2011年09月27日

上泉信綱

群馬県民になって10年。
嬬恋村民になって10年。

その間、いろいろなことに驚かされてきました。
で、先日も、びっくりしたことが。
ひょんなことから生まれも育ちも群馬県民の人が、宮本武蔵ファンであることに気がついた。
もちろん私も、宮本武蔵は大好き!
というか、宮本武蔵こそは、私の心の師匠なのです!

「宮本武蔵が好きなんですよ」
「へー、そうですか、実は私も、宮本武蔵が大好きで、わざわざ岡山県までいって武蔵の故郷に行ったこともあるんです」
「それは、すごい!」
「だから、群馬県民として、いつか上泉信綱の史跡もまわりたいと思っているんです」
「え? 誰ですか?」
「上泉信綱ですよ」
「誰なの?」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?」
「・・・・」
「上泉信綱を知らない?」
「ええ」

 あまりにも驚いたので、生まれも育ちも群馬県民の嫁さんに聞いてみました。

「上泉信綱って知ってる?」
「それ美味しいの?」
「いや、歴史的な剣豪なんだけれど、上毛カルタには、上泉信綱は出てこないの?」
「無いねえ」
「・・・・・」

 まあ、嫁さんは歴史音痴なので、
 歴史好きの生まれも育ちも群馬県民にも聞いてみました。
 
「上泉信綱って知ってるよね」
「名前だけは」
「有名な群馬県民だということも、知ってるよね」
「なんとなくね」
 
 駄目だ。まるで知っちゃいない。
 
「じゃ、宮本武蔵は?」
「知ってる。映画も見たし、小説も読んだ。すごい剣豪だよね」
「その宮本武蔵の何倍も強い伝説的な剣豪が居たとしたら信じますか?」
「まさか?」
 
 そうです。
 そのまさかが上泉信綱で、群馬県が剣豪なのです。
 
 上野国赤城山麓の上泉城主。陰流、神道流、念流などの諸流派を学び、新陰流を設立。
 竹刀の原型を開発したことでも有名です。

 長野業正に仕え、武田信玄・北条氏康の大軍を相手に奮戦し、長野の16人の槍と称えられ、上野国一本槍の感状を長野業盛からもらったという猛者でした。つまり実践に強かった。長野家滅亡時、武田信玄の仕官要請を断り、弟子と友に新陰流を普及させるため諸国流浪の旅に出ました。

 で、旅先で、大活躍。
 吉川英治の「宮本武蔵」にでてくる柳生石舟斎。
 槍の宝蔵院胤栄などを赤子のようにひねり潰します。
 その結果、柳生石舟斎は上泉信綱に弟子入りし、
 それが柳生新陰流となり、大いに発展し徳川家の指南役になります。
 (といっても柳生では、柳生新陰流と言っていない。
 あくまでも上泉信綱を開祖として新陰流を名乗っている)

 つまり、どう考えても上泉信綱は、宮本武蔵の数段上のレベルです。
 史上最強と言ってもいい。
 なのに、どうして上毛カルタに入ってないのか?
 田山花袋・船津傳次平・関孝和が入っていて、どうして上泉信綱が入ってない?
 不可解なこと、このうえなし。





「そんなこと言っても、上泉信綱って無名でしょ? 宮本武蔵にくらべたら地味でしょ?」
「いやいや、そんなことないです。7人の侍って知ってますか?」
「黒澤明の映画でしょ? 見たよ」
「なら、話が早い。あそこに登場する7人の侍のリーダーの島田勘兵衛(志村喬)のモデルが、上泉信綱だって知ってました?」
「ええええええええ?」
「上泉信綱には、こんなエピソードがある。強盗が村の子供を人質に取って立て篭もっていた。村人たちは子供を助けようとするものの、下手に動けば子供は興奮した賊に殺されかねず、手を出しかねていた。これを見た信綱は、居合わせた僧侶から袈裟を借り、自身の髪の毛を剃り、にぎりめしを手に持った僧の姿で賊の前に進み、「そなたも子供も腹がすいているだろう。どうかこのにぎりめしを食べてはくれぬか」と言い、にぎりめしを賊に向かって放り投げた。賊がにぎりめしに気を取られると、すかさず信綱は男に駆け寄りあっというまに取り押さえた」
「7人の侍そのものだ」
「でしょ?」
「うーーーーーん」





 長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
 上泉信綱の新陰流の元祖は何であったのか?

 実は、馬庭念流であり、それが生まれたのは北軽井沢なのです。
 馬庭念流の馬庭は、地名です。
 つまり念流こそが本名。

 念流の創始者は、念阿弥慈恩(ねんあみ じおん)。
 禅僧でした。
 彼の子孫は念流を代々受け継いでいきますが、
 十三代高重が上野国吾妻郡小宿村(現長野原町応桑小宿)に住居を移します。
 これが、北軽井沢と嬬恋村の境界付近です。

http://kaze3.seesaa.net/category/7967579-1.html

 馬庭念流は専守防衛の剣術で、腰を思いきり引いて、重心を後ろの足に置くと言う他の流儀には見られない防御には極めて有利な構えを取り、相手の攻撃を外す事に専念し、攻める時には接近してひたすら面のみを狙うという特殊なものです。示現流の逆ですね。

 で、上泉信綱の新陰流も、ほぼ同じ思想なのです。
 さばきに重点を置いて、無刀取りを極意としている。
 まさに専守防衛。





 で、馬庭念流の本拠地は、群馬県の馬庭村(現吉井町馬庭)。
 上泉信綱の生地・前橋市とは、たいして離れていません。
 上泉信綱が、馬庭念流の影響を受けたのは当然とも言えます。
 そして最強の剣技をみにつけ、実践(戦争)で実証しますが、彼の得意は槍でした。
 そして相手の槍の封じ手も得意としており、
 負けない剣技を開発し、それが地上最強の剣聖を誕生させたのです。
 群馬県民は、もっと上泉信綱を誇りにしてもよいと思います。



つづく

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ラベル:上泉信綱
posted by マネージャー at 17:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 長野原町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする