入院して気がついたことがあります。
患者がバーコード化されているんですよね。
腕にバーコードの腕輪をつけて、手術前と手術後に交換するんです。
で、バーコードをぴっとやって、患者を確認してから体温や脈などのデーターをとるんですね。
「おれはコンビニの商品か?」
と自嘲している患者さんがいて大笑いしました。
医療事故を防ぐためのものなんでしょうが、一部の老人は衝撃をうけていましたね。
あと、気がついたことは、看護婦さんの帽子。
ナースキャップが無いんですよね。
聞いたら、もう十数年も前からナースキャップというものは、全国の病院から存在しなくなっているらしいです。どうも機能的ではないらしく、仕事の邪魔になるので今では存在してないらしい。
「あれ? 本当に無いの?」
「無いですね」
「どこかで見たような記憶があるんだけれどなあ」
「コスプレじゃないですか?」
「・・・・・」
面白かったのは、入院患者の中にも主みたいな人がいて、
食堂で御茶を飲みながら世間話しているんですよね。
それはまるでユースホステルみたいな感じです。
和気あいあいと和やかに談笑している。
「どんな会話をしてるのか?」
と、仲間にはいってみたら、お互いの病気自慢だった。
で、五十歳の私を捕まえて
「若いの」
とか言ってくる。どうやら病院じゃ五十歳は若い奴らしい。
あと、群馬大学の医者先生や看護士さんの多くは、群馬県民なんですね。
まあ、当然と言えば当然なんですが、みんな群馬県民だった。
例外もいますけれどね。
どうして分かるかと言いますと群馬弁でわかってしまう。
群馬県民しか使わない言葉を使うので、一発でわかってしまう。
「なから・・・・でしょ」
という言葉は、群馬県民は共通語だと思いこんでますが、そんなわけはない。
どんなに綺麗な共通語を話しているつもりでも、宿屋の嗅覚は騙せない。
それに「栗原」を「くりばら」と読むのも群馬県だけ。
全国的には「栗原」は「くりはら」と読みます。
濁点をつけては読まない。
で、患者さんが群馬弁丸出しだと、さっきまで流ちょうな日本語を話していた看護士さんも群馬弁丸出しになり、時代劇の世界にタイムスリップしたような言語空間の中にはいってしまう。
ところで病院に入院している時に
「どうして日本語には、『ひらがな』と『カタカナ』があるわけ?」
と聞かれて死ぬほど驚きました。
こんな基本的なことが分からないなんてと、こっちがビックリしていると若い人たちの全員が知らないという。中には、日本語教師の人もいて、その人も『ひらがな』と『カタカナ』の差をよくわかってない。なんとなく分かっていても、きっちり分かっているわけではないんですよね。だから、どうして外来語がカタカナなのか分からない。どうして擬音がカタカナなのかわからない。で、ネットで調べてみたら、このあたりを詳しく書いてある説明もない。そうなると、このブログを読んでいる若い人も分からないかもしれないですね。ですから、このさい、このブログで説明しておきます。
戦前の教育を受けたひとなら『ひらがな』と『カタカナ』の差をみんな知っているんです。
戦後の日本語の欧米化(ローマ字化)で分からなくなってしまった。
では、戦前は、どうだったかと言いますと、
蝶々のことを「ちょうちょ」とは書かずに「てふてふ」と書きました。
つまり、実際の音声と平仮名の文字が一致してないわけです。
平仮名という文字は、そういう文字なんですね。
つまり「書くための文字」なんです。
だから古文書には、平仮名ばかりがめだちます。
カタカナが使われる例は少ない。
ところがカタカナは、そうではない。
発音に使われてきた文字なわけです。
お経や漢文の音声を表記するために使われてきた歴史があります。
ですから外来語や擬音を表記するのにカタカナが使われるのです。
つまり平仮名は、文書に使う文字として発展してきた。言葉は通じなくても、平仮名を学べば筆談ができるし、記録や契約書が作れる。発音のために使われてきた文字ではないんですよね。証文や御触書なんかに使うために使われてきた文字なんです。漢字ではない。平仮名なんです。昔は、法務局や裁判所がなかったわけですから、誰もが読める文字で契約書や証文を書かないと、契約書としての有効性が成立しにくかったこともあります。逆に発音に使われてきた文字がカタカナだった。だから外来語や擬音がカタカナを使うのは、あたりまえといえばあたりまえなんですね。
つづく。
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