2011年11月28日

ラズベリーに行ってきました

ラズベリーに行ってきました
新しい命は、かわいいですね

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この宿では、
ご主人は、まー君
奥さんは、まっこ
お子さんは、まーる
ちよっと笑ってしまった。

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つづく。

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posted by マネージャー at 09:26| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 2012以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

子持山ハイキング2

子持山ハイキング2
つづきです。

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ロッククライマーたちもいますね

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ピーク

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近いせいか八海山神社の影響下にある山なんですね。
昔は、信仰登山が盛んだったようです。
修験者は、大きな岩場に霊がやどりやすいと考えていましたからね。
ちなみに私は、両神山で修験者の高僧にあったことがあります。

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山頂写真。
みんないい顔をしてるなあ。
心なしか美男美女に見える。

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美味しそうな林檎

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アルプスが

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ここは、視覚障害があると難しいか!
それにしてもサポートしてくれた皆さん、ありがとうございます。
特に女性のお二人には感謝です。
同性ま方がサポートしてくれると、ツアーリーダーはおお助かり。
異性だと、どうしても気をつかってしまうので

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炭焼き小屋跡ですね

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河を慎重に渡ってますね。
お疲れ様でした。

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つづく。

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2011年11月26日

子持山ハイキング1

子持山ハイキングです

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こちらも天気がいいですね
最高の展望です!
こりゃ、参加者は大ラッキーでしたね!
この山は、雨雪が降ったら最悪ですから。

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今回のメンバー。
女性ばかり。
ニューパワースポットマン誕生か?

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紅葉がいい

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素晴らしい展望。
日頃の行いが良いからでしょうか?
ま、群馬県は、日本で一番晴天率が高いんですけれどね。

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つづく。

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ラベル:子持山
posted by マネージャー at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 榛名・伊香保 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

ギリシャはユーロ圏にとどまるの?

ギリシャはユーロ圏にとどまる=S&Pソブリン格付け部門責任者

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-24308320111123

 [ダブリン 23日 ロイター] 格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)のソブリン格付け部門責任者、デービッド・ビアーズ氏は23日、ギリシャはユーロ圏にとどまるとの見通しを示した。当地で会見したビアーズ氏は、「われわれの基本シナリオでは、向こう12カ月のユーロ圏加盟国に変化はない。ギリシャがユーロ圏を離脱することで利益を得るという考えは完全に間違っている」と話した。




 ギリシャは、ユーロから離脱した方が良いね。ギリシャが、こんなになったのは、ユーロ圏内にはいったのが原因なのは、旅行者の常識です。あのせいでバックパッカーやホステラーは、みんなトルコとクロアチアに旅行にいくようになってしまった。

 そもそもギリシャは、GDPの3割が観光収入なのに、ユーロに入ったせいで物価が高騰して、誰もギリシャに旅行に行かなくなってしまった。で、古代ギリシャ遺跡の半分はトルコにあるから、みんなトルコにいってしまう。いま、トルコはウハウハですよ。なのに、どうしてギリシャは、ユーロにこだわるのだろう? ギリシャは、ユーロから離脱した方が良いですね。

 そもそもギリシャには観光以外の企業がない。
 観光の他は、公務員というか特殊法人ばかり。
 なのに観光産業をズタズタにして、どうするの?

 今回のギリシャ問題は、ギリシャが独自に通貨政策がとれないことに原因があるわけですから、ギリシャは早急にユーロから離脱すべきですね。でなければ、ギリシャはドイツの植民地になってしまう。ギリシャの不動産の多くがドイツ人の所有になっていることは、ギリシャにとって決して好ましくないし、ある時期を境にして、ナショナリズムが爆発しないともかぎらない。そうなってしまえば、ドイツにとっても不幸な話ですからね。

 で、この事件で思い出すのが、今から20年くらい前に、ベルリンの壁か崩れたときに東欧旅行したときの思い出です。

 あの時、東欧は貧しかったんです。
 宿なんか、1泊百円で泊まれた。
 豪華ランチも、百円あればおつりがきた。
 そのために、おおぜいの旅行者が殺到して、東欧は発展した。
 その数年後は、1泊千円になっていた。

 で、東欧の中で、旅行者が行かなかった国がある。
 旧東ドイツ。
 おなじマルクにしてしまったために、物価が西ドイツと変わらなかったために、旅行者たちは避けてしまった。そして東ドイツ人は怠け者と言われるようになってしまった。だからユーロができたときに、

「おいおい、本当に大丈夫なのか?」

と他人事ながら心配していましたが、案の定、ギリシャが破綻しかかっている。共通通貨というものは、にたような経済力の国同士でないと、失敗するのは、ドイツ人だって東ドイツの失敗で、わかっていたろうに。どうして、こんなミスをおかしたのか? もっとも、旧西ドイツは、旧東ドイツの市場を根こそぎ奪っているから、ユーロでも、同じように南欧の市場を奪いまくる魂胆だったのだろうか? そういうふうに勘ぐりたくなる。

 どっちにしろ、このままではお互いに不幸だからギリシャは離脱した方がいいと思うんですが、どうなんでしょうか? これは、あくまでも無責任な旅人の視点からですが。



つづく。

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posted by マネージャー at 21:42| Comment(15) | TrackBack(0) | ニュース・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

烏帽子岳を散策してきました

ツアーは、子持山だったんですが、
私と嫁さんは、御客さんが出発した後に
夫婦二人で烏帽子岳を散策してきました。
今日は、烏帽子がいいはずと、直感が働いたからです。

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樹氷が太陽光線を反射してキラキラ光っていて言葉を失いました。
写真だと、これが写らないのが残念。

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後ろを振り返ると湯ノ丸山

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霜柱が心地よい

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スキー場が見えます。
もうオープンしていました。

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やっぱり烏帽子岳は、すばらしいですね。
美しすぎて、カメラの何度シャッターを押したことか!

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四阿山が見える

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これは角間山

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つづく。

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ラベル:烏帽子岳
posted by マネージャー at 21:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 鹿沢−烏帽子岳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

小諸の温泉「あぐりの湯」と個室の話

ツアー帰りに寄った、小諸の温泉「あぐりの湯」



小諸市大字大久保字中山1145番地1
0267-24-4126(ヨイフロ)

大人..500円(12歳以上)
小人..300円(6歳以上12歳未満)
午前10時〜午後9時(受付は午後8時30分まで)

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露天風呂から見えた、すごく珍しい2重の虹。
写真だとわかりにくいですが
虹が二重になっています。

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これはは、あぐりの湯でのランチ。
けっこうボリュームがあります。

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ちなみに、この日のツアーは、たった2人の参加でした。
人数が少ないですが、それもそのはず。
この日の御客さんは、たったの3人でした。
けれど、かなり盛り上がってたようです。


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関係ないですが、うちは、御客さんに

「北軽井沢ブルーベリーYGHは、御客さんが少ないと相部屋料金で個室にしてくれるから有り難いです。このサービスはいいですね」

とよくいわれます。

 まあ、部屋が空いてたら、できるだけ個室にしてあげるようにしているんですが、これは、別にサービスで、そうしているわけではないんですよ。というのもワックスをかけたりしてたら、相部屋をお願いするケースもありますから。
 
 部屋が空いてたら、相部屋料金でもできるだけ個室にしてあげるようにしているのは、その方が、盛り上がるからなんですね。
 
 これは宿屋をやるまで、全く分からなかったことなんですが、男性の御客さんの場合は、人数が少なすぎると寡黙になってしまうんです。
 
 たとえば、3人しか御客さんがいなかったとする。
 それも全部、一人旅で、全員男性だったりした場合、
 全員を同部屋に入れてしまうと、みんな寡黙になってしまう。
 盛り上がらないんです。
 
 逆に、一人一人を全員、個室にすると、みんな仲良くなって盛り上がる。
 最初は、気のせいかなと思ってたんですが、
 うちはリピーターが多いので、同じメンバーで、実験してみても同じ結果になってしまった。
 
 正直言って、御客さんが盛り上がってないと、宿屋という人間は辛いですからね。
「料理が悪かったんだろうか?」
 と心配になってきますから、そういう心臓に悪いことがおきるくらいなら、少しばかり手間がかかっても、みんなできるだけ個室にした方が、精神衛生上らくですからね。
 
 
 まあ、これは御客さんが少ないケースの場合であって、御客さんが多いと、相部屋でも男性の御客さんは寡黙ではありません。ある程度の人数が居ると盛り上がるんですよね。
 人数が少ないと、みんな寡黙になる。
 しかし、人数が少なくても、みんな個室だと、また盛り上がるんです。
 
 これが女性の一人旅だと、ちょっと違う。
 かえって少人数の方がもりあがったりするから、ややっこしい。
 若い女性だと、むしろ相部屋の方がもりあがりやすい。
 けど、とのためにお茶会に出てこなくなるので、
 やっぱり部屋が空いていると個室にしちゃうケースが多くなってしまう。

 ま、宿主という者は、部屋割りに、いつも頭を悩ましているものなんです。


つづく。

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posted by マネージャー at 17:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 小諸市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

群馬大学付属病院でスムーズに診察をうける方法3

群馬大学付属病院でスムーズに診察をうける方法3

 群馬大学付属病院に到着した。第4駐車場から、巨大なショッピングモールを通って外来棟に到着。そこに総合案内があった。

 総合案内には、受付嬢の他にフロアースタッフが居て、こっちがマゴマゴしていると親切に色々教えてくれる。まず初診の受付用紙を書いて、受付用紙を何番の受付カウンターに出すのか教えてくれた。そして、診察のための手順を書いたパンフレットをくれました。

 なにげに、このパンフレットが素晴らしい。
 これからの手順が図面で説明してある。
 おまけに病院の詳しい地図があるうえに、
 いろいろな疑問点がQ&A方式で載っている。

 下手なペンションやユースホステルの案内書より、よほど親切に書いてある。サービス業の私も、真っ青の案内書になっている。しかし、この案内書は、来てから渡すのではなく、ホームページに載せて欲しかったな。いや、ホームページに載ってるのかもしれないけれど、もっと分かりやすく、トップページに
「初めての外来の方へ」
と書いて、最初に読ませるようにしてほしかった。そうすれば、私も最初にまごつかなかった。素晴らしい案内書があるだけに残念。

 で、受付に受付用紙と紹介状を提出して10分ほど待つと、一人一人ではなく、一挙に7人くらい呼び出された。で、7人同時に手順の説明を受けた。驚いたことに、全員が町医者の紹介状を持っていた。
「なぜ、みんな紹介状を持っている?」
と疑問に思ったら、群馬大学付属病院は、特定機能病院といって基本的に紹介状がないと見てくれない病院なのだそうだ。つまり町医者の手に負えない病気を専門に診る病院ということらしい。だから全員が紹介状を持っている。

 紹介状無しで診ることも不可能ではないらしいのだが、その場合は、紹介状無し料金として、3150円が加算されるシステムになっている。つまり、群馬大学付属病院は、重病難病の専門の病院ということになる。さらに緊急性の無い治療にいたっては、時間外選定医療費として、4200円が加算される。

 で、気がついたのだが、医療費にも消費税がかかるんですね。
 つまり消費税が上がったら医療費も上がることになる。
 くそー嘘つき民主党め!
 議論さえしないと言ったのはどこのどいつだよ!

 しかし、群馬大学付属病院は、この医療費高騰に対する対処も教えてくれた。
 こういうパンフレットをくれたのだ。

 このパンフレットによると、特殊な56種の病気に関しては診療費の一部を国が補助してくれるらしい。ただし患者が「特定疾患医療給付申請書」を居住する保健福祉事務所に申請し受理された日から適用となる。例えば緊急に手術を受けたが、申請書の準備が遅れて次の日に申請した場合は手術費の補助を受けることができません。速やかに申請を行うことが重要とのこと。そのための相談窓口が群馬大学付属病院にあった。

 患者支援センターもあった。
 癌相談もできるとのこと。
 補助金の給付など、難しい事もここで教えてくれるらしい。
 もちろんクレーム受付もできる。

 つまり、群馬大学付属病院は、こういうサービス環境が完璧なのです。逆に言うと、こういう部門が充実しているがために、私が最初に電話したときに、代表電話のオペレーターが、ものずごく対応の悪い部署に繋いでしまったともいえます。で、白い巨塔の罠にはまってしまった。

「あのー、◎◎病院の◎◎先生から、紹介状をいただきまして、癌の疑いがあるので◇◇科の◆◆先生に見てもらうように言われたのですが」
「予約受付は、15時で終了しました。明日の13時から15時の間にお電話ください」
「え?」

 もし、そのとおりにしていたら、私は何日も診察してもらえないはずだった。
 私は、代表電話のオペレーターに

「はじめて群馬大学付属病院に行くのですが、何しろ何も分からない田舎ものなので、総合案内とか、どこか相談できる部署につないでもらえますか?」 

と聞くべきであった。群馬大学付属病院は、町医者と違って部署が専門化しているために、極度に専門的であり、対応も官僚化しているのである。これは決して群馬大学付属病院を批判しているのではない。極度に専門的であり、対応も官僚化しているということは、総合案内も、患者支援センターも、極度に専門的であり、対応も官僚化しているために、完璧な仕事をしてくれるからだ。ようは、何とかとハサミは使いようで、これはこれで具合がいいのかもしれない。

 というのも、町医者にも、長所と欠点があるからだ。

 町医者の長所は、とにかく親切なこと。かゆいところに手が届くところだが、時々、うざったくなることもある。待合室で待っていると事務方(それとも看護婦?)が「インフルエンザの予防注射はいりませんか?」と売り込みにきたりする。整形外科にかかっていても、咳をしていたりすると、なぜか咳止めまで処方してくれたりする。基本的に院内薬局なのでジェネリックカードを出しても、薬の種類が少ないためか使えなかったりする。この点、群馬大学付属病院だと、そもそも薬は全て院外薬局。病院では薬をだしてくれない。

 けれど町医者の面白いところは、患者の懐具合も考えてくれるところ。

「◆◆検査は、3ヶ月の間を置かないと国民健康保険が使えませんから、次回の検査は、3ヶ月後にしましょう」

 おいおい、癌の疑いがあるんだろ?
 1ヶ月後でいいよ!
 と患者が思っていても、しっかり患者の懐具合を考えてくれる。
 この点、大学付属病院は容赦ない。

「町医者で調べた1週間前のPSA検査で、5.8でした」
「そうですか、じゃ、もう一回検査しましょう」

 さすがは群馬大学付属病院。
 慎重に慎重をかさねている。


つづく。

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2011年11月21日

小浅間山ハイキング

小浅間山ハイキングに行ってきました。
素晴らしい日和でした。
今回のメンバーです。

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つづく。

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群馬大学付属病院でスムーズに診察をうける方法2

群馬大学付属病院でスムーズに診察をうける方法2

 群馬大学付属病院に行くことになった。
 受付は、朝の8時から。

 ということで、朝6時に起きて、群馬大学付属病院に出発した。2時間あれば、途中で牛丼屋かコンビニによれる時間があったと思ったからです。しかし、高崎・前橋で朝の交通渋滞にまきこまれてしまい、結局、群馬大学付属病院に到着したのが9時だった。コンビニにも牛丼屋にも寄れなかった。

「しかたない、朝食は病院の売店で調達しよう。御握りやサンドイッチは無理にしても、アンパンくらいなら置いてあるだろう」

と思って、第4駐車場に車をおいて、病院の中に入ったら目が点になってしまった。

「病院の中にショッピングモールがある!」

 というか、ショッピングモールと書いてある!
 コンビニはもちろんのこと、各種レストランに、カフェ、売店、銀行などいろんな店が!
 おそらく嬬恋村の商店が、束になっても敵わないくらいに凄い!
 コンビニのローソンにいたっては、
「ホスピタルローソン」
 になっている!
http://www.lawson.co.jp/company/branch/hospital/cases/case_09.html

 そもそも病院内に、どうしてドラックストアがあるんだ?

 それは、ともかく「ホスピタルローソン」でサンドイッチを買ってみた。
 味は、普通のローソンのサンドイッチだった。
 まあ、あたり前か!

 しかし、サンドイッチを食べながら即、後悔してしまった。安くて美味そうなカフェやイタリアンレストランなんかが、ずらりと並んでいたからです。ここなら八百円以下で、かなり美味しそうなランチが食べられる。店も、みんなおしゃれだし、軽井沢の店みたいだ。もちろんラーメンなんかもある。これだったらローソンのサンドイッチじゃなくて、もっと美味そうなフレンチかなんかにすればよかった。で、カフェで珈琲をすするんだった。

「すげー! さすが群馬大学付属病院だ!」

 どうして、こういうことになっているのかと、帰ってからインターネットで調べてみたら、こういうサイトがあった。


http://www.jomo-news.co.jp/kenko-tsushin/kenko00154.html
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以下、引用

群馬大学医学部附属病院を日本のメイヨークリニックに
群馬大学特任教授 森下靖雄

火が消えたような前橋
 15年前、群馬大学に赴任したときは、前橋の街にはもっと活気があったように思います。萩原朔太郎誕生の地として、また、市の真ん中を坂東太郎である日本一の利根川が悠々と流れる水と緑の都として、あこがれさえ持っていました。

 ところが、この数年の寂れようはどうでしょうか? アーケード街の3分の1はシャッターを下ろしています。人通りもまばらです。街中の唯一のデパートも、休日の午後だというのにいずれの階にも買い物客をほとんど見かけません。

 わが国のいずれの地方都市も程度の差はあれ、ドーナツ化現象が進み、前橋市と同じ問題を抱えていると思います。特に前橋の場合、市街地周辺にモールやショッピングセンターが次々にオープンし、駐車場の心配もないことから、人の流れがますます市街地を離れているのが現状ではないでしょうか。

 アメリカの小都市ロチェスターに「メイヨークリニック」という世界的に有名な大病院があります。1883年、メイヨー兄弟が父親の要望で救急医療センターを開設したのが始まりで、大学病院にまで発展したものです。かつて小さな田舎町だったロチェスターは、メイヨークリニックの発展ですばらしい医療都市に変貌し、いまや世界中から患者が集まるようになりました。

 病院の周辺にホテルやショッピングセンターが必然的に造られ、町そのものもさらに大きく変貌・発展したわけです。まさに医療都市の出現です。そこで、群馬大学医学部附属病院を日本のメイヨークリニックにすることは夢でしょうか? (以下、略)
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いやはや参った!
群馬大学付属病院は、メイヨークリニックを目指していたのか!
群馬大学付属病院は、地域振興の先兵だったのか!
いやー凄いわ!
なんか、ドラマ「医龍」を思い出してしまった。





前回、白い巨塔の罠と書きましたが、白い巨塔なんて古かったわ。
これは医龍の世界ですわ。
いやー、世の中も変わったものですわ。
病院も、患者の病気を治すだけではない時代なんですね。
地域振興まで考える時代がきたんですね。





医龍の世界なんて、架空の話かと思ったら、
もう、そういう世界が群馬県にあったなんて、いやー驚いたの何のって

しかし、これはこれで便利かもしれない。
ここには多くの入院患者もいるし、
職員・ナース・医師・研究者も多いので、
本屋からカフェまで、なんでもそろっているショッピングモールがあるのは凄く便利。
とくに緊急入院で運ばれた患者にとっては、
下着も買える店や銀行があるのはありがたいかも。

最初から、これを知っていたら途中でコンビニに寄ることなんか考えなくてよかった。



つづく。

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2011年11月20日

布引観音散策ツアー

今日は布引観音を散策してきました。
秋の布引観音です。どうぞ。

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ラベル:布引観音
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2011年11月19日

大学付属病院でスムーズに診察をうける方法1

 実は、私は大学付属病院というのが大嫌い。嫌いになった理由は、私が小学2年生の時、1970年(昭和45年)頃に母親と上京し東大病院で難聴の診察をうけた経験からです。

 東大病院は大きかった。行列も凄かった。最初は、母親の付き添いで診察を受けましたが、検査は一人で受けさせられました。大勢が順番待ちで、部外者は列に並べなかったからです。で、検査前に説明書を読まされました。

 しかし、読めない。
 難しい漢字が、いっぱい書いてあって読めない。
 小学2年生になったばかりの子供には

「高音」「低音」「聴く」「致します」「御願いします」

という習ってない。読めたとしても意味を理解するのは難しい。どうして良いか、オロオロしているうちに、自分の番が来てしまった。そして病院の人が事務的に
「説明書は読みましたか?」
と怖い顔で聞いてくる。私は恐る恐る
「読んだけれど分かりませんでした」
と答えました。すると

「駄目じゃ無いの! 大勢の人が待ってるんだから無駄な時間をつかわせないで」
「きちんと読んでから来なさい」

と、とりつくしまもな、もう一度、一番後に並ばせられました。私は列の最後でボーゼンとするしかなかった。そもそも小学2年生に理解できる説明書でないわけですから、どうしようもない。しかし、そうこうしているうちに、また自分の番が近づいてくるんですが、分からないものは分からないですから、自分の番が近づいてくると、だんだん恐怖をおぼえてくる。幼かった自分は、怒られるのが嫌で、また最後尾にまわってしまった。

 これが大人なら隣の人に聞くなどの知恵が働くのですが、佐渡島の田舎から上京したばかりの小学2年生には無理な相談。だいたい昨日までエスカレーターも、エレベーターも、自動ドアも知らない土人として育った子供ですから、まわりにいる背広を着た東京の大人たちなんて、エイリアンぐらいにしか見えない。

 第一、私が困っていても、みんな無視している。
 こんな時、佐渡島の老人たちなら困っている子供がいたら
「どうしたの?」
 と聞いてくれるけれど、東京大学の病院に来ている大人たちはムスッとしてる。
 で、何時間も、もじもじしているうちに母親が
「遅いぞ、変だな」
と気がついて見に来て、ようやく説明書の意味を解読することができたんです。





 当時の東大病院は、一事が万事、こんな感じですから、いまだに私は大学病院にアレルギーがある。こういう病院が、正しい診療が出来るはずがないと、いまだに偏見をもっています。幼い頃に刷り込まれた体験は、この歳になっても残っている。だから町医者ばかりにかかっていたのですが、その町医者に

の可能性があるので、群馬大学の◆◆先生に紹介状を書きますので、群馬大学で精密検査をうけてください」

と言われてしまった。
で、群馬大学付属病院に電話してみた。

「あのー、◎◎病院の◎◎先生から、紹介状をいただきまして、癌の疑いがあるので◇◇科の◆◆先生に見てもらうように言われたのですが」
「予約受付は、15時で終了しました。明日の13時から15時の間にお電話ください」
「え?」
「・・・・・」
「あ、あのー、そちら(群馬大学付属病院)は、前日の13時から15時の間に予約をしないと診察してくれないのでしょうか?ホームページには、朝8時から受付と書いてあるんですけれど」
「初診ですか?」
「はい」
「初診なら、朝8時から受付です」
「で、◆◆先生は、水・金しかおられないと聞きましたので、金曜日の明日に、そちらに伺おうと思って電話したんですけれど」
「初診から◆◆先生がみるわけではないので、別の先生に見てもらいます」
「では、明日、診察してもらうことは可能であるということですね?」
「はい」

 とういうわけで何とか診察してもらえることになった。
 短く文章にしていますが、他にもいろいろなやりとりがありました。
 けれど、それは省略しています。
 それにしても長かった。
 ドドーッと疲れてしまった。
 最初の電話で、こんなに遠回りするとは。

 もし、私がホームページを見ながら電話口で粘って対応してなかったら、診察してもらうまでに、いったい何日かかったのだろうかと思うとゾッとしました。だって、最初の対応だと、明日の13時から15時の間にお電話くださいだけだったので、そのとおりにしていたら、翌週の扱いになってしまっていた。そのうえに「初診なら初診と言いなさい」と怒られるところであった。やっぱり「白い巨塔」なのかなと思ってしまった。





 なぜ、私が、ブログにこんなことを書いたかといいますと、
 こういう場合、つまり私のようなケースの場合は、
 もっと別な手段があったんですね。
 それを怠ったために白い巨塔の罠にはまってしまうところだったんです。

 まず、最初に私が犯した誤りは、病院の代表電話に

「あのー、◎◎病院の◎◎先生から、紹介状をいただきまして、癌の疑いがあるので◇◇科の◆◆先生に見てもらうように言われたのですが」

と言ってしまったことです。こんな事を言ってしまったので、代表電話のオペレーターの人が、直接、◇◇科の◆◆先生の担当の秘書か何かに電話にまわしてしまったために、こういうことになってしまったと思われます。

 こういう場合は、代表電話のオペレーターの人に

「はじめて群馬大学付属病院に行くのですが、何しろ何も分からない田舎ものなので、総合案内とか、どこか相談できる部署につないでもらえますか?」 

 と言えば良かったんですね。
 でないと、白い巨塔の罠にはまってしまう。

 敵を知り、己を知らざれば、百戦あやうからず(孫子)

 まずは、敵を知るところから始めなければならない。
 よーするに各病院のシステムを知らなければならない。
 大きい病院には、そういうシステムを親切に教えてくれる部署がかならずあるんです。
 そこに電話するべきだった。
 うーん。
 勉強になりましたわ。

 このシリーズ、しばらく続けます。
 みなさんの参考になるように、
 群馬大学付属病院を徹底的に解剖してみせます。
 私のように田舎者が大病院でウロウロしないために。

つづく

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posted by マネージャー at 13:19| Comment(5) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

母猫の愛に感動した動画を紹介

久々に、すごいものを見せてもらいました。
論より証拠。
ご覧ください。

子猫を守る母猫の愛 そして、ベビーシッターに反撃



こちらも猫ちゃんの愛情を感じます






こちらは、おまけ
ちょっと笑えます。
いやされます。









つづく。

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posted by マネージャー at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

登山用のザックの話2

登山用のザックの話2

 今回は、ちょっとオタク向けの話をします。

 実は、ザックの原点は、ランドセルでした。
 当時は、背嚢と言ってました。

 江戸幕府が、洋式軍隊を作ったときに装備として背嚢(ランドセル)も導入しています。
 もちろんオランダ語です。
 オランダ語のランセル(ransel)がなまってランドセルになっています。
 幕末の教練書である『歩操新式』の元治元年(1864年)版ラントセルのルビがあります。
 では、どういう構造になっていたかと言いますと、今で言うフレームザックに似てました。
 ただし、木製の箱形フレームに布張りをして、
 そのまわりをランドセルのように革で覆い被さっていました。
 革を使っていた理由は、防水と関係あると思われます。
 米は濡れたらおいしまいでしたから。





 しかし、それでは高価になってしまうので、一般の兵士たちは、ランドセルを総キャンバス布にして、フレームの無いものにしてしまいました。そして、その布製ランドセルに、タコ足のように何十本もの紐をつけ、いろんなものを縛り付けるようにしたんです。昭和4年に登場するキスリングは、あきらかに、その影響があると思われます。

kissling02.jpg

 インターネットなどで調べると、キスリングは、「昭和4年(1929年)、2代目・片桐盛之助のもとに、槙有恒氏と松方三郎氏が、スイスのヨハネス ヒューク キスリング氏の考案・製作したザックを持ち帰り、それをもとに、盛之助は、日本で初めて、キスリング型リュックサックを製造した」なんて、書いてありますが、私は「本当かよ?」と疑っています。

http://katagiri1914.com/index.php?%E7%89%87%E6%A1%90%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 全部うそとは言いませんが、日本陸軍の背嚢の影響を無視しているところが、ちょっと怪しい。ただ、キスリングと背嚢では、決定的に違うところがあります。キスリングは、全ての荷物をザックの中に入れてしまうのが基本なのですが、陸軍の背嚢は、ある程度、ザックの外にくくり付けておくのが基本であるということです。

 兵士たちは、常に弾薬を消費します。そのつど、パッキングを変えていたら仕事にならない。だから消費しやすいものは、ザックの外にくくり付けた方が良い。あと、よく使う道具(組み立てスコップ)なども、ザックにくくり付けた方がよい。いちいち、ザックの中から取りだして、パッキングを直してたら時間がいくらあっても足りないからです。

 しかし、登山家たちは、そうではない。パッキングを変えるのは、日没と早朝だけですから、全部ザックに入れておいて完璧なパッキングを行っていた方が便利だった。で、どうしたかというと、100リットルから150リットルの大型ザックを作って、鍋やら米やらテントやら寝袋やらを全部ザックの中に詰め込むようにした。そして、その綿製大型ザックに防水コーティングをして、新品の野球グローブのようなガチガチの布地にして水をはじいたんです。これがキスリングの始まりだと私はにらんでいます。ですから背嚢にくらべてキスリングは大きいです。

 じゃあ、このキスリングとやらは、現代のザックと、どこが違っているかと言うと、横幅があるんです。現在のザックが縦に細長いのに対して、キスリングは横幅がある。どうしてかというと、フレームがないから、縦長にできないんです。饅頭のような形・巾着のような形にしかできない。で、両サイドに大きなポケットを作った。そのほうが、安定するからです。

 しかし、これは非常に担ぎにくかった。
 全部の重量が、肩に食い込むからです。
 だから昔の山岳会では、腕を組んで猫背になって山を登るように指導していた。

 ちなみに、このキスリングは、私が中学生だった1970年代の半ばまで、日本の登山家たちは、みんな担いでいました。1975年頃から日本にも現在のようなフレームザックがでてきます。では、どのようにして、現在のザックが登場したのでしょうか? 実は、ザックに革命をもたらした犯人がいます。ドイツ軍です。

 ユースホステル運動・ワンダーフォーゲル運動の盛んなドイツでは、ザックの性能が著しく進化しました。その結果、ドイツ軍は、ランドセルを肩ではなく腰で担ぐようにしたんです。具体的に言うと、ザックとは別に大きなベルトをしたんです。念のために言っておきますが、ズボンのベルトではないですよ。ザックのベルトでもないです。しいて言えば、ウエストバックみたいなものです。ここに拳銃とか手榴弾をぶらさげたんです。当然のことながら、そのベルトは重くなります。しかし、その重くなったベルトをサスペンダーで吊り上げて、そのサスペンダーにザックを乗せたんです。この方法によって、ザックを肩と腰で担ぐようにした。よーするに、リュックサックにストラップをつけて、それを前から腰ベルトに装着し、天秤棒のようにバランスをとりつつ、腰でもザックの重さを負担するようにしたんですね。

http://gerhard03.blog61.fc2.com/blog-entry-17.html

 さらに「Y型サスペンダー」を開発し、Dリングというものまで作ってしまった。これだと体が左右に傾いても、片方の肩だけに過重がかかることはなくなった。どんなに傾いても、両肩に等しく荷重がかかるようにしたんです。よくナチスドイツ軍の映画なんかみると、やたらとベルトがでてきますよね。あれです。あれは非常に便利だったんです。だから第二次大戦後の米軍なんかもナチススタイルを取り入れたりした。ここからウエストベルトが発展し出すのですね。

 1952年。一つの革命が起きます。
 アメリカのアウトドアメーカーであるケルティ(Kelty)の登場です。

 ケルティは、背負子タイプのフレームにザックをくくりつけたものを開発しました。これが全世界に大流行します。流行させたのは、ユースホステルのホステラーたちです。全世界のユースホステルのホステラーたちが、ケルティのフレームザックでバックパック旅行をしだしたのです。このフレームザックには、ウエストベルトもついていたし、ショルダーストラップもついていました。あきらかにドイツ軍の軍装の影響をうけています。

51SZsTvrNfL.jpg

 当時、海外のユースホステルで、ケルティを見かけない日は無かった。
 バックパックといえば、ケルティ。
 ケルティといえば、バックパックだった。
 一時期のケルティは、世界のホステラーの標準装備だった。
 ケルティを知らずしてバックパックを語るなというくらいの勢いだった。
 けれど、これは日本では、全くもって流行らなかった。日本では
「ケルティって何? それ美味しいの?」
 てな具合だった。


 実は、私もケルティの赤いフレームザック持ってまして、

http://blogs.yahoo.co.jp/tksh4714/11270282.html (←こいつです/売ってたら欲しい)

 これで世界中を放浪しています。
 北海道で土井君や、今の嫁さんと出会ったときも、
 こいつをもって旅していました。

 買ったのが、1980年で、廃棄したのが2000年ですから20年間使い続けてびくともしなかった。登山用ザックは、どんどん駄目になったんですが、ケルティのフレームザックは頑丈で劣化しにくかったです。しかし、こいつは、どういう訳か日本ではメジャーにならなかった。海外では、どのユースホステルでも見かけたんですが、日本のユースホステルでケルティのフレームザックを持ってるのは、私一人でした。どういうわけか日本では、キスリングが主流だったんです。キスリングからケルティのアウターフレームザックにうつらず、インナーフレームザックに移ったんです。

 ケルティのフレームザックは、背負子にナイロンザックを装着したタイプです。
 それに対して、ザックの中にフレームの入ったものが登場した。
 これがインナーフレームザックです。

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 よーするにキスリングを細長くして、その中に骨組みとなるアルミフレームを入れたのが、インナーフレームザックです。これだと、大きなザックでパッキングしてもフニャフニャしない。おまけに、サイズを調節する場所が、ベルトと肩の2ヶ所しかない。これがケルティのフレームザックだと、何カ所も調節しなければない。おまけに背負子のようなフレームが、木の枝に引っかかってしまう。

 しかし、ケルティのフレームザックは、平地歩きにはすごいパワーを発揮します。平地なら、こっちのほうが担ぎやすい。フレームだけにして背負子としても使えますし、いろんなものをフレームに縛り付けることもできる。椅子にもなるし、徒歩旅行には便利だったんです。しかし、山には不便だった。フレームが邪魔するからです。

「じゃ、海外では邪魔しないのか?」

 と思うでしょ?
 邪魔どころか、海外の山には木がなかったりするんですよ。
 嘘だと思うなら、スイスの山に出かけてみてください。
 トルコの山にでかけてみてください。
 どこに木があるのか?てなぐあいです。
 仮に木があったとしても、枝がフレームにひっかかるというほどの藪ではないし。


つづく。

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posted by マネージャー at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

登山用のザックの話

登山用のザックの話

 今回は、登山用のザックの話です。
 今回は、初心者というより、ちょっとベテラン向けの話をします。

 ザックには、2つの方向性があります。
 なるべく軽く作られたザックと、
 なるべく便利に作られたザック。

 ポケットが多かったり、2気室だったりすると重くなります。
 だけど便利なんです。

 逆に何もついてないと軽くなります。
 けれど不便なんです。

 長期縦走や探検するときは、軽いものがいいです。
 しかし、楽しい登山をするなら便利な方が良いです。
 というわけで、歳をとってからの私は便利派です。
 しかし、便利派といっても軽いことにこしたことはない。

 そこで、ザックを買ったら、それを改良する人もいる。
 ピッケルホルダやディジーチェーンを取り外す人もいる。
 余計なベルト部分を短く切断する人もいる。

 あと、最近の傾向として、ザックの底部分に、ザックカバーが縫い込んであるケースがありますね。これだと、ザックカバーを買わなくて良いので、結果として値段が安くなるし、重量軽減にもなる。そのうえ強風がきてもザックカバーがとばされることはないですね。なによりザックカバーを忘れなくなった。

 でも、一番素晴らしいのは、同じ50リットルザックであっても、ザックカバーの分の容積がいらなくなっていることです。つまり、実質、55リットルザックになっているということです。

 あと、ポケットの多いザックは、なんといっても便利です。
 私のザックは、両サイドのポケットにペットボトルが入ります。
 だから喉が渇いたらすぐに水分が補給できます。

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 ウエストベルトには、デジカメの入るポケットがあります。シャッターチャンスを逃しません。もちろん小銭も入りますから、山小屋で何か買うときに、ザックの中から財布を取り出すために、ごそごそしなくていい。とても便利です。でも、何より便利なのが、コンパスや高度計が入ることですね。

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 よく、ザックにコンパス・高度計・マグカップ・カラビナなんかをピッケルホルダやディジーチェーンをぶらさげている人がいますけど、あれは危ないですね。何らかの事件で落ちたらどうするんですかね? マグカップにしても不潔ですよ。昔ならともかく、今は、いろんな寄生虫が進出しているので、あまり褒められたことではないです。だからザックにぶら下げるというのは、あまり感心しません。そもそもマグカップが必要なのかどうかも疑問です。自炊しないのなら必要ない。歯磨きはペットボトルで用が足ります。

 あと、フラップ。ファスナーでとめないポケットのことですが、これは便利なフラップと、じゃまなフラップがありますね。フラップは、どんなザックにも必ずついているものですが、体温調節で服を一時的に脱いで差し込む時に使うと便利です。稜線で強風にあおられたらすぐに着られるからです。でも、まあ、普通のハイキングならフラップは、使いませんね。

 あと、ザックの両サイドにメッシュのポケットがありますね。あれは、地図を入れるのに便利です。地図なら落ちても危険はないし、もっとも地図を落としては、命に関わるので落ちない工夫をすべきでしょうけど。ペットボトルは、どうかなあ? ハイキングならいいけれど、渋滞した★★★クラスの岩場だと危険な気がする。

 さて、最新式のザックの話です。

 実は、私のお気に入りのザックは、背中がメッシュになっています。しかも、かなりフレームが湾曲していて、拳が1つ入るくらいに空間が空いています。そのために非常に通気性に優れていて、夏でも背中の蒸れません。背中とザックの間に風が入るからです。メーカーは、ドイターのフューチュラ32です。たった32リットルのザックです。実は、このたった32リットルザックで、一昨年は、上高地−涸沢−北穂高−大キレット−槍ヶ岳−涸沢という2泊3日の縦走コースを歩いています。

http://www.iwatani-primus.co.jp/products/deuter/005.html

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 まあ、ポケットに4リットルはいるので、実質的には36リットルなのですが、劇的な登山ギアの進化で、この小ささで万が一のビバークにも充分な装備を背負えるようになっています。理由は、最近の雨具がかさばらなくなっていること。ユニクロのダウンが、ものすごく小さくなっていて、しかも防寒性に優れていること。エアマットも350グラムと軽く小さくなっており、50センチのビバーク用の座布団タイプなら、たったの100グラムしかなく驚くほど小さくなっている。ツェルトにしても、最新のものは200グラムしかないのに、撥水性能がとても良くなっている。おまけにアミノバイタルプロを利用すれば、携行食糧が信じられないくらいに少なくてすむ。

 つまり、山小屋を利用する限り、この32リットルザックで何の不自由もしないんですよね。私は、このザックに、3日分の荷物に加えて、ペットボトルを6本。アミノバイタルプロのゼリータイプを18個に、スニッカーズやチョコレートを嫁さんの分を含めて4日分。これにブドウ糖やビタミン剤を加えて、デジカメを2台もって登っています。もちろん軽いダウンなんかは、嫁さんに持たせています。

 これだけ携行物資が小さくなると、コースタイムが短くなります。
 若い頃よりも早く山小屋に到着してしまう。
 体力は低下しているのにどうしてだろう?

 と思うんですが、若い頃は、それだけ重いものを担いでいた。北アルプス縦走ならロウアルパインの100リットルザックを使っていたし、「ザ・合宿」という120リットルザックを使うことさえありました。防寒着もフリースだったからかさばったし、風に弱いフリースの弱点を補うために雨具も使わざるをえなかった。それがめんどくさいので、ウインドウストッパーつきGORE-TEXフリース3万円で買ったんですが、これがまたかさばったんですよね。カメラも、今のような小さくて高性能なデジカメが無かったので、EOS10といった、重たくてかさばる一眼レフに、これまた重たいフィルムを10本くらい持って行ったけれど、今じゃ、小さなデジカメに、小さな32ギガのsdカードで、何千枚も撮れるし、バッテリーも小さくて長持ちします。昔からしたら夢のような時代になりました。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:07| Comment(7) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

妙義山ハイキング

妙義山ハイキング。
最近のツアーは、天候に恵まれていますね。

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今回のメンバーです。

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素晴らしい岩山です。

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ここでも、みんないい顔をしていますね。
何か、いいことでもあったのかな?

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食事タイム

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そして石門めぐり

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つづく。

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posted by マネージャー at 01:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 横川・妙義山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

加水分解の話2

工作員さん

>八ヶ岳(赤岳)でザックのウエストベルトのバックルが壊れたことがありました!

>年数のたった山道具で山の奥深くへ入り込むのは考え物ですね。

 全く同感です。
 団体登山の時ならイザ知らず。
 個人登山の場合は、5年をめどに装備を変えた方が良いですね。

 ちなみに「風のたより」で使っていたロウアルパインの100リットルザックが、5個ほど北軽井沢ブルーベリーYGHで保管していたのですが、3年くらい前に全て廃棄しました。全部、加水分解でやられました。ロウアルパインのザックが加水分解すると最低です。黒い生地がボロボロとなって床が真っ黒になり、洗っても洗ってもとれない。さいわい、ワックスが厚かったので、ワックスを剥離することでなんとかなりましたが、もう最低でした。

 で、心に誓いました。
「古い登山道具は、絶対に家に入れない」
と。

 あと、ロウアルパインの100リットルザックですが、12年から15年目に加水分解がおきています。つまり、ザックといえども、ある日突然、加水分解がおきても不思議はないということですね。麻などの天然の布地なら、絶対に、こういう事はおきてないのですが。特に酷いのは、腰ベルトのスポンジ部分。ある日とつぜんボロボロと崩れてくる。これは加水分解と言うより、経年劣化と言うべきなのかなあ?

 だから仲間内で、10年間、同じザックを担いでいる人をみると心配になってくる。忠告はするのですが、まともには聞いてくれませんね。私は、ザックは10年で廃棄するようにしています。そもそも、ザックの進化も新幹線並みです。今のザックは凄いレベルです。汗が背中につかないようになってるし、シェラフカバーもザックについている。軽量化もすすんでいるし、バックルの進化も著しいですね。最近のザックを背負ったら昔のザックは背負えないですよ。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

竹風堂 松代店

竹風堂 松代店

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ええええええええええええええ?
松代に竹風堂があったの?
知らなかった。
どうせなら軽井沢にも出店すればいいのに。
しかし、軽井沢なんぞに出店したら、小布施まで食べに行かなくなるよな。
せめて海野宿とまりだな。

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なんか良いですねえ。
こういう時の酒がうまいんだな、これが。

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まあ、私らは夫婦2人で、いつでも出かけてられるんだけれど、
こうして大勢で飲む酒の方が美味かったりするだよね。
ある意味、うらやましい。

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さて、竹風堂のメニューを紹介!

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つづく。

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ラベル:竹風堂 松代店
posted by マネージャー at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月14日

松代散策

シルマンウォーク松代散策の続きです。
この街は、佐久間象山を売ってますねえ

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なんとも素敵な街です

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つづく。

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ラベル:松代散策
posted by マネージャー at 20:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松代大本営跡(象山地下壕)

 第ニ次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘の内に大本営、政府機関等を松代に移すという計画の内に舞鶴山、皆神山、象山の地下に地下壕を掘削しました。その一つが松代大本営跡(象山地下壕)です。今回のシルマンウォークは、ここを散策。


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 象山地下壕に、政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。
 皆神山地下壕に備蓄庫。
 舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転することになりました。
 3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。

 1944年11月11日に工事が開始。
 1945年8月15日のときは、75%が完成していました。

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 それにしても、無駄なものを作ったものです。
 万里の長城クラスの無駄な事業ですね。


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 なぜ、こんなもの(松代大本営)を作ったのか?
 そもそも昭和天皇は、はなっから疎開する気は無かったのに。

 こういうものを作る労力があったら、マリアナ諸島に地下要塞を作るべきであった。そこで米軍の死傷率が5倍くらいに上がっていたら、そこで終戦も不可能でなかった。多くの軍艦と陸軍を残しての敗戦なら、講和条件も過酷ではなかったはず。もっとも、それでは軍部が黙ってなかったかもしれませんが。

 戦艦大和の沖縄特攻にしても、どうしてあんな無駄なことをしたのか? 他の戦艦・空母・その他の軍艦も、どうして北海道や朝鮮に疎開させなかったのか? そこに疎開させていれば、ソ連の参戦の抑止力になったし、退避運動で貴重な重油を失わなかったし、米軍に撃沈されることもなく、米艦隊の日本本土への艦砲射撃をうけることもなかった。

 まあ、そんなことはいい。
 硫黄島の栗林中将は、掘削機を50台要求したけれど、
 大本営は、送り届けなかった。
 松代大本営を作るくらいなら、どうして硫黄島に掘削機を50台やくらなかったのか?

 ポツダム宣言の要求が、やわらかい内容になった理由は、栗林中将の硫黄島の善戦にあったといわれています。松代大本営を作る資材を硫黄島に送っていたら、沖縄決戦は無かったかもしれない。現にミニッツもマッカーサーも、真珠湾攻撃が無かったら、太平洋戦争は硫黄島の戦いで終わっていたと言っています。


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 敗戦直後のことです。
 満州国の高級官僚は、こう言って嘆いたと言います。

「日本軍は、最後まで戦争というものを知らなかった。そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない。ところが日本軍は、決闘だと思いこんでいた。だから決闘なら世界一強かったけれど、戦争はからっきし下手くそだった。あの軍隊が無くなるとは、実に惜しいことだ」

 満州国の高級官僚(中国人)は、日本軍が戦争に弱いと言っているわけですが、戦闘には強かったと言っている。そして日本軍が消滅することを嘆き悲しんでいる。そして、その満州国の高級官僚(中国人)たちは、こうも言っています。

「日清戦争の時、日本軍は農家に宿営しても、自分たちは庭にテントをはり農家に迷惑をかけなかった。出て行くときは、庭を箒ではいて出て行った。清国軍とは大違いであった。日露戦争の時も立派であった。戦争をわかってなかったために敗戦となったことは実に残念だ・・・」

 この満州国の高級官僚(中国人)の嘆きが分かる場所があります。松代大本営跡(象山地下壕)です。そもそも、こんなものを作る意味がなかった。戦略論を書いたクラウゼッツは、
「戦争とは政治の延長である」
と言ってますが、これは満州国の高級官僚(中国人)の
「そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない」
と同じです。


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つづく。

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2011年11月13日

松代の城下町散策

松代の城下町散策です。

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・松代藩文武学校

 松代藩が設けた文武併習の学校として1855年・安政2年に開講。
 藩校を完全な形で現在に伝えています。

 ここでは、文学や武術のほか、西洋の軍学なども教えられており、極めて先進的な教育が行われていました。また、儒教を廃しており、そのため、多くの藩校にみられるような孔子廟を設けていないのも特徴です。儒教色が少なく、実利一本なのが真田らしいですね。

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関山仙太夫邸

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 真田藩士でありながら、囲碁の本因坊烈元に入門し、18歳で初段を許されました。しかし藩中の者から「碁才餘りあるも武道に疎し。是れ武士の本旨にあらず」言われ、一念発起して文武に励み、念流免許皆伝を受けて、再度本因坊家にて囲碁の修行に戻ったと言われます。

 文政時代に江戸在住となり、天保2年(1831年)に江戸詰めを解かれて帰郷するに際して、名人となったばかりの本因坊丈和に二子局を願い、これに1目勝ちします。この時に関山仙太夫は、本因坊家に五段の免許を願い出ましたが、初段から一挙に五段まで飛び越えるのは無理な話だ―と名人碁所本因坊丈和に断わられました。とは言うものの実力はあるので三段免許をあたえ折りを見ながら昇段させようと仙太夫を説得しました。
 けれど仙太夫は「三段免許ならばいらぬ」と断わりました。以来、仙太夫は生涯初段で通しましたが、本因坊家では五段格で打つことを黙って許しました。これは史実であったらしく、天保10年(1839年)の囲碁番付『囲碁勝劣競』では、仙太夫は、丈策の次に初段で五番目にランクされています。仙太夫のあとは、四段加藤正徹、同伊藤徳兵衛、同中川順節、同河北耕之助、同穂田熈と続きます。この番付表によると仙太夫は六段の次で、四段の前の位置に初段として記入してあります。しかも番付行事後に名人本因坊丈和、準名人井上因碩の名があり、仙太夫の五段格は本因坊家も井上家も認めており「黙許五段」は事実であったことになります。


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 嘉永4年(1851年)68歳の時、本因坊家跡目となっていた秀策との対局を望む手紙を本因坊秀和に送ります。秀和はこれを認めて秀策を松代に赴かせ、20日間で仙太夫先番での二十番碁を打ち、仙太夫7勝13敗。秀策は仙太夫の力量を賞賛し「妙碁と称すべきもの二局あり」と述べています。安政3年(1856年)には、本因坊秀甫と十番碁を打ち、1勝8敗1ジゴ。藩では祐筆を勤め、囲碁に関する著作も多く、『聖賢囲碁妙手集』『竹林修行用魂集』『囲碁方位初心階』『囲碁初心調練階』などを遺しており、貴重な文献となっています。


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つづく。

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2011年11月12日

松代城散策

今回のシルマンウオークは松代散策でした。

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狂い咲き

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今回のメンバー

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松代城といってもピンとこない人に説明すると、ここは真田藩の居城。
そして、ここから佐久間象山がでています。
ちなみに、その弟子が、嬬恋村の中居屋重兵衛。
硝石無しで火薬の製造に成功し、
生糸の貿易で億万の富をきずき、
井伊大老を陰で暗殺した男です。


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ちなみに松代藩は、ペリーの浦賀来航時に横浜警備を命じられています。
ただし、この時の幕府は、ペリーを見事に追い返しています。
開国もしていません。
長崎と同じモノを、下田と函館に作っただけで、貿易も開始していません。
本物の開国は、日米修好通商条約からスタートします。


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歴史の教科書では、井伊大老が日米修好通商条約を結んだことになっていますが、そもそも日米修好通商条約を進めていたのは、前政権の堀田正睦でした。
堀田正睦が岩瀬忠震(いわせただなり)を使って条約を結ばせています。
それに激怒した井伊大老は、安政の大獄をスタートさせ、嬬恋村の中居屋重兵衛が黒幕となって、桜田門外の変がおきるわけですが、中居屋重兵衛のバックに真田藩の陰があったのかもしれません。

ちなみに、どうして日米修好通商条約を結んだことに井伊大老が激怒したかと言いますと、日米修好通商条約そのものには、井伊大老も異存はなかったのです。
条約も、決して「不平等」ではなかった。
関税率は、20パーセントであったし、治外法権も横浜という狭い租界の中でのことだけであった。
幕府の関税収入は年貢収入に匹敵したとの説もあるくらいで、これによって幕府は大いに潤っています。
井伊直弼が激怒した理由は、その後に、同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだことにあり、
さらにドイツと締結しようとして、井伊直弼が激怒したことにあります。

実は、このころのドイツは、統一されて無く、百カ国の連邦国家だった。
つまり、ドイツと通商条約を結ぶと言うことは、百カ国と開国することであり、
その数に井伊大老が卒倒したというのが実情です。
かくして安政の大獄がスタートします。

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松代城と書くと、戦国時代ファンは萌えませんね。
やはり海津城(松代城)と書きたい。
そうです。
有名な川中島の決戦の舞台です。
武田信玄は、ここにたてこもり、
上杉謙信は、妻女山にたてこもりました。
おそらく、これではないでしょうか?

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まず、武田信玄が、平和の協定を破って、密かに海津城(松代城)を築きます。
怒った上杉謙信は、出陣し、妻女山に8000の兵力を置く。
武田信玄は、2万の兵力をかかえて海津城(松代城)に入場。
そして、1万2000の兵力で夜襲して、逃げてきた上杉軍を8000の本隊が襲いかかる予定でしたが、
上杉軍は裏をかいて、武田本隊を攻撃。
武田軍は、副将武田信繁・諸角虎定が戦死。
上杉軍の大将クラスには戦死者がいませんでした。


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つづく。

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ラベル:松代城
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2011年11月11日

病院での世間話

先日、かかりつけの某病院で、お医者さんと偶然にもTPPの話題になってしまいました。

「もし、TPPに加盟したら国民健康保険て、無くなってしまうんですかね」
「そういう可能性は否定できませんね」
「誰が得するんですかねえ」
「そりゃ、医療に税金を使わなくていい人が得するんじゃないですか?」
「なるほど・・・」

もう勘弁してもらいたい。
遺伝子組み換えとか、
環境破壊とか、
国民健康保険廃止とか、
そこまでして経団連の言いなりになる必要があるのかと思う。


それは、ともかくとして、その日は、若い男性看護師に注射をしてもらいました。
「あちゃー、若い看護師だな痛いのかなあ」
と思ったら、これが全くの無痛。
すごく、注射がうまい。
いつ刺したんだか、全く分からなかった。

エタノール消毒も丁寧でしたし、
血管の見極めも完璧。
あまりにも見事だったので

「注射、うまいですね!」

と絶賛したら、照れくさそうに
「初めてほめられました」
と言ってました。

私は、感心した『技』は素直にほめるたちなので
逆に、どうして、この看護師をほめる人がいなかったのか?
と不思議に思いました。
やはり、匠の技は、どんどん誉めるべきだと思うんだけれど。


つづく。

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ラベル:看護師
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2011年11月10日

ついでに加水分解の話

ついでに加水分解の話

>式場で突然、靴のウレタンソールがボロボロと崩れ始め

 実は、これ、靴に限ったはなしではなくて、ザックのバックル・スノーシュー・プラスチックブーツ(登山用&スキー用)でも加水分解がおきるんですよね。うちにも5年モノのスノーシューのバックル部分が、次々と加水分解をおこしています。そういう製品を御客さんに貸すわけにはいかないので、去年も30台ほど新品を買いました。

 北アルプスなんかにいくとザックを変なスタイルで担いでいる人がいたんで、声をかけてみたらバックルが加水分解で粉々になったらしい。その人は、本当に困った顔をしてて、下山すると言ってました。下手したら命にかかわりますからね。幸い、私と同じタイプのザックだったので、予備のバックルをあげたら大喜びしていましたね。



>山でソールの接着剤がはがれてしまった人がいたので、
>テーピングテープを巻いて応急処置した事がありました。


 関係ないですが、今年の北アルプスで、怪我人のいるパーティーに出会いました。右足が動かないのが一目で分かった。男衆が怪我した人の荷物をお腹にかかえていたんです。場所は、涸沢近くなので上高地まで6時間もある。捻挫なら3時間で足が動かなくなると思ったので、薬と包帯とテープを持っている私が声をかけたのですが、「関わらないで」という感じだったので関わらずに置いていきました。
 しかしね、けが人を引き連れた連中は、どうみても素人だったんですよね。下山にもかかわらず、みんなヨロヨロ歩いていた。あれは見た目にも危なかった。それでいて怪我してるにもかかわらずテーピングも無しにびっこをひいていたんだから、薬をもってたんだろうか? と気になってしまう。

 こういうこともありました。

 槍ガ岳で大渋滞がおきていた。
 オフシーズンに変だな?と思ってたら、岩で苦戦している人が渋滞を作っている。
 あんまり酷いので、何人かで助けに行った。
 すると、「いいです! ほっといてください」と逆ギレされた。
 仕方ないので、そのまま追い越して、頂上に行って写真を撮って下山してみたら、さっきの渋滞の犯人が、ほとんど前進できないでいる。かといって、槍ヶ岳は一方通行なので降りるに降りられないでいる。仕方ないので助けに行った。で、また
「いいです! ほっといてください」
と逆ギレ。

 すると、今度は渋滞犯人の後ろにいる人が怒りだした。
 そりゃ怒りますよね。
 30分間も、ぜんぜん進まないんだもの。
 登山計画が狂ってしまう。
 しかし、登れない人に怒っても危険なだけ。
 もう問答無用で、数人で無理矢理に救助して、頂上に連れて行きました。

 山での個人主義は、どうかと思います。


つづく。

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2011年11月09日

今日は、ペアレント研修会の皆様が見学にいらっしゃいました

今日は、ペアレント研修会の皆様が見学にいらっしゃいました。

と言っても、新人ペアレントは、たった一名で。
みんな、私より大先輩の方々ばかり。
日本ユースホステル協会の直営ペアレントの方々もおられました。
12時に到着して、食事を含めて2時間の滞在。
食事に1時間として、宿のメンテ方法を中心に1時間ほど、説明させていただきました。

カメムシの駆除の仕方とか、庭の説明とか、スノーシューの説明とか。
でも、ペアレントの皆さんが一番質問してきたのは、料理のことだったかな?
レシピとか、詳しく聞いてきましたね。
あと、1時間あれば、詳しいレシピを教えられたんだけれどなあ。
ま、みなさん大ベテランだから、
食べただけで再現することはたやすいことです。
これがきっかけで全国のユースホステルで、
多彩な料理がでるようになったら、ちと嬉しい。

で、片づけを終えて、鷹繋山に行ってきました。
それについては、また後日。


つづく。

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2011年11月08日

登山靴の話6

つづきです。

 実は、もっと重要なポイントがあります。こっちの方が大切なんです。それは、

9.どんな山に登るのか?
10.どの季節に登るのか?
11.どういうスタイルで登るのか?
12.誰と登るのか?
13.何日登るのか? 日帰りなのか?

 という点です。

 私は、さんざん「スニーカーは駄目だ」と言ってきましたが、この条件によっては、スニーカーでも良いケースがある。いや、むしろスニーカーの方が好ましいケースがある。例えば、晴天のアスファルトを歩くようなケースです。高尾山の1号路なんか、そうですね。北軽井沢だと浅間牧場なんかがそうです。軽井沢だとアプトの道なんかもそうです。どうしてかというと、足が軽くなるからなんですね。

 実は私は高校時代にフルコンタクト系の空手をやっていたことがあり、毎日筋力トレーニングをしていました。で、3キロもある重りを両足につけて日常生活をおくっていたんです。もちろん体育の時にも足に重りをつけてマラソンなんかしていた。で、どうなったかというとヒザ関節炎になってしまった。これには驚いた。というのも、そのまえに、1年間ほど8キロのパワーベスト着ていたのになんともなかったからです。それなのに3キロのパワーアンクルを足に装着したら関節炎になってしまった。足にかかる負荷は、8キロのパワーベストの方が大きいはずなのに、そっちの方はなんともなく、むしろパワーアンクルり方が間接に悪かったことになる。つまりザックが重いことよりも、靴が重い方が、足に負担が大きいということになる。で、登山をするようになると、その仮説は確信にかわりました。やはり足は軽いにこしたことはない。

 しかし、逆に、すごく重い登山靴の方が良いケースもある。雪渓をキックステップで歩くようなときです。小浅間山のような砂地を下るときも、重い方が靴が砂にめり込んで下りやすい。

 こんな失敗談もある。7月末に谷川岳に登ったことがあった。ものすごく暑い時に登ったので、涼しげな布地の超軽い登山靴で登ったんです。で、仲間の一人が重登山靴だった。私は、さんざん仲間の重登山靴を馬鹿にしたんですが、ところが谷川岳の肩の小屋に到着してみれば、ものすごい残雪があった。大雪渓を急坂で降りる羽目になったとき、死にそうな思いでいる私を尻目に、重登山靴の仲間は、ストックも持たずにスイスイと降りていった。こういう笑えない失敗もあった。

 こういう失敗談もある。

 私は、1990年頃に北海道にはまっていた。北海道中の山という山を登りまくっていたのです。もちろん、登山靴で旅を続けていたのですが、なんと3ヶ月で靴底がツルンツルンになってしまった。原因は、登山と一緒に徒歩旅行もしていたからなんですが、1日に50qほどあるくものだから、10日に500q歩くことになる。登山靴は、アスファルトに弱いに気がつかなかった。で、仕方なく、札幌で登山靴を買い直す羽目になってしまった。登山靴で道路を歩くべきではなかったんです。で、登山靴・スニーカー・サンダルの三点セットをもって旅をするようになったんです。

 そうそう、深田さんと一緒に酒を飲んだという猛者(70歳以上の人)なんかは、登山靴の他に草鞋(わらじ)をザックにしのばせてますね。イザという時には沢で使うことも想定しているとのこと。私が
「草鞋だけでは冷たくて駄目でしょう」
というと
「足袋を履けばなんともないよ」
という。昭和一桁には、こういう化け物も多いですね。私は、とても真似ができませんので、沢に行くときは沢靴を履いていきます。

 話がそれましたが、何が言いたいかというと、ケースに応じて靴を変えていく柔軟性が必要だと言うことです。



つづく。

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滅びかかった吾妻渓谷ツアー

もうすぐダムに沈む吾妻渓谷を散策してきました

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豪華列車「やまどり」

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今回のメンバー

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紅葉が素晴らしい

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天気が悪かったせいか、蛇が活発に

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この美しい自然がダムに

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中居屋で食事を

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つづく。

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ラベル:吾妻渓谷
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2011年11月07日

登山靴の話5

また、よいコメントがあったので脱線を

>狂牛病以降、牛がたくさん処分されて皮革が手に入らなくなってしまった

これは貴重な情報ですね。
ありがとうございました。

まあ、革のGORE-TEXの場合は、革は一生モノですが、
GORE-TEXの寿命が5年ですから、
GORE-TEXを修理してくれるメーカーかどうかが問題ですね。
有名メーカーは、修理してくれるみたいですが。



>15年くらい履いてたドイツのハンワグというメーカーのお気に入りの登山靴

LOWA(ドイツ)と並んで最強の登山靴ですね。
誰もが金があれば買いたいと思ってるのでは?
北アルプス縦走なんかでは、持って行きたいやつです。
私は一度も履いたことがないのでわかりませんが。
ドイツの靴メーカーは、登山靴にかぎらず評判がいいみたいですね。
貧乏で買えなかったけれど、LOWAもハンワグも、あこがれの靴でした。
今は無き池袋の秀山荘で毎日、指をくわえてみていたなあ。
(ちなみに私は、池袋の秀山荘の近所に住んでいた)



>やはり長持ちさせるにはかわりばんこに履きたいので。

1泊・または日帰りくらいなら布地でじゅうぶんかと。
私が注目している靴は、これです。
足が合わなかったら意味がないんだけれど。





>ハンワグの靴はいつもソール貼り替えにだすと、
>ドイツ本国に送られるそうなのですが、
>ちょっとした糸のほつれなんかもビシッと直って帰ってきます。

 これは友人の体験談なのですが、安かったので登山ショップではなくて、普通の靴修理屋にソールの貼り替えをお願いしたら、はがれが早くなったそうです。仕方ないので、登山ショップにみてもらったら、ひどい貼り替え方だったらしく、ソールを剥がしたら糸まで切られていたらしいので、怒っていました。普通の靴修理屋に出すときは、店を選ぶべきでしょうね。





では、つづきです。

6.通気性と防水性

 登山靴の進化が激しいところです。
 どの登山靴も、GORE-TEX仕様になってしまいました。
 つまり、GORE-TEXによって通気性と防水性が大幅に向上したのです。
 逆に言うと、すべての登山靴の寿命が5年に縮んだともいえます。
 GORE-TEXは、5年くらいしかもたないからです。
 ただし、総革の登山靴は別です。
 こいつは一生モノです。

 気をつける点があるとしたら、完全防水タイプのGORE-TEXかどうかです。靴の中全体がGORE-TEXに覆われているかどうかです。上だけGORE-TEXで底は、GORE-TEXの無い靴もありますので、登山ショップで確認して買った方が良いですね。ただし、私は気にしていません。というのも、私は雨が降ったら山に行かない主義なので。でも、これは山に住んでいて、毎日、気が向いたら山に登る人間だからできる技です。一般のサラリーマンの方は、雨天対策のために防水力のある靴を買うべきでしょうね、



 


7.衝撃吸収力

 最近の登山靴は、これが信じられないくらいに向上している。
 そのために歳をとってヒザが悪くなったりすると、
 軽くて衝撃吸収力のある靴が欲しくなってくる。
 これは靴に限らず中敷き(インソール)の進化も著しい。
 カカトのゆがみを補正して疲れをとる機能のあるものがたくさん販売されている。
 これは、かなり重要です。

 ただし、良い中敷き(インソール)は、五千円くらいします。靴が一足買えてしまう。つまり、
「安い靴+中敷き(インソール)」
にするくらいなら、最初から良い靴にして、中敷き(インソール)を買わない方が良いともいえます。もちろん千円の中敷き(インソール)もあるんですが、5回くらいの登山で潰れて、ぺっちゃんこになってくる。厚さが無くなってくる。ですから安物は、かえってコストが高くなってしまう。



 私は宿屋なので、夏は、1日に12時間、たちっぱなしのことがある。昔は、体力でカバーしていたのですが、最近は靴でカバーするようになった。よーするにナースサンダルを履くようになった。ナースサンダルは、高額なのですが、立ち仕事による疲労を防ぐために工夫されている。スリッパだと、8時間の立ち仕事でクタクタになるにもかかわらず、ナースサンダルだと、12時間たっても疲れない。もっとも、私は男なので、ナースサンダルもどきを履いているのですけれど。発泡ポリウレタンを使った衝撃吸収サンダルを使っています。これだと全く疲れない。

 これは、登山にもいえることで、良い靴は、8時間歩いても疲れないのに、安い靴は3時間で足の裏が痛くなる。つまり、靴の性能で登山による披露を防ぐことができるんです。衝撃吸収力のある登山靴は、本当に疲れない。




8.足の矯正力

 これについては、長くなるので、今回は説明をはぶきます。
 動画で我慢してください。




 以上、簡単に説明しましたが、ここまでの説明は、数学でいえば、公式のようなもので、これだけ知っていても意味がありません。実は、もっと重要なポイントがあります。こっちの方が大切なんです。それは、

9.どんな山に登るのか?
10.どの季節に登るのか?
11.どういうスタイルで登るのか?
12.誰と登るのか?
13.何日登るのか? 日帰りなのか?

 という点です。



つづく。

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ラベル:登山靴の話
posted by マネージャー at 08:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

登山靴の話4

よいコメントがあったので脱線を!


>ポリウレタンのソールはたとえ使用せずとも経年劣化して加水分解し、
>ある日パックリと剥がれるようなことがあるみたいですね。
>山の中で剥がれたりするとそれこそ命に関わります。


 本当は、あとで書こうと思ったのですが、
 せっかくですからポリウレタンのソールについても。
 このソールは、軽くて衝撃に強く、おまけに滑りにくいので
 スニーカーのソールとして大活躍しています。

 しかし、5年くらいで加水分解がおこります。あまり履いてなかったら3年で加水分解が起きます。靴箱に入れっぱなしのものほど加水分解が起こりやすく、頻繁に履いているものの方が加水分解が起こりにくいようです。ですから頻繁に履いた方が長持ちするとのこと。つまり、登山靴としては不適なんですね。しかし、現実には、この素材を使った登山靴が多いことも確か。私が7足の登山靴を持っているのは、そのためです。もちろん北アルプス縦走といった大がかりの山行には、古い登山靴を履いていきません。1年目または2年目の登山靴を使います。

 ここで、登山靴を長持ちさせるコツを。
 毎日、同じく靴を履かないことです。
 ローテーションを組むんです。

 実は私は、1ヶ月以上40キロ装備で、知床山脈を縦走したことがあるのですが、靴の劣化の早いのに愕然としたことがあります。特に靴紐は何度も切れました。靴は湿気に弱いんですね。とはいうものの、普通の人は、毎日登山なんかしませんよね。そういう人は、逆に登山靴を使ってやらないと駄目です。湿気に弱いですから長い間、下駄箱に入れておいたらすぐに駄目になります。これは登山靴にかぎらず、スニーカーにもいえます。

 あと、ポリウレタンのソールをビブラムソールを貼り替えるという方法もあります。しかし、登山靴の進化の激しさを考えると、微妙なところですね。5年で買い換えた方がいい気もする。つまり1年に3000円の出費ということになります。これで健康とダイエットが手にはいるのなら安いものです。変な薬や、怪しい器具を買うより、よほど安いと思いますよ。1年に10回登山すれば、300円の出費なんですから。ちなみに私は、1年に100回以上の登山をしていますから30円の出費です。

 あ、そうそう。
 一つ言い忘れていました。
 ポリウレタンのの加水分解は、突然おきます。
 5年たったら、ある日、突然おきます。
 ゴムのソールにしたって同じです。5年で劣化します。
 ソールの接着剤も劣化するし、縫い目の糸も劣化します。
 だから登山靴は、消耗品なんですね。






>未だに旧石器時代の革の登山靴を、何度かソールを張り替えて使っています。

 ユースホステルを創設したリヒャルト・シルマンも、旧石器時代の革の登山靴を、何度かソールを張り替えて死ぬまでの60年間使い続けています。革の登山靴の短所は、重くて堅くて痛いところにありますが、1年も使い続けていると、革が馴染んできて足にフィットするんですね。5年も使い続けていると逆にすごく歩きやすくなる。重いという短所も、雪渓で行うキックステップでは最強の靴になってしまう。堅いという短所も怪我防止になってしまう。しかし、これはベテラン登山家にとっての長所ですね。初心者には辛いでしょう。

 初心者には、もっと安くて履きやすい布地のものがよいでしょう。1万円もだせば、そこそこのものが買えます。もっと安いバッタモノでもスニーカーを履くよりはましです。私は、バッタモノを買うのは、おすすめできないんですが、どうしても金がないのであれば、ソールの溝が大きくてゴツゴツしたもので、つま先が硬くなっているのを選ぶという選択もある。しかし、そのバッタモノで行ける山は、高尾山・小浅間山・湯ノ丸山ていどです。間違えても北アルプスなんかに行っては駄目です。

 一番良いのは、登山ショップで教えてもらって納得して自分に合った靴を買うことです。今日も凄く忙しいので、続きは、また今度。



つづく。

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ラベル:登山靴の話
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2011年11月05日

登山靴の話3

登山靴の話3

 本題に入る前にみわぼーさんのコメントに質問がありましたので、それに答えておきます。

>先日、ダンナのトレッキングシューズが高尾山登山中に
>靴底がパックリ剥がれたのをみて、
>あとで自分のトレッキングシューズみたら、爪先が剥がれかかってて…。
>1999年購入したものだから、靴底の素材が劣化したのかも。

 登山靴の寿命は、よく使う人で3年。
 あまり使わない人で5年くらいです。
 1999年購入のものであるならヤバイです。

 しかし、ご主人のケースは、別の原因もありえます。登山知識がある人で、登山靴にこだわりのある人だと、靴底がパックリ剥がれることがあるんです。理由は、ソール(靴の裏)にビラム底を使っているからです。ビラム底は、登山靴としては最強のソールなのですが、こいつは貼り替えを前提にしてるのでメンテが悪かったり、長く使いすぎていると、ぱっくり剥がれることが多いんです。ベテラン登山家にとって靴は5年に一度、ソールを貼り替えるか、新しく買い換えるものなんですね。

 あと、登山靴は、登山道具の中でも最も進化がはげしいものです。1999年と、2011年では、石器時代と現代とは言いませんが、室町時代と現代くらいの差があります。2000年にはいってから劇的に進化し、重さも歩きやすさも驚愕するほど変わっています。買い換えるべきでしょうね。

 私が登山を始めた頃は、皮の重登山靴と軽登山靴しかありませんでした。で、靴は、一生モノと言われていて、そのつもりで買ったんですが、その一生モノは履いていません。いくつかはゴミ箱に捨ててしまいました。皮クリームも捨てました。理由は疲れるからです。もったいないと思いますが、楽しい登山を第一にするなら石器時代の靴は捨てて良いと思います。もう総皮の重登山靴を履いてるひとは、どの山でも見かけません。あの靴は、沢なんかでは滑るし、重いし、メンテが面倒なんで売店にも無くなってしまいました。今の登山靴は、進化が激しいので消耗品として使う人がおおくなっています。


 では、「どんな靴を買うべきか?」にいきたいと思います。
 ポイントは、8点くらいあります。

1.靴の裏(ソール)
2.靴の高さ(ハイカット)
3.つま先の堅さ
4.足との相性
5.爪の保護
6.通気性と防水性
7.衝撃吸収力
8.足の矯正力

 これに加えて、もっと重要なことがあります。

9.どんな山に登るのか?
10.どの季節に登るのか?
11.どういうスタイルで登るのか?
12.誰と登るのか?
13.何日登るのか? 日帰りなのか?

 という点です。


1.靴の裏(ソール)

 靴の裏にギザギザの溝(ブロック)があるかと思いますが、これが大きく深いモノがよいです。深くないと砂地や土で滑るんです。スニーカーが滑りやすいのは、そのせいです。「私は、よく倒れます」という人の多くは、運動神経のせいではなく、靴のせいです。そういう人は、靴の裏をみてください。絶対に溝がすり減っています。もしくは、平地歩き用の靴で、もともと溝が浅い靴です。ちなみに溝は、いくらあっても細かいモノでは駄目です。大きくて深いモノでないと滑ります。笑っちゃうくらいに深くて大きいモノが良く、土踏まずも深いモノがいいですね。

 ちなみに「私は都会を歩いていても滑ります」という人は、合い鍵屋さんに行って「滑らないソールに変えてください」と頼むとビラム底に貼り替えてくれて全く滑らなくなります。



2.靴の高さ(ハイカット)

 靴には、ハイカットとローカットがあります。
 くるぶしを靴の外に出すか、それを靴の中にいれるかの違いです。
 実は、いまの流行はローカットです。
 しかし、これに手をだすべきではありません。
 怪我するからです。
 良い靴は、人間を怪我から守ります。
 ここは、文章でかくよりも、動画を見た方がわかりやすいので、ちょっとみてください。



 動画での説明にもあるように、ハイカットの靴は、人間を怪我からも守ります。
 そのさいに気をつけることは、芯(シャンク)のあるなしです。
 芯(シャンク)の無い靴は、いわゆる偽物で、量販店で安く売っている中国製に多いです。
 私はキャラバンのバッタモノをみたことがあります。
 ただ、気をつけた方がよいのは、この動画で紹介している靴は、高級登山靴です。
 初心者が、最初に買う靴は、もう少し廉価なものになるので、そのさいのポイントも解説しておきます。



3.つま先の堅さ

 バッタモノの登山靴は、つま先が柔らかいです。そういう靴は買っては駄目です。登山靴に見える平地歩き用の靴だからです。登山で保護したいのは、つまさきの足の爪ですから、これの堅いモノでないとだめです。なぜつま先が大切かというと、下山の時につま先を岩にぶつけたりするからです。そのたびにもんどり打っていたら爪が死んでしまいます。だからつま先の防御が重要になります。



4.足との相性

 これが一番重要です。
 人間の足は千差万別です。
 だから履いてみるまでわからない。
 履いてみて、どこか痛かったら駄目。
 痛くなる場所は、人によってばらばらです。
 くるぶしが痛かったり、足の甲が痛かったり。
 高級な靴になればなるほど痛い場所が多くなる。
 理由は、靴が怪我を防止するために、堅めになっているからです。

 だから登山用品店では、必ず試し履きを必ずさせてくれます。めんどうでしょうけれど最低10足くらい試すべきです。そのさい登山用ソックスを借ります。それを履いて、山に見立てたデコボコ斜面を歩かせてもらいます。登山ショップは登山学校でもありますから、納得いくまで質問しても絶対に嫌がられません。



5.爪の保護

 これが通勤用の革靴なら自分の靴幅に合わせて買えば良いだけです。
 ところが、登山靴の場合は、そうはいかない。
 幅広だと、下山時に爪が靴先に当たって痛い。
 平地だと、そういうことはないのに。
 となると、つま先に1センチ余裕をもたせて、少しだけ幅の狭い靴を選ぶことになる。そして、足の爪がが靴先にあたらないように紐をしっかり結びます。足首できちんと結んでいれば、下山時に、つま先の爪が靴の先に当たることはない。

 しかし、この方法にも難点がある。
 それは体の柔軟性と関係がある。
 靴紐の結び方によっては、この方法が使えないケースがある。
 文章では説明しにくいので、下の動画をみてください。



 あと、靴によっては、足踏まずのところをあげて、爪が靴先にあたらないように工夫しているものもある。メーカーによっては、いろんな工夫がある。今日は忙しいので、続きは、また今度。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 登山関係の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

角落山ハイキング

この山は、源頼光の四天王の一人である
碓氷貞光に角を切り落とされた鬼が逃げ込んだという伝説で有名です。
今回のメンバー。

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紅葉の綺麗な山です。

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熊に噛まれている看板。

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頂上です。

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つづく。

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posted by マネージャー at 00:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 高崎・倉渕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする