2011年11月14日

松代散策

シルマンウォーク松代散策の続きです。
この街は、佐久間象山を売ってますねえ

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なんとも素敵な街です

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つづく。

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ラベル:松代散策
posted by マネージャー at 20:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 長野県&長野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松代大本営跡(象山地下壕)

 第ニ次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘の内に大本営、政府機関等を松代に移すという計画の内に舞鶴山、皆神山、象山の地下に地下壕を掘削しました。その一つが松代大本営跡(象山地下壕)です。今回のシルマンウォークは、ここを散策。


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 象山地下壕に、政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。
 皆神山地下壕に備蓄庫。
 舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転することになりました。
 3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶ。

 1944年11月11日に工事が開始。
 1945年8月15日のときは、75%が完成していました。

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 それにしても、無駄なものを作ったものです。
 万里の長城クラスの無駄な事業ですね。


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 なぜ、こんなもの(松代大本営)を作ったのか?
 そもそも昭和天皇は、はなっから疎開する気は無かったのに。

 こういうものを作る労力があったら、マリアナ諸島に地下要塞を作るべきであった。そこで米軍の死傷率が5倍くらいに上がっていたら、そこで終戦も不可能でなかった。多くの軍艦と陸軍を残しての敗戦なら、講和条件も過酷ではなかったはず。もっとも、それでは軍部が黙ってなかったかもしれませんが。

 戦艦大和の沖縄特攻にしても、どうしてあんな無駄なことをしたのか? 他の戦艦・空母・その他の軍艦も、どうして北海道や朝鮮に疎開させなかったのか? そこに疎開させていれば、ソ連の参戦の抑止力になったし、退避運動で貴重な重油を失わなかったし、米軍に撃沈されることもなく、米艦隊の日本本土への艦砲射撃をうけることもなかった。

 まあ、そんなことはいい。
 硫黄島の栗林中将は、掘削機を50台要求したけれど、
 大本営は、送り届けなかった。
 松代大本営を作るくらいなら、どうして硫黄島に掘削機を50台やくらなかったのか?

 ポツダム宣言の要求が、やわらかい内容になった理由は、栗林中将の硫黄島の善戦にあったといわれています。松代大本営を作る資材を硫黄島に送っていたら、沖縄決戦は無かったかもしれない。現にミニッツもマッカーサーも、真珠湾攻撃が無かったら、太平洋戦争は硫黄島の戦いで終わっていたと言っています。


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 敗戦直後のことです。
 満州国の高級官僚は、こう言って嘆いたと言います。

「日本軍は、最後まで戦争というものを知らなかった。そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない。ところが日本軍は、決闘だと思いこんでいた。だから決闘なら世界一強かったけれど、戦争はからっきし下手くそだった。あの軍隊が無くなるとは、実に惜しいことだ」

 満州国の高級官僚(中国人)は、日本軍が戦争に弱いと言っているわけですが、戦闘には強かったと言っている。そして日本軍が消滅することを嘆き悲しんでいる。そして、その満州国の高級官僚(中国人)たちは、こうも言っています。

「日清戦争の時、日本軍は農家に宿営しても、自分たちは庭にテントをはり農家に迷惑をかけなかった。出て行くときは、庭を箒ではいて出て行った。清国軍とは大違いであった。日露戦争の時も立派であった。戦争をわかってなかったために敗戦となったことは実に残念だ・・・」

 この満州国の高級官僚(中国人)の嘆きが分かる場所があります。松代大本営跡(象山地下壕)です。そもそも、こんなものを作る意味がなかった。戦略論を書いたクラウゼッツは、
「戦争とは政治の延長である」
と言ってますが、これは満州国の高級官僚(中国人)の
「そもそも戦争というものは、談判の手助けにすぎない」
と同じです。


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つづく。

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