2014年04月23日

文法的理解と情緒的理解

息子も、あと3日で、1歳1ヶ月になる。
生後13ヶ月にもなると、知能がぐんと発達した。
まず、親の言葉を正確に理解するようになった。
手に危険なものをつかんでも
「危ないからテーブルに置いて」
と御願いするとおいてくれる。

最初に覚えた言葉は
「おいで」
だった。

 生後7ヶ月くらいから「おいで」というと、嬉しそうにキャッキャと笑いながら一生懸命に這いつくばってやってきた。

 なぜ「おいで」に最初に反応したかは容易に推察できる。
 息子をおぶって愛犬コロを散歩させていたからである。

 人の居ない山の中で愛犬コロの首輪からリードをはずして自由にした。愛犬コロは、喜んで野山をかけずり回った。そして「おいで」というと愛犬コロは走ってやってくる。それを見た息子は大喜びである。私は何度も愛犬コロに「おいで」と呼びかけ、そのつど愛犬コロは走ってやってきた。それを息子は毎日みていた。私の背中におぶさって見ていた。

 当然のことながら「おいで」の言葉の意味も簡単に覚えた。私が息子に「おいで」というと息子は、キャッキャと笑いながら一生懸命に這いつくばってやってきた。ここまではいい。問題は、息子が言葉を話し始めた2ヶ月前。つまり生後11ヶ月くらいの頃である。いつものように私は、「おいで」を言うとと笑いながら這いつくばってやってきたのだが、そのときに何か話ながらやってくるのだ。

「なんだろう? 何を言ってるのだろう?」

と私は耳をすませた。すると息子は

「おいで、おいで・・・・」

と話ながら私のところにやってきているのが分かった。

 「おいで」は、私が息子に発した命令語である。しかし息子は私に対して「おいで、おいで、おいで・・・・」と言いながらやってきている。つまり「おいで」の命令語としての意味をわかってないということである。「おいで」の意味は何となく分かっていても、それが誰が誰に対する命令語なのかはわかってない。つまり、まだ日本語の文法を理解してないということである。

 これは重要な発見だった。

 考えてみれば、生後12ヶ月くらいの赤ちゃんが文法を理解するわけがない。しかし、意味は分かっている。意味は分かっているけれど、文法まで理解するには、あと数年はかかるかもしれない。これは重要である。赤ちゃんが言葉の意味を知っていても、構文として論理的に理解しているわけではないということなのだ。つまり、赤ちゃんにメッセージを伝えるには、論理性よりも、感覚性に訴えないとだめだということである。

 と、言うことは、私が否定的だった「赤ちゃん言葉」で赤ちゃんと対話することもあながち無駄では無く、むしろメッセージを伝える武器としては、かなり強力なのかもしれない。

 実は、私は嫁さんと相談の結果、「赤ちゃん言葉」は使わない育児をしていた。理由は単純で愛犬コロとのコミュニケーションとの整合性をつけるためである。私は毎日、息子を背負って愛犬コロと一緒に山に行っている。愛犬コロとは、大人の言葉でコミュニケーションをとっている。愛犬は、シエルティーなので犬の中で最も頭が良く、人間以上に空気も読む。その愛犬コロとの会話を息子に聞かせるわけなので、「赤ちゃん言葉」は最初から論外だった。愛犬コロはコロであり、ワンワンではない。だから息子が真っ先に覚えた言葉が「コロ」だった。

 ところが息子の語彙が広がっていくと「ワンワン」と言うようになってきた。もちろん息子にとってワンワンとコロは、同じ意味では無い。息子にとって「ワンワン」は愛犬が吠える姿のことをさし、「コロ」は愛犬に指示をおくることをさしている。しかし、教えてもないのに自分から「ワンワン」と言い出したということは、「ワンワン」という赤ちゃん言葉は、赤ちゃんにとって普遍的で通じやすい言語であることの証しであるともいえる。つまり「赤ちゃん言葉」には、それだけの有用性があるともいえる。

 私は「赤ちゃん言葉」を使わずに「おいで」を息子に教えた。しかし息子は「おいで」を文法的には理解せず、経験的情緒的に理解している。息子に「おいで」というと、息子は大喜びでやってくる。私に対して「おいで、おいで、おいで・・・・」と言いながらやってくるのだ。


つづく。

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posted by マネージャー at 08:17| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする