息子が生まれました その2
生まれて5分後くらい。
なんか10時間後くらいの感じがするけど、こんなものなの?
目も開いてるみたいだけれど、こんなものなの?
この後、ガラス張りの保育室に
なんか刑務所の面会みたいだったw
以下、前回の続きです。
息子が生まれたのが3月26日の15時2分頃です。私はその数分後に息子に対面したのですが、 10分ぐらい写真などをとっていると、息子は保育室に異動させられました。廊下からガラス張りの保育室を眺める形になったわけです。
それはともかくその保育室の目の前が家内の部屋でした。この病院は3階建てで何十という部屋があるにもかかわらず、廊下を挟んで保育室の目の前に家内の個室があるなんて、すごいラッキーなことです。どうやらすごく付いているみたいです。やはり、犬のお守りが効いたみたいですね。
脱線しますが、昔から犬は安産のお守りとして、よく使われました。犬を飼えない家庭では、犬の人形を家に飾ったものです。そして、子供が大きくなると犬の人形を与えて遊ばせ、壊させるわけです。するとその子は元気に育つと言われていました。
話を戻します。
保育室の息子をじーっと眺めていると、家内が運ばれてきました。家内をよく知ってる人は、わかると思いますが、うちの嫁さんは好奇心が強いので、いまさっきおきたこと。麻酔の体験の話とか、手術の話とかを盛んに口走っていました。初めての体験で、かなり興奮している様子でした。
しかし、手術は私も経験済みなので、この後何が起こるかは私は知っています。麻酔が効いてるうちは問題ないのですが、これが効かなくなったときに大変なことになるのです。なので、興奮気味な家内を鎮めるためにも、犬の散歩に行ってくると、部屋を出てしまいました。そして散歩に1時間ぐらいかけ、その後に廊下で保育室の息子をじーっと眺めて、なるべく家内に会わないようにしていたのですが、義理の母親が部屋から出てきました。
義理の母親は、あちこちにケータイで電話をかけていいたようなのですが、私は全く電話をしない様子なのに不審に思ったようで、電話はしなくていいのと聞いてきました。もちろん犬の散歩中に両親には電話をかけていますが、私の両親は、どこかに出かけていて電話は通じません。でも問題はないと思ってました。後でブログやFacebookやメールで知らせるからです。それより病院内で携帯電話をかける方が、大丈夫なのかなぁと、こっちが心配でした。基本的に病院では携帯電話は禁止なんですよね。
まあそれはいいとして、ここで面白いなぁと思ったのは、佐藤家と栗原家の違いです。
私の両親は昭和9年生まれですが、パソコンが社会に登場した1980年頃からパソコンを使っています。インターネットも社会に登場した頃から使っていました。うちの両親は、かなりの年寄りですが、 ITに関しては早くから取り組んできた人間です。もちろん私も同じです。ところが嫁さんの実家である栗原家では、どっちかと言うとアナログ的な生活をしていたようで、義理の母はパソコンをやったことありません。だから伝達手段がアナログなんですね。
それに対して私は、デジタル的な人間なので、状況をきちんと記録して、それを文章化する作業の方を先にやっていましたから、それを義母は、不審に思っていたのでしょうね。
まあそんな話はどうでもいいとして、今夜は私が嫁さんの付き添いをしますと言うと、義理の母親は自宅に帰ることになりました。その際に、近所からベビーベットをもらうことになっているので、それを運ぶのを手伝ってくれと言ってきます。
これは渡りに船だと思った私は、一緒にベビーベットを取りに行きました。部屋に誰も居なくなれば、嫁さんはぐっすり寝られるからです。この時に、義理の母親と家の子犬が対面して仲良くなりました。とりあえず義理の母親は犬嫌いではなさそうです。よかったよかった。うちの嫁さんもそうでしたが、犬嫌いの人というのは多いですからね。
ベビーベットに運んだ後、病院に帰ってみると家内は寝ていました。しめた!と思いました。麻酔が切れたら寝られなくなるかもしれないので、今のうちにもっと寝かせなければいけないと思い、私は、また子犬の散歩に出かけました。
病院の前に小さな小川があります。その小川沿いに公園があるわけですが、その公園を東に向かって歩いていきました。もう日は暮れて辺りは真っ暗になっていたのですが、小川沿いの細長い公園には提灯のようなものが点々と光っていて、そこに白くぼんやりとしたものが見えています。なんだろう?と近寄ってみると桜でした。
満開の桜でした。
下からライトアップされてそれはもう素晴らしい夜景でした。
この夜景を皆さんに見せてあげたいと思ったくらいです。
しかも小川には何千何百という鯉のぼりがつるされており、
それがぼんやりと提灯の灯りに照らされ幻想的です。
桜の花と鯉のぼり。
これは縁起がいいですね。
息子が生まれた時は、桜が満開で、川には一面の鯉のぼり。そして暖かい風。どうやら私はつつじの公園に紛れ込んだようです。あたりが素晴らしい風景でした。それが、あまりにも幻想的なので、しばしぼーっと眺めていると、いつの間にか私の周りに小さな子供たちがいっぱい寄ってきていました。
なんだろうと思っていたら、うちの子犬に惹かれてやってきたようです。子犬は館林でも大人気です。最初は小さな子供たち。そのうち小学生くらいの子どもたちが集まってきて、その次に中学生ぐらいの子供たちがやってきました。最後には大人たちもう集まってきて、うちの子犬はあちこちで大人気です。おかげで、とても楽しいひとときを過ごせました。子犬に感謝です。本当に素晴らしいお守りです。
そして何時間か経った後に、病院の病室に戻ってみると、今度はさすがに家内は目が覚めて起きていました。どうやら、少しずつ麻酔が切れてきたようです。でも、痛みはこれからなんですよね。麻酔は少しずつ切れてきて、だんだん痛みが大きくなってくるんです。とりあえず、寝られるうちに寝た方が良いので、私もソファーの横になって寝ることにしました。
そして数時間後。夜の10時ごろ、起きてみると案の定、家内は苦しがっていました。ここで鎮痛剤をすぐに打ってもらえば良かったんですが、どういうわけかそっちのほうに頭が回らず、家内の手をマッサージしたり、床ずれを直したり、そんなことばかりしていました。やはり私も少しパニくっていたんでしょうね。自分も冷静な判断ができてなかったようです。すぐに鎮痛剤を打てば、なんでもなかったのに、ちょっと我慢したんですよね。結局、 2時間ぐらいなんだかんだをして、それで鎮痛剤を打ってもらったわけですが、その後は嘘のように痛みが引いたそうです。それからは、また多少寝られるようになったようです。
翌朝、私はまた子犬を散歩に出かけて戻ってきました。相変わらず家内は、声が出せないでいます。何かあるときは、筆談で用事を言いつけてきます。見てて痛々しくなりました。最後に何かしてほしいことがないかと尋ねたら、しばらくの間、誰も面会に来させないでくれと言ってきたので、北軽井沢に帰ったらすぐに、面会を控えてもらうようにみんなに頼むから安心していいよと言いました。
やはり、水が飲めないというのは本当に苦しいですね。声が全く出ませんから。しかも館林は空気がとても乾燥しているので、余計に苦しいみたいです。仮に声が出たとしても、傷口に響くようなのであまり会話をしたくないようです。しばらくの間は、ほっといてあげるのが1番本人のためにも良いみたいなので、私は北軽井沢に帰ることにしました。
とりあえず私の役目は、皆さんに詳しい状況を伝えることなので、後の事は義理のお母さんに任せて、私は北軽井沢に立ち去ったわけです。ご心配頂いた皆様、本当にありがとうございました。家内の様子は、このような状況です。しばらくは水が飲めなくて苦労をするみたいですが、経過は順調なので、ご安心ください。もう少ししたら、自由に気兼ねなく面会できるようになると思います。長いことわたくし事を書きましたが、退屈された方には申し訳ありませんでした。いずれ元気な姿で、家内は北軽井沢に戻ってくると思います。乱筆乱文失礼致しました。
つづく。
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