2014年12月31日

みなさん、良いお年を!

しばらくブログの更新ができなくて申し訳ありませんでした。
どういうわけか今年の年末年始は、御客様でいっぱいで、
御盆の頃より、めまぐるしい毎日です。

それはともかく、今年1年間、いろいろとお世話になりました。
来年も、宜しくお願いいたします。
それでは皆さん、よいお年を!

つづく。

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posted by マネージャー at 20:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

お馬鹿なツアー

日本海に行って、魚やカニを食べてくると言う、ただそれだけのお馬鹿なツアーです。
今回は、糸魚川です。

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | お馬鹿な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月25日

軽井沢のイルミネーション

軽井沢のイルミネーション

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願い事を書いて、
木につるします。

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冬の大三角形
星空がきれいでした>

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリスマスイブ

 今日はクリスマスである。なので、クリスマスイブに軽井沢の教会に出かけた。私は八百万の神を信仰する普通の日本人なので、クリスマスに教会に行くことには何の躊躇もありません。どんな神様も大歓迎ですからね。むしろ、ありがたいお話が聞けるので、喜んで出かける方です。賛美歌を一緒に歌ったり、キャンドルサービスでお祈りするのも大好きです。

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 ただし、歴史学的に言うと、イエス様は馬小屋では生まれてないですよね。
 飼馬桶に取り上げられたというのは、聖書に書かれてあったと記憶していますけれど。

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 ちなみにここでは、 300円でいろんなケーキが食べられます。コーヒーここは紅茶も300円。軽井沢でこの値段は非常にリーズナブル。もちろん手作りケーキも大変おいしいです。

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 それはともかく、 1年に1度、 この教会では、一般の人たちに大チャペルが公開され、本物の宣教師のお説教が聴けます。今年はそれに参加してみました。幸い、 1歳8ヶ月の息子もおとなしくお話を聞いてくれたので、大変助かりました。うちの息子は、空気を読むところがあるので、こういうときだけおとなしくしてくれます。

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つづく。

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posted by マネージャー at 03:36| Comment(5) | TrackBack(0) | 旧軽−雲場池・恵シャレー・離山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月23日

言霊

 今日は、天皇誕生日である。息子とささやかなお祝いをした。なぜならば、息子の名前は大昔の皇室、ヤマトタケルから取っているからである。ヤマトタケルは、浦賀水道で妻をなくしました。そのために、関東から去る時に、吾妻やと、 3回叫んで別れを惜しんだと言います。その謂れから、この地方を吾妻郡と言われています。そして妻に恋する村と書いて、嬬恋村という村が生まれました。うちの息子は、その伝説から名前をいただいております。決して、どこかの俳優の名前からもらったわけではありません。

 そんな事はどうでもいいとして、そもそもタケルという名前は、日本最古の名前です。最古でありながら、古くもなく新しくもなくいく世代にわたって滅びなかった名前でもあります。音読みではなく訓読みの名前です。もちろん訓読みですから、ヤマト言葉です。実は、戦後にやまと言葉だけで、作詞された歌謡曲が大量生産されました。 1つはフォークソングです。もう一つは演歌です。両者はまったく似て非なるものですが、歌詞のほとんどが大和言葉という共通点があります。だから、非常に日本人の心にしみいる曲が大量生産されました。

 では戦前はどうだったのかというと、意外に大和言葉は使われてないのですね。唱歌にしても軍歌にしても校歌にしても音読みの漢語を使っているのですね。戦後に横文字を使って歌謡曲を大量失生産したケースと非常によく似ている。で、そういう曲を今振り返ってみると、今ひとつ親しみがもてない。その時代ならいいのだろうけれど、時代が過ぎ去ってしまうと、ちょっと堅苦しかったり、感情移入がしにくくなったりしています。

 そんな中で、今でも日本人の心にしみる曲というものがあります。童謡です。不思議なことに童謡は、大和言葉だけで書かれており、しかも大正時代に作られたものが今でもほとんど歌われています。有名な童謡の大半が、大正時代から昭和初期にかけて作られたものばかりであることに驚かされます。

 そこで思い出すのが、小学校の時の音楽の授業です。小学校6年生の時に滝廉太郎について学びました。そして代表作の箱根八里、花、荒城の月の3曲をレコードで聞かされ、どれが1番好きなのかアンケートを取らされたのです。その時、私は箱根8里を選びました。しかし、それは少数派で、当時の小学校6年生の大半は、花を選んでいます。

 実は、箱根8里も、荒城の月も、唱歌なんですね。にもかかわらず、これを選ぶ子供たちはいなかったわけです。それに対して、花は、組歌『四季』の1部なんです。普通なら子供たちは、唱歌を選びそうなものですが、そうではなくて組歌『四季』 の花を選んだわけです。で、花の歌詞を改めて調べてみたら、やはりやまと言葉ばかりでした。逆に箱根八里も、荒城の月も漢語ばかりなんです。しかし、花の方は、大和言葉ばかり。ちょっと歌詞を紹介してみましょう。

 春のうららの 隅田川
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしづくも 花と散る
 ながめを何に たとふべき

 散りゆく桜の花びらと、逆光に光れ水しぶきの雫を重ねていますね。起承転結のお手本のような歌詞です。頼山陽も真っ青の起承転結です。ちなみに頼山陽は、起承転結の極意を、このような文章にして、説明したそうです。

大阪本町 糸屋の娘
姉は十六 妹が十四
諸国大名は 弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す

 このような起承転結を使った技法は、もともとは漢詩の技法です。漢詩の技法でありながら、文章そのものがやまと言葉で書かれてある限り、日本人の心を深く捉えて離しませんから不思議です。逆に漢詩の技法を使ってなくて、序急破の技法を使ったとしても、ヤマト言葉が少なかったりすると、何やら難しく聞こえてきますから不思議です。難しくかっこよく聞こえるかもしれないけれど、言霊は感じないわけです。

 そう考えてみると、いくら外国産のレトリックを使っても言霊には影響しないということになります。単語さえ、ヤマト言葉で語られていれば、どのようなレトリックやどのような文法でも問題は無い。ということになりますね。そう考えると、なぜ日本人が、あれほど簡単に中国文明を取り入れることができたのか?  なぜあれほど簡単に西洋文明を取り入れることができるようになったのか?  それに対する答えも見えてくるのかもしれませんね。

つづく。

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2014年12月22日

主導権

 しばらく風邪をひいて休んでいた。風邪など、ここ数年かかったことがなかったが、油断したのだろうと思う。それはともかく風邪をひくと1番辛いのは息子と遊べないことである。うつしてはいけないので息子と距離をおかなければいけない。これはお預けを食っている愛犬コロの心境と一緒である。もちろんお客さんとも距離をおかなければいけないので、これもちょっと悲しかった。

 ところで、もうすぐ息子が1歳9ヶ月になる。早いものだ。そして、息子はますます親を真似するようになってきた。最初に息子が親の真似をしたのは、生後10ヶ月ぐらいだろうか?ご飯を食べる前に「いただきます」を言うようになった。これは親の外見を真似しただけだと思われる。この頃は親の外見の真似をどんどんしていた。

 しかし、その数カ月後には、「いただきます」を言わなくなった。見た目上は退化現象が始まっていた。しかしそれは退化などではなく、自分の意志を持ち始めたのだと思う。単なる物まねではなく、言う言わないの選択肢の主導権を取ろうとしていたのかもしれない。

 そのうち「いただきます」を言ってみたり言わなかったりケースバイケースの事が多かった。気分に左右されていた。それが 1歳8ヶ月くらいになると、必ず「いただきます」を言うようになった。その上、親の私が、息子の前で、うっかり「いただきます」を言い忘れてしまうと、息子が親に注意するまでになった。こうなると「いただきます」は、息子にモラルとして定着してしまった感がある。

 以上、 2年近く息子を観察してみて思った事は、「いただきます」には、いろんな「いただきます」があるということである。最初は本能的に、真似ばかりしていたと思う。そのうち真似をすることに対して、自分の意思を優先させるようになってきている。そして最後には「いただきます」が習慣となっていき、挙げ句の果てにはモラルにまで発展していっている。同じ「いただきます」でも、生後10ヶ月の「いただきます」と生後1年9ヶ月の「いただきます」では。天と地ほどの差があったと思う。

 ちなみに息子は、いろんなことを覚えつつある。まずお客さんに「バイバイ」と言うようになった。実はこれは私も嫁さんも教えてない。教えてないのに息子はある日突然、お客さんに「バイバイ」と言うようになった。おそらくテレビの影響かと思われる。他にも教えてない事をするようになった。どう考えても、テレビの影響である。その逆に、私が一生懸命教えようとすることは、全く覚えてくれない。にっこり笑ってはにかむだけで、覚えてくれない。どうやら覚えるものに対しての主導権は絶対に渡さないつもりらしい。

 黙ってじっとして私のを読む絵本を見てはくれない。すぐ暴れだす。そのくせ、私が諦めて週刊誌などを読んでいると、それを脇からじーっと眺めるのだ。息子は私が読んでいる本をじーっと眺める。もしくは、私が読んでいる本に似たような形をしたものがあったら、それをじーっと眺めるのだ。息子は私が本気で面白がってるものでないと読んでくれない。しかし、私が本気で面白がる本は、かなり難しい本なので、息子が内容を理解できるわけがない。なのにそういう本ばかり読もうとする。

 食事の時などもそうである。どうしても自分が主導権を取りたがる。私がうどんをフォークで突き刺して息子のところに運んであげるのだが、息子はそれを素直には食べてくれない。せっかくボークで突き刺したうどんを、手でわざわざもぎ取って、それを腕の中に戻し、改めてお椀の中のうどんを手で掴んで口に運んでいる。食べさしてもらうのが嫌いなのだ。そういう年頃になってきたのだ。

 おまけに大人用の箸を持ちたがる。子供用のスプーンやフォークを渡すのだが、それが気に入らないらしい。どうしても大人が持っているものと同じでないと気が済まないらしい。当然のことながら、大人用の箸など使える分もないから、うまく食べられない。したがって、最終的には手で食べてしまうことになる。要するにインド式のご飯の食べ方になってしまうのだ。

 話は変わるが、今日は大掃除をした。古い冷凍庫をリサイクルに出すべく、自動車の積み込みを行った。嫁さんと2人で、大きな冷凍庫を移動させたわけだが、息子も一生懸命手伝おうとする。正直言って邪魔で仕方ないのだが、夫婦2人が何かをやっていると、息子は必ず入り込みたがるのだ。お客さんが帰った後のベットメイクや部屋掃除も、必ず息子が加わってくる。まぁそれはいいのだが、困ったことに主導権を取りたがるのだ。しかしこればかりは主導権を渡すわけにはいかない。あと10年は待ってほしいが、その頃は興味を失っているのだろうなあ。

つづく。

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ラベル:主導権 育児
posted by マネージャー at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月19日

snsについて

 先日、近くの貸し別荘のオーナーが遊びに来た。初対面であったが、私のブログをよく読んでくれているらしく、いろいろ話が弾んだ。そのオーナーの本業は画家。そういう人は北軽井沢にたくさん住んでいる。現に、うちの宿から10メートルもいかないところに、陶芸家が店を出している。ペンションオーナーにも、絵描きの人がたくさんいて、その作品のひとつが群馬銀行嬬恋支店なんかに飾られていたりする。やたら飛行機が大好きなペンションオーナーもいた。歴史オタクのペンションオーナーもいる。実は、北軽井沢や嬬恋村の観光関係者には、そういう裏の顔があったりする。単なる宿屋というのは少なくて、何かしら自分の世界を持っている人が多い。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、遊びにきてくれた貸し別荘オーナーとインターネットの話になった。ブログやFacebookの話である。実は私は、 Facebookやmixiが苦手である。最近は1年以上、 Facebookの更新をしてないことに気がついた。どうして苦手かというと、そこに強制性を感じてしまうからである。また、読んでる人にご迷惑をかけてしまってはないだろうかと気になってしまうことがあって、どうしても億劫になってしまうからである。

 その点ブログはいい。ひっそりと書き逃げができる。読んでる人も誰が読んでいるかわからないところがいい。この文章だって誰に読ませている?といった、ターゲットを意識しなくても良い。ひょっとしたら誰も読んでないかもしれないというのが良いのだ。ところが、 FacebookやmixiなどのSNSだとそうはいかない。友達とか、いいねボタンとかがあって、確実に誰かを意識してしまう。あと、読んでくれた人のSNSにご挨拶に行かねばならぬという、重苦しい義理関係ができてしまう。そのために気が重くなってしまうのだ。

 1年以上も前に、私は初めてFacebookをやり始めた。始めた理由は、商売のためである。これからの時代はFacebookはできないとダメかもしれないと言う宣伝に乗せられて始めてしまった。しかし、数ヶ月ほどやってみて、これは違うなと言うことが分かってしまった。

Facebookは、商売というよりも小さな友達のグループの親睦に使うのに適している。もちろん口コミなどの商売に使えない事はないが、それをやるには、図太い心臓が必要そうだ。私のようにノミの心臓持ってる人間には、とてもじゃないが使いこなせない。記事を書くたびに、 SNSの友達に情報が到着するとなると、相手に迷惑が掛かってるかもしれないと言う気分になってしまう。ましてや、いいねボタンなんかをされてしまった日には、また手を煩わせてしまったなと落ち込んでしまう。本当に本心でいいねボタンを押してくれるんなら話は別なのだが。

 これがブログやホームページとなると、誰が読んでるとかさっぱりわからない。そもそも誰も読んでないかもしれない。私はひっそり、誰も読まないようなサイトに書き込んでるだけなのかもしれない。そのほうが気が楽である。

 実はこのブログも、最初は商売のために始めていた。だから初期の頃は、盛んにトラックバックなんかをやって読み手を増やそうとしていたが、 1年後にはやめてしまった。今はもう日記がわりにブログを書いている。写真や当日何があったかを記録として残している。そしてその記録は、過去の開花情報や、過去の気象情報を調べるときに役立てたり、ホームページを作るときにデーターとして重宝している。

 塵も積もれば山となる。

 昔のものはよく言ったものだ。私が書いているこのblogの情報料は相当なものになっている。ブログを始める前はNIFTYのソフトを使ってマネージャー日記を書いていた。それも含めれば10年以上のデーター量になってしまった。それを全部、デジタル情報として残せたのは大きかった。

 ところが、 Facebookだとそれらのデータが残せないのだ。過去の書き込みはどんどんどんどん埋もれてしまって、情報が死んでしまう。情報を整理して、別のホームページに整理し直せばいいのだろうが、これがまたややこしい。 Facebookには、いろんなアプリケーションがついていたりして、そっくりそのまま他のホームページにしにくいのである。これは致命的である。

 もし、私が商売の道具として使うのであれば何の問題もないのだが、日記として記録し、それを過去データーとして他に役立てようとした場合、 Facebookほど役に立たないものはないのだ。その点シーサーブログは最高である。何が最高かというと、ブログを自分の好きな形に改造できるからである。だから私は、過去データーを利用しやすいように改造してある。お客さんが読みやすいかどうかは二の次である。

 逆に言うと、お客さん自身も私の過去データーを利用しやすいかもしれない。まぁそれは、私にも言えることであって、私が利用しやすいブログが、世の中にはごまんとある。このブログは使えるなぁ。このブログはいろいろ利用させてもらおう。そういうブログは大量にある。しかし、 Facebookにはそういうものはあまりないのだ。どちらかというと、 Facebookは今旬の情報を提供してくれるものが多い。過去の情報を調べようとする場合は、圧倒的にブログを読ませていただいている。

 そういう意味で、 Facebookは商業利用に向いているのだろう。
 ブログは日記に向いているのだと思う。

 サークルか何かの活動をサポートする場合は、 Facebookの方が良いかもしれない。個人的な備忘録は、ブログの方が向いてるのかもしれない。あとアクティブで活発的な人は、 Facebookが向いているのかもしれない。あたしのように小心者で、人様のご迷惑をいちいち気にする人間にとっては、ブログの方が気が楽でいい。ひょっとしたら誰にも読まれてないかもしれないが、そっちの方が、ほら読みなさいよと強制するような仕掛けがあるよりも、むしろ誰にも気兼ねせずに書き込みができて良いと思ってるぐらいなので、私は断然ブログの方が使いやすい。

 ただし、某テレビ局の情報によれば、ブログをやる人はFacebookをやる人の10分の1もいないらしい。ブログは、このインターネットの時代においては、圧倒的に少数派のようだ。世の中は、 Facebookの天下になりつつあるらしい。それが本当か嘘かはとりあえず置いといて、個人的にはほっとしたことも確かだ。個人的な備忘録のつもりでブログを始めているわけなので、世の中がFacebookに向かいつつあるのが、ある意味こっちの願ったりでもある。


つづく。

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posted by マネージャー at 13:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月17日

サプリメントと食事

 今日も外は雪だった。本当なら朝早く起きて雪かきをするべきなんだろうが、声が出なくて倒れてしまった。喉風邪である。きっと乾燥してるからだろう。生まれて初めてのど飴のトローチを舐める羽目になった。こんなもの喉風邪に効くもんか、と思っていたが、 6時間ぐらい寝込んだら不思議なことに体調が戻ってきた。声も出るようになり、巨大な痰も出てきた。あれだけ喉がカラカラなのに、どこにあったんだろうかという巨大な痰だった。おそらくこの痰が、病原菌の侵入を防いでくれていたのだろう。しかし、それも限界になって喉が腫れたのだろうと思う。

 それはともかく、風邪をひくと食欲がなくなる。これは自己防衛本能であることはわかっている。胃腸に血液がいかないようにして、その分病原菌と戦うためのエネルギーを確保するためである。こういう場合、ありがたいのはサプリメントである。胃腸の負担を最小限に減らしながら、必要な栄養素をすべて吸収できるからである。もちろんサプリメントばかり飲んでいるのは体にはよくない。しかし体が病気しているときは、大変ありがたい。

 長い前置きを書いてしまったが、せっかく病気して体を動かせない状態になったのだから、読書をすることにした。普段インターネットで情報ばかり集めているので、たまに行う読書は頭のようになる。インターネットがサプリメントなら、読書はフルコースの食事のようだ。

 もし最小限の栄養をとるだけならサプリメントだけで困らないように、単なる情報収集を行うならばインターネットだけで困りはしない。しかし、インターネットばかりやっていると、頭が不健康になってくる。やはり読書必要だ。なぜならば、読書はスローペースで情報を仕入れるために、頭の中から発想やひらめきをどんどん出していく効果があるからだ。その意味で読書は、情報収集する道具ではなくて、頭を整理する道具でもある。情報から何かを汲み取る力を持っているのは、圧倒的に読書の方である。

 これに散歩が加わったら最強である。やはり読書だけではダメで、散歩をプラスするともっと偉大な力を発揮する。いろんなことが見えてきたりするのである。実は、この散歩の力を最初に見抜いたのは、ギリシア人であった。ギリシア人は散歩をすると頭が冴えてくることに気づいて、散歩をとても重要視していた。そして散歩しながら考える人達の事を逍遥学派と言うようになった。坪内逍遥は、この逍遥学派から逍遥の文字をいただいている。

 ちなみにフーテンの寅さんの第2作目では、寅さんの恩師がでてくるが、その恩師の名前は坪内先生だった。坪内散歩である。何の事は無い、フーテンの寅さんの監督である山田洋次は、坪内逍遥をもじって、坪内散歩先生と名づけたのである。実を言うと、私はこのフーテンの寅さんの第2作が、寅さんシリーズの最高傑作であると思っている。興味のある方はぜひ見ていただきたい。寅さんシリーズで最も笑える、そして最も感動的な作品なのだ。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、この坪内逍遥は、日本に新劇を紹介したことで有名な人である。日本新劇の開祖的な人間である。そして坪内逍遥の弟子たちの中から、偉大な演出家や俳優たちがでてきた。それが大正時代に花開くことになる。いわゆる新劇ブームが起きるのだ。そして海外の劇団の公演が次々と興行され、ものすごい人気となるのである。

 そのすごさというのは、今日の映画やテレビなどの比では無い。俳優のなかには3,000円の月給をもらう人たちもいた。当時の一般的なサラリーマンの100倍の給料である。記録によると大正7年には、 分かっているだけで653万人のお客さんが劇場に足を運んだと言われている。実際はもっと多いだろう。浅草公園の吾妻座では1日あったり2,476人を集客し、年間90万人の入場者を記録している。

 こうなると、当時の小説家、例えば夏目漱石などは吹けば飛ぶような存在である。新劇関係者の方が、よほど儲かっているしステータスも高かった。今ではその立場が逆転しているから面白い。ただ、このようなブームを迎えていながら、新劇は徐々に衰退していく。小説のほうはそうでは無い。どんどん発展していくのだ。ここが面白い。

 原因はいろいろあるだろうが、その一つに、新劇関係者が散歩をしなくなってきたことがあるかもしれない。この頃の新劇は、坪内逍遥の手を離れ、全く別の進化を遂げていた。それが何らかの影響をもたらしたのかもしれない。

 いろいろぐだぐだと書いてしまったが、読書と散歩をこよなく愛する者としては、それが残念でならない。読書も散歩も1種の禅であると思う。これに星を見るを加えても良い。山にぼる事を加えても良い。海を眺める事を加えても良い。これは全て1種の禅である。これらは、一見無駄に見えることのように思えるが、実は無駄では無い。それらの行為によって脳が活性化するのだ。そして心と体が健康になっていくのである。それに気がついた古代ギリシア人は、凄いものだなぁと思う。

つづく。

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2014年12月16日

自然の脅威

 実は昨日から嫁さんが息子を連れて里帰りをしている。それなのに今日は、本格的な大雪となった。午後3時頃には15センチぐらい積もっていた。こんなに早く大雪になるのは、開業以来初めてかもしれない。北軽井沢は、本来雪の少ないところである。降ったとしても、 12月末か1月初めの頃が多い。それが12月中旬にもう大雪となってしまった。

 もちろん、愛犬コロの犬小屋も雪まみれになっている。まだまだ冬支度の作業が残っているのに、困ったものだ。今年こそ、ユニットバスにサーモスタット付きのシャワーを取り付けたかったのだが、この大雪で水道の元栓が開閉しにくくなって、作業を中断せざるを得なくなった。大急ぎで、ホームセンターに向かって犬小屋用の屋根を作るために、構造用合板を買いにいかねばならなくなったからである。

 ホームセンターに到着してみると、除雪用のスコップなどがみんな売り切れていた。やはりあの天気図を見てびびっているのだろうなぁと思ってしまった。買い物が終わって、台車で資材を車に運ぼうとしたら、台車が雪で動かなかった。仕方がないので、一つ一つ手で運ばざるを得なかった。こういうことが起こりうるので私は、物置やバックヤードを必要以上大きくとっている。すべての備品の在庫を多めに抱えている。北軽井沢は、いつ陸の孤島にならんとも限らないので、いろんなものを大量に抱えて準備しておかなければならないのだ。

 それにしても、地球温暖化というのは本当なのだろうか? むしろ地球は寒冷下に向かっているのではないだろうか? 寒冷化に向かう初期の頃は、気象の変動が激しく、急激な温暖化が起こりうると言われている。それなのではないだろうか? 一体温暖化なのか寒冷化なのか、どっちなのだろう?

 そんな事を考えながら、やはり今日も愛犬コロと朝晩の散歩行った。雪は愛犬コロの胸ぐらいまで積もっているので、さすがに歩きにくいかと思いきや、こんな大雪でも大喜びで飛び回っていた。散歩コースの途中には、最近できたばかりの巨大な太陽光発電所がある。もちろん大量の雪に埋もれていた。おそらく数日後には、ガチガチに凍りついて3月ごろまで行に埋もれてしまうような感じだ。

 結局、太陽光発電は北軽井沢や嬬恋村には向かないのではないだろうか? こんなに雪で埋もれてしまっては、発電どころではないだろう。ましてや、桟敷山の周辺なんて、最盛期には2メートルぐらい積もることもあるのだ。そんなところの木を伐採して太陽光発電をするなんて、常識で考えればうまくいかない事はわかりきったことである。

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 そもそも、地図の等高線を見てもわかる通り、かなり傾斜のある地域だ。鉄砲水も出るし、雪解け水で泥濘になる場所だってある。うちの宿の目の前にある村道だって、春先は泥濘になるのである。太陽光発電が無事に済むとはとても思えない。木を切れば、山は崩れやすくなるのだ。自然を甘く見ると、後で酷いしっぺ返しを受けるかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、嫁さんのことが心配になってきたので、ケータイに電話をかけてみた。里帰りした実家から北軽井沢に帰る途中で、車の運転中だった。そして、電話で買い物の事を言っていた。やっぱりそうか、この雪を甘く見ている。

「買い物なんかしなくていいから、安全運転で早めに帰ってきなさい。どっちにしろ、道路は雪で超ノロノロ運転になるはず。そうなれば、時間がどんどん過ぎて、雪はどんどん増えるに違いない。下手したら帰れなくなる恐れもあるので、とにかく寄り道しないで早く来なさい」

 そう言って電話を切った。
 予想は的中した。
 やはり雪道は大渋滞していたようだ。
 明日はきっと、去年の大雪の時に買った除雪機が大活躍するだろう。

つづく。

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2014年12月15日

アニマルトラッキング

 昨日は、ふたご座流星群が極大でしたが、皆さんのところでは、たくさんの流れ星が見えたでしょうか。北軽井沢では、ちょっと雲がありましたね。そのせいか朝起きてみたら、一面が真っ白でした。こんな日には、愛犬コロを連れて散歩をするに限ります。

 なぜならば、雪が降った後は、いろんな動物の足跡が見れるからです。人間たちがまだ布団の中にいる頃、森の中を散歩をすると、いろんな動物たちの息づかいがわかります。歩いて50 mほど進むと、早速イノシシの足跡が見えました。歩幅と蹄の大きさを考えるに、大して大きくはありません。

 さらに100メートルぐらい森を前進すると、野うさぎの足跡と、タヌキの足跡もありました。リスの足跡もあります。紀州鉄道列車村のホテルパルコールあたりを歩くと、カモシカの足跡も見られます。このあたりは、たくさんの建物が密集しているのですが、大半が別荘であるために、人の気配がありません。だから色んな野生動物が生息しているみたいです。夏だと考えられないのですが、 12月を過ぎると、山の方から野生動物が降りてくるようです。

 しかし、さすがにツキノワグマや狐の足跡はありません。それらは浅間牧場にいくとみられます。本来ならば、ツキノワグマは冬眠に入っているはずなのですが、まれに浅間牧場で足跡を発見できます。過去に何度かそれを写真に撮って、このブログにアップしています。興味のある方は、このブログの過去ログをご覧になってください。

 ちなみに、浅間牧場辺りを徘徊しているツキノワグマの巣は、もう廃墟になっている別荘の縁の下にあります。そこで冬眠をしてるのです。夕方近くになると、廃墟別荘地帯から浅間牧場辺りにやってきて、大好物の野草をむしゃむしゃ食べています。でも雪の降る頃には、冬眠体制に入りますので、初雪から23日後には、もうクマの足跡は見ることができなくなります。

 このように動物たちの足跡を探す事を、アニマルトラッキングといいますが、よく自然ガイドたちがスノーシューを使って盛んにやっていますよね。ですが、ぶっちゃけて言うと、スノーシューで山奥に行くよりも、実は北軽井沢ブルーベリーの宿の近辺を長靴散策する方が、簡単に見つけることが出来るんですよね。それも宿から100メートルから200メートルぐらい離れたところで見つけられます。わざわざスノーシューを履いて山奥に行かなくてもいいんです。

 まぁそんなこと言っても、宿のそばでアニマルトラッキングをやったとしても、あまりありがたみがないでしょうね。やはり景色の良い所に行きながら、数少ない動物の足跡を発見する方が感動も大きいかもしれません。高級レストランのコース料理よりも、腹ペコで食べた山頂のおにぎりの方が美味しいですもの。

 ちなみに私は、今日も小浅間山に登ってきました。

 15年前に北軽井沢にやってきた頃は、冬の小浅間山に登る人なぞ1人もいなかったのですが、今じゃ毎日大勢の人が上っています。私が散々このブログやホームページで小浅間山の紹介をしてきたからか、たくさんの人がやってくるようになりました。つくづくネットの力は恐ろしいと思います。

 まぁそんな事はどうでもいいんですが、 15年前だと冬の小浅間山は動物の足跡でいっぱいだったんですが、これだけ人が上ってしまうと、動物の足跡は全くないですね。どこを見ても、全く見えない。あるのは一緒に連れてきた愛犬コロの足跡だけです。そうです私は愛犬コロと一緒に小浅間山に上っているのです。

 すると後ろの方から賑やかな声がしてきました。どうやら某ホテルの自然ガイドが率いる団体さんのようです。大きな声で身振り手振りで自然解説をしていました。私はどんな解説をしているのかなぁと、ちょっと耳をすましたのですが、どうやらアニマルトラッキングをやっているようでした。

 あれ?
 動物の足跡なんかないはずだぞ?

と、首をかしげていたのですが、よくよく見ると、愛犬コロの足跡を指して、これはタヌキでしょうか?狐でしょうか?とお客さんに問い掛けているのです。あちゃー。

『こいつはやべえ』

 今更この足跡は、愛犬コロの足跡ですよなんて言えませんので、団体様に見つからないように、薮をこいで下山しました。もちろん登山道を外れています。別にこっちは悪いことをしているわけでは無いのですが、どうにもバツが悪くてコソコソ帰ってしまいました。それにしてもガイドさん、もうちょっと勉強した方がいいですよ。まぁそのおかげで、森の奥地でカモシカに出逢えたのだから良かったのですけれど。


つづく。

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2014年12月14日

食いしん坊のカレンダー2

 なぜか急にタラコが食べたくなった。タラコといっても、よくスーパーなどで売られている辛子明太子の類では無い。小さな煉瓦ぐらいの大きさがある本物のタラコである。店先でよく売られているのは、スケトウダラの卵である。鱈の卵では無い。辛子明太子も、いわゆるタラコも、スケトウダラの卵なのだ。

 鱈の卵は、あんなに小さくはない。あの10倍ぐらい大きいのである。子供の頃は、その巨大なタラコを、箸やスプーンでゴリゴリと削りながら、ご飯にかけて食べた。色は黄色である。スケトウダラの卵のように、赤くは無い。黄色というか黄土色の色をしていて、巨大で大きく固いのだ。子供の頃はそれをおかずにご飯を食べていた。スケトウダラのタラコよりも、安く量もたくさん買えたので、昔はどの家庭にもおかずの一品として、あったと思う。

 それを嫁さんにいってみたのだが、嫁さんは鱈の卵を知らないという。辛子明太子のようなタラコしか知らないらしい。レンガのように巨大な黄土色のタラコをご存じないようだ。なので、あちこちのスーパーや魚屋に顔を出して、本物の鱈の卵を買いに出かけた。しかし、群馬や長野では、まったくもって見つからない。なので、ペンション仲間にも聞いてみたが、やはり知らない人が多くて驚いた。ひょっとしたら、あの巨大な鱈の卵を食べた人は、ほぼ絶滅しかかっているのではないだろうか? あの巨大な鱈の卵は、クジラ肉を家庭で食べたことのある世代しか知らないのかもしれない。まだ日本が貧乏だった頃は、あの独特な臭いを発するクジラ肉料理や、巨大なタラの卵が、食卓によく出ていた。それがいつの間にか消えていったのだが、いつから聞いていたのだろうか?

 もう食べられないと思うと、無性に食べたくなってくるから不思議である。しかしないものはない。仕方がないので、スケトウダラの卵である辛子明太子を買って帰った。それをお客さんの夕食にも出したしまかなえでも食べた。やはり辛子明太子は美味しい。しかしこれは辛子明太子であって、鱈の卵では無い。味が全然違う。

 鱈の卵は巨大であるために、なかなか焼けない。だから長い時間をかけて焼き上げる。そうしないと、中まで火が通らないのである。当然のことながら、卵は硬めに焼き上がり、ブロックか煉瓦のようになる。固いのでナイフでもない限りなかなか切れない。切っても、堅いブロック状になるので、スプーンかなんかでボロボロ崩す。それをご飯の上にふりかけのようにまぶして胃袋の中に食うのである。値段ももちろん安い。安いけれど、とても美味しい。辛子明太子のように上品なおいしさではないが、チープなおいしさである。このチープさ加減が良いのだ。 B級グルメにはB級グルメの良さがあるように、鱈の卵にも鱈の卵をなりの良さがあるのである。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | なつかしい色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

日暮山ハイキング

日暮山ハイキング

昔から盛んに信仰登山がなされていて、今でも石宮や石碑が祭られています。それだけに登山道も、私が知っている限り4つあります。今回は、一般的なルートで登山。

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この山の特徴は展望。
浅間から妙義・榛名山・赤城山まで見えます。

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つづく。

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2014年12月12日

【拡散希望】桟敷山林道の森が、丸裸になってしまう? その2

【拡散希望】桟敷山林道の森が、丸裸になってしまう? その2

 今日は、初めて嬬恋村の村議会を傍聴しました。というのも、浅間高原の運命を握る重要な法案が、決定される議会だったからです。議案第64号、嬬恋村景観条例の制定について。議案第65号、嬬恋村開発事業等の適正化に関する条例の1部改正について。議案66号、嬬恋村における建築物の制限に関する条例の1部改正について。この3つが、なんとか可決されました。この可決によって、桟敷山の村有地70ヘクタールが、太陽光発電にされるという計画に対する歯止めになれば良いなぁと思っています。

 なにしろ、桟敷山周辺が丸裸になってしまうわけですから、その自然に対する影響は計り知れません。この地域は、天然記念物のミヤマモンキチョウや、アサギマダラなどの蝶々の宝庫でもあります。また私が確認した限り、複数のクマが生息しています。お客さんをこの地にご案内しているときに、何度もクマの巣に出会っています。カモシカにも何度も出会っています。また、シャクナゲの宝庫でもあります。紅葉の時や新緑の時は、その美しさにお客さんが見とれてため息をつくことも多い、素晴らしい地域です。ただ、残念なことに上信越高原国立公園内でありながら、普通地域であるために、太陽光発電の開発ができてしまうという地域なのです。

 今回、その地域に目をつけてしまった企業がありました。それは、ケン・コーポレーショングループという会社です。その会社が、村に対して村有地を賃貸したいと言ってきたわけです。そうすると、 25年分の賃貸料で8億7,500万円が村に支払われることになります。あと固定資産税17年分が、9億2,900万円発生します。もちろん土木工事の費用が、村に落ちるでしょう。メンテナンスの為の従業員の雇用も生まれるかもしれません。だから村にとっては、おいしい話なのですが、あの美しい桟敷山周辺の森が丸裸になってしまっては、取り返しのつかないことになります。少しばかりの金で、素晴らしい自然を破壊する行為は、愚かなことです。それ以上に、浅間高原の景観が醜悪になってしまう事は、絶対に避けなければいけません。自然は破壊されたら二度と戻りません。

 また、危惧しなければいけない事は、いったん企業に賃貸してしまったら、地上権が発生するということです。地上権が発生したら、その賃貸の権利を、別の大企業に売却することができるわけです。もっと言うと、ケン・コーポレーショングループという会社が、吸収合併されることによって、他の企業の所有にならないとも限りません。そうなると、太陽光発電だけで済むのかどうかという問題も出てきます。とにかく、このことに関しては非常にデリケートな問題がありますので、嬬恋村役場も慎重に行動起こしていただきたいと思います。

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追伸
長年にわたり嬬恋村景観条例を推進してくれた関係者の皆様、村長・議員の皆様、プリンスランドオーナーズ会の皆様、観光に従事しする皆様、本当にありがとうございました。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然−植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月11日

親の背中

 今日は、私は家で留守番である。嫁さんが遠くに出かけてしまったからだ。オフシーズンになると、嫁さんはたびたび出かけるのだが、ひとりで留守番しているときは、たいていはカップラーメンか、コンビニ弁当だった。ところが、去年からはそういうわけにはいかなくなった。息子が生まれたからである。柄にもなく、息子のために料理を作って食べさせることになる。

 ところで嫁さんは、息子のためにパンを作っておいてくれた。息子に食べさせるためのパンである。だから、自家製のパンである。変な添加剤や、ショートニングや、マーガリンの入ってない、健康に良いパンを作って、台所に置いて、朝の7時ぐらいに出かけてしまった。

 息子が生まれるまでは、パンはパン屋さんから買っていた。しかし、赤ちゃんが生まれると、安全なものしか食べさせられないので、パンは自分で作るようになった。幸い最近のパン焼き器は、変なものを添加しなくても非常においしいパンをつくってくれる。特にパナソニックのやつは、その辺のパン屋さんのパンよりも美味しい。そのためかうちの息子も、パンが大好きになって、毎朝パンばかり食べている。だから、嫁さんは遠くに出かける時にも、息子のためにパンを焼いておいたのだろうと思う。

 しかし、せっかく焼いてくれたパンを私は使わなかった。私はどちらかというと、パンよりピザの方が大好きである。なので、ピザを焼いて息子と一緒に食べた。息子もピザは大好きである。ただ、焼きたてのピザはとても熱いので、小さく切り分けて、フーフーと息を吹きかけて、さましながら息子に食べさせた。息子は1歳8ヶ月である。このぐらいになると、何でも親の真似をするようになるので、彼もピザを食べるときはフーフーと息を吹きかけながら食べる。食べ方を真似して食べるのだ。次に、納豆を食べさせたが、食べさせる前に、納豆をよくかき混ぜて食べてみせると、息子も納豆を自分でかき混ぜた。やはり親のやることを真似する。

いちど息子の前で、カップラーメンを食べたこともあったが、それさえも真似されてしまった。紙コップとお箸を取り出して、盛んに紙コップの中にお箸を突いていた。そういえば最近、盛んにお箸を持ちたがる。もちろん使いこなすことなどできないのだが、お箸で空っぽの茶碗の中に盛んに突いて見せた。やはり親の真似をしている。

 見ていて面白いので、今度は食後に、食堂のテーブルの周りをゆっくり歩きはじめてみた。すると息子も私の後をゆっくり歩いてついてきた。やはり親の真似をする。どのぐらい真似をするのか、ちょっと興味が湧いてきたので、数字を数えながら、何度も何度もテーブルの周りを回ってみた。結果は、一緒に21周してしまった。

 こんなことが前にもあった気がした。
 デジャブを見た気がしたのだ。
 はて、それはいつだったのだろうか?
 しばらく考えてみたら、今から50年近く前の事であることに気がついた。

 私には、 3歳年下の弟がいたが、やはり弟も同じようなことをしていたのだ。兄である私の真似をしていたのだ。私が遊びに行くと、こっそりついてきた。怒って怒鳴って帰るように言っても、ずっとついてきて、いらぬことを真似していた。私の父も母も公務員で、昼間は家にいなかったので、真似する対象が、兄である私しかいなかったのだろう。しかし驚くべき事は、 50年前でも、たった今でも、小さな子供たちは、身近な存在を真似するということである。それはもう恐ろしいくらいに真似する。真似するなと言っても、真似をするのが子供というものだ。

 しかし、それは犬でも、野生動物でも似たようなものである。野生動物は親の真似をして性格を形成していく。犬なら飼い主の真似をして成長していく。真似をするというのは自然界の法則そのものであるかもしれない。

 ここでちょっと話を変える。

 息子は、生後10ヶ月頃から、小さなクマのぬいぐるみをやたらと可愛がるようになった。最初は、どうして可愛がるのか、さっぱりわからなかった。しかし愛犬コロと一緒に散歩するようになると、その理由はすぐにわかった。私が愛犬コロをなぜなぜしながら、可愛がっているのをみて、その真似を小さなクマのぬいぐるみで行っているのである。

 つまり親が動物を可愛がるという行為は、子供にそのまま伝わっていくことがわかったのだ。これは重要な発見だった。子供の前で、親が何をなすべきなのかが、よくわかった。犬でも猫でも何でもいい。それを可愛がってみせるということが、重要なのである。私が浅間牧場のヤギを可愛がると息子もヤギを可愛がる。うさぎにしても同じである。逆に虐待すれば、息子も虐待するようになるのだ。子供は親の鏡というが、まさにその通りだと思う。

 ある日。そのことを裏付ける面白い事件があった。いつものように、軽井沢の公園で息子と遊んでいた時に、偶然、猫が芝生に寝転んでいた。私は猫派ではないので、無視していたが、それは息子も同じであった。そこに猫好きの30歳位のお母さんがやってきて、猫をなでなでしていたら、その娘さんも猫に近づいてきて、やはり抱きついていた。うちの息子は無関心である。しかし、偶然そこに、犬が通りかかったら息子はスタスタと近づいていく。明らかに興味があるのである。ドックランの前を通ろうものなら、入ろうとして、駄々をこねる。これはうちの息子に限ったことではなく、犬友達のちびっ子たちにも同じような症状がみられるらしい。親の背中というのは、本当に重要である。ましてや自営業をやっている私の場合は、サラリーマン家庭以上に重要になってくることだろう。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラえもんと息子

 世の中には、ステレオタイプというものが横行している。例えば関西人は面白いというステレオタイプであるが、何人かの関西人の人をヘルパーに雇った結果、関西人全員が面白いとは限らないことがわかった。関西にも、ねぐらな人間や、口数の少ない人がいるのである。当然といえば当然である。しかし、どういうわけか、この当たり前のことが、私にはわかってなかった。関西人は、全員ギャグを言うのだとばかり思っていたが、実際はそういう事はなかった。関西人にだって、ギャグを言えない恥ずかしがり屋さんは少なからずいたのである。

 関西の話題が出たところで、京都人に対するステレオタイプに誤解していた事をここで白状しよう。そもそも私は、京都に恨みも何もない。だいたい京都と、あまり接点がない。だから京都の事はよく知らないのだ。しかし、いろんな人から京都の人間に対してある種のステレオタイプを聞かされていて、 1種の偏見を持っていた。その偏見というのは、ご想像の通り、京都人に対する悪口である。京都の人間は、裏表があるとか、影で悪口を言われてしまうとか、他人を寄せ付けないとか、よそ者排除するとかである。

 実際のところは、わからない。それらは本当なのかもしれないし、嘘なのかもしれない。ある地域の人にとっては、真実なのであろう。また、そういう体験をした人も多かったのかもしれない。火のない所には煙が立たないともいう。

 しかしである。こと私の15年にわたる宿屋の経験を語る限りにおいては、全くそういう事は無い。京都の人たちは、礼儀正しく、気遣いがあり、良い人達ばかりだった。 15年間宿をやっていて、京都の人に対して、悪いイメージを持ったことがない。少なくとも私の体験は、京都に対するステレオタイプには当てはまらない。むしろ良い印象ばかりが残っている。温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかい人たちばかりであった。

 そう言って、他のお客さんに、私が京都に対する印象を語ると、それは騙されてるんですよと言われてしまう。私は笑ってしまう。騙されるも何も、私を騙して何の得があるというのだろうか? たとえ裏表があったにしても、それが私に伝わらなければ、騙したことにはならない。いや、温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかいことが騙していることになるとしたら、サービス業の人々は、みんなお客さんを騙していることになる。そんな訳はない。相手に不愉快を与えないのは、社会の常識だ。多分京都の人たちは、変なステレオタイプの印象に誤解されているのではないだろうか? 

 思えば、 15年間宿屋をやっていくうちに、いろいろなステレオタイプのうわさが、根拠のない間違いが多いことに気がついた。大半が都市伝説であったと思う。しかし、すべてが間違いというわけでもなかった。中にはステレオタイプの人たちもいるが、まぁそれは、人それぞれということだろう。

 さて、ここから本題に入ろうと思う。
 典型的なテレオタイプの話である。
 ドラえもんのことに触れたい。

 アニメのドラえもんは、究極のステレオタイプの人間関係を私たちに見せてくれている。人間のパターンを、何種類かに分けて見せてくれたのだ。それは、ジャイアン、スネ夫、静香ちゃん、のび太。この4つのパターンは、究極のステレオタイプである。まず乱暴者といえば、すぐにジャイアンを思い出す。それにとりいって弱い者いじめをする奴といえば、すぐにスネ夫を思い出す。あと優しい女の子といえば、静香ちゃんを思い出す。

 ところで、息子が1歳8ヶ月となり、児童館のイベントなどに参加するようになった。イベントには、大勢の1歳児が来ていた。何回かイベントに参加している1歳児たちは、慣れたもので、保母さんの紙芝居や、工作にどんどん加わっていく。うちの息子は、私たちの仕事の関係上、こういうイベントにあまり参加できなかったので、他のお子さんたちに比べて、いつもワンテンポ遅れてしまう。要するに、競争に負けてしまうのだ。

 それでも、部屋の隅に転がっている小さなおもちゃを見つけて、それで遊び出すと、ジャイアンみたいな他の1歳児がやってきて、取り上げてしまったりする。うちの息子は、呆然と見ているだけである。ジャイアンは、息子をこずいたりもしている。それに対しても息子は呆然とするだけである。何がなんだか、何が起きたのか分からないという感じである。要するに、のび太になっているのだ。

 これは仕方がないことだ。うちの息子が、こういうイベントに参加する機会を持ってないので、どうしようもないのだ。息子が、少しずつ人間に慣れていくことによって、自分で対処法を見つけるしかない。でないと、本当にのび太になってしまう。

 そもそものび太は、なぜのび太になってしまったかと言うと、ドラえもんがいたからである。ドラえもんがのび太を作っているのだ。ドラえもんが助けるから、のび太はどんどんドラえもんに依存していき、ダメ人間となっていくのだ。怖いのはここだ。親の私たちは、知らず知らずのうちにドラえもんになることがある。つまり余計な手助けしてしまうかもしれない。だが、それではダメなのだ。漫画のドラえもんを読んで育った親たちは、それをみんな知っている。だから誰も手助けをしない。

 ドラえもんに書かれてある事は、ステレオタイプの登場人物が、お約束のストーリーを展開させて、そしてのび太はどんどんのび太になっていく。つまりダメ人間になっていくという話だ。それはもう陳腐なストーリーばかりだが、それを知っているだけで、親として何をなすべきかが、頭の中に刷り込まれているから不思議である。

 結局、嫁さんと話しあった結果、月に1回か2回、 3時間くらい保育所あたりに預けてみることにすることにした。息子は、マイナス10度の雪山にも上るし、犬と一緒に浅間牧場を駆け回るし、牛やヤギとも遊ぶし、自然環境の中では無敵なのだが、人間とのお付き合いが、まだ上手では無い。別に今のままでも構わないのだが、少しだけ人間社会に入れてみることにしてみようと思う。

つづく。

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posted by マネージャー at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

お茶がおいしい季節

 12月はオフシーズンである。実は、このオフシーズンが、自営業者にとっては非常にありがたい。なぜならば、この時期にやることがいっぱいあるからだ。冬支度があるのはもちろんのことだが、 1番の頭痛の種は、経理である。毎日、領収書や通帳を経理ソフトに打ち込んでばかりいる。また、お客さんのデーターの入力も行わなければいけない。これも膨大な数である。オフシーズンがなければ、とてもではないが、出来る事では無い。もし、オフシーズンがなければ、人を雇わなければ、営業ができない。そういう意味では、うちのような小さな宿は、人間を雇わずに済む規模なので、非常にありがたい。定員20人以下の小さな宿は、そういうところが強みなのかもしれない。

 これがもし、 100人以上のお客さんが入る宿だとしたら、固定費がかかって大変だろうと思う。それ以前に、一人一人のお客さんの顔を覚えてられないだろう。お客さんの顔を覚えられるのは、年間2,000人以下の宿である。それ以上になってしまうと、アットホームな接客は難しいのではないだろうか。

 話は変わるが、冬になるとお茶が美味しくなる。
北軽井沢は乾燥している。
もしストーブにお湯を沸かしてないければ、湿度は30%ぐらいである。
なので喉がカラカラになる。
だからストーブでお湯を沸かす。
そうすれば45%ぐらいにはなる。
それにしても、空気が乾燥していることには違いない。
やはり喉は乾いてくる。
仕方ないのでお茶を入れる。
これがまた非常においしい。
空気が乾燥しているせいか、とても美味しく感じる。

 先日、スタッフの土井くんから狭山茶をもらった。これがまた非常に美味しかった。私は普段は、掛川の深蒸し茶を飲んでいる。茶農家が飲んでいるお茶を大量に買って、それを毎日のように飲んでいる。私は、決して贅沢な男では無いのですが、お茶だけは、少しばかり贅沢している。ちょっぴり高級なお茶をすすりながら、みかんを食べると、とても幸せな気分になるから不思議である。そして体が温まる。外は、雪が降りそうなくらい寒いのであるが、ちょっくら散歩に出かけようかなと言う気になるから不思議である。

 愛犬コロを連れ、 1歳8ヶ月の息子を連れて、小浅間山の登山口まで車で出かけ、そこから林の中を少しばかり散歩する。林の中なので、風は無い。登山道も、観測所の工事のために非常に整備されているので、 1歳8ヶ月の息子も歩きやすい。おまけに5センチばかりの雪が積もっているので、それがクッションとなるために、倒れても息子が怪我をすることは無いので安心である。

 息子は、真っ白な雪に大はしゃぎで歩き回った。ちゃんと踏み固めた雪道があるにもかかわらず、新雪の上ばかり歩いていた。そして、息をつかんでみては、溶けていく様を、じーっと見つめていた。その目は、科学者のように何かを分析していた。枯れ枝や、枯れ草を見つけると、何でもかんでも触ろうとするが、漆や蔦漆を触ろうとするので、ハラハラしてばかりである。

やはり息子と一緒に散歩をするのは、神経をすり減らしてしまうので、散歩は途中でやめにした。自宅に帰って、またお茶をすすった。喉が渇いていたので、今度は玄米茶を飲んだ。やはり寒いところから帰ってきた時のお茶は格別に美味しい。こんなに美味しいのに、うちの嫁さんはお茶を飲まない。なんでも鉄分の吸収を阻害するから飲まないのだそうだ。誠に勿体無いことである。お茶にはビタミンがたくさんあるので、非常に体にのに、もったいない。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月08日

思えば本当に便利な世の中になったものだ

最近、急激に冷えて、水道管の凍結や建物のいろいろな不具合に、四苦八苦していた。おまけに、パソコンが異常きたして、ブログも満足に書くことができなかった。昔ならパソコンが壊れると、データが全部失われて抹茶をになったものですが、今は違う。時代は変わったのである。

 重要なデータは、レンタルサーバーの中に入れてあるし、 Googleドライブなども活用している。昔なら、データはすべてパソコンの中に入っていた。だからパソコンが壊れたら本当に困ったのだが、今はそういう時代では無い。データは、レンタルサーバーの中にある。だから、パソコンが壊れても一向に構わない。予約票も宿帳もレンタルサーバーのデータードライブの中にあるので、スマートフォンやタブレットで操作できる。たとえスマートフォンが壊れても、パソコンがお釈迦になっても、データが全滅する事は無い。レンタルサーバーの方が、ダメになったとしても、データはパソコンの中に入っている。要するに両方をシンクロさせているために、レンタルサーバーと、パソコンが同時に壊れない限り、データを失う事は無い。だから、パソコンが壊れても大して慌てずに済んだ。

 しかし、やはり1台でも壊れると不便である。今はなんでもインターネット決済をする時代だし、楽天やじゃらんの操作をしたり、食材等を購入しなければいけないので、業務用のパソコンが、一台減ると非常に不便である。なので、もう1台の予備機を買った。

 幸いオフシーズンだったので、修理に出している間に、新しいパソコンを買うことにした。といっても高価なものではなく、モニターが一体型となっている安いものである。ただし、ハードディスクの代わりにSSDをつけた。 CPUも、その他の構成機器も、安い物を使っている物を買った。で、そのパソコンにソフトのインストールが終わり実際使ってみたら、本当に驚いた。まず、立ち上がりが早い。なんでもサクサク動く。安物なのにSSDを使っただけで、こんなにも快適な環境になるとは思ってもみなかった。これならとっととSSDを採用していればよかった。今まで採用しなかったのは、容量が小さいからである。しかし、前にも述べたとおり、小さな容量でも、大して問題では無い。重要なものはすべてサーバーの中に入れてあるからだ。思えば本当に便利な世の中になったものだ。





つづく。

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posted by マネージャー at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 2013以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月03日

食いしん坊のカレンダー

 早いもので、もう12月2日になった。 12月といえば、冬の始まりであるが、相変わらず暖かい。今年は異常に暖かい。暖かいので雨が降っている。寒ければ雪が降るのである。例年の感じだと、 12月に暖かい場合は、寒波が押し寄せるケースが多い。一体どうなることやら。

 話は変わるが、この時期に美味しい野菜はなんといっても大根である。大根は冬になると甘くなる。夏は辛いのである。なので、どうしても大根を使った料理を食べたくなる。おまけに、この時期は天然物のぶりが非常に安く買えるのである。天然物のぶりと大根。この2つが店先に並んでしまうと、私の頭の中はぶり大根でいっぱいになってしまう。

 しかしである、ぶり大根は、作るのがめんどくさい。特に夫婦2人だけで食べる量となると、大量の調味料を使って作らなければならないぶり大根は、不経済この上ない。食べたいけれど、なかなか作れない。となると方法はただ1つ。どさくさに紛れて、お客さんのメニューとして作ってしまう。しかも、我々の分も一緒に多めに作ってしまう。これしかない。

 というわけで、先週末は、前の晩から 7人前のぶり大根を作ってしまった。お客さんは5人しかいないので7人前作った。すでにメインの肉料理の材料は買ってしまった後だったが、どうしてもブリ大根が食べたくてブリ大根を作ってしまった。なので、メインは肉と魚のダブルコンボとなってしまったが、肉の方はともかく、ブリ大根の方は予想通り美味しく出来上がった。こういうものは、大量に作らないと美味しくならないのだ。おでんだってそうだ。不思議なことに、ある程度の量をまとめて作らないと美味しくならない。おまけに、調味料の節約にもなる。

 お客さんには、ただただ感謝するしかない。 5人のお客さんがいなければ、ぶり大根は作る気にならなかっただろう。逆に言うと、満室になってしまったら、逆にブリ大根を作ることもなかったかもしれない。 7人ぐらいのお客さんの人数が、ブリ大根が1番おいしくなるのである。これが20人となってしまうと、魚の方が煮崩れてしまうのである。だから人数多いときは、おでんとかになってしまうのだ。

 ぶり大根を美味しく料理して食べるには、季節とか人数とか細かい条件があるために、なかなかその希望がかなわない。だからこそ、ぶり大根を美味しく作れるチャンスがやってくると、とても張り切ってしまう。まぁこれは、ぶり大根に限った話ではありません。どんな料理にも、美味しく食べれるための環境というものがあるんですよね。

つづく。

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posted by マネージャー at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | なつかしい色 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする