NHKの『坂の上の雲』日本海海戦に思う
NHKの『坂の上の雲』日本海海戦のシーンですが、特撮がよくできていて感心しました。
しかし、ちょっと不満もある。
あの特撮を造った人は、海戦のことがよく分かってない。
あれじゃ、ロシア艦隊の砲弾が、かたっぱしから外れ、
日本艦隊の砲弾が、かたっぱしから当たってるように見える。
しかし、そんな事実は無いのです。
ロシア艦隊の砲弾も、日本艦隊の砲弾も命中率に差はなかったんです。
ロシア艦隊の砲弾は、かたっぱしから日本艦隊に命中している。
しかし、当時の戦艦の砲弾は、当たっても装甲によってはねかえされてしまったんです。
だから当時、戦艦は絶対に沈まないと言われていた。
ところが、第一次世界大戦以降は、砲弾で戦艦が沈むようになっている。
どうして、第一次世界大戦では沈むようになったかというと、
砲弾の先っぽに帽子を被せるようになった。
この帽子によって、弾が当たっても跳ね返されなくなった。
戦艦の装甲に、砲弾が、めり込むようになったのです。
そして戦艦が砲弾で沈めることが可能になったのです。
しかし、日露戦争では、日本艦隊もロシア艦隊も、砲弾で戦艦を沈めることはできなかった。弾が当たっても、ツルンと滑って跳ね返されるだけだった。そこで、日本艦隊は、砲弾に『下瀬火薬』と『伊集院信管』をつけた。これは、どういうものかというと、ちょこっとでも当たると爆発する砲弾だった。花火みたいなもので、当たると、あたりを高熱で焼き払う。つまり、最初から船を沈めるのをあきらめて、相手の戦闘能力を奪うことだけに専念したわけです。これが勝敗の明暗を決めた。
もう一度書きますが、ロシア艦隊の弾は日本艦隊に当たっていた。NHKの『坂の上の雲』日本海海戦のシーンのように一方的に日本艦隊の弾が相手に当たっていたわけではない。このへんを視聴者が誤解しないといいんですがね。
話は変わりますが、これと似たような話が、第二次世界大戦にもあるんです。実は、日本海軍は、かなり高性能な航空爆弾を開発したんですね。戦艦も沈められるくらいの航空爆弾を開発したんです。800キロ鉄甲弾です。これでパールハーバーの戦艦を次々と沈めていった。それに対してアメリカ海軍は、航空爆弾を開発しなかった。陸上を爆撃する爆弾しかもってなかった。つまり戦艦を沈めることはできない爆弾しかもってなかった。だから戦艦武蔵に、25発も爆弾を命中させても戦艦武蔵は沈まなかった。日本海軍の航空爆弾はパールハーバーの戦艦を次々と沈めていったのに、アメリカ海軍の爆撃機は、1隻の日本の戦艦を沈められなかった。
しかし、このためにアメリカ海軍は、日本海軍に大勝利するんです。
アメリカ海軍の爆弾は、陸用爆弾と同一の物です。花火みたいなもので、当たると、すぐに爆発する。だから戦艦を沈めることはできないのですが、爆弾の破片をあたりにばらまいて、人間を殺傷させるんです。
これは、どういうことかというと、アメリカ海軍の爆弾は、戦艦などの軍艦に命中しなくてもよかった。はずれてもいいから適当に投下しておけば、海面に落ちた段階で爆発し、爆弾の破片をあたりにばらまいて、人間を殺傷させる。具体的に言うと、高射砲などの対空火器の人間を皆殺しにできる。そうやって対空火器が沈黙すると、飛行機を打ち落とす火器が無くなってしまうので、悠々と近づいて魚雷攻撃を行って撃沈できるんですね。
これが日本海軍の航空爆弾だと、当たれば相手を撃沈できるんですが、外れると海に沈むばかりで、何も損害を与えられない。もちろん相手の対空火器も無償です。ですから日本機は、どんどん撃墜されてしまう。これが戦争の明暗を分けたんですよ。日露戦争の日本海海戦も、第二次世界大戦の日米決戦も、紙一重の偶然と必然の要素が大きく重なって、勝敗を決めている。
ペリー来航の時もそうです。
この時も、紙一重で、日本は危機を脱した。
ペリーは、まだ正式配備前の最新式のペクサン砲を用意して日本に向かった。ペクサン砲というのは、弾が炸裂する大砲のことで、アメリカ海軍もまだ正式採用してない最新兵器であり、秘密兵器だった。これを軍艦に積んで、日本を攻撃する気まんまんで浦賀に到着したんですが、その時に交渉にたった日本人が
「ほー、こいつは、ペクサン砲ですね?」
と呟いたんです。
これには、ペリーも腰をぬかさんばかりに驚いてしまった。
それを不愉快そうに日記に書いています。
で、いろいろ聞いてくる日本人を不愉快に思って、兵器の情報を隠すようになる。
実は、ペリーは、日本人の軍事知識は、インデアンに毛の生えた程度のものだと思っていたんですが、とんでもない誤解だと気がついて、それから以降は、強硬姿勢を抑えるようになるんです。こいつらは、とんでもない文明人だと気がついた。だから
「ほー、こいつは、ペクサン砲ですね?」
という言葉が、日本史を変えたとも言える。
歴史というものは、本当に際どい綱渡りからなりたっています。
今回の震災にしても、紙一重のところで明暗をわけた。
津波の第一報が3メートルだった。
これに安心して帰ったために命を落とした人が何人いたことか。
地理地震のときだって、最初は大した津波ではないと多寡ををくくっていた。
しかし、第一報があてにならないことを知っていた人もいたわけで、
その人たちは生き残ったんですよね。
つづく。
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