嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた8
穂高から下山して、上高地で嫁さんと合流した。日程では、あと2泊できる。このまま帰っても良いのだが、嘉門次小屋に泊まって安曇族の話を聞いたり、先代の嘉門次さんのことや、上高地の歴史を聞くという選択肢もあった。なにしろ上高地は、もともと神川内(かみこうち)と言われていたところである。上高地ではなく、神川内(かみこうち)なのだ。明神神社の宮司さんにも会いたいし、舟の山車も見たかった。なので、嫁さんに嘉門次小屋のことを聞いてみた。
「すごく良かったよ」
「そうか!」
「囲炉裏のそばで、いい感じで酔っぱらっている人がいたんで『どこから来たんですか?』と聞いたら、『四代目の嘉門次です』と言われてしまった」
「ハハハハ、無知は怖いなあ。いや、怖いもの知らずというやつか」
「でも歌を歌ったりして、嘉門次さんは嬉しそうだったよ。何も仕事せずにひたすら酒を飲んでいたしね」
「え? 仕事しないの?」
「うん、囲炉裏で御客さんと世間話しているだけ」
「仕事はどうしているの?」
「従業員が、7人いる」
「なるほど」
「で、御客さんが7人しかいなかった」
「それなら酒が飲めるな」
「でも、満室でも酒を飲んでいるらしい。嘉門次さんの仕事は、囲炉裏で酒を飲むことらしい。で、時たま従業員を一人一人呼びつけて、酒を振る舞うのが嘉門次さんの仕事なのだそうだ」
「ということは、従業員さんは酒を飲みながら仕事をしているの? すごい山小屋だな」
私は、ますます嘉門次小屋に泊まりたくなった。
いや、泊まるつもりになっていた。
「そうそう、五千尺ホテルのせがれさんも来ていて、嘉門次さんと一緒に酒を飲んでいた」
「え?」
その瞬間、泊まる気まんまんだった私の気が萎えた。
五千尺ホテルというのは、上高地のナンバーワンほてるです。六本木における六本木ヒルズみたいなものです。当然のことながら財産もあり地方財閥として長野県に強力な影響力ももっている。しかし、このホテルには黒い闇があった。そのために権力で上高地の歴史を抹殺し、塗り替えようとしている。
しかし、それに待ったをかけたのが、元営林署の職員であった上条武氏であった。彼は、平成8年(1996年)に446ページにのぼる自費出版で驚愕すべき内容の本を出した。しかも大半のページが、第一級史料の紹介の写真によるであり、その真実を疑いようのないものであった。
もともと五千尺ホテルは、井口良一という画家が建設したものであったが、ある2人によって騙し取られ、しかも、騙し取った本人も、従業員に騙し取られて裁判まで起こしている事実があった。それを資料を紹介しながら淡々と述べている本が、上条武氏が自費出版した本である。
当然のことながら裁判になった。本は圧力でもって事実上、長野県で発売できなくなっている。そもそも、その本も東京の小規模出版社で自費出版せざるをえなかった本である。五千尺ホテルという上高地の巨大権力に対して一人の老人が、なけなしの貯金をくずしながら孤軍奮闘してきた姿勢には感動さえおぼえる。
上高地 (1) [単行本]
上条 武 (著)
単行本: 466ページ
出版社: 独木書房 (1996/05)
ISBN-10: 4900697516
ISBN-13: 978-4900697515
発売日: 1996/05
さらに上条武氏は、第2段として、上高地の歴史や自然に関する定説の過ちを徹底的に論証して見せた。それが上高地 (3)である。これによると、環境省のビジーターセンターは、間違いだらけの上高地解説を長年やってきたことになる。その原因は、環境省はまともに自然と歴史を調べてなかったことにある。
しかし、資料は営林署にたくさんあったのだ。良くも悪くも営林署こそが、戦前から国立公園を保護してきたのだから。環境省が営林署に調べに行けば、各種の届けの記録などは簡単に調べられるし、自然のことも教えてもらえたはずだ。そこには、第一次資料があったのだから。しかし、環境省は、営林署を敵扱いしたのか、そういうことはせずに、郷土史家や五千尺ホテルなどの地元民の証言だけを信じた。そのために歴史が改ざんされたというのである。
上条武氏は、その改ざんを写真や出版物や公的資料(登記簿など)や、ウエストンの日記などによって一つ一つ間違いを正していった。その作業は厖大なものであり、頭が下がるの一言である。
上条武氏の著書
上高地 (3)
単行本: 373ページ
出版社: 独木書房 (1997/04)
ISBN-10: 4900697834
ISBN-13: 978-4900697836
発売日: 1997/04
しかし、その改ざんは、訂正されつつある。
上条武氏の大金を投じての自費出版のおかげである。
常日頃から上条武氏に感謝している私は、急に嘉門次小屋に泊まりたくなくなって、北軽井沢ブルーベリーYGHに帰ることにした。今にして思えば、ちょっと惜しいことをしたなと思っている。五千尺ホテルのオーナーの息子に会っとけばよかったと思ったが、あとの祭りであった。いつか五千尺ホテルにも泊まってみたいと思う。
つづく。
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posted by マネージャー at 23:27|
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上高地・北アルプス
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