不思議なことに、いなくなると寂しくなるものである。
戻ってくるとホッとするから、本当に不思議だ。
で、戻ってきたかみさんが、目を輝かしながら
「聞いて、聞いてくれる?」のオーラをだしまくるので、ちょっとつきあってやることにした。
「出産する予定の病院が凄かった。個室で、ソファーがあって何でもそろってる。豪華ホテルなみ」
「よかったねえ」
「今から楽しみなんだけれど、1泊くらいしかしないんだよね」
「いや、何泊もするところじゃないし」
「看護婦さんにパソコン持ってきていいですか?って聞いたんだけれど、『いや、それどころじゃないですよ』って言われちゃった」
そりゃーそうだろ!
と突っ込みたかったがやめた。
まるで遠足に行く小学校生みたいだったので。
「付き添い出産にくる?」
「宿があるので遠慮しておきます」
実は、私にはトラウマがある。
学生時代、といっても高校を卒業したばかりの時に、某ドキュメンタリー映画監督に
「映倫を通過する前の科学映画の試写会にこないか?」
と誘われて見に行ったことがあった。
映像の世界では、こういう誘いは断れない。
神の命令と一緒なので、どんなに重要な用事があっても
キャンセルして見に行かなければならない。で、見に行った。
見に行くと、映倫を通過する前の科学映画とは、出産の映画だった。
スウェーデンの映画だったと思うが、巨大スクリーンに出産のドアップを10回くらい見せられた。若い頃だったので、血の気が引いた。一緒にみた男子たちは、みんな真っ青になっていた。
上映後、真っ青になっている男たちに、年配の女性スタッフが慰めてくれた。昔は、出産に男を絶対に立ち会わせなかったらしい。それは、このような場面をみせると「女性がこんなに苦しむなら子供はいらない」と男が思うからだということらしい。実際そのとおりで、しばらくのあいだは肉も食えなかったし、どんな美人が目の前を通っても、何も興奮しなかった。ただ、ただ、「すまん」と思うだけで、いったい何が「すまん」のか訳がわからなかったが、1年くらいはスケベ心がわかなかった。なにしろ男は大量の血をみるのに馴れてないから、その衝撃に面食らってしまっていた。
あれから三十年たつが、今のお父さんは、平気で立ち会えるらしい。
男たちもタフになったものだ。
つづく。
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