2013年03月04日

育児本の話。その2

育児本の話。その2

 うちの嫁さんが、一生懸命読んでいる育児本を私もチラリと読んでみた。
 そして驚いた。
 どの育児本にも致命的な欠陥があるのである。
 その致命的な欠陥とは何か?
 一言で言うと、時代背景を無視しているのである。

 前回は戦前についての話をした。戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方があった事は既に述べた。では戦後ではどんな時代背景があって、育児に対してどんな考え方があっただろうか?

 例えば高度経済成長期という時代背景を考えてみる。この時代は、まさに私が生きた時代である。そして、私の家内が生まれると同時に終わってしまった時代でもある。昭和35年頃から昭和47年頃までの日本は、まさに高度経済成長時代であった。これが終わるのは、第一次オイルショックが起きた、昭和47年頃までである。それ以降は、ちょっと時代が変わってくる。

 ではどのように変わったのであろうか?

 これは非常にわかりにくいかもしれない。日本が豊かになっていく時代というものは、経験者にしか理解できないのである。私の家内には、どうしても、感覚的に理解できない。なので、具体的に話してみよう。

 私が小学校一年生になった時、お古であるが勉強机をもらった。引き出しが付いていて、そこに物が入れられるのに感動した。とてもワクワクした。

 それから3年後、弟が小学校一年生となった。弟も勉強机を買ってもらった。ただし、弟が小学校に入学した時は、日本経済はもっと成長していた。私の両親も、もっと豊かになっていた。そして、弟は豪華な学習机を買ってもらっていた。本棚、電気鉛筆削、時計が付いていて、カレンダーや時間割のホワイトボードが付いていて、いろんな備品が付いていた。私がもらった机とはだいぶ違う。これは子供心に、複雑な気分だった。

 机だけでは無い。筆箱にしても、カバンにしても、服にしても、何から何まで全て弟のものの方が良い物を使っているのである。しかし、親は決して差別しているわけでは無い。日本が高度経済成長の時代なので、後の時代になればなるほど豪華っぽいものが買えたのである。

 例えば私は冬になると、手編みの手袋を持たされた。毎年毛糸をほぐしては編んだ手袋である。毛糸はどんどん古びてくるし、指の大きさもバラバラであった。しかし弟の頃は、家も豊かになっていたので呉服屋で買ってきた革手袋を持たされていた。もちろん今の時代になれば、母親が編んだ手袋のほうが価値が高い事は、自明のことである。

しかし高度経済成長期時代では、手編みのものよりも革手袋の方が、みんなカッコ良いと思っていた。勉強机にしても同じである。私がもらった机は、父親のお下がりであったが、木で作られた味のあるものであったと思う。それに対して弟が、買ってもらった豪華な学習机は、スチール製だった。今となっては木の机の方が圧倒的に良い事は分かることなのだが、当時は、豪華なスチール製の机の方が羨ましかったのである。そういうのが良いとされたのが高度経済成長時代である。机に何でもついているのが良いとされた時代なのだ。ゾウががふんでも壊れない筆箱がよいとされたのが高度経済成長時代なのだ。

 何から何まで、このような状態だと、兄弟の間で自然と仲が悪くなってくるのである。別に親は兄弟差別したわけでは無い。兄が悪いわけでもない。弟が悪いわけでもない。しかし、微妙な空気が流れていくのである。

 こういう時代背景の中においては、ひとつ間違うと、
 兄弟の間で非常に険悪なものが生まれてしまうのである。
 そういう時代では、今よりもとても重視したことがある。

 それは、上下関係である。
 この上下関係が、きちんと機能してないと、
 兄弟間に不穏な空気が流れるのである。

 兄に兄としてのプライドさえ保たれていれば、
 不穏な空気は決して流れない。
 兄弟喧嘩も決して起こらない。

 だから、兄を無条件に尊敬させるということが、今より重要視されていた。
 そして兄のほうも弟の面倒を見なければいけなかった。
 この上下関係を親の側がきちんとさせてないと、兄弟喧嘩がひどくなっていくのである。

 ちなみに高度経済成長時代では、兄弟の数は今よりとても多かった。当然のことながら、長男と末っ子では何歳も違っている。という事は、長男と末っ子の間では生きた時代の豊かさにおいてはまるで違っている。しかし、昭和47年以降においては、平成の現在に至るまで豊かさにおいてはほとんど差がない。もちろん便利さにおいては大きく違っている。しかし、豊かさの差というものはあまりない。その上、兄弟の数も非常に減っている。一人っ子が多くなった。たとえ兄弟がいたとしても、 2人がせいぜいである。

 さて、長い前置きになってしまったが、私が何をいいたかったかというと、高度経済成長時代の日本では、今とは違った育児論が盛んであった。そしてその時代に盛んであった育児の理論は現代には通用しにくいであろう。時代背景が全く違うからである。ところが、世の中には例外もある。それは・・・・。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする