日本風景街道戦略会議で、非常に興味深い研究レポートを聞いた。
CCCの存在である。
CCCとは、対日強硬派であったフランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューデール政策の一つである。ルーズベルトは1933年3月4日に大統領に就任すると、すぐに4つの事業をスタートさせた。
1.TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業
2.CCC(民間資源保存局)による大規模雇用
3.NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や超越論的賃金の確保
4.AAA(農業調整法)による生産量の調整
である。そのうち最も力を入れたのが、CCCである。特にCCCキャンプは、ルーズベルト大統領の肝いりで、就任したその日からプロジェクトが発動している。
では、CCCキャンプとは何か?
平たく言うと、ヒットラーユーゲントのアメリカ版である。
目的は、表無きは、500万人以上の若年失業者の救済と教育になっている。しかし、内実は、軍隊式のキャンプであり、軍隊式に各種の職業教育をやりながら建設作業をおこなって、厖大な土木工事を行うのである。アメリカは、この公共事業によって経済を復活させるとともに、軍事訓練をおこなっているのだ。
で、第二次世界大戦は、アメリカが勝ったというより、CCCキャンプが勝ったと言われている。CCCキャンプが、後のアメリカ軍を大きく支えたのであって、CCCキャンプがなかったらアメリカは勝てたかどうかあやしいというのだ。
私たちは、なんとなくアメリカは、物量で勝ったと思っていたが、実際はルーズベルトが1933年3月4日に大統領に就任してすぐに、ナチスと同じような政策をスタートさせていたことに驚かざるをえない。しかし、そういう情報は、日本国内のインターネットで検索してもでてこない。つまり、今まで耳を遮断されていたのだ。そもそもCCCキャンプなんて今まで聞いたことが無い。
しかし、ルーズベルト大統領は、就任のその日に関係機関の会議をスタートさせ、その13日後に議会へ教書。最初のCCCキャンプが発動したのは、大統領就任から34日後なのである。いかに、このプロジェクトがフランクリン・ルーズベルト大統領の肝いりだったかがわかる。しかし、これを社会科で習った記憶は無いし、このCCCキャンプがアメリカ経済を復興させて、第二次世界大戦の勝因になったなんて話も聞いたことも無い。やはり、我々は長いこと情報を操作されていたのである。
実は、私は、横山祐吉伝を書いているのだが、フランクリン・ルーズベルト大統領が、CCCキャンプを大規模に作っていた時代に、日本政府も、ルーズベルト大統領に見習おうとしていたのに、日本においては最後まで抵抗していた勢力があったのを知っている。日本ユースホステル協会の前身であった日本青年団である。
戦後、GHQが、その青年団を軍国主義の手先であるかのように断罪したがとんでもない話だ。日本版CCCキャンプの設立に最後まで抵抗したのが、大日本青年団の下村湖人であり、その様子は著書「次郎物語第五部」に詳しく書かれてある。フランクリン・ルーズベルト大統領の方が、よほど軍国主義的である。なにせ日本においては、第二次世界大戦の終盤になるまで日本版CCCキャンプなんぞができなかったのであるから。それはともかくとして、CCCキャンプの発見によって、私が書いている横山祐吉伝は、内容を大きく方針変更せざるをえなくなった。
つづく。
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