんとできているし、
役割人格もしっかりしています。
実は、偶然にも似たようなしっかりしたユースホステルがあります。
福島県のアトマYGHです。
知り合いの青少年団体が利用して絶賛しています。
子供が病気になったときの対処や、ケアが最高だったとか。
詳しいことは、書きませんが、イザという時に素晴らしい行動ができる宿は本当に素晴らしい。
逆に客を置き去りに我先に逃げた宿もあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以下、記事の引用
まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。
震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。
「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」
すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。
「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」
聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。……じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は? 恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも“被災者”であることを忘れていたのだ。それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があ
るだろう。しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。
トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。
「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」
満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。
「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、“走行可能”という判断を下しました」
その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。
それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で原稿を書いている。そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。
いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。
彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
実は、嬬恋村のパルコールホテルもライフラインが生きていました。
自家発電だったのです。
ところが、燃料不足で1週間後に閉めなければならなかった。
これはプリンスホテルグループも一緒で、苗場プリンスも最後まで頑張ったのですが「不謹慎」と言われてやめました。あそこには巨大なストックが眠っています。
危機管理ができている宿は、自信をもって営業してもよいと思うのですが。なんでも自粛モードは経済をひらさせます。
あと、新潟の結婚式場は、余った食材を被災地にもっていって、被災者に高級フレンチをプレゼントしています。グッジョブですね。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/21165.html
つづく
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みわぼーさん
以下、引用です。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
連投すみません。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20110330/zsp1103301223001-n1.htm
いつかいってみたい
Posted by ささらー at 2011年03月31日 00:58
横レス、失礼します。
スパリゾートハワイアンズの従業員のみなさんは、本当にプロフェッショナルですね。そして、人として偉大だなぁ…。
昔、社員旅行で訪れた時は、思っていたより(失礼!)、楽しめるじゃない! くらいしか思ってなかったけれど、従業員の皆さん、本当に失礼しました。
再開したら、改めて敬意を込めて、行ってみたいと思いました。
ささらーさん、ご紹介ありがとう。
Posted by みわぼー at 2011年03月31日 16:03
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以上、引用終わり
貴重な情報ありがとうございました。
この宿は、凄い宿ですね。
危機管理がきちんとできているし、
役割人格もしっかりしています。
実は、偶然にも似たようなしっかりしたユースホステルがあります。
福島県のアトマYGHです。
知り合いの青少年団体が利用して絶賛しています。
子供が病気になったときの対処や、ケアが最高だったとか。
詳しいことは、書きませんが、イザという時に素晴らしい行動ができる宿は本当に素晴らしい。
逆に客を置き去りに我先に逃げた宿もあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以下、記事の引用
まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、すべて十分な量を提供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。
震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ夜が明けて、土曜日。記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。
「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」
すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。
「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」
聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。……じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は? 恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも“被災者”であることを忘れていたのだ。それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があ
るだろう。しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、自らの職務をまっとうした。その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。
トドメは日曜日だ。朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。
「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」
満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。
「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、“走行可能”という判断を下しました」
その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。
それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で原稿を書いている。そして思う。絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、ましてや「法律」や「ルール」などではない。「行為」だ。何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。
いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。それも、できれば毎年。そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。
彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−引用終わり
実は、嬬恋村のパルコールホテルもライフラインが生きていました。
自家発電だったのです。
ところが、燃料不足で1週間後に閉めなければならなかった。
これはプリンスホテルグループも一緒で、苗場プリンスも最後まで頑張ったのですが「不謹慎」と言われてやめました。あそこには巨大なストックが眠っています。
危機管理ができている宿は、自信をもって営業してもよいと思うのですが。なんでも自粛モードは経済をひらさせます。
あと、新潟の結婚式場は、余った食材を被災地にもっていって、被災者に高級フレンチをプレゼントしています。グッジョブですね。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/21165.html
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