2011年07月28日

試合後アメリカチームと抱き合う宮間選手

こんな動画をみつけました。
思わず感動してしまった。



喜ぶより先に相手の健闘を称える。
あらためて宮間の凄さを知りました!



米国女子代表GKソロが19日、米人気トーク番組
「レイトショー・ウィズ・デービッド・レターマン」で、
なでしこジャパンのMF宮間を絶賛動画。


優勝が決まった際、宮間はゴール前に駆け出すチームを
離れて米国の輪に歩み寄り、ソロらをハグ。
「私たちが傷ついているのを知り、彼女は喜ぼうとしなかった。
いかに彼女の国が尊敬に値するか分かるでしょう」
と話した。
http://www.sanspo.com/soccer/news/110722/scd1107220503000-n1.htm

どこまで泣かせるんだ、なでしこたち!


ちなみに次世代なでしこたち




つづく

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posted by マネージャー at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松浦武四郎と海防について+α

みわーぼーさん


>でも、江戸時代の物流が、水運で成り立っていたことは、
>少し江戸時代に立ち入って知っていくと分かる話ではありますね。

ええ、ここまでは誰でも知ってることです。
日本史を専攻した人間なら常識の部類。
へたしたら高校時代に教わってる人もいるかも。
しかし、その先が無い。
その先の常識が空白になっている。
なぜペリーに屈したかという江戸時代の常識が空白になっている。

それは何故か?

理由は、軍事を教えてないからです。
歴史教育の中に軍事教育が入ってない。
だから、へんてこりんな発想になってしまうんですよ。


>しかし、そこと、幕末日本の海防の急務を結び付けられていなかったことに、猛省であります。


これは、みわぼーさんの責任ではありませんね。
日本の歴史学に欠陥があったということです。
戦国時代末期に多かったのが兵糧攻めです。
それを江戸時代の武士達は、知っていた。
飢饉の怖さも知っていた。
そして、江戸のライフラインが海であったのも知っていた。
江戸は消費するだけで生産はしない町であることも知っていた。
だからペリーに驚愕したんです。

 で、1854年にペリー艦隊が去って、わずか四ヶ月後にロシアのプチャーチンが下田にやってきた。そのとき、安政の震災がおきて津波が発生し、ロシア船が沈没します。もちろん下田の人もロシア人を救助しています。江戸時代のトモダチ作戦です。船の無くなったロシアに対して幕府は、3000両の金をロシア側に貸して帆船の建造します。で、7人の優秀な日本人船大工を集めて日本で最初の西洋式帆船を作り上げ、これでロシア人たちは帰国しました。

 幕府は、この後、同型艦を六隻を追加注文しています。
 ペリーショックが、いかに大きかったかがわかりますね。

 また幕府は、このときの船大工2人を、長崎伝習所に一期生として派遣。
 4人を石川島造船所に技師として迎えています。
 別の一人は独立して大坂の難波島に造船所を開設。
 7人とも、大活躍しています。


>陸送重視になっていったのは、何でなんですかね〜?
>日本なんて、山道多いから、本来向いてないでしょうに…。


これは維新政府の勘違いからです。
戊辰戦争の時、制海権は幕府がにぎっていた。
つまり、幕府がその気になれば維新軍は、全滅していたんです。
補給路を絶つこともできたし艦砲射撃もできた。
小栗上野介が、それを主張したんですが勝海舟が、わざとさせなかった。
つまり、維新軍は、きわどいところで勝っているんですが、
それが明治政府には、よくわかってなかった可能性がある。


あと、もう一つ。
明治維新後も、和船は無くならなかったんです。
弁財船による水運は、明治時代も続いたんです。
西洋式帆船は、日本に普及しなかったんです。

このあたりは『船の科学館』にいくとよくわかるんですが、
和船の方が、圧倒的にコストパフォーマンスが高かったんです。

1.甲板がプレハブ式で取り外しが容易なために、積み荷の上げ下ろしが速かった。

2.キール(竜骨)がないために、底の浅い川に簡単にのぼれた。
  川を運行するのに適していた。
  そのために船体に付着した蛎殻を真水で殺すことが出来、船の寿命をながくさせれた。

3.キール(竜骨)がないために簡単に陸揚げができて、船底の蛎殻を取り除けた。

4.キール(竜骨)がないために操船が自由自在だった。
  シーカヤックにはキールがありますが、カヤックにはキールが無い。
  そのためにカヤックは、アクロバットな操船が可能となるのです。

5.マストを2本のロープで操作するだけなので船員が少なくてすむ。
  人件費が西洋船の半分もかからない。
  15人くらいで110噸(千石船)の船を動かしています。
  ちなみにマゼランが世界一周したトリニダッド号は、
  110噸(千石船)ですが、60人の乗員が必要でした。
  弁財船の方が、圧倒的に有利なコストで輸送できます。

ですから、明治時代に入っても、西洋式の船の普及は、なかなかすすまなかったんです。

よく、鎖国によって造船技術が後れたなんて教科書に書いてありますが、
とんでもない話ですよ。
逆ですよ、逆!
むしろ日本の造船技術は、最先端を走っていたんです。
西洋の造船とは、別の進化をとげているんです。
コストを極限まで下げるために発達したのが日本の和船なんです。

それに対して西洋船は、違うコンセプトで作られている。
運送コストより、海賊対策・シケ対策・不沈性を重視している。
だから価格競争をすると和船が勝ってしまう。
これを気に入らなかったのが明治政府の役人達でした。
どんどん堀を埋め始めるのです。

つづく

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posted by マネージャー at 11:41| Comment(2) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする