2011年10月15日

2011年 通風男の北アルプス縦走記2

2011年 通風男の北アルプス縦走記2

 10月10日の連休最終日。御客様を全員送り出して、大急ぎで出発したのが、14時。4年連続で上高地から北アルプスを縦走しているので、上高地のある松本市の中心部までの最短ルート(抜け道)は、完璧にマスターしている。北軽井沢ブルーベリーYGHからなら2時間もかからない。

 ルートは、こうです。

 144号線を使って鳥居峠を経由して上田市を18号バイパスを使って、県道65号線に入る。平井寺トンネル有料道路を使って245号線に出て、三才山トンネル有料道路・松本トンネル有料道路を使って、松本市内に入ります。このルートだと、早ければ1時間30分。遅くても2時間で松本市内に到着できます。そこから上高地の入口・沢渡までなら40分くらいです。

 しかし、すぐに上高地には、入りません。
 国道19号と、国道158号の交差点にあるスーパー銭湯『瑞祥』に立ち寄ります。

http://www4.ocn.ne.jp/~zuisyo/matsumoto.html
瑞祥 松本館
〒390-0841 長野県松本市渚1丁目7番1号なぎさらいふサイト内
TEL 0263-29-2686
FAX 0263-29-2641


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 ここは、アルピニスト(登山家)御用達のスーパー銭湯であり、下駄箱にザック置き場があったりします。駐車場も広いし、隣に、スーパー(ツルヤ)・本屋(蔦谷)・電気屋・スターバックス・レストラン・飲み屋もあります。しかも、このスーパー銭湯のレベルが高い。風呂の種類が多いうえに、食事もボリュームがあって、休憩室も広く、24時までオープンしています。2階の休憩室では、仮眠をとることもできますし、貸切部屋(有料)もあります。 登山客のなかには、貸切部屋でパッキングしている人もいます。

 私たちは、ここで、仕事の疲れをとって、隣のスーパーツルヤで食料を調達しました。
 もちろん今回も大量のサプリメントを購入しました。 

 具体的に言うと、
 アミノバイタルゼリーを1日に一人あたり4個。
 アミノバイタルウォーターを1日に一人あたり3本。
 ミネラルビタミン剤を1日必要量の2倍。
 これを飲食しながら15s装備の北アルプス縦走をする予定です。


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 実は去年、アミノ酸を合計18000ミリグラムもの大量に補給し、各種のサプリメントも携行し、倍のビタミン&ミネラルを補給することによって、疲労を極端に押さえる実験を行なっています。実験は、大成功でした。1日で上高地から北穂高、または槍ヶ岳に登っても全く平気でした。五十肩にもかかわらず、6時間半で北穂から槍ヶ岳にも行くことができました。全くアミノバイタルプロの力はすごいものがあります。

 アミノ酸を合計18000ミリグラムもの大量にとって大丈夫か?と思われるかもしれませんが、成人男性の蛋白質の一日必要量は、体重1kgあたり1.5gのタンパク質が必要だと言われています。私は90sなので、135グラムのタンパク質が必要なのですが、アミノバイタルをジャンジャン飲んでも一日20グラム以下にしかなりません。山小屋の食事に高タンパクなものを期待できるわけもなく、そんな調子で縦走を続けていても、タコの共食いのように自分の筋肉を食いながら歩くようになります。

 つまりアミノ酸が足りなくなると、自分の筋肉を分解することによって補充されるため、アミノ酸を十分にとらないと筋肉が逆に萎縮してしまうことがあるのです。その結果、足が痛くなって歩行速度が遅くなるのですね。また、免疫の正体はタンパク質であるから当然免疫機能が落ちます。また、活性酸素に対抗して老化を防ぐ役目を負ったタンパク質も作れなくなって当然老化も早まります。だからこそアミノバイタルなのです。

 そして、ここが大切なのですが、アミノバイタルプロのゼリータイプには、クエン酸1200mg。つまり梅干し4個分のクエン酸が入っているのですね。サッカーの長友選手は、試合前に大量の梅干でクエン酸を摂取していますが、酸っぱいものが苦手な私には、できない相談。私はレモンも梅干しも苦手ですから、梅干し4個分のクエン酸が入っているアミノバイタルプロは、頼もしい味方です。あと、クエン酸は、痛風にも効くので、通風もちの人間には、とてもありがたい存在です。


 話がそれました。

 上高地の入り口。
 沢渡手前にある道の駅『風穴の里』に辿り着いたのが20時頃。
 ここで車の中で朝まで仮眠をとりました。

http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/road/eki/station/nagano_fuuketsu/index.html
(道の駅『風穴の里』)


 そして翌朝、4時に起床。
 4時30分に沢渡駐車場に車をとめて、
 タクシーに乗って上高地バスターミナルに到着したのが5時30分。
 実は、これより早く上高地に入ることはできません。
 夜間は、釜トンネルが封鎖されてしまうからです。

 釜トンネルがオープンするのが、朝の5時です。
 それ以上、早く、上高地に入るのは物理的に不可能なのですね。
 だから、4時30分に沢渡駐車場に到着するのがベストなんです。

 4時30分に沢渡駐車場に到着すれば、かならず上高地一番乗りを狙っている人がいます
から、タクシーの相乗りができます。4人で相乗りをすれば、バスより安くなりますし、
タクシーの運転手から紅葉の情報なんかを聞き出すことも可能です。

 タクシーに乗って上高地バスターミナルに到着したのが5時40分。
 トイレをすまし、登山届をだし、保険手続きを行い、天気予報を確認。
 出発したのが朝6時30分でした。
 そして、その5分後に河童橋に到着。
 ここは、上高地の象徴でもあります。

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 三千メートルの偉容を誇る西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳、焼岳が見えます。河童橋の名の由来は、昔ここに河童がすみそうな深い淵があったためだと言われています。芥川龍之介が1927年(昭和2年)に総合雑誌『改造』誌上に発表した小説である「河童」は、この河童橋が舞台となっています。


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河童橋から少し木道を歩くと、奥穂高に登る登山道につきます。
河童橋から奥穂高までの標高差は、約1500メートル。
ちなみに日本で3番目に高い山です。
当然のことながら、空気も薄くて必ず高度障害にかかります。


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登山道は、丸太をふんだんに使って整備されていました。
あれ?
変だな?
こんなに上高地の木を伐採して登山道を整備して良いのかな?
と、思っていたら、こんな場面に遭遇しました。


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おそらく雪崩が原因でしょう。
山の樹という樹がなぎ倒されている。
その樹を使って登山道を整備したのかもしれません。
おかげで、登りやすい登山道になっていました。


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2時間ほど急登を登ると、岳沢小屋に到着。
この小屋は、数年前に雪崩で壊滅し、
営業を中止していたのを、槍ヶ岳肩の小屋のオーナーが、
権利を買い取って今年再建スタートをきっています。


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ここでトイレ休憩をかねて食事をとりました。
そして、30分後に出発。
ここからが地獄の三丁目。
北アルプスで最もしんどいと言われている重太郎新道です。
垂直なハシゴを登るような登山道ですからね。


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しかし、この重太郎新道も、アミノバイタル作戦のおかげで全く疲れなかった。
意外にスイスイ登ってしまった。
正直言ってきつくもなんともなかった。


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それより、景色が美しかった。
素晴らしい展望にウットリしてしまって、
疲れる暇もなかったです。
もう、幸せ一杯でしたよ。
やはり、山は良いですね。


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登山の疲れというものは、のりで大きく変わりますね。
景色が良いと、全く疲れない。
北アルプス一シンドイ重太郎新道でも全く疲れない。
逆に雨だと、高尾山でもシンドイです。


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あと、関係ないですが、このルートは、見た目より危険ですね。
岩が逆層になっている。
濡れていたら滑りやすいし、手のホールドもききにくい。



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現に、こういう注意があったりする。


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よくみると、岩にも彫った跡がある。
滑らないように、足場を彫ってある。


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つまり見かけより危険な山なのです。
雨天時。降雪期には命がけになるルートです。
しかし、この日は、最高の晴天にめぐまれていました。


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つづく。

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2011年10月14日

四阿山と根古岳を縦走してきた1(四阿山編)

四阿山と根古岳を縦走してきた1(四阿山編)

北アルプス縦走をしてきたついでに、
ちょっくら四阿山と根古岳を偵察してきました。
今回は、菅平牧場を起点に、四阿山と根古岳の縦走です。

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これが菅平牧場。

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根子岳が見えます。
しかし、これは後回しにして、まずは四阿山。

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紅葉はかなりいいですね。
今がピークでしょう。
論より証拠、写真をみてください。

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このような美しい白樺の紅葉の中を散策しながら四阿山にいきます。

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少し行くと、小四阿山。
展望がよくなります。
もう少し行くと、中四阿山。
ここの展望も良い。

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そして、高山植物の紅葉がみられます。

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遠くに穂高・槍ヶ岳が。
昨日、あのてっぺんにいたことを思うと、
少し感傷的になりました。

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眼下の菅平牧場も美しい。

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階段が見えたら、もう四阿山の頂上は、すぐそこ。

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さあ、頂上です。

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浅間山も見えます。

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美しい根子岳も見えてきます。

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これから根古岳に向かいます。


つづく。

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2011年 通風男の北アルプス縦走記1

痛風に苦しむ男が、北アルプス縦走(重太郎新道)をしてみた1

 私は、毎年、10月連休後に、北アルプスに登って北アルプスの現状を調査し、最近の山情報を仕入れています。なぜ10月連休後かと言いますと、一年で最も晴天率の高い日だからです。10月10日の体育の日は、一年を通して晴れの多い時期とされ、10月10日にオリンピックの開会式が行われたのも、この時期の気候が考慮されてのことです。

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 それから、なぜ定期的に北アルプスの調査を行うようになったかと言いますと、私が持っている山の情報が古くなりすぎているんですね。ザックにしても、ウエアにしても、すごく古くなっている。だから北アルプスにいってきてヒアリングしてこないといけない。たとえば、去年の調査でわかったことは、みんなユニクロのダウンを着ていたことだった。

 正直言いまして、私は、ユニクロのダウンを小馬鹿にしていました。
 まず、デザインがダサイ。
 いかにも丈夫ではなさそう。
 倒れたら破けそう。
 そうなったら初雪が降るかもしれない山では致命傷になる。
 なより薄くて寒そう。
 やはりダウンならノースフェイスだろう。
 というわけで、私は、ノースフェイスのダウンしか着たことがない。
 しかし、去年、北アルプスに行ってみたら、みんなユニクロのダウンを着ているわけです。

「寒くないですか?」

 と聞いてみるんですが、みんな「これで十分だよ」と言う。私は、半信半疑なんですが、あまりにもユニクロのダウンを着ている人が多いので、自分でも買ってみて試してみたら、これがかなり防寒性能がよい。風を通さない。しかも軽くてかさばらない。使い方によってよっては、ノースフェイスのダウンより便利なのです。デザインがダサイのさえのぞけばですが。

 あと、嫁さんにも買わせて使わせてみたら、嫁さんは女性ならでは意見としてフリースより「軽くて肩がこらない」とのこと。機能重視の山屋としては、これ以上便利なものはないとのこと。最初は、夫婦で小馬鹿にしていたユニクロのダウンが、ノースフェイスのダウンより便利なことがわかってしまった。これは、北アルプスに行って、多くの登山者のギアの調子をヒアリングしてこないと、わからないことなんです。





 それから山ガールファッション。
 これも告白します。
 私は、内心、小馬鹿にしていました。

 4年前、最初、山ガールファッションをみたときは、珍しくてジロジロみていました。そして、心の中で危ないだろうと呟いていましたが、もう今では、若い女性の9割は、山ガールファッションになっていて、オールドファッションの方が少数派になっている。

 で、山ガールファッションは、単なる流行をとおりこえて、かなり実用的になっているのです。防寒も完璧になっているし、機動性も高いし、医学面の効果さえとりいれている。スカートの後部は、座布団のようになっていて、岩に座るとき便利になっているし、タイツは、大昔のニッカボッカスタイルを、改良したようになっていて、機動性がズボンのものより良くて、発汗性・防寒性も改良されている。派手な色合いは、霧の中で目立っていて安全度が高くなっているし、むしろ山ガールファッションの方が、登山に向いているんですね。

 で、気がついたことには、この山ガールファッションは、大昔の登山ファッションというか、登山スタイルに近いのではないかということです。昔は、ニッカボッカにウールのロングソックス。そしてヒザサポーターに、おしりに岩に座るためのカモシカの毛皮をつけていた。偶然なのか必然なのかわかりませんが、一部の山ガールファッションが、これに似たスタイルになっている。





 しかし、気になったところもあります。
 みんな、やたらとストックを持っている。
 岩場の多い北アルプスで、2本ストックで上っている。
 当然のことながら岩場・鎖場・ハシゴでじゃまになる。
 みていて、危なくてしょうがない。
 なのに片づけようとしない。
 これは流行なのか?
 それとも、その方が楽だと思っているのか?


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 さて、本題にうつります。いつもの年なら涸沢ヒュッテに泊まって休暇で四方から集まってくる山小屋スタッフたちから最新情報を仕入れるのですが、今年は、それよりも、北アルプス縦走してみることにしました。候補のルートは、3つ。

1.重太郎新道から奥穂高岳から西穂高岳の縦走ルート ★★★★★
2.槍ヶ岳・大キレット・北穂高岳のルート ★★★★
3.重太郎新道から奥穂高岳をたどる各種のルート ★★★★

 この中で1番のルートが一番魅力なのですが、テント泊になってしまう。で、去年は2番のルートを選択したのですが、今年は1番のルートを第一目標にしたうえで、天候と体調によっては、3番のルートに変更することにしました。

 というのも、私の体調が良くなかったからです。痛風とぎっくり腰で、9月末から10月初旬までの2週間の寝込んでしまっていたからです。特に痛風には、参った。1歩も歩けない。北アルプス縦走を目の前にして、どんどん足腰が弱ってくる。準備のための訓練が全くできない。そもそも7月8月9月の夏は、御客さんに追われて、山に登ってないので、6月を最後に、ろくな登山をしてない。

 そもそも今年は、スノーシューさえ、3月以降はやってない。
 3月11日の原発事故のせいです。
 春の登山も控えめにしていた。

 まともに登山したのは、ゴールデンウイーク以降から6月にかけての1ヶ月くらいのものだった。これで体が弱っている上に、9月末に痛風とぎっくり腰をやってしまった。本当なら北アルプス縦走どころではないのだが、こちらには、長年の経験とスキルがある。去年体験した五十肩のハンデよりは、ましなので、天候と条件さえよければ、西穂高縦走も不可能ではないと判断しました。

 というわけで、下の写真をみてください。
 上高地のカッパ橋の写真です。
 バックに美しい山が写っていますね。
 今回は、ここに登ることになりました。


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 10月10日の連休最終日。
 御客様を全員送り出して、
 大急ぎで部屋掃除をし、
 荷造りをし、準備完了したのが昼の13時。
 水をとめ、火の元をとめ、出発したのが14時頃です。



つづく。

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posted by マネージャー at 09:44| Comment(5) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

2005年度のヘルパーさんが遊びに来てくれました

2005年度のヘルパーさんが遊びに来てくれました。
http://tour.kaze3.cc/staff/helpers05.htm

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当時、18歳だった2人も、今や立派な社会人。
二人とも美男美女になりました。
すばらしいことです!
ツアーにも参加してくれました。

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無口だった彼らも、今じゃ見違えるほど大人に。
人間て、成長する生き物ですね。
もはや別人です。
今後の活躍を祈りたいと思います。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ヘルパー物語2008− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

天ぷら きどぐち

天ぷら きどぐち

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実は地元では、評判が高いんですね。
なので、偵察に行ってきました。

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TEL 0267-46-5557
住所 長野県北佐久郡軽井沢町追分293-1

営業時間
11:30〜14:00
17:30〜20:30
定休日 木曜日

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店内は、こんな感じ

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この店は、こじんまりと小さい。
だから、揚げたてをカウンターで食べられるのがメリットなんですよね。

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評判どおりおいしかった。
米がさらさらで、汁が、かみあってました。

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今回は、どんぶりでしたが、定食の方が美味しいらしい。



つづく。

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posted by マネージャー at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信濃追分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

鼻曲山に偵察に行ってきました

鼻曲山に偵察に行ってきました
この画像は、数日前のものなので、今はもっと紅葉していると思います。

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約1時間で頂上です。
ゆっくり上ったら2時間ですね。

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すばらしい展望がある頂上

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浅間山が、一番かっこよく見える山が鼻曲山です。

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つづく。

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ラベル:鼻曲山
posted by マネージャー at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽−鼻曲山・満天山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

池ノ平湿原に行ってきました

池ノ平湿原に行ってきました
今回のメンバー

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地蔵峠から林の中を入って、原生林から池ノ平湿原に行きます。
けっこうおすすめのルートです。
夏は、ヤナギランがすばらしい。
今回は、実をつけた高山植物。

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ススキも美しい

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池ノ平に到着

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これだけの天気だと、御客さんの満足度も高かっただろうなあ

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帰りも原生林で下山。
車であがるよりいいですよ!

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つづく。

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ラベル:池ノ平湿原
posted by マネージャー at 12:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 高峰−池ノ平湿原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

浅間隠山に偵察に行ってきました

浅間隠山に偵察に行ってきました
この画像は、数日前のものなので、今はもっと紅葉していると思います。

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すごい眺めです

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頂上

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つづく。

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ラベル:浅間隠山
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2011年10月10日

パノラマラインの朝

パノラマラインの朝

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2005年度のヘルパーさんが2人が写っています
みんなフリース着ています。
そうです、寒いのです。

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これからは、こんな感じのフリースか、
ユニクロのダウンベストがいいです。
3900円ですから、やすいですよ。

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ただし、ダウンは写真に撮ると太って見えますから
思い出をのこすのならフリース&ウールのシャツかなあ。
個人的にはウールのシャツが好きなんだけれど、値段が高いんですよね。
あと、洗濯が難しいし。

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つづく。

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烏帽子岳に偵察に行ってきました

烏帽子岳に偵察に行ってきました

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稜線です。

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紅葉してきました

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この画像は、数日前のものなので、今はもっと紅葉しています。

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つづく。

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ラベル:烏帽子岳
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小浅間山に偵察に行ってきました

小浅間山に偵察に行ってきました
なかなか、良い感じです。

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西峰の風景

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浅間隠山と浅間牧場

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軽井沢

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つづく。

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ラベル:小浅間山
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2011年10月09日

湯ノ丸山に偵察に行ってきた

天気がよかったので湯ノ丸山にいってきました。

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天気がいいと、絶景です。

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ここは、南峰。

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北峰が見える。
行ってみました。

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ここが北峰。

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北峰からみた、南峰。

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絶景がずらり。

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四阿山と根古岳ですね。

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鍋蓋山です。

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帰りは、牛たちと遊んできました。

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つづく。

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2011年10月08日

今日は、なつかしの元ヘルパーさんが2名泊まっています

今日は、なつかしの元ヘルパーさんが2名泊まっています。

年度によって、ヘルパーさんにも、いろいろキャラがありますが、
今日、泊まってふくれたのは無口4人衆の時代のヘルパーさんです。
2005年のヘルパーさんたちの2人です。

http://tour.kaze3.cc/staff/helpers05.htm

うーん、懐かしい。
久々に顔を見ると、大人になったなあという感じ。
だって、2005年当時は、大学1年生だったものなあ。
それが、いまじゃ立派な社会人。
歳がたつのは早いですよ。

あの時代は、ブログで『ヘルパー物語』を書いてなかったものなあ。
もし、書いていたら、すごく面白かったのに残念。
とにかく、面白いことがいっぱいあったので。

あと、2005年頃は、北軽井沢ブルーベリーYGHの仕事がきつかった時代です。
あの当時のヘルパーさんたちにとっては地獄だったことでしょう。
あれにくらべれば、他の仕事なんて楽(?)だと思います。


あと、どうでも良いけれど、◆◆さんは、
北軽井沢ブルーベリーYGHに来たびに美女になっていくなあ。
昔の童顔を知ってるだけに、驚き桃の木。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ヘルパー物語2008− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイヌの祖先は、東南アジアから来た可能性が高い?

何を隠そう、私は犬好きです。
子供の頃は、4頭もの犬を飼っていました。
中学校の頃は、犬の訓練士になりたかった。
高校の頃は、将来、樺太犬のブリーダーになりたいと思っていました。
結婚して、埼玉県の春日部に住んだ頃には、犬を飼おうかと思ったものですが、
大家さんに断られて断念しました。


で、宿の経営者になってしまった。
もう、犬を飼うのは無理になってしまった。


宿屋が犬を飼うのは難しい。
まず室内犬は、無条件で駄目。
御客さんに噛みつく犬は飼えない。
毛の抜ける犬も飼えない。
(実は、これが一番の問題)
となると、短毛のレトリバーしか選択肢はない。
しかし、そのような大型犬だと、一緒に山には行けない。
車に乗せて買い物に行くのも難しい。
宿屋になるイコール犬(猫)は飼えないのですよ。
ワンちゃんペンションなら別ですけどね。





昔、釧路まきばユースホステルで、ヘルパーしていた時に、
すごい場面を目撃してしまったんです。
そのユースホステルには、犬もいたし、猫もいた。
私は、何の問題もないと思っていた。


ところが、ある日、御客さんが発作をおこしてしまった。
救急車を呼ぶ寸前だった。
猫アレルギーだった。
あれをみてから、宿主になるということは、
猫や家犬を飼えないということだと理解した。
で、北軽井沢ブルーベリーYGHをオープンしてから、
ペットはあきらめてしまった。





もし、宿をやってなかったら甲斐犬を飼いたかった。甲斐犬は、一人の主人に
しか仕えないので有名な犬です。
しかも、シェパードやドーベルマンより利口な犬です。
昔、旧日本軍が、あまりに賢いので、甲斐犬を導入したことがありました。
で、訓練してみたら、シェパードの半分の時間で何でも覚える。
頭がいいんです。陸軍の関係者は大喜び。

「こいつは、シェパードの2倍も利口だぞ!」

と、すごく喜んだはよかったのですが、
その犬たちを満州に連れて行ったら、
一晩のうちに甲斐犬が柵をやぶって逃げてしまった。
甲斐犬は、一人の飼い主にしかなつかないのです。
それを陸軍は、わかってなかったんですね。

こういう話もあります。
甲斐犬の飼い主が病気で倒れると、
甲斐犬は、じっと見守っている。
そして他人をよせつけない。
そこに医者がやってきても、絶対に寄せ付けないとか。

甲斐犬は、こういう犬なんですが、
たいていの日本犬が、こういう特色をもっています。
利口な日本犬は、主人に忠実で、他人に警戒します。
だから、宿で日本犬を飼うのは博打にちかい。
だから、どの宿でも、だいたいはレトリバーとか、ハスキーといった、誰にで
も懐く犬しか飼ってないんですね。





話は変わりますが、遺伝子の解析によって、日本犬のルーツがわかってきてい
ます。日本犬のルーツは、なんと東南アジアでした。

で、その原日本犬の遺伝子をもっとも色濃く受け継いでいるのが、北海道犬だ
という。
つまり、北海道犬は、大昔、東南アジアからやってきたということになる。
ちなみに、犬は、人間とともに移動します。
つまり、日本人の祖先も東南アジアからやってきた可能性が高い。

逆に日本犬の特色が、もっとも薄いのが山陰柴犬らしい。
大陸の犬の血が、1割くらいまざっているらしい。
こういう事がわかってきたために、動物学の世界的な権威たちの間では、
「日本人の祖先は、東南アジアであり、アイヌの祖先も東南アジアから来た可
能性が高い」
という事になっている。

これは、おもしろい視点から、日本人のルーツを探っている。
動物学では、どの民族でも犬と人間の移動は、一致しているらしい。
アイヌ犬の祖先が東南アジアだとすると、
アイヌの祖先も東南アジアと考えるのが普通らしい。
もちろん、日本人の祖先も.....。
はたして真相はいかに?





つづく。

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2011年10月07日

大明神山砦城

大明神山砦城

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 真田昌幸が造ったといわれてますが、真田軍団は、
 こういう小城を多数造っています。その一つなのでしょう。
 本丸は山の絶壁にあり、狼煙台もあります。
 
 こういうスタイルは、嬬恋村にも多数あって、
 長野原城・鎌原城などもですが、
 もっとよく似ているのは桟敷山ですね。
 
 桟敷山の展望台も、実は真田軍団の狼煙台なんですが、
 どういうわけか嬬恋村の教育委員会は、ここに看板を造ってくれません。

 ちなみに狼煙をあげる役目の人は、修験者です。
 というわけで、麓に浅間神社があり、かっては浅間寺がありましたが、
 これは、重要な砦にはどの城塞にもあったといわれています。


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 真田軍団の戦術は、機動防御です。
 だから大阪城の攻防戦などは、本来の真田の戦法ではなく、
 敵に打撃をあたえつつ、撤退していくのが真田の戦略です。
 そのためには、無数の小さな城を造って、情報網をはりめぐらし、
 適当に戦っては、撤退していくのが真田の得意技でした。

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 群馬県高崎市倉渕町川浦

つづく。

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ラベル:大明神山砦城
posted by マネージャー at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 高崎・倉渕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月9日、キャンセルでました。

10月9日、キャンセルでました。
男性1名
女性1名、
お泊まりになれます。
(相部屋です)


つづく。

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2011年10月06日

スティーブ・ジョブズ氏死去 56歳



スティーブ・ジョブズ氏死去 56歳

惜しいひとが消えましたね。
ビルゲイツが死んでも、悲しむ人は少ないだろうけど、
スティーブ・ジョブズは、世界中の人間が落胆していると思います。
それほど偉大な人だった。
というか、革命家だった。
この人がいなかったら、ジュラシックパークも、トイ・ストーリーも存在しなかった。
ディズニーも、今とは違った会社になっていたでしょうね。



マックosも、なかった。
というか、彼がいなかったらアップルそのものがなかった。
ビルゲイツも、彼がいなかったらウインドウズを作れたでしょうか?
作れなかったと思っている人が大半なのではないですか?

だいたい、マックがだめになった理由は、
会社がスティーブ・ジョブズ氏を追い出したからでしょう。
そもそもソニーは、VAIOにマックosで使う予定だった。
スティーブ・ジョブズ氏も、そのつもりだった。

ところが、会社は、スティーブ・ジョブズ氏を追い出して
ソニーのVAIOにマックosの使用を禁止した。
このたありからマックは転落の一途をたどってしまった。
マックが復活したのは、スティーブ・ジョブズ氏が帰り咲いてからだった。




話はかわりますが私は、パソコンが壊れてしまい。エプソンダイレクトを購入し
ウインドウズ7で悪戦苦闘しています。
正直言って、使いづらいです。
皆さんも、osを変更される場合は、気をつけた方がいいです。
新しい、osになれるまで、時間がかかります。
完璧に使いこなせるまで、数ヶ月かかると思います。

ちなみに、私は、64ビットのウインドウズ7を導入しました。
ウインドウズ8は、すべて64ビットになるらしいので。
というか、ちょこまかosを変更するマイクロソフトに腹が立つ。
ちなみに、この投稿は、嫁さんのマシンで行っています。


最後にエプソンダイレクトについて。
驚いたことに、なかなかできが良さそうです。
設置してすぐにインターネットにつながりました。
ボタン一つで、たいていの機能が使えましたね。
Dellより、使いやすいですね。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:44| Comment(3) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

満寿池

満寿池

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岩窟観音の目の前にあります。
すごく目立つ食堂なのですが、怪しすぎてまだ入ったことはありません。
そこに今回のツアーでチャレンジしたのでした。

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なんと言ったらいいのかなあ。
怪しい。
全て怪しすぎる。
電車なんか通ってないのに駅弁が売りの食堂なんて怪しすぎる。

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すごく怪しいんだけれど、
出てきた食事は、美味しそう。

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ここの名物は併設の釣り堀で釣ったマスを調理してくれること。
ニジマスの刺身や塩焼きなども楽しめます。
土日祝は陶芸教室などもやっているようです。

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営業時間 午前10時〜午後8時(金曜定休日)
〒370-3401 群馬県高崎市倉渕町権田
Tel.027-378-2034
E-mail masuike@dan.wind.ne.jp
http://www12.wind.ne.jp/masuike/

つづく。

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岩窟観音

岩窟観音

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というか、小栗上野介の自宅近くです。
この岩窟観音の上に小栗上野介宅がありました。

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ちなみに観音堂は、再建です。
北軽井沢ブルーベリーYGHがオープンの年に崖崩れで押しつぶされています。
ただし観音様は無傷だったとのこと。
東善寺に仮安置して2003年に再建を行ないました。
観音堂のふもとに、冷たくておいしい清水が湧いています。

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つづく。

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2011年10月04日

小栗上野介の終焉の地

小栗上野介の終焉の地

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官軍に斬首にされた場所です。
昭和7年、顕彰碑が建てられました。

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つづく。

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10月9日(日)にキャンセル出ました。個室で2名おとまりになれます。

10月9日(日)にキャンセル出ました。個室で2名おとまりになれます。
予約がまだの方は、ご検討ください。


つづく。

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2011年10月03日

東善寺

今週のシルマンウオークは、小栗上野介の旅
という訳で、まずは東善寺。
一度は、行く価値のある寺です。


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このマップにそって散策します。

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ところどころに、小さな石仏。

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ここで、小栗上野介について。
wikiペディアには、こう書いてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A0%97%E5%BF%A0%E9%A0%86

安政6年(1859年)に目付。万延元年(1860年)、34歳にして日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米、地球を一周して帰国した。その後勘定奉行、軍艦奉行など多くの奉行を務め、財政再建やフランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。

徳川慶喜の恭順に反対し、大政奉還後も薩長への主戦論を唱えるも容れられず、慶応4年(1868年)、罷免されて領地である上野国(群馬県)群馬郡権田村(高崎市倉渕町権田)に隠遁。東善寺を住まいとし学問塾での指導や水田整備、用水路建設に従事して日々を送った。同年閏4月、薩長軍の追討令に対して、武装解除に応じ、さらに養子の又市を証人として差し出し、敵意の無いことを証明したものの逮捕された。翌日烏川のほとりで家臣3名と共に斬首。

逮捕の理由には多数の説がある。大砲2門・鉄砲20挺の所持と農兵訓練が理由であるとする説。また勘定奉行時代に徳川の大金を隠蔽したからであるという説(徳川埋蔵金説)。しかしこれらの容疑には事実の根拠がない。戦後になり明治政府中心の歴史観が薄まると小栗忠順の評価は見直された。作家司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した。


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まあ、これだけでは、わかりずらいので、少し解説します。


 小栗上野介は文政10年(1827年)、江戸駿河台の屋敷に生まれています。
 つまり、群馬県人ではない。
 なのに、どうして東善寺に小栗上野介の記念館があるのか?

 ちなみに小栗上野介は、8歳から小栗家の屋敷内にあった、安積艮斎の塾に入門しています。

  艮斎は朱子学者でしたが、陽明学などにも詳しく、自由な学風を愛しました。もちろん蘭学にも詳しく、渡辺崋山や高野長英とも親交を結んでおり『洋外紀略』で海外貿易の必要性を訴えています。小栗上野介は、こういう人から学問をうけたわけです。

 ここで、のちの外国奉行・そして幕府のフランス大使となる親友、栗本鋤雲と出会います。
 栗本鋤雲は、アンチ勝海舟で有名な人です。
 もちろん福沢諭吉もアンチ勝海舟。

 武術では、剣術を島田虎之助に師事しました。
 のちの勝海舟も、島田虎之助門下です。

 島田虎之助は、時代劇オタクにとっては、超有名人なので、いまさら説明するのもなんなんですが、中里介山の『大菩薩峠』では、島田虎之助が土方歳三を、子供扱いするシーンがあって映画の見せ場になっていますね。まあ、これはフィクションなんですが、実際に島田虎之助は、幕末最強の剣豪と言われています。

 まあ、そんなことは、どうでもいいんですが、この島田虎之助という幕末最強の剣豪は、蘭学をやっており、砲術、兵学にも詳しかったんですね。当然のことながら弟子の小栗上野介も、ヨーロッパ諸国の武力に詳しくなります。

 砲術を田付主計に、田付流砲術を学びます。田付流砲術とは、幕府が採用した火縄銃の流派なのですが、この流派は、他の流派と違ってオランダ製の銃器も扱っていました。そして開国を希望する流派でもありました。当然のことながら、海外の兵器事情に詳しくなります。

 そして17歳にして初めて公務につきますが、天才的な才能によって頭角を現します。しかし、濃い性格だったために左遷されます。幕府の組織で生きる性格ではなかったとみえます。しかし、小栗上野介のおもしろいところは、ここからです。

 左遷された先々で業績をあげてしまった。
 しかし、性格が災いして、また左遷される。
 しかし、その左遷先で、また業績をあげてしまう。
 どんなに左遷されても、左遷先で業績を残す。
 で、ペリーがやってきた。
 嘉永6年(1853年)のことです。

異国船に対処する詰警備役の小栗上野介は、開国して造船所をつくり軍艦を保有するべく訴えます。この頃から彼は大活躍します。東善寺のサイトに詳しく書いてありますので、それらを引用紹介してみましょう。

http://tozenzi.cside.com/oguri.htm

小栗上野介の業績
■横須賀造船所建設
■日本最初のフランス語学校設立(横浜)
■フランス式陸軍制度の採用、訓練
■鉄鉱山の開発 中小坂鉄山(下仁田町)など
■日本最初の株式会社組織「兵庫商社」を設立
■小高用水は小栗の遺産 □ガス灯設置の提唱
□金札発行など金融経済の立て直し
□郡県制度の提唱
■森林保護の提唱
□江戸ー横浜間に鉄道建設の提唱
□新聞発行を提唱
□書信館(郵便制度)創設の提唱

すごいですね。
惜しむらくは、このような天才を殺してしまったことです。


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ここで、寄り道。
東善寺のホームページがおもしろすぎるので、
ちょっと紹介します。


東善寺は、
咸臨丸を教科書からはずす会
というものをやってるらしい。

会員の特典がおもしろい。

「勝海舟は遣米使節ではない」
「勝海舟はサンフランシスコから帰った」
「遣米使節は咸臨丸には乗らなかった」
「小栗上野介のワシントン海軍造船所見学から横須賀造船所建設が発想された」
・・・などの知識をひけらかすことができます。


会費:無料だそうです。

で、どういうことかと言いますと、
このサイトをみてください。

http://tozenzi.cside.com/kanrinmaru-byou.htm

咸臨丸の虚構二つ

1、「日本人初の太平洋横断」

じつは勝海舟は「軍艦として」を前につけて「日本人初の太平洋横断」と書いている。つまり軍艦以外でなら別に日本人初の太平洋横断した人たちがいることを認めている。それは、慶長15年(1610)に徳川家康がウィリアム・アダムス(三浦案針)に建造させた帆船で田中勝介が太平洋を横断してメキシコへ渡り、翌慶長16年(1611)に帰国している。たぶん勝海舟はこの歴史を知っているから「軍艦として」とわざわざ断りを入れたのだろう。


2、「日本人だけで航海した」

咸臨丸には幕府から頼まれて乗船したアメリカ人船長ジョン・マーサー・ブルック他10名の船員がいて、船酔いで動けない日本人に代わって嵐の海をほとんど乗り切ってくれた。(以下の記述を参照)



アメリカ人船長ジョン・マーサー・ブルックについても、詳しく解説しています。
http://tozenzi.cside.com/brooke.html

以下、ブルックの日誌の一言一句が咸臨丸の試練を物語っている。


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・・・見張りに二人しかいない・・・。咸臨丸には、命令とか規律などというものはなにも存在しないかのように思えた。実際、日本人のやり方では、アメリカの軍隊なら当然存在する規律や命令のようなものは認められないのだ。日本人乗組員は、船室に炭火が少し必要だし、温かいお茶とパイプ煙草がなくてはならないのだ。酒はきちんと管理されていないので、いつでも飲めた。加えて、命令はすべてオランダ語で出されるのにオランダ語を理解する乗組員はほとんどおらず、乗組員は実際に行われるやり方を見て作業を覚えるしかなかった。艦長は相変わらず船室にこもったままだし、司令官(海軍奉行、木村摂津守を意味している)も同様だった。彼らが開け放したままの船室ドアはバタンバタンと音を立てるし、デッキ上に放置されたコップ、皿、ヤカンなどが転がりまわって、まったくの混乱状態だった。とはいえ、忘れてはならないのは、これが彼らにとって初めての航海であり、天候は悪いし、彼らがオランダ語で教育されたことだ。咸臨丸上では、万次郎だけが、日本海軍を改革するにはなにが必要かを知っている唯一の日本人だった。

・・・気圧計が足らなくてなってしまった。ローリングするたびに Adie式気圧計の針は1インチも振れたし、日本人乗組員がアネロイド気圧計の表面ガラスを手で突き抜いてしまったのだ。その残骸は、いま私の船室にある。また、ほかの日本人は天窓を足で突き抜いてしまったが、今日はクロノメーター(経度計測器)にまで達しそうな荒波の中を進んできた。最高に楽しい船旅だ。しかし、私は目新しいものが好きだ。日本海軍がよくなるように努力するし、万次郎の努力が実るよう助けるつもりだ。

・・・夜半まで南南西の風が猛烈に吹いた。なんどか、帆が帆桁から外れてしまうかと思った。真夜中には、滝のような雨が降って空気が白く見えるほどだった。風は西に向かって吹き、たちまち強くなったが、思ったとおりそれ以上の変化はなくて安心した。午前3時に床についた。正午から深夜までに96マイル進んだのだ。床につくまもなく、私はまた乗組員に呼ばれた。激しいスコールだった。ゆうべは、日本人たちのやる気のなさにまったくあきれてしまった。強風が吹いてくることは分かりきっていたのに、ハッチはきちんと閉められていないし、羅針盤箱の明かりはとても薄暗いのだ。デッキ上の当番の航海士は船室に降りてしまっているし、デッキ上では2〜3人の日本人乗組員がうずくまっている。私は万次郎に言って、やっと、見張り当番の航海士だけでなく、航海士全員を引っ張り出してくることができたものの、出てきた航海士達は船尾のほうで一塊になってしまった。

・・・今日は、日本人の航海士や船員を見張りやそのほかの部署に配置しようとした。ところが、思いもしない困難に遭遇した。大尉級の航海士6人は自分の仕事のことをまったく知らないのだ。何人かの乗組員は能力があるのに、司令官は彼らにクロノメーターを預けようとしない。その理由というのが、彼らの陸上での地位がほかの乗組員ほど高くないからということなのだ。高い地位の乗組員が船上では使い物にならないというのに・・・。

万次郎はまったくあきれ果てたが、司令官にゆずるしかなかった。しかし、万次郎は、航海士たちが見張りにつくことがどんなに当然のことかを航海士たちに説得した。

私は万次郎に聞いてみた、
「もし、私がアメリカ人乗組員を非番にして咸臨丸の操縦を拒否したら、司令官はどうするだろう」
彼の答えは、「沈没させるだろう」だった。
「自分だって命は惜しいよ」
と万次郎は言うのだった。

・・・3月1日、私は艦長および航海士たちと一つの合意に達した。これまでは、日本人乗組員がまったく使い物にならないので、自分で常に見張りをしたり、アメリカ人乗組員を見張りに立てたりしなければならなかった。

逆風の時に、どうやって船の針路を変えるかを日本人航海士たちに教えることを提案した。ところが、航海士たちはまったくやる気がなくてデッキに上がってこない上に、なんやかやと言い訳ばかりしている。私はそこで、アメリカ人乗組員全員を呼んで船室に引きこもらせ、私の了解なしには何もするなと伝えた。それから艦長に、日本人航海士たちが協力しない限り、私は船の操縦を一切しないと伝えた。艦長は航海士たちに説教して航海士たちが私の命令に従うようにし、デッキに見張りを立てることができた。

・・・万次郎が言うには、昨夜、万次郎が日本人乗組員にマストに登るよう強く言ったとき、乗組員たちは万次郎を桁端で首吊りにすると脅した。私は万次郎に言った。そのような脅しを乗組員たちが実行に移そうとしたり、日本人乗組員たちに暴動がおこしたりするなら、艦長の許しを得て彼らをすぐさま首吊りにする、と。

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暴風雨があまりにひどくて、ポウハタン号は航路を変更して船体修理のためホノルルに向かった。一方、咸臨丸は予定通りの針路を進んだ。3月17日、37日間の航海の後、咸臨丸はついにサンフランシスコ湾に碇を下ろした。ポウハタン号が到着したのはそれから12日後だった。

海軍長官のアイザック・タウシー Issac Toucey への報告の中で、ブルック大尉は航海中のいろいろな困難について述べているが、そこには(日本人乗組員に対する)恨みつらみはなかった。ただ、万次郎については、「並外れた能力を持つ日本人」として褒め称えていた。

しかし、ブルックは日誌の中では万次郎について、アメリカを見た最初の日本人として、さらに惜しみない賛辞の言葉を連ねている。

「万次郎は、私がこれまでに出会った人間の中で最もすばらしい人間の一人であることは間違いない。万次郎は、ボウディッチの航海術書籍(*)を日本語に翻訳している。万次郎は実に腹蔵のない人間で、万次郎がほかのどの人間よりも日本の開国に関わってきたことに私は満足している。」

(*)ナサニエル・ボウヂッチ Nathaniel Bowditch の New American Practical Navigator 「新アメリカ実用航海術」

かくして、ジョン万次郎と同じ時代に生き、アメリカ海軍に25年余にわたって勤めた、元軍人ジョン・マーサー・ブルックの日誌や書簡の中で、19世紀日本の歴史におけるジョン万次郎の重要さが明らかになった。この分野の研究で先駆的な学者の一人、東京の慶応大学教授、清岡暎一は次のように書いている。「おそらく、ブルック大尉は当時、ジョン万次郎の重要性を本当に理解していた唯一の人間であった。」


このページをご覧になったあなたは
咸臨丸を教科書からはずす会 の会員資格があります。

会員の責務:教科書から咸臨丸の絵をはずして、代わりに遣米使節のワシントン海軍造船所見学記念の写真を載せよう!、と主張する。
会員の特典:「勝海舟は遣米使節ではない」「「勝海舟はサンフランシスコから帰った」「遣米使節は咸臨丸には乗らなかった」「小栗上野介のワシントン海軍造船所見学から横須賀造船所建設が発想された」・・・などの知識をひけらかすことができます。
会費:無料

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以上、引用おわり

おもしろいサイトなので、ぜひご覧下さい。
http://tozenzi.cside.com/brooke.html
歴史好きなら絶対にはまります。


つづく。

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posted by マネージャー at 17:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 高崎・倉渕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

パソコンが壊れてしまった

ちょっと前にパソコンが壊れてしまった。
で、困ったことに、メールソフトのデーターと、
ホームページ設定情報が、すべて全滅してしまった。
もちろん、各種のパスワードなどの情報も消えてしまった。

実は、私は、20以上のメールアドレスを持っている。
ホームページも、200以上のサイトを持っている。
ブログも40個ほど書いている。
それらの設定情報が全滅してしまった。
バックアップは、部分的にとっていたけれど、
すべてはとっていない。

Dellパソコンのハードディスク2つををRaid1にして、
ミラーリンクしていたので安心しきっていたのが失敗だった。
結論から言うと、外付けハードディスクに、
それもネットワークハードディスクにバックアップをとるべきだった。


今、一生懸命、20以上のメールアドレスと
200以上のホームページの設定情報を復旧させているが、
1週間かかっても、1割も終わってない。

(まあ、これは通風と、ぎっくり腰も原因の一つなのだが)

というわけで、メールの返事が遅れてしまっています。
受信はできるようになったのですが、
送信がうまくいってません。
何度やってもエラーになります。

ホームページの更新も遅れています。
もうしわけありません。

メーリングリスト・各種の会議室にも、しばらく書き込めません。
読めるケースもありますが、書き込みはうまくいっていません。

さいわい、このブログは、ほかのパソコンで設定が生きていて助かりました。
いま、私が自由に使えるのは、ブログくらいなものです。
環境が復旧しだい、書き込みを開始したいと思っています。


つづく。

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posted by マネージャー at 02:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 業務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

今日と明日は、クラフトフェア

参った。週末だというのに、昨日、一晩、電話線が切れていたらしい。
なぜ分ったかというと、ガス屋さんが、ガス漏れ探知機の通信が
遮断しているのに気がついたやってきたからです。
で、ガス屋さんが電話工事をして直してくれました。
今時のガス屋さんは、すごい!
というわけで、電話が通じなかった御客様、御迷惑をおかけしました。
(どうりで予約の電話がかかってこなかったわけだな)


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ところで今日と明日は、クラフトフェアです。
全国から大勢のアーティストさんたちが出店しています。
さっそくオープン直前(10時頃)の写真を撮ってきました。


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北軽井沢は、すごく良い天気です。
雲一つない日本晴れ!
最高ですね。

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さっそく会場へ
まだオープン前の準備段階の様子を紹介します。
午前10時頃の様子です。
御客様もチラホラきています。

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一部では作品の展示が終わったようですね。

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飲食コーナーもあります。
そば粉で作ったクレープ。

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三笠ホテルカレー。
美味しそう!
後で食べなければ。

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群馬名物も

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各店舗の紹介

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つづく。

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posted by マネージャー at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 北軽井沢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする