2011年11月12日

松代城散策

今回のシルマンウオークは松代散策でした。

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狂い咲き

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今回のメンバー

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松代城といってもピンとこない人に説明すると、ここは真田藩の居城。
そして、ここから佐久間象山がでています。
ちなみに、その弟子が、嬬恋村の中居屋重兵衛。
硝石無しで火薬の製造に成功し、
生糸の貿易で億万の富をきずき、
井伊大老を陰で暗殺した男です。


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ちなみに松代藩は、ペリーの浦賀来航時に横浜警備を命じられています。
ただし、この時の幕府は、ペリーを見事に追い返しています。
開国もしていません。
長崎と同じモノを、下田と函館に作っただけで、貿易も開始していません。
本物の開国は、日米修好通商条約からスタートします。


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歴史の教科書では、井伊大老が日米修好通商条約を結んだことになっていますが、そもそも日米修好通商条約を進めていたのは、前政権の堀田正睦でした。
堀田正睦が岩瀬忠震(いわせただなり)を使って条約を結ばせています。
それに激怒した井伊大老は、安政の大獄をスタートさせ、嬬恋村の中居屋重兵衛が黒幕となって、桜田門外の変がおきるわけですが、中居屋重兵衛のバックに真田藩の陰があったのかもしれません。

ちなみに、どうして日米修好通商条約を結んだことに井伊大老が激怒したかと言いますと、日米修好通商条約そのものには、井伊大老も異存はなかったのです。
条約も、決して「不平等」ではなかった。
関税率は、20パーセントであったし、治外法権も横浜という狭い租界の中でのことだけであった。
幕府の関税収入は年貢収入に匹敵したとの説もあるくらいで、これによって幕府は大いに潤っています。
井伊直弼が激怒した理由は、その後に、同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだことにあり、
さらにドイツと締結しようとして、井伊直弼が激怒したことにあります。

実は、このころのドイツは、統一されて無く、百カ国の連邦国家だった。
つまり、ドイツと通商条約を結ぶと言うことは、百カ国と開国することであり、
その数に井伊大老が卒倒したというのが実情です。
かくして安政の大獄がスタートします。

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松代城と書くと、戦国時代ファンは萌えませんね。
やはり海津城(松代城)と書きたい。
そうです。
有名な川中島の決戦の舞台です。
武田信玄は、ここにたてこもり、
上杉謙信は、妻女山にたてこもりました。
おそらく、これではないでしょうか?

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まず、武田信玄が、平和の協定を破って、密かに海津城(松代城)を築きます。
怒った上杉謙信は、出陣し、妻女山に8000の兵力を置く。
武田信玄は、2万の兵力をかかえて海津城(松代城)に入場。
そして、1万2000の兵力で夜襲して、逃げてきた上杉軍を8000の本隊が襲いかかる予定でしたが、
上杉軍は裏をかいて、武田本隊を攻撃。
武田軍は、副将武田信繁・諸角虎定が戦死。
上杉軍の大将クラスには戦死者がいませんでした。


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つづく。

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ラベル:松代城
posted by マネージャー at 23:55| Comment(6) | TrackBack(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする