日本語とは、不思議な言語である。「ひや」と「おひや」では、全く意味が違う。居酒屋でバイトした人なら知っていると思うが、一般的に「ひや」といったら冷や酒のことである。「おひや」なら水のことである。「先生」と「大先生」も違う。「先生」と言えば教師か医者か議員。「大先生」となると、飲み屋で大声をはりあげる親父に対する総称になってしまう。
前置きは、このくらいにして息子が生後13ヶ月になった。
生後13ヶ月になると知能が格段と発達する。そのために母親を困惑させてしまう。ぐずりまくって食事をたべなくなるのだ。茶碗やらなにやらを辺り構わず投げ飛ばし、ワンワン泣き叫ぶ。困っている嫁さんに対して助け船をだした。イチゴとかバナナを小さく切って、それをフォークで刺して息子の手に持たせた。すると息子の愚図りがピタリと止まった。楽しそうにフォークでイチゴを口に運ぶ。これを応用して、御飯を大豆くらいの小さなおにぎりにして、いろんなフリカケをまぶし、これをフォークにさして持たせた。すると息子は楽しそうにフォークで御飯を口に運ぶようになった。あれほど愚図っていたのが嘘のようにピタリと止んだ。よーするに生後13ヶ月の息子は、自分でフォークやスプーンを持って食べたかったのだ。
まあ、そんなことは、どうでもいい。
これからが本題である。
息子に「タケル君!」と呼ぶと、息子は「ハーイ!」と手をあげる。これは、2ヶ月前の生後11ヶ月の時に仕込んだ。親が一生懸命に覚えさせたのだ。 しかし、息子が生後13ヶ月になると、親が一生懸命に言葉を覚えさせなくとも、勝手に自分から言葉を覚えていくようになる。それも予期しない覚え方をして親を驚かす。その一つが「ハイ」である。意味は「ハーイ!」とは違っている。
「ハーイ」は呼ばれたときの返事だが、「ハイ」ものを差し出す時の合図である。
「醤油とって」
「ハイ」
赤ちゃんは、こんな何気ない日常会話を一番良く聞く。
なので、こういう言葉を真っ先に覚える。
そして手を差し出して「ハイ」と言ってみせる。
もちろん「ハーイ」の意味とは違う。
言葉は似ているが、全く違う意味なのだ。
ここで、面白いことがおきた。苦労して教え込んだ「ハーイ」よりも、自分から覚えた「ハイ」の方が、息子は親しみをもっているようなのだ。日常的に使っているからである。
で、思い当たることがあった。
なぜ、息子は母親に対してだけ愚図るのか?
ということである。
うちの嫁さんは、息子に教育しようとしているから息子は反発するのだ。たとえば、食後に歯を磨かせようと、歯ブラシをもたすが、息子は叫きながら歯ブラシを放り投げる。13ヶ月の赤ちゃんに歯磨き教育なんて無理もほどがあるのに、育児本に書いてあるらしくて、それを実行しようとして大失敗している。
「あのなあ、そんなことしたって無駄!」
赤ちゃんは、真似をしたがる生物であるということなのだ。だから教育しようとしてはだめ。目の前でやってみせて真似をさせる。息子の前で歯をみがいてみせる。すると、その光景をジーッとみていた息子は、見よう見まねでスプーンを口に入れる。その瞬間をねらって歯ブラシととりかえるのだ。
この手法で、「いただきます」も「ごちそうさま」も生後11ヶ月でマスターした。しかし、それはあくまでも自主的に覚えたのであって、教育したわけではない。教育しようとしたら絶対に失敗する。必ず愚図るのである。教えなくても赤ちゃんは親の真似をする。
しかし、生後13ヶ月になると、新しいタイプの真似をするようになった。
テレビの真似をするのだ。
教育テレビの『おかあさんと一緒』の体操のお兄さんの真似をして、一緒に踊るようになってきたのである。もちろんキメポーズもする。
さらに歌も歌うようになってきた。
まだ、音程は滅茶苦茶であるが、音楽に合わせてうたう。
音楽も好きなようである。風呂上がりの着替えのときなどは、水前寺清子の歌を歌うと、ピタリと暴れるのをやめる。特に365歩のマーチが好きなようで
「パンツー、パンツー、パンツー、パンツー」
と歌いながらオムツを替えると大喜びである。服を着るときは「いっぽんどっこ」の歌を歌うと、また大喜び。
「おさがり着てても、心の錦
咲いたチューリップより、綺麗だぜ
若いときゃ、二度ない、どんとやれ
男なら、人のやれないことをやれ♪」
まさか歌詞の意味は判るまいが、なぜか息子は大喜びである。
そんなことは、どうでもよい。
生後13ヶ月にもなると、
もはや赤ちゃんとは言えなくなっている。
「駄目、もとに戻して」
というと、元にもどすようになるからだ。聞きわけがよくなってくる。もうこうなると赤ちゃんというより、子供に近くなってきている。
つづく。
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