招魂碑由来
碓氷峠は、古代より要衝嶮難の地として、東海道箱根の天嶮と並び称されていた。
この地に明治十八年より碓氷アブ式鉄道の建設が開始され、当時の富国強兵の国是により太平洋と日本海を結ぶ鉄道として距離11.2km、26のトンネル、18の橋梁、高低差553mの碓氷線が一年半の短期間で開通した。当時の技術を考える時、おそらく人海戦術であったであろう。
この難工事による犠牲者は500名にのぼり、工事を請け負った鹿島建設により招魂碑が建立されたが、時久しく路傍の片隅で寂しく眠っておりました。この度、鎮魂碑建立を機会に同地内に移転し遠い異境の地で殉職した方々を慰霊いたします。
鎮魂碑由来
碓氷路は、古くから東山道と呼ばれ古代から中世にかけて都と東国を結ぶ重要な宮道であった。その後、徳川期には中山道として整備され旅人、馬子、駕籠、大名行列等で賑わい、明治九年になって国道18号線となった。その後並行して、
明治二十一年馬車鉄道開設、
明治二十六年信越線アブト式の開通、
明治四十一年複線電化と各種交通機関は
幾多変遷を重ねて来ました。今、茲に信越線廃線に当り各種交通機関建設に関わり殉職された方、思わぬ災害や交通事故に遭遇し尊い命を失った人達を慰霊する為、鎮魂碑を建立する。
つづく
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