2011年07月07日

国家の実力―危機管理能力のない国は滅びる 1

国家の実力―危機管理能力のない国は滅びる



久しぶりに面白い本を読みました。
これは対談なのですが、おもに佐々淳行さんが語っています。
警察官の現場として、浅間山荘事件などで活躍した佐々淳行さんの語りが面白い。
現場でないと知らないことを語っています。
論より証拠、ちょっと抜粋して紹介してみましょう。




◆四十年前から進歩していない学生運動政権

佐々
 先生は経験者だからよくご存じでしょうけれど、学生運動が燃え上がっていた昭和四十三年の暮れに、いままでの放水車ではどうにもならないというので、十二気圧をかけられる高圧放水車を予備費でなんとかお願いしますと大蔵省に陳情したんです。それで新鋭の高圧放水車を二〜三台詞達して、東大の安田講堂攻めをやった。ところが、ベニヤ板で窓をふさいであって、放水しても跳ね返されちゃう。

 あれは城攻めにはあまり役に立たなかったんです。

 その代わり、水平に操作して少し加減した水圧で
 デモ隊の足元を狙って打つと、たちまちひっくり返る。

 きっと菅さん仙谷さん
 なぎ倒された経験があるんじゃないですか(笑)。


 その時の記憶があるからか、
 いきなり警視庁第一機動隊の高圧放水車を指名してきた。

 あの人たちの記憶は昭和四十四年一月で止まっているわけです。


渡部
 面白い(笑)。
 当事者だけが知る話ですね。


佐々
 最初に聞いた時は吹き出しちゃいましたよ。
 それに高圧放水車の射程は水平で百メートルだし、
 あんな放射性物質が満ちているところへ防護衣もなしに近寄れたものじゃない。
 事実、見事に失敗しました。
 私は「警視庁第一機動隊の無念さは察するにあまりある」と、ある本に書いたんですけどね。
 装備・機材もなしで、できないことをやらされたんだからね。
 政府首脳は記憶が停止していたがために警視庁第一機動隊を過大評価したんです。


渡部
 学生運動の時代の記憶で国の政治をやられたんじゃたまったものではないですね。

佐々
 それから次に自衛隊のヘリコプターが水を入れた容器を積んで、
 原発上空から水を投下したでしよう。
 あれも私たちが東大安田講堂に対してとった戦術です。
 自衛隊は随分断ったらしいけれど駄目なんですよ。

 安田講堂の時は、放水車では射程が足りなくて屋上に水が届かなかった。
 彼らは平気で石やら火炎瓶を投げてきましたからね。
 ならば上から水をかけて催涙ガスを落としてやろうというので、
 ヘリコプターで行ったわけです。

 ところが、失敗しました。
 ヘリコプターのローターが強烈な風を起こしているから、
 水をまいても正確に屋根には落ちない。
 それどころか、地上で見守っていた警察官たちに降りかかってきた。
 おかげで私たちも催涙ガスの粉から水からかけられて大変でした。
 一月十八日ですから、寒いんですよ(笑)。
「俺たちに水をかけるやつがあるか!」
「中止!やめやめ!」
と言って止めさせた作戦なんです。
 これを彼ら(菅内閣)はやったんですね。

 どうやら彼らは、
 あの作戦が効果がなくて中止になったことに
 気づいていないようです。
 四十年たったいまでも。



渡部
 やられたことだけを覚えていた。
 佐々さんは失敗したと思っていたけれど、彼らには一応効いたのでしよう。


佐々
 そうなのでしようね。
 彼らなりの経験則で「これだ」と思ったんでしよう。
 いい作戦だとね。
 でも、それが失敗していることをわれわれは知っているわけです。
 おまけに今回は原発上空でしょう。
 放射線が強かったし、ホバリングなんかできません。
 だから飛びながらまいたわけだけれど、水は見当違いな方角に飛んで行きました。

 安田講堂の時は私らも困ってしまって、ちょうど本郷の消防署から消防車が来ていたから手伝ってくれと頼んだんです。高圧放水は彼らのほうがすごいですからね。そうしたら、断られました。

「うっかり手伝うと、本当の火事で出動したときにホースを過激派に切られたりするから駄目だ」

と。

 私、本郷署長と大げんかしたのですが埒が明かないので、警察庁から消防庁に頼んで正式に命令を出してもらったんです。それで消防車にベニヤ板を張った窓に向けて高圧放水をしてもらったら、ぱかっと開くんです。われわれ警察側は感心して、
「やっぱり消防車の威力にはかなわないな、我が高圧放水車は駄目だね」
なんて言っていたんですよ。

 ところが、今回の原発事故の対応で、菅政権は私たちが失敗した上から二つの方法を第一弾、第二弾と繰り出したわけです。あれを見て「本卦還りか」と思わず笑ってしまったんだけど、彼らは四十年前の記憶を後生大事に覚えていたわけです。それで、やっと三号機の爆発から三日後になってハイパーレスキュー隊に応援要請をしたわけですが、実は石原都知事は当初からハイパーレスキュー隊を派遣していたんですね。ところが官邸や原子力安全.保安院の手順が悪く、また出動途上で一号機が爆発を起こし、状況が変わったこともあり、いったん帰ってきていた。

 そこに海江田経産相が「速やかにやらなければ処分する」と言ったものだから慎太郎さんが激怒したわけ。「何を言ってやがる。俺たちが派遣したのに使わなかったじゃないか」ってね。

 結局、ハイパーレスキューの後に出てきた遠距離からピンポイントで水を注入できるコンクリートポンプ車が効いたわけですが、業者は「あれを使えばいいのに」と最初から言っていたんです。でも、その情報は届かなかったわけです。要するに、学生時代の経験則だけを頼りに政治を行っているんですよ。しかもそれが正しいと思っている。本当に四十年前で思考が止まってしまっているんです。






 いかかでしょうか?
 ものすごく興味深い対談ですね。
 しかし、こんなのは序の口で、この後、佐々節が爆発します。
 読んでて、爆笑の連続。
 まさに「踊る大捜査線」です。
 まあ、読んでみてください。
 



◆ミグ25戦闘機事件が生んだ安全保障会議設置法

佐々
 一九八六年に安全保障会議設置法という法律ができて私が初代の内閣安全保障室長になったのですが、それまでは危機対応なんて実にいい加減なものでした。例えば、ハイジャックが起こったらどの省が担当するかなんて法律には書いていないから、各省庁とも譲り合って大混乱が起こっていました。ダッカ事件の時がそうでしたし、それからソ連のべレンコ中尉がミグ25戦闘機に乗って領空侵犯して函館空港に着陸した時はもっとひどかった。あれは記録に残しておいていいぐらいのひどさでしたよ。

渡部
 どのようにひどかったのですか。

佐々
 まず各省庁の緊急会議が官邸で開かれました。当時は安全保障室がなかったから官房副長官の主宰です。そこで出席者が言ったのは、これは防衛庁の責任だと。自衛隊法第八十四条には、領空侵犯に対しては着陸させたり、または退去させるための必要な措置を講じさせるとある。それをみすみす突破されたのだから防衛庁の責任だというわけです。

 そうしたら防衛庁の政府委員が、確かに第八十四条はそうだけれど、それは日本領空を飛行している間について書かれた法律で、すでに強行着陸しているのだからここから先は航空自衛隊に責任はない。これは入管の問題だから法務省の責任であると言うわけです。

 そうしたら今度は法務省が、入管というのは泳いで国境を越えてくるなり貨物機に忍び込んで不正入国した場合を想定している、軍用機で飛んできたというのは前例がない、だからこのケースは入管では扱わない、と言うのです。

渡部
 なるほど。法務省がそう言ったのですか。

佐々
 ええ。でも、ベレンコ中尉は密入国になるのではないか、だとすると出入国管理の問題だからやはり法務省でしようと言うと、法務省は警察の責任だと言い出したわけです。なぜかというと、ミグ25は空港に置きっぱなしになっている、これは遺失物法で取り扱うべきだと(笑)。しかも
トカレフ拳銃を持っていたから銃刀法違反、
威嚇射撃もしたから火薬類取締法違反

だって。戦闘機を遺失物法で扱うなんてバカな話は聞いたことないとわれわれが怒ると、今度は密輸だと言い出した。密輸なら大蔵省の税関が所管である、と。

渡部
 めちやくちゃな理屈ですな(笑)。

佐々
 本当の話です。
 そして最後は「アメリカに亡命したい」と言ったので外務省。そういう、どたばた騒ぎがあったのです。
 それを苦虫をかみつぶしたような顔をして聞いていたのが後藤田さんです。それで「こんなことをやっていたら、日本が駄目になる」と言って安全保障会議設置法をつくったのです。縦割りの省庁では解決できない、また地方自治体も解決できないような特定の問題については、国が国家危機管理としてやろうというわけです。その場合、安全保障会議を束ねるのは官房長官にしようと。そういう形で国家の危機管理という観念を後藤田さんが確立したわけです。
 そして国防に関することも、それまでの国防会議設置法を廃案にして安全保障会議設置法にまとめたんです。だから、安全保障会議設置法というのは基本的には国防なのですが、そのほかに緊急事態対処というのが入りました。緊急事態対処とは何かと言うと、後藤田さんの答弁によると、ミグ25のような特殊な亡命事件、ダッカ事件などのハイジャック、大韓航空機撃墜事件のような特殊国際事件、そして関東大震災規模の自然災害や治安問題を伴う災害です。

渡部
 それは正解でしたね。

佐々
 ええ。結局、自衛隊法第八十三条には災害派遣は都道府児知事等の要請により出動する旨が書かれているのです。阪神淡路大震災後は、緊急で要請を待ついとまがないときには要請を待たなくても出動できるという項が追加されましたが、本来、災害派遣は自衛隊の任務ではないのです。災害対策は主として自治省(現総務省)の所管で、自治省の外局に国土庁というのがありましたけれど、その国土庁長官がやることになっていた。そして、その根っこは地方事務ですから、知事と市町村長がやるのが原則なんです。
 ただし、何県にもわたる大災害の場合は国務大臣が非常災害対策本部を立てて対処する。それよりも大きな災害の場合は、内閣総理大臣が緊急災害対策本部長として直接指揮すると書いてある。これは今まで一回も使ったことがなかったのが、この間の大震災で初めて使ったのです。それは村山さんの時の阪神淡路大震災の教訓があって、総理直接指揮でなければいけないというので、初めて「非常」でなくて「緊急」にしたんです。ところが、緊急というのは先に述べたように経済統制を行うということなんです。先生もご承知のように、物価統制令と買い占め売り惜しみ防止法というのがありましたよね。

渡部
 ありました。物価安定本部、「安本」というのがあった。

佐々
 昔はそこで経済統制をやっていました。今度も売り惜しみとか買い占めを取り締まるということで、海江田経済産業大臣の所管になったわけです。でも、経済産業省というのは昔の通産省です。通産省に危機管理をやれといっても、警察、自衛隊、消防と何も関係ないのだから無理というものです。

渡部
 それはそうでしようね。

佐々
 どうしてそんなおかしなことになったかと言うと、これも原発に関係している。平成十一年に東海村のJCO臨界事故があったでしよう。あの時の所管官庁が科学技術庁だったのですが、研究ばかりしていて実務はまったく駄目で、十年問、一回も現場視察に行ったことがなかったそうです。だから、現場の作業員は濃縮ウランをバケツとひしゃくですくっていたわけです。これは科学技術庁では駄目だというので、その後、橋本行政改革で科学技術庁がなくなって文部科学省になった時に、原子力の学問に関する部門は文部科学省に行き、経済に関係するエネルギー部門は経済産業省に持っていったわけです。そして、その実務を担うようになったのが今回にわかに有名になった原子力安全.保安院なんですね。昔、動燃(動力炉・核燃料開発事業団)というのがありました。これは経済企画庁の所管だったのですが、その流れでいま経済産業大臣の所管になっているわけです。

渡部
 なるほど。それなら危機管理の対応なんてできるわけはないですね。三原山が噴火した時の島民避難はこうして行われた

佐々
 だからやはり安全保障会議設置法を早急に通用すべきでした。これによって各省庁が縦割りでバラバラにやっていた取り組みが内閣に集中できるんですから。ところが、それをやらなかったわけです。国会で「安全保障会議になぜかけなかつたか」と質問が出たのですが、それに民主党の福山哲郎という官房副長官が答えています。

「安全保障会議というのは総理の諮問機関でございまして、これを開くより、法律(災対法)に基づいて迅速に対応するほうが時間的に早いと判断した」さらに「そもそも安全保障会議は諮問の対象に災害や地震はなっていない」と。確かに書いていません。書いていないけれど、覚書がたくさんあって、それが先の「後藤田四項目」になっているわけです。そこで「通常の災害は災害対策基本法の枠内で処理できる。ただ、関東大震災程度の大災害が起きた場合、災対法の枠内で処理できないような政治的、社会的大混乱が起きることを予想し、その時に(安保会議が)必要」ということを後藤田さんは明確に言っています。それは議事録が残っていますよ。

渡部
 そうですか。

佐々
 私は内閣安全保障室長在任中の昭和六十一(一九八六)年十一月に起きた大島三原山の噴火でこの法律を使いました。噴火の後、最初は国土庁に十九省庁を集めて災害対策会議が始まりました。そうしたら災害の名称を大島災害対策本部とするか、三原山噴火対策本部とするかとか、日付を元号にするか西暦にするかとか、そんな会議を延々とやっているんです。
 日付なんてどっちでもいいじゃないですか。だから「なんでそんな馬鹿なことに時間をかけているんだ?」と聞いたら、「天皇陛下ご不例につき、この災害警備の問に崩御されると本部の名称が変わります」なんて言うわけです。「それなら西暦でいいじゃないか」と言ったら、「前例がありません」と。
 それから持ち回り閣議にするか、国土庁長官一任の非常招集にするかとか、どうでもいいことを話している。地元の町に溶岩が迫る様子をNHKが生放送していて、一万三千人が大噴火で死亡するかもしれないという時にですよ。
 それを後藤田さんに報告すると烈火のごとく怒りました。そこで私は内閣官房副長官の藤森昭一さんと一緒にクーデターを起こしました。藤森さんが中曾根康弘さんに「伴走いたしましよう。総理」と進言したのです。伴走というのは国土庁の災害対策会議とは別に安全保障会議設置法による安全保障会議を立ち上げるという意味です。国土庁ではとても手に負えない事態に備えて、後藤田官房長官の総指揮で別の動きを始めることを決めたわけですね。
 ところが、後藤田さんは「安保会議設置法もまだできたばかりで難しい局面があるかもしれないけれども、佐々君、君やれ」と。中曾根さんも「全責任を私が負うから、指揮しろ」と言うんですよ。私自身には何の権限もありませんが、総理の命令ということであればやむを得ません。指揮を執らせていただきました。すぐに都知事の鈴木俊一さんに海上自衛隊出動要請を促しました。さらに当時は橋本龍太郎さんが運輸大臣でしっかりしていましたから、島民を避難させるのに運輸省の権限で夏しか就航しない東海汽船のフェリーボートなども含め約四十隻を編成し
 て、南極に行く途中の観測船「しらせ」まで現地に向かわせたんです。大きすぎて接岸はできないんだけれど、一万二千トンの「しらせ」が救援にくるわけですから。島民は、その姿を見ただけで安心しましてね。

渡部
 ああ、それはそうでしようね。

佐々
 それで国土庁の災害対策会議が終わった午後十一時四十五分頃、われわれ官邸はすでに島民に避難指示を出していました。それで午前四時までには全島民一万人と観光客三千人を全員船に乗せました。
 しかし避難させるのも大変なんですよ。いわば強制疎開ですから。床柱にかじりついて「お爺さんの死んだこの家で死ぬ」と言ったお婆さんもいたそうです。乱暴な言い方だけれど、機動隊には「何がなんでも、無理矢理にでも連れてくるように」と命令を出して、全員を避難させたんです。その後も問題がありました。というのは、大島の管轄区域は自治省(当時)でいうと東京都なのですが、海上保安庁のルールでいくと静岡県になっている。でも、静岡に避難民を上げると陸送をどちらがゃるか、その襲用をどちらが負担するかで東京との問で絶対にモメ事が起 こる。一万三千人ですから大変です。 それで後藤田さんに「このままでは大問題になりますから竹芝桟橋に上がるという方針にしてはいかがでしようか」とお伺いを立てると、「すぐに指示しろ」と。「でも私には権限がないんですよ」と何回も言ったのですが、「なんとかしろ」と(笑)。しようがないなと思って海上保安庁から安全保障会議に出向してきている保安官に「俺からと言うなよ」と念押しして、「警備救難監に情報として流せ」と命令を出したんです。「静岡に上げると陸送の問題が生じるから竹芝桟橋に上げたほうがいいのではないでしようか。
 ご参考までに総理、官房長官もそういうご意見です」と言えってね。そうしたら全船が竹芝に向かっているという連絡がきた(笑)。その頃には東京の公立学校やYMCAなどを確保して、毛布や握り飯の準備が進められていました。これが危機管理というものです。

渡部
 おっしゃるとおりですね。






つづく

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posted by マネージャー at 17:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする