2011年05月31日

老人たちの話し 4

老人たちの話し 4

高校3年生の時(1979年11月)、あるテレビドラマを見ました。
私の人生が変わってしまったのは、そのテレビドラマからです。
そのテレビドラマには、素晴らしい曲が流れていました。
英語の曲でした。
日本語にすると、こんな歌詞です。


 大地に日は昇る。
 一日がやってきた。
 頭上には太陽が輝いている。

「けれど、その太陽は、
 どのくらい、そこにいるのだろうか?」

 地平線から日が昇る。
 大地は、日光を食べ尽くす。
 一瞬で食べ尽くす。
 そして太陽は西の方に沈んでいく。



作曲:Yukihide Takekawa
作詞:Yoko Narahashi

The land of the rising sun
Has come to see the day 
The sun is overhead
But how long will this sun stay

The sun rose over the horizon
And the land ate up its rays
It ate too much too fast
And it took on western ways

It's burning bright above
But it's burning up all the land
And the sun will set in time
And rise on a vast new land

The sun is setting on the West
The sun is rising on the East


YouTubeで、その曲を聞いてみてください。



ゴダイゴの曲でした。

「太陽は、いつまでも頭上に無い。
 いつか西に沈んでいく」

この歌詞の本質を一番わかっているのが老人たちかもしれません。
「少年老いやすく、学なりがたし」
とは、よく言ったものなのです。

 それはともかくとして、1979年11月に私は『男たちの旅路/車輪の一歩』というドラマをみました。まだ見たことがない人は、ぜひ見ていただきたいです。私の友人の多くは、私に無理矢理に見させられています。昔は、定期的に上映会をひらいていたからです。

 『男たちの旅路』とは、どんなドラマかと言いますと、過去を背負った特攻隊の生き残り(鶴田浩二)と、チャラチャラした若者(水谷豊)のぶつかり合いのドラマです。特攻隊の生き残り(鶴田浩二)は、戦争を知らない若者が大嫌い。逆に若者(水谷豊)は、特攻隊くずれの高圧的な男(鶴田浩二)に反発する。そういうドラマなのです。





 まあ、そんなことはいいとして、このドラマに感動した私は、上京してすぐに警備会社のアルバイトをはじめました。警備会社には、このドラマにでてくるような吉岡指令補(鶴田浩二)のような人間がいるのではないかと思ったからです。今にして思うと、我ながら、ずいぶん単細胞な頭だなあと思いますが、驚くべき事に、ドラマに出てくるような警備員に、吉岡指令補(鶴田浩二)のような警備員に会うことができました。

 当時、不況でしたから警備会社には、いろんな人たちがいました。会社の重役だった人までいました。40万円の失業保険をもらっていた人もいたんです。しかし、会社が倒産して働き口が無く、警備会社に入ってきた元大企業の重役さんなんかがいたりしました。大工さんとか、元特攻隊員の生き残りとか、いろんな人たちがいました。私は、そういう人たちから、敬礼の仕方や、答礼のしかたを習い、ビル警備のアルバイトをしました。深夜のビルを守る仕事です。

 当然のことながら夜は長いですから、世間話に花が咲きます。まだ世間知らずの18歳だった私は、年輩の警備員さんのお話が面白くて、いろいろな人生のお話を伺いました。もちろん私が、聞き役です。なにせ、私には語る人生が無い。しかし、諸先輩には、まぶしいくらいの人生経験がある。だから、話が面白くてたまらない。だから話を聞いてばかりいました。







 しだいに私は、みんなから可愛がられるようになり、
 居心地のよい職場になってきました。
 ここで一生を暮らすのもいいなと。

 しかし、ある日のこと。
 諸先輩一同が、ズラリとあらわれて私に、こう言いました。

「警備員をやめなさい」
「いい若い者がする仕事では無い」

 これには参った。私は、この警備会社に就職してもいいかなと思ってた矢先だったからです。しかし、私を可愛がってくれた諸先輩達は、真剣に私のことを心配してくれてるようなのです。

「お前は、何かやりたいことはないのか?」
「警備会社に入って、いろんな人生をみたいんです」
「どうして、そう思った?」
「『男たちの旅路』というドラマを見て感動したからです」
「あれは、ドラマだぞ。フィクションだ。作り話に感動してどうなる?」
「でも感動したんです」
「・・・・・」
「・・・・・」
「あのなあ、お前を感動させたのは、警備会社じゃない。山田太一という作家が、考え出した脚本だ」
「山田太一?」
「なんだ、そんなことも知らなかったのか? 日本で最も有名なシナリオライターだよ。この人が作った警備員の話が、大勢の視聴者を感動させたんであって、実際の警備会社は何一つ関わってないんだよ。お前は、警備会社に感動したんでは無くて、山田太一に感動したんだ」
「・・・・・・」
「お前には、将来がある。いい若いもんが、最初から警備員をめざしてはだめだ。もっと可能性にチャレンジしろ。真面目に学校に行って、たかみをめざせ。警備員になるのは会社が倒産してからかも事業に失敗してからで良い」

 特に倒産した製紙会社の元重役だった人が、熱弁をふるって私の警備会社就職に反対しました。私は、この人を尊敬していましたから、その忠告を聞き入れました。そして図書館に行き、山田太一氏の本(脚本)をかたっぱしから読破することにしました。で、読み始めたとたんに体内に電流が走りました。どのドラマも私が大好きだったドラマだったからです。





 当時はインターネットもパソコンもありません。そのうえ私は田舎に住んでましたから、テレビ局は民放が一局しかなかった。テレビを見るにしても、脚本家の名前なんか一々調べはしなかったから、山田太一なんて名前は知らなかった。にもかかわらず、私が好きだったテレビドラマの大半が山田太一さんの作品だった。私は自分でも知らないうちに山田太一ワールドを好んでいたのです。

 特に『高原へいらっしゃい』が好きだった。

 中学2年生の時に見て感動し、将来、自分もホテルマンになりたいと思っていました。中学校の時は、山田太一さんのドラマでホテルマンになりたいと思ったし、高校の時は、山田太一さんのドラマで警備員になりたいと思って上京しました。いまにしてみれば、えらい単細胞な話ですが、結果として私は、ユースホステルのマネージャーになっています。『男たちの旅路』の世界ではなく、『高原へいらっしゃい』の世界を選んだわけです。



つづく

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posted by マネージャー at 22:27| Comment(3) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャクナゲが美しい四阿温泉ツアー

シャクナゲが美しい四阿温泉ツアー

嬬恋村も当たりでしたけれど、
菅平のシャクナゲも大当たり!

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台風の中、来てくれた御客さん
感謝!

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最後は、けんちゃんラーメン!

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つづく

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ラベル:四阿温泉
posted by マネージャー at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 真田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

老人たちの話し 3

老人たちの話し 3

 先日、1年ぶりに友人が、北軽井沢ブルーベリーYGHに遊びに来てくれました。
 彼女は、ワーキングビザで1年間フランスに滞在していました。
 仕事は、ベビーシッターです。
 これは、その彼女との会話

「ベビーシッターか、いい制度だね。日本も、その制度を活用すれば良いのに」
「いや、フランスだってベビーシッターを雇える家は少ないです。フランスでも、お金持ちでないとベビーシッターなんか

、とてもじゃないけど雇えません」
「はあ? それ変だよ」
「?」
「言っちゃなんだけれど、俺は幼児の頃にベビーシッターの御世話になって育ったんだから」
「あ!」

 古いつきあいなので、彼女は私の幼少の頃を知っています。私がベビーシッター(村の老人たち)の御世話になって育ったことを知っていたので「あ!」と声をあげたのです。私は、今年で五十歳になりますが、私の世代の佐渡島の人間は、多かれ少なかれベビーシッターの御世話になっています。子供を近所どうしで預けあったりしているのです。そして、その時の話題が、ずーっと後になってでてくるのです。





 例えば、私の弟は、近所に預けると、ワンワン泣いて手におえなかった。
 だから、こっそり逃げるように去って行った。
 それが、数年後に茶の間の話題になる。

 私の場合は、逆に近所の人と馴染んでしまい、
 嫌がることが少なかった。
 それが、数年後に茶の間の話題になる。

 私も弟も、こんなぐあいにベビーシッターを体験している。
 しかし、当時の私のうちの家庭は、
 金持ちどころか貧乏人もいいところだった。

 いや日本中が貧乏だった。
 だからベビーシッターといっても、
 時給を払ったかどうかは知らない。
 払ってなかったかもしれない。
 払う代わりに、店の品物を買ったりしたのかもしれない。
 これは今じゃ考えられないことかもしれない。

 あと、ベビーシッターの多くは老人だった。
 それも、よく話しをする老人だった。
 しかし、体力は無かったと思う。
 みんな、杖をついていた。

 今じゃ、杖をついている老人なんか見たことが無いけれど、
 昔は、老人の大半は腰が曲がっていた。
 杖無しでは歩けなかった。

 子供の頃から田畑で働いていたから四十歳を過ぎた頃から腰が曲がってしまっていたのだ。で、農閑期に温泉に行っていた。春までに温泉で曲がった腰を元に戻さないと、身体が壊れてしまうのだ。そういう次第なので、六十過ぎの老人たちは、みんな腰が曲がっていた。だからベビーシッターできるような体力は無い。腕力で子供を押さえつけることなど不可能なのです。

 で、彼らは、どういう技を使って子守をしたかというと、話術で子供たちを惹きつけるしか無かった。昔話・民話なんかがそうで、いくらでも「話」をもっていました。とはいっても、無限に話があるわけでは無い。同じような話を何度もするようになる。しかし、これが飽きない。古典落語のように飽きない。

 話は、昔話だけでは無い。「ひとりごと」も言う。つまり自分の人生のお話し。実は、これが一番面白かった。昔話よりも面白い。なにせ語り手が興奮して語るので、その熱気が伝わってくる。もちろん幼児には意味は分からない。でも何度も聞いているので、全て暗記してしまう。だから今でも全部覚えている。というか忘れられないのだ。

 例えば、シベリアの秘境の話。家を建てたら夏になると泥の中に沈んでしまった話。河で魚を捕るときに、爆弾を使って魚を気絶させて手づかみで捕まえた話。青森市の話。青森の床屋で働いていたら「父危篤」の電報がきて、大急ぎで佐渡に帰ったら嘘電報だったうえに見合い相手が待っていた話。そんな話を毎日のように聞かされた。というか、意味も分からずに面白がって聞いていた。





 年老いたベビーシッターたちは、こういう話をしながら私の子守をしつつ、
 竹細工なんかを作っていました。

 ちなみに、その竹細工は、役場の人が老人たちに作らせていた。
 役場が老人たちに竹細工を作らせて、どこかで販売していた。
 生活に困った老人たちを助けるためです。

 その役場の人と、四十年後(2003年)に佐渡島のドンテン山の
 山小屋(ドンテン山荘)でバッタリあったりもした。
 もちろん私は覚えてないし、初対面もいいところだったけれど、
 相手は私を知っていた。
 その時には、佐渡の図書館の館長だった。
 しかし、昔は、老人に竹細工を作らせる役場の担当者だった。


http://www.ryotsu.sado.jp/donden/


 話は脱線するが、佐渡島のドンテン山の山小屋は、日本一人気のある山小屋で、泊まることさえ難しい山小屋だった。私は地元のコネで泊めてもらった。客室ではなく、ピカピカの天文観測室に泊めてもらった。ちょうど、土井君も一緒だったが、彼は、例によってアルコール中毒の悪い癖がでてしまい、酒を飲み過ぎた土井君は、ピカピカの天文観測室でゲロを吐いた。

 偉大だったのは、ペンション「歩゚風里」のオーナーの三苫さん。
 すかさず、自分の手で土井君のゲロを受け止めた。

「宿がゲロまみれにしては、翌日に泊まる御客さんに迷惑がかかる」

と咄嗟にとった宿主らしい行動だった。
「歩゚風里」のオーナーの三苫さんは、私たちの間で英雄になった。
逆に地に落ちたのが土井君の評判。
しかし土井君の悪い癖は、あいかわらず治ってない。


つづく

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posted by マネージャー at 23:48| Comment(3) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

すごい動画を発見 スクワットをする犬がいた

スクワットをする犬がいました。
え?
そんなバカな?
という皆さん、動画を御覧下さい。
目が点になるはず!




こちらは、「アイラブユー」と愛をささやく犬です。






柴犬vs猫三匹の戦い




つづく

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posted by マネージャー at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老人たちの話し 2

老人たちの話し 2

 1970年(昭和45年)頃に母親と上京し東大病院で難聴の診察をうけました。
 私が小学2年生の時です。
 私は、この東大の大学病院の耳鼻科で嫌な体験をしました。





 東大病院は大きかった。
 患者も大勢いました。
 行列も凄かった。
 最初は、母親の付き添いで診察を受けましたが、検査は一人で受けさせられました。
 大勢が順番待ちで、部外者は列に並べなかったからです。

 で、一人で検査を受けるはめになりましたが、検査前に説明書を読まされました。
 しかし、読めない。
 難しい漢字が、いっぱい書いてあって読めない。
 せめてルビが振ってあれば、意味がつかめるのですが、それもないから読めない。
 小学2年生になったばかりの子供には

「高音」「低音」
「聴く」
「致します」
「御願いします」
「下さい」

という文字は強敵なのです。まだ習ってない。

http://www.jfecr.or.jp/kanji/sakuin.html

 例え文字を習っていても「致します」は読めない。
 読めたとしても意味を理解するのは難しい。
 どうして良いか、オロオロしているうちに、
 自分の番が来てしまった。
 そして病院の人が事務的に

「説明書は読みましたか?」

と怖い顔で聞いてくる。私は恐る恐る

「(読んだけれど)分かりませんでした」

と答えました。すると

「駄目じゃ無いの! 大勢の人が待ってるんだから無駄な時間をつかわせないで」

と、とりつくしまもなく

「きちんと読んでから来なさい」

と怒られて、もう一度、一番後に並ばせられました。

 もう反論というか、言い訳できる感じでは無かったです。
 私は列の最後でボーゼンとするしかなかった。
「きちんと読んでから来なさい」
と言われても、そもそも小学2年生に理解できる説明書でないわけですから、どうしようもない。

 しかし、そうこうしているうちに、また自分の番が近づいてくるんですが、分からないものは分からないですから、自分の番が近づいてくると、だんだん恐怖をおぼえてくる。幼かった自分は、怒られるのが嫌で、また最後尾にまわってしまった。で、超能力を使って説明書を解読しようとしていたのですが、解読できるわけが無い。どんな念力を使ったところで分からないものは分からない。





 これが大人なら隣の人に聞くなどの知恵が働くのですが、佐渡島の田舎から上京したばかりの小学2年生には無理な相談。だいたい昨日まで2階以上の建物を見たこともない子供なんです。エスカレーターも、エレベーターも、自動ドアも知らない土人として育った子供ですから、まわりにいる背広を着た東京の大人たちなんて、エイリアンぐらいにしか見えない。

 第一、私が困っていても、みんな無視している。
 こんな時、佐渡島の老人たちなら困っている子供がいたら
「どうしたの?」
 と聞いてくれるけれど、東京大学の病院に来ている大人たちは
 エイリアンみたいにムスッとしている。
 だから怖い。

 で、何時間も、もじもじしているうちに母親が
「遅いぞ、変だな」
と気がついて見に来ました。

 そして、母親の助けを借りて、ようやく説明書の意味を解読することができたんです。

 当時の東大病院は、一事が万事、こんな感じですから、いまだに私は東大医学部というものを信用していません。患者よりも、病院の都合を優先してできているという体験を小学2年生の時に刷り込まれてしまったからです。こういう病院が、正しい診療が出来るはずがないと、いまだに偏見をもっています。幼い頃に刷り込まれた体験は、この歳になっても残っている。


つづく

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posted by マネージャー at 00:20| Comment(3) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

再検査2

再検査2

エバさん
toshieさん
みわぼーさん
amiさん

みなさん、御心配かけました。
コメントへのレスが長くなってしまうので本文にレスを書きます。



村の健康診断をうけ、再検査を言い渡されました。
で、3つの病院を紹介されたわけですが、
一番近い病院が町医者だったわけです。

本当なら群馬大学病院に行くべき何でしょうが、
私は、1970年の小学校2年生の時に
東京大学の付属病院で嫌な体験をしているので、
大学病院が、あまり好きでは無いんです。

で、一番近い病院。つまり町医者を選んだわけです。
気さくで気軽な町医者に検査してもらおうと。
で、ホームページをみたら、こう書いてありました。

「アットホームな雰囲気でお年寄りの方々に人気があります。明るく清潔感のある院内では、リラックスして診療を受けていただけます。(略)心配事やお困り事がございましたら、どのようなことでも安心してご相談ください。親身になってお答えいたします。がんに関する相談や健康相談もお受けしておりますので、どうぞお気軽にご来院くださいませ」

これを読んだ私は、一瞬

「アットホームな病院?
 アットホームな病院って、どんな病院だろう?」


と、ドリフの大爆笑を思い出していました。





で、ワクワクドキドキしながら行ったんです。

 ちなみに嫁さんは、全国的に有名な「佐久総合病院」で、精密な検査をしてもらいに行きました。まあ、そんなことどうでも良いんですが、私は、アットホームらしい町医者のところに行って、渋茶でもすすりながら老人たちと世間話するのかなあと思ったら、村の紹介だったせいか、予約してあったせいか、全く待たされることも無く、すーっと検査をスタートできました。

 まあ、検査といってもオシッコをしたり、採血したりするだけなんですが、オシッコは2回させられました。最初は、オシッコの勢いの検査。2回目は、オシッコ後の残尿がどのくらいあるかの検査。そして採血して先生に面会なんですが、最初に先生が一発かましてくれました。

「これらの検査で癌が発見できる確率は、年齢からいって10パーセント以下である」

 これ聞いて大爆笑してしまいました。
 それじゃ、何のための検査なのかと。

 さらに先生は、各種のデーターを提示して説明するんですが、
 まるで生物の授業みたいでしたね。
 気休めはいっさい無し。
 科学的な話しばかり。
 どこがアットホームなのか?と思いましたが、
 講義内容が、あまり面白かったので、いろいろ質問しました。

 で、いろいろ聞いて、わかったことは、現代の医学では前立腺の病気のことは、よく分かってないということでした。けれど、良く分かってないわりには、いろいろ知っている。さすが病院の先生ですね。質問すれば、どんどん知識が出てくる。その知識を吸収して、ネットで調べるとジャンジャンでてくる。

 で、今回のことで気がついたのですが、
 アットホームな病院というのは、気休めを言う病院のことでは無くて、
 質問にジャンジャン答える病院のことだったんですね。


つづく

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posted by マネージャー at 16:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老人たちの話し 1

老人たちの話し 1

 どうも昔から私は、老人に好かれる傾向がありました。
 で、それに思い当たることが無くも無かった。

 私は、子供の頃、親元を離れ佐渡島の僻地で年寄りに育てられていた。
 それも、たったの3年間。
 0歳から3歳の間だけだった。
 3歳になった時、その僻地を去ったわけですが、
 僻地で御世話になった年寄りたちとは、
 その後も十数年の交流がありました。
 みんな私の顔を見に遊びに来たからです。
 そして、別れ際に大粒の涙を流しながら、こう言うのです。

「お父さんと、お母さんの言うことを聞いて、行儀良くするんだよ。お父さんたちに心配かけちゃだめだよ。みんなに、ありがとうの気持ちを忘れてはだめだよ」





 幼少の頃、私は父親・祖母の顔を知りませんでした。
 母親と一緒に佐渡島の北片辺というところに住んでいたからです

 母親は、小学校の教師で、当時は僻地だった北片辺小学校で働いており、私はベビーシッターに育てられていたわけです。ベビーシッターと言っても村の年寄り連中のことです。北片辺の老人たちに預けられていたんですね。昔の日本には、こういうベビーシッター制度がどこにでもあったんですね。でないと、子供を置いて、山の畑や、海の漁には出られなかった。

 で、私は、北片辺の老人たちにいたく可愛がられたわけです。たった3年だけれど可愛がられた。そして、その後も十数年の交流が続いたんです。連休なんかになると、北片辺から老人たちが軽トラに乗ってやってきて、私を拉致するように北片辺に連れて行った。そして北片辺で一緒に遊んだのです。ですから私の老人好きは、幼児の頃に原点があった。





 ところが3歳になると状況が変わってきた。
 弟が生まれたのです。
 母と0歳の弟は、北片辺に行ってしまった。
 母とは、離ればなれになってしまった。

 私は、実家で、父と祖母と一緒に暮らすことになった。今まで見たことも無かった父・祖母と暮らすことになった。ところが、私は、この父・祖母と相性が良くなかったのです。あまり可愛がられた記憶が無い。殴られた記憶しか無い。父も祖母も厳格なタイプで、幼少の頃の私は、なつかなかったようです。

 私が生まれつきの難聴だったことも、親子関係を悪化させたようです。父親の言語を理解できないために、父親を激昂させてしまい、よく殴られたり、2階の物置に閉じ込められたりしたしました。で、どうなったかと言いますと、近所の老人たちと毎日あそぶようになった。私の両親や祖母は、私と遊んでくれる近所の老人たちのことを
「淋しい人たち」
と思っていたようですが、それは逆でした。淋しかったのは私の方で、私から老人たちに近づいていったんですね。そんなこととは知らない私の両親や祖母は、
「どうも近所には子供好きの老人が多いなあ」
と勘違いしていたようです。

 それにしても良い時代でした。4歳の幼児が、(つまり私のことですが)、近所の庭先で仕事している老人をボーッと見ていると、こっちへ来なさいと手招きしてくれて、いろいろ話し相手になったり、御菓子をくれたり、自宅の飼犬や飼猫を紹介してくれるのですから、今では考えられないことです。こうして私は、いろんな老人たちと知り合いになっていった。


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 そして、しばらくたつと仲良くなった老人たちが私に「自分の人生」を語り始めました。と言っても4歳の私に本当の意味が分かるわけがない。戦争の事とか、騙されたこととか、駆け落ちしたこととか、息子が家出したこととか、4歳の幼児に意味が分かるわけがないんです。しかし、彼らは、同じ事を繰り返して何回も何回も言うんですね。それは厳密に言うと「ひとりごと」だったのかもしれません。しかし「ひとりごと」を何回も言うものだから、ボイスレコーダーのように4歳の幼児の脳みそに記憶されてしまった。

 今でもハッキリ思い出せる。恐ろしい話や楽しい話しでいっぱいだった。幼児の頃の私は、ものすごい無口だったから老人たちは、ついつい「ひとりごと」を言ってしまったのかもしれない。これは後日わかったことですが、老人の中には元731部隊の将校もいたけれど、彼も私に「ひとりごと」を言ってました。

 長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
 
 私が10歳を越えた頃には、誰も私に「ひとりごと」を言わなくなった。私に知恵がついてきたら、みんな黙ってしまったんです。質問しても答えてくれない。例外的に答えてくれた人はいたけれど、7割の人は、とぼける。中には、本当にボケた人もいたかも知れないけれど、大半はボケたふりをしたんですね。ある時期からは、老人たちは、肝心なところで無口になってしまった。

 1970年(昭和45年)頃のことです。
 70年安保があった時代。
 この頃を境に、世の中が変わっていたんですね。

 そして、1970年(昭和45年)頃に、私は母親と上京し、
 東大病院で難聴の診察をうけているんです。
 その時に、安保闘争のあった東大安田講堂を見学しています。
 私が小学2年生の時です。
 私は、この東大の大学病院の耳鼻科で、ものすごい衝撃を受けることになります。


つづく

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posted by マネージャー at 01:02| Comment(4) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

再検査

嬬恋村の健康診断で、
私は前立腺癌・嫁さんは乳癌の再検査を受けることになり、
私は、中之条の病院に通い
嫁さんは、佐久総合病院に通っています。

で、車で病院に向かうと、必ずかかってくるのが予約の電話。
震災以来、極端に御客さんが減っているので、
絶対に断りたくないのだけれど、
断るハメになってしまった。
うーん、うまくいかない。

病院まで1時間以上かかるうえに
再検査ともなると、何時間拘束されるか分からないからです。

で、嫁さんは無事だったわけですが、
私はグレーらしい。
医師に「今後何を気をつければいいですか?」と聞いたら
「遅いです」
「何もできません」
と言う答え。

思わず大爆笑してしまった

でも優秀そうな御医者さんだったので、
いろいろ質問してみたら
三十分にわたって医学知識を披露してくれ
専門書まで見せてくれ、
群馬大学のデーターなんかも教えてました。

「面白い先生だな」

と思いましたが、医者には、じゃんじゃん質問して良いのかな?と思いましたね。
今まで、なにも質問せずに医者に身をゆだねてましたが、
それは間違いだったのか?
質問すればするほど、詳しい回答が帰ってくるのかなあ?
だとすると、ジャンジャン聞いた方が良いのかな?


つづく

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posted by マネージャー at 11:17| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東日本大震災】反捕鯨団体「シー・シェパード」が岩手県大槌町で活動 恩を仇で返す



【東日本大震災】反捕鯨団体「シー・シェパード」が岩手県大槌町で活動 恩を仇で返す
2011.5.25 15:18

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052515220018-n1.htm

 反捕鯨団体「シー・シェパード」のメンバーがイルカ漁を監視するため訪れていた岩手県大槌町で東日本大震災に見舞われ、避難の途中で住民に助けられた。メンバーは今月になってまた大槌町に現れ、漁船などを撮影している。

 漁業関係者や「シー・シェパード」のホームページによると、団体のメンバーは2月下旬から、大槌町を訪問。イルカ漁にかかわる漁師や魚市場などをビデオやカメラで撮影した。

 3月11日の震災当時もメンバー6人が乗用車で監視活動中だった。津波から逃れるため高台に避難。その後、宿泊先のホテルがある約50キロ離れた遠野市に向けて徒歩で移動を始め、途中から地元住民の車に乗せてもらい、食事の提供も受けていた。(SANKEI EXPRESS)





こいつら、最低ですな。
恥を知れと言いたい。
テレビで
「嫌がらせをするのは楽しい」
と言ってたのを見たときは反吐が出そうだった。

はっきり言って、こいつらレイシストでしょう?

恩を仇で返すというのは、このことではないでしょうか?
震災の時に、あれだけ助けてもらったくせに
「嫌がらせをするのは楽しい」
とは、どういうことだ?

奴らは手段と目的をとりちがえている。
日本政府は、やつらを永久に入国禁止した方が良い!






岩手でシー・シェパードが震災・津波に遭遇…「日本人は親切だった」


http://news.livedoor.com/article/detail/5418489/

環境保護団体を標榜するシー・シェパードのメンバー6人が11日、岩手県の三陸海岸にある大槌町で、地震と津波に遭遇していたことが分かった。

「イルカ保護のため」として、同地を訪れていた。
6人全員が無事だった。
リーダーのスコット・ウェスト氏は手記を発表し、甚大な被害に驚き、
心を痛めると同時に、自分たちに向けられた「日本人の親切さと温かさ」を強調した。

津波が押し寄せた時、メンバーらは、イルカ処理施設を見ることができる高台にいた。
そのため、巨大な津波が街を破壊する様子を目の当たりにした。

夕方になり、残骸(ざんがい)の上で漂流する女性が助けを求めている悲鳴を聞き、ロープを投げるなどしたが届かず、道路に出て消防車を呼んだ。消防隊員が救出しようとしたが成功せず、女性が乗る残骸は海の方にゆっくりと流されていった。あたりは暗くなり、女性の声も聞こえなくなった。
ウェスト氏は「ショックだった。信じられなかった」とつづった。

11日夜は、メンバーが乗ってきた自動車の中で過ごした。外気は摂氏0度程度に冷え込んだが、ガソリンが十分にあったので、凍えることはなかったという。夜明けごろに山火事が発生し、人々が逃げてきた。周囲の道路は自動車が走行できる状態ではなかったので、徒歩で脱出した。

その後、安全な内陸部に向うことにしたが、警察官に事情を話したところ、遠野市にあるホテルを手配してくれた。

約50キロメートルの道のりだったが、歩くしかなかった。
大槌町の市街地は壊滅状態で、レンタカーを利用することも、不可能だったという。

すると、住民男性のひとりが、遠野市に向う自動車2台を手配してくれた。
運転してくれたのは、経営していた商店が津波で流されてしまうなど、
「すべてを失った人だった」という。
ウェスト氏は
「この日、われわれに向けられた親切と寛容さを、書きつくすことはできない」
「日本の人々は暖かくて親切だと、これまで以上に確信することになった」
と記した。

ただし、クジラやイルカ漁に反対する立場は変わらず、「イルカなどの虐殺をやめれば、日本は海洋保護のリーダーになる可能性が大いにあるのだが」との考えを示した。






これだけ親切にしてもらって、
恩を仇で返す奴の気が知れない。



つづく

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2011年05月26日

美味しいラーメン屋について

美味しいラーメン屋について一言。

実は、私はラーメン屋で働いたことがあります。
そのために全国のラーメン屋で食べ歩きをしました。
ラーメンには、ちょっとうるさい。





さて、ラーメンの美味しさには、3種類の美味しさがあります。
まず、スープの美味しさ。
しかし、まずいスープでも誤魔化すことは可能なんです。
味噌とか、トンコツ味にすると誤魔化しが可能。
よーするに、コッテリ味にしたり、辛くすると、まずさが分からなくなる。
ダシの出てない味噌汁を誤魔化すために、胡椒や唐辛子を入れるようなものです。

逆に、塩ラーメンだと味がすぐにバレる。
だから美味い拙いをハッキリさせるには、塩ラーメンで一発でわかる。
店に不安を感じたなら塩ラーメンは注文しないことです。


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あと、ダシの美味しさ。
これは何でダシをとっているかの問題。
豚骨・丸鶏なら、問題は無い。
鶏ガラ・牛骨・魚だと問題がある。
あきらかに味が劣る。
しかし、これは好みの問題だし、工夫によっては美味しくなるので、腕の問題かもしれない。





そして麺の美味しさ。
これが一番の問題です。
美味しい麺をつくるのは簡単。
製麺業者に、かん水を多めに入れてもらえば良い。
しかし、それでは身体に悪い。
で、対策として、ゆで水をジャンジャン取り替えれば良い。
これをやってるラーメン屋は、10軒に1軒もない。

だいたい取り替える店がない。
チョロチョロと湯を足している店ばかり。
そういう作り方では、不味いラーメンしかできない。
ラーメンは、湯で水を早めに全部とりかえた店ほど美味しいめんができる。




あと、水切り。
同じチェーン店でも、水切りの差によって不味い店がある。
酷い店になると、水切りせずに、数分ぶら下げたままの店も多い。
だいたい、ラーメン屋で修行する時に、最初にやるのが水切り練習なのに
それをはぶいている店は、言語道断!
いくらスープが美味しくても駄目だよなあ。

手間をはぶくなと言いたい。


つづく

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posted by マネージャー at 08:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

けんちゃん食堂

けんちゃん食堂

この店は、観光客を相手にしていません。
なにせ土曜日が定休ですから。
しかし、美味しい。
味がすぐにばれる「塩ラーメン」を注文して食べれば一目瞭然。
美味しいんです!
こんな田舎に、どうして美味しいラーメン屋が?
不思議と言えば不思議。

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他にもいろんなメニューがありますが、大盛りの量が半端な量ではないです。

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で、サブメニューの巨大メンチも有名。
でも、これを注文するのは、一般人はやめたほうがいいです。
かなり大きく、油っぽいですから。

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http://www5.ocn.ne.jp/~kentyan/
〒377-1614 群馬県吾妻郡嬬恋村田代1019-7 TEL0279-98-0787

けんちゃん、ちゃんぽん、あさりラーメンは野菜をふんだんに使ったボリュームたっぷりのラーメンです。チャーシューは国産豚バラ肉をスライスし巻き上げ、とてもやわらかい醤油ダレで煮込んだ自家製の一品です。

あさり(しお味) 850円
みそ 650円
しお 500円
しょうゆ 500円
各ラーメン+セットメニュー!
各ラーメンに250円プラスでライス小、メンチカツ付


つづく

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posted by マネージャー at 09:25| Comment(4) | TrackBack(0) | 鹿沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

しゃくなげ園ハイク

しゃくなげ園ハイク

今年のしゃくなげ園は、すごいですね!

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今回のメンバー

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今年は大豊作!

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コケモモやガンコウランも、いいかんじ。

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しらはげまでチャレンジ!


つづく

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ラベル:しゃくなげ園
posted by マネージャー at 06:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 浅間高原・シャクナゲ園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

小野子山ハイキング

小野子山は、高山村にあります。

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すそ野には「たかやま高原牧場」が広がっています。
眺めはさいこうです。

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では、スタート。

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桜が。

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頂上。

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お昼御飯。

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つづく

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posted by マネージャー at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 中之条 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

今年は、嬬恋村のシャクナゲ園が開園以来の大豊作でした

今年は、シャクナゲ園が開園以来の大豊作
論より証拠!
まず、アララギ園の写真から御覧ください。

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すごいですね!
驚きますね!
こんなに咲いたのは、
開園以来はじめてではないでしょうか?


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アララギ園で、このレベル。
すごいですね。

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今、アララギ園がぴーくなんでしょうね。

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さて、シャクナゲ園に到着。

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受付には、ビールやお酒やジュースが売っています。
シャクナゲやツツジの苗木もありますよ。

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看板もありますが、マップももらえますからもらってください。

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シャクナゲ園。
まだ、つぼみが多いですが、このつぼみをよく見てください。
このつぼみから、たくさんの花がでてくるんです。

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ということは、下記の写真だと、どれだけ花が佐久でしょうか?
つぼみの数の数倍の花が咲くんですね。
だから、咲き始めたら凄いことになります。

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これは咲き始め。
下の方は、まだつぼみです。
日の当たる上の方は、咲き始めています。

赤いのがつぼみ。
白いのが花です。

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手前のシャクナゲは、赤いですね。
これはつぼみです。
奥は白いですね。
これは花です。

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この写真も白いところが花で、赤いところが、つぼみです。
つまり、まだ3分咲き。
それで、こんなに綺麗なんです。
満開になったら、どんなに素晴らしいことか。

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ピークは、これから。
はやければ、土曜日・日曜日に一斉に花が咲き始めるでしょうね。
遅くても、水曜日あたりには満開ではないかと。
28日の土曜日には、すごいことになりそうです。

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手前は美しいですが、その奥は何も咲いてませんね。
実は、バックはレンゲツツジなんです。
レンゲツツジは、6月末に満開になります。
まだはやいんですね。

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このシャクナゲ、朝の8時にはつぼみでした。
10時頃に、こんなになってしまいました。
日差しが暖かいので、短時間に咲いてしまったのです。
うーん、油断ならない。

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一番上の北斜面は、まだまだ咲いていません。
こちらは、29日が見頃かも知れない。

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もっとも、少しづつ花が咲いてはいます。
暖かいと、一斉に咲き出してしまうので油断なりません。

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シラはげ方面は、このとおり。
標高の高いカラマツ林の中のシャクナゲは、6月に見頃かなと。

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シラはげルートは、雪はありません。
道も、いいかんじです。
猪たちの足跡も見られます。

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四阿山が美しいですね。

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コマクサは、まだまだですね。
ただし、ここのコマクサは、草津白根のコマクサより1ヶ月はやいです。
はやければ、6月中に咲くこともあります。

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つづく

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posted by マネージャー at 17:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 浅間高原・シャクナゲ園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

草津湯畑

草津湯畑

 草津の名の由来は「くさうず(臭水)」がなまった言葉と言われています。
 つまり硫黄のにおいが臭いんですね。
 ちなみに草津には、虫がいません。
 蛾もも蠅も蚊もいません。
 昆虫が全くいないのです。
 温泉の臭気のなせるわざです。 

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 ちなみに湯畑は、高温で湧出する温泉をさますための施設です。
 自然冷却方式を採用しているわけです。
 湧き出た湯を7本の木樋に通して、
 木樋に湯の花が付着することにより
 宿に供給するパイプが湯の花で詰まりにくくし、
 源泉が48℃前後まで下がります。

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 それを共同浴場や旅館に運ばぶことによって43℃前後の適温になるのです。
 これが草津の温泉の特色です。加水してないので、温泉が濃いのです。
 他の温泉のように大量の水を加えませんので、
 温泉の濃度が高いのです。

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 ちなみに草津の源泉はpH1.6〜2.3の強酸性。
 1円玉が1週間で溶けて無くなってしまいます。
 怪我をしても温泉水で消毒になりますので、
 地元の人は市販の消毒液を買ったことがありません。

 あと草津温泉は眼にも効くらしく、草津にある病院・医院に眼科はありません。
 地蔵の湯は湯気を目に当てるだけで効果があると言われています。

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 ちなみに湯畑をデザインをしたのは岡本太郎さんです。
 歩くと気がつきますが、大量の瓦が使われています。

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 脱線しますが、日産スカイラインも草津と縁があります。
 スカイラインを開発した桜井真一郎氏が昭和三十年三月、
 草津でスキーをする為に立ち寄った「芳ヶ平ヒュッテ」から見えた山の稜線が、
 美しかったのでスカイラインの名が浮かんで、車の名前にしたらしい。

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 湯畑では、年四回「湯の花」の採取が行われることでも有名です。
 しかし、草津で売られている湯の花の大半のものは、草津さんのものではありません。
 残念ながら。
 草津さんの湯の花を手に入れるのは難しい。

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 この草津温泉を発見したのは、「行基」であるらしい。その後「吾妻鑑」によると1193年8月に鎌倉幕府を開いた源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曽義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏(御殿の助)が草津温泉に案内したとされ、湯本の姓を与えて草津の地頭になったとあります。その際に源頼朝が発見した湯でもあり入浴した言われるのが白旗の湯です。

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 室町時代以降は多くの著名人も訪れた記録が残っています。
 温泉街の中心、湯畑の西には馬を入湯させるための「馬の湯」もあったらしい。
 冬場は積雪などの為、温泉地は閉鎖され
 宿主も冬には全国を周り草津温泉を宣伝し歩いたと言います。
 草津温泉が、全国的に有名になったのは、そのせいだとも言われています。

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 また戦国時代には、いろんな武将が入浴しています。長尾為景・真田幸隆・丹羽長秀・堀秀政・多賀新左衛門・豊臣秀次・大谷吉継・前田利家なんかが入っています。ただし、徳川家の家臣や徳川家康は草津には入っていません。真田軍団を恐れたためとも言われています。で、真田氏を改易して草津をとりあげて幕府の直轄領にしたわけですが、それでも徳川一族は入りに来なかったとか。

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つづく

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ラベル:草津湯畑
posted by マネージャー at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 草津温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

草津のとんかつ屋「暖」

草津のとんかつ屋の紹介

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お食事処 暖 (だん)

実は、草津では有名な店で、特にショウガ焼きが美味しいといわれていますが、
接客の問題で、混んでいるときに行ってはいけない店とも言われています。
いわゆる賛否両論なのですが、これは店が悪いのでは無く、混雑が悪いのですね。
私は、不愉快な思いをしたことはありません。
味だけで言えば、美味しい店ですし、ボリュームも凄い。
値段は高いですが、湯畑が見える位置にあることと、
居酒屋でもあることを考えれば、こんなものかと。
逆に美味しい日本酒が飲めます。

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メニューは、こんな感じ。


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群馬県吾妻郡草津町大字草津113
TEL 0279-88-6716
草津町中心部にある湯畑を周回する道路沿いにあります。


つづく

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posted by マネージャー at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 草津温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

草津共同浴場 凪の湯

草津共同浴場 凪の湯

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 西の河原通りの近くです。凪の湯は奥まった所にあるせいか、ひっそりとしています。浴室は半地下にあります。電気を点けても、まだ薄暗いです。おまけに手狭な共同浴場が多い草津の中でも、この凪の湯は一際狭くて、大人数が入るには無理がありますね。

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 ちなみに源泉は、西の河原源泉。この源泉に入れる共同浴場は、草津に18箇所ある共同浴場でもここだけです。「西の河原」の泉質は酸性塩化物硫酸塩泉。PH値は1.7。泉温は94.6度。それだけに熱い。加水しないとはいれたものではありません。ホースの水でうめて、なんとか入ることができます。

 みんな、よく、この共同浴場に入ったなあ。
 私なら躊躇するなあ。
 初心者なら千代の湯あたりが無難です。
 しかし温泉通は、あえて、ここを選ぶ人が多い。
 唯一の西の河原源泉ですから。

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つづく

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posted by マネージャー at 09:28| Comment(3) | TrackBack(0) | 草津温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

群馬の休日

このポスターには、群馬県人が写っています。

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中山秀ちゃん&井森美幸さんの群馬の二大スター(?)が、
群馬県のイメージキャラクター「ぐんま大使」を務めているポスターです。
名作映画「ローマの休日」を、モロにもじっていますね。
背景に尾瀬・嬬恋村・谷川岳が写っています。


ちなみに群馬県出身の有名人、意外といるんです。

映画監督だと、小栗康平(泥の河)、清水崇(呪怨)などワンサカいます。
テレビだと「おれたちひょうきん族」のプロデューサー、横澤彪さんが有名です。
漫画家だと、あだち充かな?
タッチの絵は、もろに前橋の風景であり、高校の野球部も前橋商業でした。
オカリナ奏者なら、宗次郎さんですね。
キリスト教関係者なら、新島襄・内村鑑三。

芸能人だと、小林桂樹・玉川良一・東野英治郎・三國連太郎・金谷ヒデユキ・布袋寅泰・団しん也。
うーん、個性ありますね。
みんな個性的。

女性も負けていません。篠原涼子・高田敏江・由紀さおり・井森美幸・松本典子なんかが有名。
けっこう天然系・ドタバタ系が多いですね。


嬬恋村も、「嬬恋村の休日」のポスターつくればいいのに。

ここには、皇室が、よくくるし、
元皇族の方も住んでるんですよ。


つづく

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ラベル:群馬の休日
posted by マネージャー at 08:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

草津の饅頭屋通りを歩いてみる

草津の饅頭屋通りを歩いてみる。

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 湯畑の後に西の河原公園へ向かう。西の河原公園通りを歩いていると温泉饅頭屋があり、温泉饅頭屋を無料でくばり、お茶を渡してくれます。ここは、遠慮無く御馳走になりましょう。美味しいので食べて損はありません。もし、美味しいと思ったら買って帰ればいいし、いらないと思ったら立ち去れば良いです。ただ、旅行の最終日でないケースもあります。つまり饅頭には賞味期限があるので、どうせ買うなら最終日に買いたいと思っているなら、
「最終日にもう一度来ます」
と言って立ち去れば良いのです。無理して買うことはありません。むこうだって無理に押し売りはしてきません。

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つづく

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posted by マネージャー at 07:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 草津温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

草津・西の河原公園散策

草津・西の河原公園散策
別名、賽の河原・鬼の泉水と呼ばれています。



鬼は地獄(地下)から来るというイメージですね。

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西の河原大露天風呂です。
http://www.kusatsu-onsen.ne.jp/

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硫酸塩・塩化物温泉(酸性低張性高温泉)で、大きな露天風呂。奥に行けば行くほど熱くなり、手前ほどぬるいので、自分で温度調節が出来ます。特に夜はライトアップされ、星空を眺めながの入浴は最高です。

営業時間
4月〜11月 午前7:00〜午後8:00
12月〜3月 午前9:00〜午後8:00(いずれも終了30分前までに入館)

料金 大人500円、小人300円


その昔は東屋の横にある小さな滝つぼに露天風呂がありましたが、現在は更に上段に大きな露天風呂が出来たため使われていません。周辺は上信越高原国立公園であるため、昔の景観をいまだに残しています。


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この公園には、50度以上の温泉が毎分1万5千リットル湧き出しています。
強い酸性の温泉の為、河原に植物はありません。
唯一、湯川にはマリゴケという珍しいコケが生育しています。マリゴケは、マリモの仲間で屈斜路湖と福島の猪苗代湖の2湖のみに棲息していると言われていましたが、ここにもあったんですね。

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「瑞祥の池」や「琥珀の池」など、エメラルドグリーンの美しい輝きを放つ温泉の池があります。ちなみに西の河原では、昔は、大声を出してはならないと言われていました。また斎藤茂吉や水原秋桜子が草津を詠んだ、歌や俳句が刻まれた石碑もあります。

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ドイツ人医学者ベルツ博士と、
その共同研究者スクリバ博士の胸像。
彼らが草津の温泉と環境を世界に広めてくれました。

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小高い所にビジターセンターがあります。
ここでは、草津町周辺の自然がパネルで紹介されています。
入館は無料。

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つづく

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posted by マネージャー at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 草津温泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演

終焉に向かう原子力 広瀬隆氏講演



今回の福島第一の揺れは僅か550ガル
ちなみに
三年前の岩手地震3866ガル
柏崎刈羽原発の揺れ2058ガル



これが事実だとしたら、すごいことになりますが、
本当のところ、どうなんでしょうかね?
ニュースによれば、福島第1原発事故は、津波前におきているらしい。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011051600860

福島第1原発事故で、東京電力は16日、地震前後の原子炉の状態を計測したデータや、運転日誌などを公開した。データによると、メルトダウン(全炉心溶融)した1号機では3月11日午後2時46分の地震発生直後、炉内を冷やす非常用復水器が起動したが、津波到達30分前の同3時ごろ停止。


もう、何が何だかわけが分からん!


地震でメルトダウンなのなら福島第二もメルトダウンでは?
本当に 地震のせいなのか?
津波のせいではないのか?



つづく

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posted by マネージャー at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 特設 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

「常布の滝」ハイキング

「常布の滝」は、日本の滝百選にも選ばれている日本を代表する滝の一つです。

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さらに、この常布の滝近くに天然温泉があります。今回は、行ってないですが、機会があったら行ってみたいものですね。ただし、5月は雪解け水が多く、とても入れる温度ではありません。水の少ない時期でないと駄目ですね。



今回のメンバー。
被災地からの参加者もいます。

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フランス帰りのマルちゃん

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ふきのとうが

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アリの綱渡り
被災地から参加のKさん

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到着です。

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つづく

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2011年05月15日

今週のシルマンウォークは、草津でした

今週のシルマンウォークは、草津でした。
ここは、殺生河原。
武具脱の池です。

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かつて源頼朝に追われた木曽義仲の残党が、武具を脱ぎ捨てたという伝説からこの名がついたといわれています。

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ここが殺生河原。
危険なところです。
亜硫酸ガスが、時々発生します。
だから草木が生えていません。

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つづく

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2011年05月14日

明日から嬬恋村しゃくなげ園・開園です

明日から嬬恋村しゃくなげ園・開園です。

今年は、つぼみが多いために豊作が期待されています。
開花は、来週の週末がピークですね。






つづく

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2011年05月13日

フランスから帰ってきたマルちゃんが北軽井沢ブルーベリーYGHへ

今夜からフランスから帰ってきたマルちゃんが、
北軽井沢ブルーベリーYGHにくることになりました。

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マルちゃんという人は、北軽井沢ブルーベリーYGHの元ヘルパーさんです。
1年間フランスに滞在する予定だったのですが、
震災と原発にショックを受けて、帰国したのですが、
フランス人たちは、
「どうして大変なときに買えるのか?」
と不思議がってたらしい。

しかし、日本人は、大変なときだからこそ帰るんですよね。
それが日本人というものです。
これは第二次大戦後でもそうでした。
多くの日本人が、焦土の日本に帰っていった。
でも、他の国では、そうではないらしい。


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マルちゃんとは、久しぶりの再会なので、明日は
フランスでの土産話を聞かせてもらうとするか!
もう2年くらい会ってなかったもんなあ。


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つづく

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posted by マネージャー at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イラーナ・ヤハフさんのサンドアートが凄い!

サンドアートって聞いた事ありますか?
イラーナ・ヤハフさんのサンドアートが凄い!
説明するより、見た方がわかりやすいですね。








つづく

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posted by マネージャー at 01:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドリフターズは凄かった。

ドリフターズは凄かった。
まず、ビートルズ来日公演前座をみてください。
レベル高いですよ。




プレスリー。こっちも本格派! レベル高い。





懐かしいですね




これも懐かしい




これはインドバージョン




インド版365歩のマーチ




インド版ど根性ガエル




以前にも紹介しましたが、名作です。




つづく

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posted by マネージャー at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月12日

稲村山ツアー

今回は、稲村山ツアーです。

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安中山の会は、群馬県でも有名な山岳会。

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新緑がきれい。

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ツツジ科の新緑の特徴は、葉が上をむいているところです。
これがナラ科。つまりミズナラなんかだと、葉は下を向いています。
木の種類で葉付きが全く違うんですよね。

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頂上です。

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ここも信仰登山の山です。

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さて下山。

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つづく

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ラベル:稲村山ツアー
posted by マネージャー at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 横川・妙義山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

春の浅間高原

春の浅間高原です。

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ちなみに、今年のシャクナゲは、豊作ですね。
つぼみが大量にありました。
ただし、まだ花は咲いていません。
1週間後あたりが満開ではないかと。
あとで、写真をアップしておきます。

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つづく

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ラベル:春の浅間高原
posted by マネージャー at 09:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 嬬恋村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乙武さんのツイッターが凄いと話題

乙武さんのツイッターが凄いと話題

何が凄いかって?
ちょっと、動画をみてみてください。
みると、その凄さがわかります。




つづく

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posted by マネージャー at 03:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする