2013年03月06日

育児本の話。その3

 高度経済成長時代では、子供が沢山生まれました。兄弟も複数いました。しかも、核家族が多かった。その訳は、祖父の時代でも子供が多かったために、高度経済成長時代の父親も、兄弟が多く結果として核家族が多かったわけです。もちろん子供たちを面倒みる祖父や祖母は不足しています。おまけに幼稚園や保育所も今より不足していました。小学校等は、いくら急いで建設しても全く足りなくて、子供たちは教室の中にぎゅうぎゅう詰めで教師から勉強を教わっていました。

 こういう時代では、何事も効率が優先されます。子供の個性を伸ばすとか、子供を叱り付けないとか、そんなことをやっていては、教師たちの仕事が成り立たないのです。もちろん事情は親の方でも一緒で、今のように子供が遊べる公園もなければ、児童館もなければ、学童保育と言うものをさえなかった時代ですから、子供の悪さを見たらどんどん叱りつけました。それでも間に合わないので、親たちをサポートする意味でも、近所のおじさんや、風呂屋のバンダイのおじさん達が、悪さをする子供たちを容赦なく叱りつけました。それが結果として、子供の親たちを助ける行為になったのです。

 そうしないと、とてもではありませんが、どんどん生まれてくる子供たちを管理できなかったのです。小学校の先生にしても、 1クラスに45人から50人もいる小さな子供達をまとめるのに、容赦なくゲンコツを振るいましたが、これは仕方のないことだともいえます。そもそもしつけもろくにされてない50人の子供たちを、 1人の教師がまとめて面倒見られるわけがないのです。しかし、当時の先生たちは、それをいとも簡単にやってのけたのです。

 それは、子供たちが学校に行く前に、ある程度のしつけをされていたからです。まず親が、兄弟の上下関係をはっきりさせていました。兄は兄らしく弟は弟らしく、男の子は男の子らしく女の子は女の子らしく、父親は父親らしく子供は子供らしく、そのような上下関係を家庭で気づいていました。そうしないと家庭が戦争状態になってしまうからです。

 父親は無条件に偉いとされたし、兄も無条件に弟より偉いとされました。その代わり兄は弟より貧しいことを受け入れなければならなかったし、弟の面倒を見なければいけなかった。具体的に言うと、友達の所へ遊びに行くにしても、弟を連れて行かなければいけなかった。現代では信じがたいことですが、高度経済成長時代の子供たちにとっては、普通のことでした。弟や妹は兄や姉の後を金魚のフンのようについて歩いてきたのです。親のほうにしても、そうしてもらわないと困ったことも確かです。何しろ狭い家に、子供たちが大勢いるわけですから、今より秩序が必要なわけです。

 さて、このような高度経済成長時代の子育てを見ると、チャップリンの映画のモダンタイムス(modern times)を連想させます。画一的な教育システムによって、没個性的な子供たちがたくさん量産されそうな気がします。現に当時の教育雑誌には「画一的な日本の教育システム」とさんざん批判をあびていました。ところがそうではなかったのです。むしろ個性的な子どもたちが生まれていった。没個性的な子供たちが大量生産されるのは、皮肉にもそのあとの「個性を大切に」が叫ばれはじめた時からなのです。

 教室にすし詰めで勉強した子供たちは、むしろ伸び伸びと個性的に育っています。個性が殺され始めたのはその後です。皮肉なことに、教育雑誌に個性的な子供たちを育てようと言われ始めてから、個性が殺されていく時代になっていくのです。時代で言うと昭和47年頃から後です。

 この頃になると日本もかなり豊かになっていますから、家の建築にしても、子どもの個性を育てる建築の特集を組んでいたりしていましたが、どんな特集だったかといいますと、子供部屋を1人ずつ与える図面でした。すべての子どもに独立した部屋があれば、子供の個性は伸ばせると言う趣旨の記事が書いてありました。このように、当時の教育雑誌や、教育関係の図書には、盛んに子どもの個性を大切にしようという文章がいっぱい載っていました。しかし、皮肉なことに世の中は逆の方向に向かっていったのです。

 あともう一つ特徴的なことがあります。校内暴力です。盛んに個性を大切にしようという考えで育てられた子供達は、中学生になると盛んに校内暴力を行いました。不思議なことに、それから数年前の子供たちには、そういう問題は全くありませんでした。というか、考えることさえできなかったと思います。

 さて、どうしてこんなことが起きたのか?

 当時の教育の専門家や、大学の先生たちは、
 いろんな小理屈をこねていましたが、
 肝心なことを見失っていたと思います。
 問題は、もっとシンプルなんです。

 教室にすし詰めで勉強をしていた子供たちは、当時、工場のラインに並べられている製品のように言われていましたが、実はすし詰めの教室の中で社会というものを勉強していたわけです。貧しかった時代の子供たちは、子供部屋なんかありません。寝る時は親と川の字になって寝ました。これで子供の個性が育つかというと、育つのですね。

 さて、ここで私の体験をお話ししましょう。私もご多分にもれず、小学校に入ると子供部屋をもらいました。そこで父親に勉強しろと言われたのです。しかし、勉強などしたことがありません。小学生が、自ら進んで勉強するなんて有り得ません。だから私は父親によく殴られました。しかしどんなに殴られたとしても勉強はしませんでした。じゃあどんな時に勉強したかというと、母親と一緒にいた時です。
 実は私の母親は小学校の教師でした。
 けれど勉強しろとは言いません。
 一緒にコタツに入って一緒の時間を過ごすだけです。
 そうなるとどんなことが起きるかというと、暇を持て余した私は母親のやることを眺めます。母親はテストの採点かなんかをしています。それを面白そうに見ているうちに、採点の手伝いなんかをします。そのうちなんとなく自分も勉強してしまうのです。
 勉強ではなく本を読むこともあります。それが漫画だったりすることもありますが、母親は何も言いません。もちろんテレビはついていません。静かな部屋で何かを黙々としているだけです。そういう状況下だと、子供というものは自然と本を読んだり勉強をしたりする。子供は勉強しろと言われても勉強しませんが、親の後ろ姿を見てその真似はする。そういう意味では、子供は親の鏡とも言えます。だから子どもを子ども部屋に追いやって、自分はテレビのお笑い番組をみていても、子どもが勉強するわけがないのですよね。

 子供の個性は、親の後ろ姿や兄弟の後ろ姿を見ることによって少しずつ育っていきます。ところが、子供部屋があるとそういうチャンスは本当に少なくなります。社会化の勉強をする機会を失っているわけです。だから、むしろ貧しかった時代の子供たちの方が、親と川の字で寝なければならないので、逆に個性が豊かに育だったりするわけです。

 イジメにしても、教室にすし詰めになればなるほど、少なくなります。友達を選ぶ選択肢が増えるからです。例えば1クラス20人ならみんなで1人を仲間はずれにすることはたやすいですが、 1クラス50人になるととても難しいものです。あとそれだけ人数がいれば、多少おかしな行動をしても、あまり目立ちません。しかし1クラス20人なら、ちょっとでもへんなことをしたらアウトです。

 けれど世の中は、どんどんゆとりある教育を目指して、教育現場の環境を良くしていきました。そして子供たちは、 1人1人子供部屋を手に入れて、没個性的な子供たちになっていきました。どうして子供たちが没個性的になったのか? 親から個性を手に入れるチャンスを失ってしまったからです。

 しかし例外もあります。親から個性を受け継げられなくても、別のところから個性を手に入れる子供たちもいます。それは塾であったり、習い事であったり、スポーツクラブであったり、オタク趣味であったりします。こういう子供たちはどんな時代にもいます。また親が積極的に子供たちに習い事をさせて子供たちの個性を伸ばしていくケースもあります。昭和52年頃、上智大学の渡部昇一教授は、子ども部屋をつくるより、親の書斎をつくり、そこに子どもを入れて親子の会話をすべきと言っていましたが、これは名言でした。子どもの個性を伸ばすには、親の趣味を大切にするというのは、ひとつの卓見でしたが、これが世間に理解されるまで、何十年もかかっています。

 話を戻します。

 高度経済成長時代の父親たち母親たちは、
 子供の個性のこと何かを考えていたでしょうか?

 私は考えてなかったと思います。むしろその日を精一杯生きるので必死だったと思います。狭い部屋に川の字になって親子で寝た時代です。しかし、そんな父親たち母親たちのが、知らず知らずのうちに子供たちの個性を伸ばしてた。 3丁目の夕日の世界に生きた子供たちは、そういう意味で非常に幸せだったかもしれません。


 そういう時代背景をながめる視点から、
 数多くの育児本を読んでみると、
 けっこうおかしな事が書いてある育児本がある。
「それ、違うだろ!」
 と叫びたくなる。

つづく。

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posted by マネージャー at 18:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 教育問題を考えてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする