湯ノ丸山スノーシューツアーの紹介。
今日の主役は、ペンギン君。
え?
どこにペンギンだって?
それは、このあとの写真をみてください。
かわいいペンギンの写真がありますから。
ペンギン君登場。
とても元気なペンギン君。
先頭を元気に歩きます!
ここは、遭難の碑。
鐘は記念の鐘です。
ペンギン君、元気だなあ。
いい笑顔。
つづく。
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2013年03月03日
2013年03月02日
育児本の話。その1
育児本の話。
家内が妊娠してしばらくすると、友人たちからいろいろなプレゼントが届いた。使わなくなったほ乳瓶や、古い子供服などである。そして不思議なことに、必ず一緒に届けられたのが、育児本である。
というわけで、我が家には育児本が何冊もおいてある。
私は全く興味がなかったので、最初は何も読まなかったのだが、家内は違っていた。うちのかみさんは、貪るように育児本を読んで、その後図書館から何冊も借りてくるようになった。そして毎週のように図書館に行って、また新しい育児本を借り直すのである。そして図書館の育児本を全て読み終えると、また別の図書館から借りてくる始末である。あんまり熱心に育児本を読んでいるために、私も少し覗いてみた。
実は私は育児本を昔大量に読んだことがある。というか、私の実家に大量においてあったのである。私の母親は小学校の教師であった。そのために育児本や大量の教育関係の雑誌のバックナンバーが何十年分もおいてあった。専門的な教育関係の著書も大量においてあった。そしてその大半が、本棚で埃をかぶっていた。
もちろん子供の頃の私はそんなものには興味がない。
しかし、私が小学校5年生の時に、弟が生まれた。
私には3歳年下のもう1人の弟がいたが、 10歳も年下の弟となると、まるで違ってくる。 3歳年下だと、競争相手でありライバルである。喧嘩もよくする。しかし10歳年下にもなると、ライバルというより自分の子供のような気分になってくる。実際可愛い。十歳年下の弟が3歳になると、私は13歳である。つまり中学生である。中学生ともなると、 3歳位の子供が可愛くて可愛くてしょうがない。いろいろ面倒をみたりする。かわいがったりもする。そして、実家においてある大量の育児本や教育関係の本に興味を持ち出した。埃をかぶった大量の教育関係の雑誌のバックナンバーを片っ端から読み始めた。
ここで話を元に戻す。
うちの嫁さんが、一生懸命読んでいる育児本を私もチラリと読んでみた。
そして驚いた。
どの育児本にも致命的な欠陥があるのである。
その致命的な欠陥とは何か?
一言で言うと、時代背景を無視しているのである。
これはどの本にもみられる欠陥である。
私が中学生の時、大昔の教育関係の雑誌を大量に読んだことは前にも述べた。私の中学生の時のことであるから、昭和50年である。昭和50年といえば、今から40年も前の話である。そんな大昔に、もっと大昔に発行された教育関係の本を読んだのだから、ものすごい大昔の教育に関する考え方を書いた文章を読んだことになる。昭和30年代や昭和40年代の当時の考え方や、もっと大昔の考え方を読んだのだ。
で、当時の私が不思議に思ったことがある。育児に関する考え方は、時代によって変化するということである。それも10年くらいで劇的に変化するのだ。変化する理由は、その時々の時代背景による。
例えば戦前において、育児に対する考えは今のものとは全く違っている。戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方があった。どうしてかというと、当時は子供が多かったのだ。 5人くらいは当たり前で、ひどいのになると10人ぐらいの子供のいる家もあった。そして、そのような時代背景では、子供に対する不平等が子供の心に深刻な影響を与えることが問題になっていた。
具体的に言うと長男になるほど可愛がられ、末っ子になるほど子供が放置される家庭が多かったのだ。子供が多いと、親は平等なつもりでも、どうしても不平等な躾をしてしまうのである。それを題材に多くの児童文学が生まれたが、次郎物語やニンジンなどがその代表作である。このような作品は世界中で映画化されたり小説にされたりした。
なので当時の教育雑誌等には、子供の教育は親の背中でしろという考え方があった。親の働く背中を見せることによって、子供たちは自然と大人になっていく。それで良いとされていた。当時は、サラリーマンなどは非常に少なく、ほとんどが農家や自営業だったので、そのような教育スタイルで、親孝行で立派な子供たちがたくさん育ったのである。
この方法は、現代には通じにくいが、嬬恋村のような、農家やペンションオーナーが多いようなところでは、非常に参考になるであろう。実際、嬬恋村の知り合いの教師の話でも、農家の子供さんや、ペンションの子供さんたちは、平均して良い子たちが多いと証言している。これは、子供たちが親の背中を見て育っているからだと思われる。まさに戦前型の育児の結果である。
さて、育児本の話である。
話が長くなったので、続きは次回にするとしよう。
つづく。
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家内が妊娠してしばらくすると、友人たちからいろいろなプレゼントが届いた。使わなくなったほ乳瓶や、古い子供服などである。そして不思議なことに、必ず一緒に届けられたのが、育児本である。
というわけで、我が家には育児本が何冊もおいてある。
私は全く興味がなかったので、最初は何も読まなかったのだが、家内は違っていた。うちのかみさんは、貪るように育児本を読んで、その後図書館から何冊も借りてくるようになった。そして毎週のように図書館に行って、また新しい育児本を借り直すのである。そして図書館の育児本を全て読み終えると、また別の図書館から借りてくる始末である。あんまり熱心に育児本を読んでいるために、私も少し覗いてみた。
実は私は育児本を昔大量に読んだことがある。というか、私の実家に大量においてあったのである。私の母親は小学校の教師であった。そのために育児本や大量の教育関係の雑誌のバックナンバーが何十年分もおいてあった。専門的な教育関係の著書も大量においてあった。そしてその大半が、本棚で埃をかぶっていた。
もちろん子供の頃の私はそんなものには興味がない。
しかし、私が小学校5年生の時に、弟が生まれた。
私には3歳年下のもう1人の弟がいたが、 10歳も年下の弟となると、まるで違ってくる。 3歳年下だと、競争相手でありライバルである。喧嘩もよくする。しかし10歳年下にもなると、ライバルというより自分の子供のような気分になってくる。実際可愛い。十歳年下の弟が3歳になると、私は13歳である。つまり中学生である。中学生ともなると、 3歳位の子供が可愛くて可愛くてしょうがない。いろいろ面倒をみたりする。かわいがったりもする。そして、実家においてある大量の育児本や教育関係の本に興味を持ち出した。埃をかぶった大量の教育関係の雑誌のバックナンバーを片っ端から読み始めた。
ここで話を元に戻す。
うちの嫁さんが、一生懸命読んでいる育児本を私もチラリと読んでみた。
そして驚いた。
どの育児本にも致命的な欠陥があるのである。
その致命的な欠陥とは何か?
一言で言うと、時代背景を無視しているのである。
これはどの本にもみられる欠陥である。
私が中学生の時、大昔の教育関係の雑誌を大量に読んだことは前にも述べた。私の中学生の時のことであるから、昭和50年である。昭和50年といえば、今から40年も前の話である。そんな大昔に、もっと大昔に発行された教育関係の本を読んだのだから、ものすごい大昔の教育に関する考え方を書いた文章を読んだことになる。昭和30年代や昭和40年代の当時の考え方や、もっと大昔の考え方を読んだのだ。
で、当時の私が不思議に思ったことがある。育児に関する考え方は、時代によって変化するということである。それも10年くらいで劇的に変化するのだ。変化する理由は、その時々の時代背景による。
例えば戦前において、育児に対する考えは今のものとは全く違っている。戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方があった。どうしてかというと、当時は子供が多かったのだ。 5人くらいは当たり前で、ひどいのになると10人ぐらいの子供のいる家もあった。そして、そのような時代背景では、子供に対する不平等が子供の心に深刻な影響を与えることが問題になっていた。
具体的に言うと長男になるほど可愛がられ、末っ子になるほど子供が放置される家庭が多かったのだ。子供が多いと、親は平等なつもりでも、どうしても不平等な躾をしてしまうのである。それを題材に多くの児童文学が生まれたが、次郎物語やニンジンなどがその代表作である。このような作品は世界中で映画化されたり小説にされたりした。
なので当時の教育雑誌等には、子供の教育は親の背中でしろという考え方があった。親の働く背中を見せることによって、子供たちは自然と大人になっていく。それで良いとされていた。当時は、サラリーマンなどは非常に少なく、ほとんどが農家や自営業だったので、そのような教育スタイルで、親孝行で立派な子供たちがたくさん育ったのである。
この方法は、現代には通じにくいが、嬬恋村のような、農家やペンションオーナーが多いようなところでは、非常に参考になるであろう。実際、嬬恋村の知り合いの教師の話でも、農家の子供さんや、ペンションの子供さんたちは、平均して良い子たちが多いと証言している。これは、子供たちが親の背中を見て育っているからだと思われる。まさに戦前型の育児の結果である。
さて、育児本の話である。
話が長くなったので、続きは次回にするとしよう。
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2013年03月01日
記憶の話3
子どもの頃の私には、数分前の記憶の一部を失うことがよくあった。
5分前のことを全く覚えてないことが、時々あったのである。
子供の頃に親から自転車を買ってもらった。私は自転車に乗って遠くに遊びにいくのだが、その時に5分間の記憶を失ったとする。すると、なぜ自分がそこにいるのかがわからなくなるのだ。つまり、自宅にいたはずの私が、なぜか神社の境内で座っているのである。まるで瞬間移動しような錯覚に陥るが、そんな事は無い。私はそこまで自転車で向かっていることは確かなのだから。要するに自転車に乗って神社に行ったことが記憶にないだけなのである。
これはとても不便なことであった。
何しろ、自分がいつの間にか知らない土地にいるのである。
下手したら迷子になることもあったのだ。
ところがである。この不便な体質によって、妙な土地勘が生まれたみたいなのだ。知らない街にある日突然放り出されても、自力で家まで帰る能力が、いつの間にか私に備わっていたみたいなのだ。だから私は、迷子になったことがない。けれど弟は、迷子になっている。
ちなみに私はいちど歩いた土地は何十年たっても覚えている。車も運転をしていても、いちど走った路は忘れる事は無い。これはうちの家内には絶対真似のできない特技である。うちの家内は、100回通っても道を覚えない。北軽井沢に引っ越してきてから、もう11年になるが、未だに周辺の道を覚えていないのが現状だ。でも私は、北軽井沢に来てから、 1週間もたたないうちに草津町から佐久の町までほとんどの道を覚えてしまった。これは登山をしてても同じだった。不思議なことに山で道に迷っても直感で正しい登山道をさぐり当てる能力が私にあった。だからどんな過酷な探検をしていても、不思議と遭難をしたことがない。必ず帰り辿りつけるのである。それも直感で、簡単にさぐり当てられるのである。
話は変わるが、私は耳も悪い。いわゆる難聴と言うやつである。しかもこれで、損をしたということもなかった。プラスマイナスで言えば、圧倒的にプラスのことが多かった。まあそれについては、ここでは詳しく述べないが、人間という生き物は、何かが不足すると何か別の能力が生まれるのである。そして、そうやって備わった別の能力は、その後の人生において大いなる威力を発揮するのである。
さて、長い前置きになってしまったが、ここからが本題である。嫁さんが妊娠して、臨月を迎え、実家に里帰りしてしまった。というわけで、北軽井沢ブルーベリーユースホステルには、私一人しかいない。もちろん、 10年前には私一人で宿を回していたので、何の問題もないのだが、 1つだけ困ったことがあった。私はものをよくなくすのである。もちろん、いろんな対抗策は取ってある。家や車の鍵などは、たくさんコピーをとってあるし、いろんな道具も複数ある。しかし、唯一コピーできないものがある。財布である。もちろん現金などは、財布を3つ4つに分けて、分割して持っているのだが、問題はカードである。こればかりはコピーできない。
10年前、 1人で宿を始めたときは、すべて現金で物を買っていた。だから何の問題もなかったのだが、今はすべてカードで買っている。だから絶対に財布は無くせないのだ。で、いろいろ考えたあげく、最高のアイデアを思いついた。海外旅行で使う秘密のパスポート入れを常に首からぶら下げて、腹巻きの中に入れてしまうのだ(もちろん腹巻きはしてないが)。これなら絶対にカードはなくさない。ちょっと田舎のおっさんぽいが、そもそも私自身、田舎のおっさんで間違いない。もう正真正銘の田舎者になっているのだから、堂々と田舎のおっさんぽく生きようと思っている。
つづく。
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5分前のことを全く覚えてないことが、時々あったのである。
子供の頃に親から自転車を買ってもらった。私は自転車に乗って遠くに遊びにいくのだが、その時に5分間の記憶を失ったとする。すると、なぜ自分がそこにいるのかがわからなくなるのだ。つまり、自宅にいたはずの私が、なぜか神社の境内で座っているのである。まるで瞬間移動しような錯覚に陥るが、そんな事は無い。私はそこまで自転車で向かっていることは確かなのだから。要するに自転車に乗って神社に行ったことが記憶にないだけなのである。
これはとても不便なことであった。
何しろ、自分がいつの間にか知らない土地にいるのである。
下手したら迷子になることもあったのだ。
ところがである。この不便な体質によって、妙な土地勘が生まれたみたいなのだ。知らない街にある日突然放り出されても、自力で家まで帰る能力が、いつの間にか私に備わっていたみたいなのだ。だから私は、迷子になったことがない。けれど弟は、迷子になっている。
ちなみに私はいちど歩いた土地は何十年たっても覚えている。車も運転をしていても、いちど走った路は忘れる事は無い。これはうちの家内には絶対真似のできない特技である。うちの家内は、100回通っても道を覚えない。北軽井沢に引っ越してきてから、もう11年になるが、未だに周辺の道を覚えていないのが現状だ。でも私は、北軽井沢に来てから、 1週間もたたないうちに草津町から佐久の町までほとんどの道を覚えてしまった。これは登山をしてても同じだった。不思議なことに山で道に迷っても直感で正しい登山道をさぐり当てる能力が私にあった。だからどんな過酷な探検をしていても、不思議と遭難をしたことがない。必ず帰り辿りつけるのである。それも直感で、簡単にさぐり当てられるのである。
話は変わるが、私は耳も悪い。いわゆる難聴と言うやつである。しかもこれで、損をしたということもなかった。プラスマイナスで言えば、圧倒的にプラスのことが多かった。まあそれについては、ここでは詳しく述べないが、人間という生き物は、何かが不足すると何か別の能力が生まれるのである。そして、そうやって備わった別の能力は、その後の人生において大いなる威力を発揮するのである。
さて、長い前置きになってしまったが、ここからが本題である。嫁さんが妊娠して、臨月を迎え、実家に里帰りしてしまった。というわけで、北軽井沢ブルーベリーユースホステルには、私一人しかいない。もちろん、 10年前には私一人で宿を回していたので、何の問題もないのだが、 1つだけ困ったことがあった。私はものをよくなくすのである。もちろん、いろんな対抗策は取ってある。家や車の鍵などは、たくさんコピーをとってあるし、いろんな道具も複数ある。しかし、唯一コピーできないものがある。財布である。もちろん現金などは、財布を3つ4つに分けて、分割して持っているのだが、問題はカードである。こればかりはコピーできない。
10年前、 1人で宿を始めたときは、すべて現金で物を買っていた。だから何の問題もなかったのだが、今はすべてカードで買っている。だから絶対に財布は無くせないのだ。で、いろいろ考えたあげく、最高のアイデアを思いついた。海外旅行で使う秘密のパスポート入れを常に首からぶら下げて、腹巻きの中に入れてしまうのだ(もちろん腹巻きはしてないが)。これなら絶対にカードはなくさない。ちょっと田舎のおっさんぽいが、そもそも私自身、田舎のおっさんで間違いない。もう正真正銘の田舎者になっているのだから、堂々と田舎のおっさんぽく生きようと思っている。
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