2011年09月28日

上毛カルタについて

上毛カルタに上泉信綱が無いことに驚いた私は、上毛カルタについて、ちょっと調べてみました。

http://www.jomokaruta.org/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F
http://www3.wind.ne.jp/asama/tama/karuta.htm

どんなカルタかというと、こんなカルタでした。

 あ:浅間のいたずら鬼の押し出し
 い:伊香保温泉日本の名湯
 う:碓氷峠の関所跡
 え:縁起だるまの少林山
 お:太田金山子育呑龍

 か:関東と信越つなぐ高崎市
 き:桐生は日本の機どころ
 く:草津よいとこ薬の温泉
 け:県都前橋生糸の市
 こ:心の灯台内村鑑三


 さ:三波石と共に名高い冬桜
 し:しのぶ毛の国二子塚
 す:裾野は長し赤城山
 せ:仙境尾瀬沼花の原
 そ:そろいの仕度で八木節音頭

 た:滝は吹き割り片品渓谷
 ち:力あわせる二百万
 つ:つる舞う形の群馬県
 て:天下の義人茂左衛門
 と:利根は坂東一の川


 な:中山道しのぶ安中杉並木
 に:日本で最初の富岡製糸
 ぬ:沼田城下の塩原太助
 ね:ねぎとこんにゃく下仁田名産
 の:登る榛名のキャンプ村

 は:花山公園つヽじの名所
 ひ:白衣観音慈悲の御手
 ふ:文福茶釜の茂林寺
 へ:平和の使徒新島襄
 ほ:誇る文豪田山花袋


 ま:繭と生糸は日本一
 み:水上、谷川スキーと登山
 む:昔を語る多胡の古碑
 め:銘仙織出す伊勢崎市
 も:紅葉に映える妙義山

 や:耶馬渓しのぐ吾妻峡
 ゆ:ゆかりは古し貫前神社
 よ:世のちり洗う四万温泉


 ら:雷と空風義理人情
 り:理想の電化に電源群馬
 る:ループで名高い清水トンネル
 れ:歴史に名高い新田義貞
 ろ:老農船津傳次平

 わ:和算の大家関孝和


上泉信綱を入れるなら 

>む:昔を語る多胡の古碑

を変更するしか無いですね。
まあ、そんなことは良いとして、

どこにも『野間清治』が無いじゃないか?
天下の野間清治が
上毛カルタに入ってないではないか!

どうして?
なぜ?


>き:桐生は日本の機どころ

じゃないでしょう!

き:桐生の偉人、野間清治!
き:桐生の剣士、森寅雄(野間寅雄)!

じゃないのかなあ?





まあ、桐生が日本の蚕糸業のトップを走っていたことは分かります。
星野長太郎・新井領一郎といった大物が一時期の日本経済を牛耳ってたことは認めます。
彼らに比べれば、野間清治の講談社なんて、ふけば飛ぶような存在です。

しかし、野間清治が日本の文化や精神に貢献した数々の業績は、
勲章を100個あげてもたりないくらいです。
野間清治こそ、群馬県が誇る巨星です。
その野間清治をどうして上毛カルタに入れない?



野間清治は「修養」を重視しました。
簡単に言うと、精神をみがき、人格を高めることです。
彼は
『自分の内の世界が一変すれば外の世界が一変する』
という信念で、ひたすら自分を研くために「修養」を重視しました。
そういう考えで講談社を設立し、多くの青少年を啓発していったのです。


ちなみに野間清治といえば、野間道場(剣道)です。
野間道場(剣道)からは、昭和を代表する剣豪の7割がでています。
その一人、野間清治の甥である森寅雄(野間寅雄)は、
アメリカに渡りフェクシングのチャンピオンになったうえに、
アメリカ剣道協会をそだてて、日本剣道界を震え上がらせたことでゆうめいです。
こういう人間が、群馬県に、いや野間道場にウジャウジャいた。





持田盛二も忘れてはいけません。
野間道場の古参であり、史上5人しかいない剣道十段のうちの一人。
昭和の剣聖であり、80歳になっても全国大会優勝レベルの若手に負けなかった。





なのに、どうして今の群馬県民は、こういう人たちに冷淡なのかなあ?
もっと、誇りをもっていいですよ。
野間清治・野間道場・戦前の講談社的気風に誇りをもっていい!





ちなみに私は新潟県出身ですが、
わが愛すべき群馬県は、
もっと気高くあって良いと思っています。
がんばれ群馬!





つづく

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追伸
http://www.nomadojo-hozonkai.com/noma_seiji.html より

野間清治とは 講談社の創設者です。

群馬県生まれで、父親の好雄が森要蔵という高名な武道家の内弟子で
あったことなどから、幼少の頃より剣道に親しんでおりました。

後に彼は
「剣は心の現れであると同時に、また、剣によって心を正すこともできる」
として、講談社の社員にも剣道を奨励しました。

東京帝国大学卒業後、中学校教諭を経て、東京帝国大学法科大学の
首席書記となりました。当時、日露戦争以降の日本では "弁論" が大変な
盛り上がりをみせていました。そこに着目した彼は東大弁論部を創設し、
1909年には講談社の前身、「大日本雄弁会」を創業しました。
そしてその翌年、雑誌『雄弁』を創刊します。『雄弁』とは、人の心を
動かすように、説得力をもって堂々と話すことを言います。

当時の雑誌は3千部売れれば成功とされましたが、『雄弁』の創刊号は
1万4千部発売されたそうです。

雑誌『雄弁』は彼が亡くなった後も発行されましたが、
1941年に休刊しました。おりしも大東亜戦争の2ヶ月前です。
雄弁が休刊になったのは世の中から雄弁が失われた時であったのです。
言論の自由にも通ずる、彼がこよなく愛した『雄弁』は平和の
礎(いしずえ)であるのかもしれません。

こうした経済活動のうちに、彼は成功への一番早い道、一番確かな道、
一番得な道は結局、「道徳的な道」であることを知るのです。

私たちは本活動を開始するにあたり、彼が遺した書籍に触れ、
期せずして現在の日本の閉塞感を打破する鍵を見出しました。
日本が抱えている教育や企業倫理などの諸問題に対する解決策を、
まるでこの現状を知るかのように鮮やかに述べているのです。

評論家・渡部昇一氏は「日本が世界に誇る思想家の一人である」と
野間清治を評しておりました。今一度、彼が発した言葉に耳を傾け、
彼の目指した世界は果たしてどのようなものであったのか、思いを
馳せることは大変有意義であると思えてなりません。

しかし、残念ながら現在、彼の書籍は古書店でなければ入手する
ことが困難ですので、このホームページにて、そのいくつかを
紹介させていただきます。

【参考文献】
 ・渡部昇一. 「仕事の達人」の哲学 野間清治に学ぶ運命好転の法則.
  致知出版社. 2003年,284p.

posted by マネージャー at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 長野原町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする