私が、奥穂高山荘で、重大なミスをして、下山したことは前に述べました。
今年は例年より早く南岳小屋が閉まっていたことに気がついてなかったのです。
となると槍ヶ岳肩の小屋まで10時間の歩行になる。
17時20分日没の10月の気象での大キレットは、危険きわまりない。
おまけに稜線は強風。
で、涸沢岳で下山を決断。
かわりに、涸沢からパノラマ経由で帰ることにしました。
コースタイムは、1時間増えますが、このコースの展望は、北アルプスで一番素晴らしい。
大キレットも、槍ヶ岳も見えるコースなのです。
で、見えてきました。槍ヶ岳が!
大キレットもよく見えます。
槍ヶ岳。
こんなに尖っている山は、他にありません。
だから槍ヶ岳という名前なのですが、
昔、山岳会の若手だった頃は、先輩に氷河によって造られたと習ってました。
実際、どの登山の本にも、そのように書いてあります。
しかし、今では、否定されています。
このへんは、2004年に噴火した浅間山麓の住人として、
槍ヶ岳の地質には、興味津々だったりします。
実は、槍ヶ岳の穂先は東に傾いています。
もし槍ヶ岳が、氷河が削ってできたなら、このような非対称にはなりません。
それに疑問を感じた信州大学の原山智氏は、槍ヶ岳の柱状節理に注目しました。
本当なら垂直なはずの柱状節理が東に傾いているのです。
つまり、地層自体が東に傾いたのです。
柱状節理が東に傾いている
で、調べてみると槍ヶ岳の地下にマグマが入って槍ヶ岳を隆起させていることが分かりました。本来は、槍ヶ岳と、その西側にある笠ヶ岳は、同じ地質なのですが、槍ヶ岳の西側に地下から花崗岩が入ってきて、槍ヶ岳の西側の基盤を押し上げてしまった。そのために西側の方が高くなって、槍ヶ岳は東に傾いてしまったのです。その切れ端が、槍ヶ岳の穂先ということです。つまり、槍の穂先の原形は少なくとも数十万年前にはできており、二万年くらい前の、氷河期の氷河による浸食でできたものではないとのこと。
難しい話は、これで終わりにして、
下山途中に見知らぬ美人が、
私の方に声をかけてきた。
きっと、私の後ろの人に声をかけたのだろうと、
後ろをふりむいたら、そこには岩しかなかった。
「え? 俺? で、あなた誰?」
と思っていたら、昔、北軽井沢ブルーベリーYGHでヘルパーをやっていたニュージーランド娘だった。
「あれ? どうしてここに? 沖縄じゃなかったの?」
どうやら山が恋しくなって、従兄弟と、お母さんと、涸沢の紅葉をみにきたらしい。
それにしても、偶然というのは恐ろしい。
もし、下山を決意してなかったら、
もし、パノラマ新道を選択してなかったら
彼女には会えなかった。
さらに下山。
ナイロンザイル事件の碑。
氷壁のモデルになった、ナイロンザイルの事件は、
この近くの明神岳でおこりました。
合掌。
徳沢園。
ユースホステルだった時期もありました。
氷壁の宿です。
明神岳。
上高地のカッパ橋です。
芥川龍之介の「河童」の舞台です。
遠くに見える山は、奥穂高。
昨日の今頃は、あの山のてっぺんにいました。
これです。
これは、ジャンダルム。
雷鳥がいた岩です。
大正池。
この後、物足りなくなった私たちは、翌日、四阿山と根古岳を縦走しました。
その記録は、すでにアップしてあります。
つづく。
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