CCCキャンプとは何か?
平たく言うと、ヒットラーユーゲントのアメリカ版である。
戦後、GHQが、その青年団を軍国主義の手先であるかのように断罪したがとんでもない話だ。日本版CCCキャンプの設立に最後まで抵抗したのが、大日本青年団の下村湖人であり、その様子は著書「次郎物語第五部」に詳しく書かれてある。フランクリン・ルーズベルト大統領の方が、よほど軍国主義的である。なにせ日本においては、第二次世界大戦の終盤になるまで日本版CCCキャンプなんぞができなかったのであるから。
では、大日本青年団は、どうして日本版CCCキャンプを拒否したのであろうか? 彼らは、日本版CCCキャンプの代わりに、どういうキャンプを作ろうとしていたのだろうか?
その答えは、下村湖人の著書「次郎物語第五部」に詳しく書かれてある。大日本青年団は、CCCキャンプのようなものを忌み嫌った。ヒットラーユーゲントに対しても同様である。その代わりに精神修養の道場を作った。青年団講習所である。ここで、青年団のリーダーたちを集めて、何もしなかった。何一つ指示も出さないし、講師も用意しない。つまり教育もしてない。もちろん土木作業もしてない。
全く何もしない。
ただ、共同生活だけをした。
共同生活をすることによって、少しづつ人間の精神を鍛えた。具体的に言うと、講習所所長みずからトイレ掃除をやり、食事をつくり、風呂の薪を割った。けれど、講習所所長は、なにも命令しない。だから講習に来た青年たちは、とまどってしまう。
「どこかの偉い人たちが、立派な御託を話してくれる」
と思っていた講習に来た青年たちは、戸惑ってしまう。
第一、何をやっていいのかわからない。しかし、講習所所長は目の前でトイレ掃除をしている。黙ってみているわけにもいかず、かといって、どうやって手伝って良いのかもわからない。そもそも、講習所のルールさえわからない。何時に就寝なのか? 何時に朝食なのかもわからない。いや、いったい何しにきているのかもわからない。時間の無駄にしか思えない。
しかし、これが数日続くうちに、自然のうちに流れができてくる。講習所の所長が、トイレ掃除をする前に誰かがトイレ掃除を終わらせいてる。食事も誰かが作っているし、講習所の建物は、日がたつ毎にピカピカになっていく。いつの間にか暗黙のルールができあがって、誰もが助け合うようになる。と同時にみんな涙が出るようになる。いろんなものに感謝の念がで、食事するときは深く祈るようになる。そのうちお互いの悩みをうちあけるようになり、誰彼なくアドバイスするようになる。
これを下村湖人は、「白鳥蘆花に入る」と言った。
真っ白な蘆花の中に真っ白な鳥が静かに降り立つ。
背が高い白い花にその姿は隠れる。
が、羽根の風が、波紋が広がるように、
静かに白い花たちを揺らしていく…。
白い鳥の姿は、白い花の中に隠れて見えない。
でも、起こした羽風は、確実に、周りに影響を与えている。
そこには、ヒットラーや、ルーズベルトのような英雄はいない。
名も無き個人が、静かにその徳を周りに影響を与えている。
そうやって世の中を少しずつ変えていく。
これが、大日本青年団の青年団講習所の所長である下村湖人の理想であった。青年団講習所の目的は、そこにあったのである。ヒットラーユーゲントやアメリカのCCCキャンプと比較して、どれだけ違っているかわかると思う。大日本青年団は、青年団講習所を修養の場所としたのだ。
ところがである。
いくら人間の修養を高めても
恐慌時代の経済の発展には寄与しない。
ここに大日本青年団の悲劇があった。
ヒットラーユーゲントも、ルーズベルトのCCCキャンプも、軍国主義の権化であったが、この2つは経済を成長させる。しかし、大日本青年団の青年団講習所の方式のキャンプだと、そのキャンプには経済的な寄与は無いのである。
つづく。
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