先日、1年ぶりに友人が、北軽井沢ブルーベリーYGHに遊びに来てくれました。
彼女は、ワーキングビザで1年間フランスに滞在していました。
仕事は、ベビーシッターです。
これは、その彼女との会話
「ベビーシッターか、いい制度だね。日本も、その制度を活用すれば良いのに」
「いや、フランスだってベビーシッターを雇える家は少ないです。フランスでも、お金持ちでないとベビーシッターなんか
、とてもじゃないけど雇えません」
「はあ? それ変だよ」
「?」
「言っちゃなんだけれど、俺は幼児の頃にベビーシッターの御世話になって育ったんだから」
「あ!」
古いつきあいなので、彼女は私の幼少の頃を知っています。私がベビーシッター(村の老人たち)の御世話になって育ったことを知っていたので「あ!」と声をあげたのです。私は、今年で五十歳になりますが、私の世代の佐渡島の人間は、多かれ少なかれベビーシッターの御世話になっています。子供を近所どうしで預けあったりしているのです。そして、その時の話題が、ずーっと後になってでてくるのです。
例えば、私の弟は、近所に預けると、ワンワン泣いて手におえなかった。
だから、こっそり逃げるように去って行った。
それが、数年後に茶の間の話題になる。
私の場合は、逆に近所の人と馴染んでしまい、
嫌がることが少なかった。
それが、数年後に茶の間の話題になる。
私も弟も、こんなぐあいにベビーシッターを体験している。
しかし、当時の私のうちの家庭は、
金持ちどころか貧乏人もいいところだった。
いや日本中が貧乏だった。
だからベビーシッターといっても、
時給を払ったかどうかは知らない。
払ってなかったかもしれない。
払う代わりに、店の品物を買ったりしたのかもしれない。
これは今じゃ考えられないことかもしれない。
あと、ベビーシッターの多くは老人だった。
それも、よく話しをする老人だった。
しかし、体力は無かったと思う。
みんな、杖をついていた。
今じゃ、杖をついている老人なんか見たことが無いけれど、
昔は、老人の大半は腰が曲がっていた。
杖無しでは歩けなかった。
子供の頃から田畑で働いていたから四十歳を過ぎた頃から腰が曲がってしまっていたのだ。で、農閑期に温泉に行っていた。春までに温泉で曲がった腰を元に戻さないと、身体が壊れてしまうのだ。そういう次第なので、六十過ぎの老人たちは、みんな腰が曲がっていた。だからベビーシッターできるような体力は無い。腕力で子供を押さえつけることなど不可能なのです。
で、彼らは、どういう技を使って子守をしたかというと、話術で子供たちを惹きつけるしか無かった。昔話・民話なんかがそうで、いくらでも「話」をもっていました。とはいっても、無限に話があるわけでは無い。同じような話を何度もするようになる。しかし、これが飽きない。古典落語のように飽きない。
話は、昔話だけでは無い。「ひとりごと」も言う。つまり自分の人生のお話し。実は、これが一番面白かった。昔話よりも面白い。なにせ語り手が興奮して語るので、その熱気が伝わってくる。もちろん幼児には意味は分からない。でも何度も聞いているので、全て暗記してしまう。だから今でも全部覚えている。というか忘れられないのだ。
例えば、シベリアの秘境の話。家を建てたら夏になると泥の中に沈んでしまった話。河で魚を捕るときに、爆弾を使って魚を気絶させて手づかみで捕まえた話。青森市の話。青森の床屋で働いていたら「父危篤」の電報がきて、大急ぎで佐渡に帰ったら嘘電報だったうえに見合い相手が待っていた話。そんな話を毎日のように聞かされた。というか、意味も分からずに面白がって聞いていた。
年老いたベビーシッターたちは、こういう話をしながら私の子守をしつつ、
竹細工なんかを作っていました。
ちなみに、その竹細工は、役場の人が老人たちに作らせていた。
役場が老人たちに竹細工を作らせて、どこかで販売していた。
生活に困った老人たちを助けるためです。
その役場の人と、四十年後(2003年)に佐渡島のドンテン山の
山小屋(ドンテン山荘)でバッタリあったりもした。
もちろん私は覚えてないし、初対面もいいところだったけれど、
相手は私を知っていた。
その時には、佐渡の図書館の館長だった。
しかし、昔は、老人に竹細工を作らせる役場の担当者だった。
http://www.ryotsu.sado.jp/donden/
話は脱線するが、佐渡島のドンテン山の山小屋は、日本一人気のある山小屋で、泊まることさえ難しい山小屋だった。私は地元のコネで泊めてもらった。客室ではなく、ピカピカの天文観測室に泊めてもらった。ちょうど、土井君も一緒だったが、彼は、例によってアルコール中毒の悪い癖がでてしまい、酒を飲み過ぎた土井君は、ピカピカの天文観測室でゲロを吐いた。
偉大だったのは、ペンション「歩゚風里」のオーナーの三苫さん。
すかさず、自分の手で土井君のゲロを受け止めた。
「宿がゲロまみれにしては、翌日に泊まる御客さんに迷惑がかかる」
と咄嗟にとった宿主らしい行動だった。
「歩゚風里」のオーナーの三苫さんは、私たちの間で英雄になった。
逆に地に落ちたのが土井君の評判。
しかし土井君の悪い癖は、あいかわらず治ってない。
つづく
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