2歳まで、あと5ヶ月を切った。
一般的に言って、赤ちゃんにとって2歳までの育児が、その後の人生に決定的に影響すると言われている。その2歳まで秒読み段階に入ったのである。赤ちゃんの骨の数は成人よりも多いことは有名である。だから2歳までは、転んでもあまり怪我をしない。奇跡の回復力をみせる。しかし、2歳以降は、そうはいかない。身体が完成するにしたがって怪我をしやすくなる。と同時に自我も芽生えてくる。
今日、その兆候を体験した。
昨日までの息子と、違う息子になったのを発見した。
昨日までは、息子はミルクを飲み終えると哺乳瓶を放り投げた。中身が無くなったら放り投げていたのだ。ところが、今日、息子は驚くべき行動をおこした。ミルクを飲み終えた後、すくっと立ち上がって、スタスタと哺乳瓶を私のところにまで持ってきて、「はい」と私の手に空の哺乳瓶を握らせたのである。
驚いた。
と同時に、1歳7ヶ月の赤ちゃんの学習能力に感心した。
私は、ミルクを飲ませるときに必ず、「はい!」と空になりつつある哺乳瓶をもらう仕草をしていた。もちろん放り投げられることもあるし、大人しく渡されることもある。今日は、たまたま息子に対して何もせずいた。すると、その行為に不満があったのかどうかはしらないが、すくっと立ち上がって、私の所に歩いてきて、
「ほら受け取れよ」
と言わんばかりに、私の手をとって「はい」と、空の哺乳瓶を握らせたのである。
おそらく息子は、自分と他人の違いを認識しはじめたと思われる。
大人への階段に近づいた。
前兆はあった。
最近、よく言葉を話すようになっていた。
歩くたびに「1、2、3、4・・・・」と数字を数えはじめていた。
これは私がお風呂で教えた言葉である。
他にもいろんな言葉を教えたが、数字を一番はやく覚えた。
ある意味、想定内のことだったが、やはり驚いた。
もし、数字をお風呂で教えてなかったら、この結果は無かったと言える。一般的に言って赤ちゃんは、話し言葉を耳で覚えるのでは無く、目で覚えると言われている。目で、口の動きを確認し、それを真似して、言葉を発すると言われている。だから手話の出来る聴覚障害者の親から生まれた子供は、普通の子供より早く言葉を覚えることが知られている。これについては、以前にも書いた。
狭い御風呂だと、親子の顔の距離がちかいうえに、他に目移りするものがないために、親の口の動きしか見えない。つまり私が、御風呂で数字を教える場合、息子は私の口の動き真似しやすい環境があったわけである。だから息子が最初に覚えた言葉が数字だったのは、ある意味当然ともいえる。だから「想定内」と書いたが、いくら想定内であっても驚いたことは確かだ。
こうなると、大人の赤ちゃん言葉を否定していた私は間違っていたことになる。あれは意味があったのだ。大人の赤ちゃん言葉は、大人の口の動きを赤ちゃんが真似しやすいからだ。現に、息子が次に覚えた言葉は大勢の大人たちがしてみせた
「いないいないばあ」
だった。あれも顔を近づけて口の動きを見せるために真似しやすい。
もし、神様が私に二人目の赤ちゃんを授けてくれるなら、次は、数字出来なく別の言葉を御風呂で教えて、さらに裏付け手みたい気がする。が、そう上手く赤ちゃんが授かることはないだろう。
まあ、そんなことは、どうでもいいとして、1歳7ヶ月ともなると心が、かなり発達してきている。といっても他人と比べると成長は遅い。何度もおもちゃ王国に行って同じ1歳7ヶ月のお子さんと会わせているが、うちの息子の成長は遅れ気味である。これは、決して悪いことではないので心配は何もしてない。
しかし、どうして、このような個人差がでるのか興味があったので、成長の早いお子さんの御両親を観察してみた。で、面白いことが分かった。御両親がスマホをいじっているケースが多いのだ。子供を放置しているのだ。で、聞いてみたら、児童館や公園などに連れて行って、多くの子供たちと一緒に遊ばせているらしい。つまり、こういう場所に連れて行くことに慣れているのだ。だからスマホをいじっている。
逆に言うと、そういう家庭のお子さんは、はやくから社会を体験しているともいえる。同じ年頃の子供たちを目で見て、真似ることを日常的にしているのだ。だから成長が早いのかもしれない。これは、私が御風呂で数字を教えたのと一緒である。
赤ちゃんは、話し言葉を耳で覚えない。口の動きを真似ることで、言葉を覚える。赤ちゃんは、真似の天才であるから、真似るべき手本がそばにないと、真似しようがないのだ。大人の動きは、赤ちゃんが真似するにはハードルが高すぎる。だから小さな子供たちが手本として最適なのだろう。
ここで話しをもどす。
息子の成長のことである。息子は、最近になってやっと言葉を少しづつ話すようになってきたのであるが、実は、もっと早くから言語は理解していた。生後8ヶ月くらいから、いろんな言葉を理解していた。ただ、それを話し言葉にできないでいた。厳密に言うと、生後4ヶ月くらいに一時的に話し言葉を正確に真似できていたけれど、8ヶ月くらいから、その能力は退化していった。代わりに、いろんな意味不明な音声をあげて楽しんでいた。
今思えば、あれをどうして録音しておかなかったかと悔やまれてしかたがない。きちんと録音していたら「赤ちゃん語」を解明できていたかもしれない。よく言われていることに、不快で泣く赤ちゃんは「あああーーー」と泣き、腹が空いて泣く場合は「えええーーー」と泣くと言われるが、実は、もっといろんな泣き声があったことを思い出したのだ。それを感覚的に私は処理してしまっていたが、今思えばもったいないことをしてしまった。きちんとデーターをとって、法則化して、嫁さんに教えていれば、嫁さんの負担は、もっと減っていたかもしれない。
しかし、世には、そのあたりの法則を研究している学者たちが大勢居るはずだから、私が知らないだけで、どこかの本に、それが書かれてあるのかもしれない。
つづく。
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