2011年 通風男の北アルプス縦走記3
紀美子平に到着。
時間があれば、ここから前穂に登るのですが、今回はパス。
西穂縦走、または槍ヶ岳縦走の体力温存のために、そのまま奥穂高にむかいました。
奥穂高は、槍ヶ岳とならんで、登山者の人気ナンバーワンの山です。理由は、日本で三番目に高い山であることと、その周りに名山が連なり、眼下に北アルプスで一番美しい涸沢があるからです。上高地のカッパ橋から見える美しい山が、奥穂高と言えば、みなさんも
「ああ、あれか!」
と納得されると思います。
実際、この山は魅力に満ちています。
ジャンダルムをはじめとして、ノコギリのようなギザギザの稜線(ナイフリッジ)や
切り立った岩が至るところにあって、登山家にとってあこがれの山になっています。
そもそもどうして、このような魅力的な山ができたかと言いますと、一七六万年前に、大噴火によって、深さ三千メートルという巨大なカルデラが生じたためです。穂高は、それを埋めるように堆積した火砕流の堆積物(溶結凝灰岩)で、厚さは千五百メートル以上に達しました。それが百万年くらい前にはじまった北アルプスの隆起活動によりゆっくりと持ち上げられ、浸食により削られて、このような山になったのです。
重太郎新道から吊り尾根。
このルートは、見た目より危険であることは、前回のべました。
岩が逆層になっていて、手のホールドもききにくい。
よく見と、どの岩にも柱状節理がよく発達しています。
それが凍結によって、どんどん破壊されてしまい、
それが浮き石となって危険な状況になっているのです。
北穂高から大キレットなどは、その典型なのですが、吊り尾根も負けず劣らず危険な岩場を構成しています。それにもかかわらず、登山者が無事に歩行できているのは、穂高に生涯をささげた今田重太郎のおかげです。北アルプスで一番の急登・重太郎新道ができたのは、昭和26年でした。それから多くの登山者が、このルートを利用しています。
さて、この重太郎新道ですが、すごい難所と思いきや、案外なんともなかった。アミノバイタルとビタミンと糖分の補給さえ、しっかりしていれば、意外に楽に登れることがはっきりしました。むしろ涸沢まわりで奥穂高に行くより足に負担がないかもしれません。体力がある人ならコースタイムを大幅に縮められる可能性もあります。
ただし、体力がない人には、地獄のコースになることは間違いないです。一気に1500メートル登ってしまうのですから、初心者は避けた方がいいです。しかし、基礎体力のあるベテランハイカーならば、歩数が少ない分、足を痛めにくいこのコースがおすすめです。というのも、なだらかな涸沢まわりより1万歩すくなくてすむからです。コースタイムは、同じくらいですから、歩数が多くてもなだらかな方がいいか、歩数を少なくして急登が良いか、それは、各人の体調次第になります。
今回、重太郎新道から吊り尾根を歩いてみて思ったことは、重太郎新道は、一般的に言われているよりキツく感じなかったということですね。しかし、楽なはずの吊り尾根は、そうではなかった。空気が薄いために、3割ほど体力が落ちてしまった感じだった。ちょうど、富士山の8合目あたりを歩いてる感じで空気が薄すぎるんです。
こういう時は、アミノバイタルでは駄目で、チョコレート。それもアーモンドチョコかスニッカーズがパワーを発揮します。なぜアーモンドチョコかと言いますと、アーモンドにビタミンEなどの自然栄養が含まれているのと、糖分の補給を円滑にするためです。ちなみにビタミンEは活性酸素による体細胞や血管の酸化を防ぐ抗酸化作用がある為に登山家には、重要な食物です。昔から山岳会では、アーモンドなどのナッツ類は、山に欠かせない重要な食物でした。
吊り尾根を半分も進むと、涸沢が見えてきます。
昔は、
「このカールは氷河が造った」
と教えられたものですが、最近の学説では否定されつつあります。
たかだか2万年前の氷河で、こんなになりはしないというのです。
穂高は、山全体がマグマでできた柱状節理のかたまりなので、
その凍結崩落と浸食の繰り返しが、100万年単位でおきた結果だといわれています。
まあ、そう言われてみれば、そんな気がしてきます。
2万年前の氷河くらいでは、こんなにはなりはしないと。
奥穂高に近づいてくると、槍ヶ岳が見えてきました。
さすがに、かっこいい!
しびれます。惚れます。
さっきまで、西穂縦走をする気まんまんだったのに
槍ヶ岳をみてしまうと、槍ヶ岳に行きたくなる。
槍ヶ岳には、そういう魅力があります。
しかし、そう思ってた矢先に、奥穂高に到着しました。
日本で3番目に高い山に到着です。
いいですね、奥穂高は!
ジャンダルムも、すぐそばに見えています。
雷鳥も人をおそれずに、近くを歩いていました。
ここで、ビバークして、西穂も考えたのですが、
槍と大キレットが脳裏から離れませんでした。
というか、奥穂高山荘が気になる。
宿屋の悲しいサガですね。
どうしても、奥穂高山荘が気になってしまう。
重太郎新道を造った重太郎さんが建てた宿である奥穂高山荘。
そして、山小屋では珍しい二十代の若女将(おかみ)のいる奥穂高山荘。
やっぱ、ビバークと西穂はやめて、奥穂高山荘にいくべ!
宿屋の本能が騒ぐのでした。
というわけで、奥穂高山荘に向かって出発。
噂の奥穂高山荘は、どんなところなんだろうか?
奥穂高山荘は、奥穂高から三十分くらい下山したところにありました。
14時頃に到着です。
私は奥穂高山荘に、過去に3回泊まったことがありますが、
その時は、テント泊だったので、よくわかりませんでした。
はたして、どんな宿なんでしょうか?
つづく。
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