2012年04月04日

中込学校

国内最古級の洋風学校建築です。明治時代初めに建てられた小学校の建物が今まで残っているもので、現存する最も古い西洋風の学校建築の一つとして、国の重要文化財に指定されています。松本市の旧開智学校も同様の施設ですが、旧中込学校の方が、移築や改変が少なく当時のままに近く、より素朴な感じです。

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 この建物は、1875年(明治8年)4月20日に着工し、 同年12月25日に総工費6,098円51銭8厘をかけて建てられました。 設計・施工は、アメリカ合衆国で建築技術を学んだ地元・下中込村出身の棟梁・市川代治郎(いちかわ・だいじろう)が担当しました。 竣工時は、成知学校と呼ばれていましたが、翌年中込学校と改称され、 1919年(大正8年)まで使用されました。

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 その後、町役場や公民館等に転用された後、 1971年(昭和46年)8月から1973年(昭和48年)6月に4,735万円をかけて解体復元工事が行われ、 1995年(平成7年)に保存修理工事が行われています。

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当時としては珍しいステンドグラス。

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大正時代の卒業写真。
着物姿が多いですね。

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昔の教科書。

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ゆとり教育時代の現代からすれば、信じがたいくらいに高度ですが、
こんなにも難しい教科書を当時の子供たちが学べた理由はテストが無かったからです。
つまり暗記しなくても良かった。
当時は、大枠を覚える程度でよかった。
勉強の仕方さえわかればよく、あとは実地で何とかすれば良いという考えでした。

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教科書の内容は、偉人伝が中心。
中身については、二宮金次郎とか、上杉鷹山などが題材として使われました。
これには、出典がありました。
アメリカの国語教科書「ナショナルリーダー」をそのままコピーしており、例えば、ワシントンを二宮金次郎に置き換えていたのです。ですから、戦前の小学校には、必ず二宮金次郎の銅像がありましたが、あれは、ワシントンに似た存在を日本中から探し出して掘り当てたのが、二宮金次郎だったのです。

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 中央の八角塔から太鼓を吊し時を告げた事から「太鼓楼」と呼ばれ、珍しいガラスを使用したので「ギヤマン学校」とも呼ばれました。1966年1月に長野県宝に指定。1969年3月に国の重要文化財、同4月に国の史跡に指定されます。隣接する資料館には藩校、寺子屋以来の貴重な資料を展示しています。

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長野県佐久市中込1877
電話 0267-62-7845
交通
滑津駅から徒歩5分
料金 250円
時間 9〜17時
(11〜3月は〜16時)

つづく。

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ラベル:中込学校
posted by マネージャー at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐久 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする